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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

「僕のヒーローアカデミア」に隠された国際政治のメタファー

 

 

さぷさんです。数か月ぶりに私が来ました。

さて、僕は今更ながらヒロアカにハマったわけですが、ヒロアカには国際政治のメタファーが仕込まれているような気がしたので、そのことについて書いてみたいと思います。

 

僕のヒーローアカデミア」は、熱狂的なファンを持つ大人気漫画・アニメですが、その中に日本の核武装論や国際政治に関する興味深いメタファーが隠されているのかもしれないと思っています。主人公の緑谷出久が引き継ぐ「ワンフォーオール」の個性と、その前任者であるオールマイトの関係を、日本がアメリカの核の傘下に入り続けている状態から、日本の核武装論に踏み込んだメタファーと見ることができるのではないかという仮説です。また、さらに、ヴィラン連合や異能解放軍は、ロシアや中国のメタファーとして捉えることもできるのではないかという見立てです。

 

オールマイトのデザインとアメリ

はじめに、オールマイトの外見について考察します。オールマイトのデザインは、明らかにアメリカンコミックのヒーローにインスパイアされており、スーパーマンキャプテンアメリカの要素が感じられます。オールマイトの衣装は赤・青・白というアメリカの国旗を連想させる色彩で構成されており、彼の存在はアメリカを象徴していると断言しても差し支えないと思います。また、必殺技名もテキサススマッシュですし。

 

オールマイト緑谷出久の関係とアメリカの核の傘

上記のようにオールマイトアメリカを連想させ、緑谷出久は日本を代表する新たなヒーローとして描かれています。徐々に往時の力を失っていくオールマイトと、その個性を受け継いだ緑谷出久の関係は日本がアメリカの影響下から脱却し、日本が独自の力を持つべく成長していく様子を表しているとも解釈できそうです。

 

ヴィラン連合や異能解放軍とロシア・中国

物語に登場するヴィラン連合や異能解放軍は、ロシアや中国のメタファーであるという見方もできます。ロシアや中国のやり方がよいかどうかは別にして、冷静に国際情勢を判断すると、G7を中心とした先進諸国が利益を吸い上げる構図にロシアや中国はNoを唱えていると僕は理解しています。それは日本が約90年前に国際連盟を脱退し、同様に当時の植民地争奪戦で後れを取っていたドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結び、第2次世界大戦に突入した構図と相似形を成しており、歴史は繰り返さないが韻を踏むという格言が当てはまると思っています。国際社会という目線で見れば、90年前の日本は今のロシアや中国よりもクレイジーな存在だったのではないでしょうか。

さて、話が少し逸れましたが、既存のマジョリティに対して、別の大義を掲げ、ヒーローに明確にNoを突き付けているのがヴィラン連合や異能解放軍の存在です。このような姿勢は、ロシアや中国が国際政治の中でアメリカや西側諸国と対立する様子を表しているとも言えるのではないでしょうか。

そして、ヴィラン連合や異能解放軍が掲げる大義は、国際社会において新たな秩序を築こうとする国々の意図を反映しているとも解釈できそうです。

 

まとめ

僕のヒーローアカデミア」には、オールマイト緑谷出久の関係によって描かれる日本の核武装論やアメリカの核の傘、そしてヴィラン連合や異能解放軍がロシアや中国のメタファーとして捉えられるなど、国際政治に関する興味深いメタファーが隠されていると推測できるのではないでしょうか。

一方でこの仮説は、あくまで「僕のヒーローアカデミア」の物語やキャラクターに潜む、政治的なメッセージを探るものであり、真意については作者にしか分かりません。しかし、このような視点で作品を読み解くことで、物語の奥深さや多様な解釈が生まれることは確かです。それによって、私たち読者自身が作品から様々なメッセージを受け取り、国際政治や現代社会について考えるきっかけになると思います。

リスキリングとはコンフォートゾーンから足を踏み出すこと

さぷさんです。かれこれ半年ぶりくらいのエントリーになります。生きています。

ここ1年くらいなのですが、仕事の内容が劇的に難易度が上がってしまい、とても難儀しております。

上の写真はアリゾナ州ソノラ砂漠博物館というところから撮った写真なのですが、つい数日前まで人生初の米国出張に行っておりました。

出張は10日間の日程でして、英語が堪能な同僚2人と一緒の出張だったんですが、完全フリーな日が1日ありました。

同僚はホテルで休みたいということだったので、折角なので僕一人だけでUberを使ってソノラ砂漠博物館に行ってみたんです。

ドメスティック・オンリー・サラリーパーソンの僕としてはまさかこの歳で英語が必須になってしまった状況に恐怖しかなかったんですが、ホテルに閉じこもるのもつまらないので好奇心の方が珍しく勝ちました。

Uber は米国では社会インフラみたいになっていて本当に便利なんですが、自分ひとりしか頼ることが出来無い中で、英語が一体どれくらい通用するのかと思い、ドライバーの方にいろいろ話しかけてみることにしました。

行きのドライバーの方は初老の方だったんですが、割と気さくな方だと思ったので、「日本からビジネストリップで来て、米国は初めてです」とか伝えてみまして、なんとなく通じた気がしました。

Uberに乗っていた時間は30分程でしたが、会話がなくなってきた頃、対向車線を走る車がライトを点灯していることが多いので、「アリゾナ州では日中自動車のライトを点灯するのか?」と聞いてみたんですが、ライトがどうしても通じませんでした。どうも僕の発音はrightと聞こえてしまうようで、かなり粘ってみたんですが説明を諦めました。

車を降りるときに英語をもう少し頑張る、ありがとうと伝えたところ、その初老の方は頑張れと笑ってくれました。

また、帰りの時のUberの運転手の方にもいろいろ話しかけてみたのですが、その方は70歳とこれまた年配の方でした。いろいろ話してくれる方で、山の方を指さして、「ここでトゥームストーンの映画が撮影されていたんだ、トゥームストーンは見たことがあるか?」とか「ジョン・ウェインもこの辺で西部劇の撮影をしていた」とかいろいろ教えてくれました。最後は握手までしてくれて、「また次ここに来るのはいつだ?」と笑いながら聞いてくれました。

観光とネイティブ相手に英語の勉強が出来てとてもよかった訳ですが、light の発音が通じなかった事が個人的には大変ショックな経験だった訳です。

日本人はLとRの発音が出来ないのは有名な話ですけど、実際現地でネイティブを困らせるというリアルな体験というのは、知識の数倍上をいく強烈さです。

スマホに発音練習のアプリはいくつか入れていたんですが、この日からlight の発音を何度も練習して、light が一応言えるようになりました。

ちなみにこれはOtter っていうアプリなんですが、ここにひたすらLight って発音してました。今も気を抜くとRightと発音してしまいますが、一応Lght とRight を分けて発音することが出来るようになってきました。

正直45歳からの英会話学習はしんどいと思ってますが、海外スタッフとのやり取りが今後おそらく増えることはあっても減ることは無いというヘビーな状況になることが目に見えています。

また、出張中の海外現地法人との打合せの中で、僕以外の全員が誰かの発言で笑っていて、僕だけポカンとしていた場面が何回かありました。

当然僕も打合せの場にはいますが、リアルタイムでは会話の内容がほぼ分からず、同僚から後でフィードバックをしてもらうという完全にお荷物な出張でした。(その分資料作成などの仕事は引き受けていましたが。。)

そんな訳で今回の出張は負の感情が多い訳ではありますが、一方でUberとか入国審査とか、ホテルのチェックアウトとか、一人で対応出来た場面も少しはあるので、悔しさ9割、自分も行けるんじゃないかという気持ちが1割くらいの感覚です。

そして、今のところ悔しい気持ちを前向きに転嫁して、英語の勉強を継続出来ているので良い経験だったと思っています。

これはいわゆるリスキリングだと思う訳ですが、僕にとっては日本語がコンフォートゾーンであり、ここから基本的には出たくないんですけど、一歩足を踏み出せたような気がしています。

逆にこういう体験がなかったら、ずっとだらだらと英語から逃げ続ける日々だったんじゃないかなと思っています。リスキリングには何か強烈なパッションがないとなかなか厳しいんじゃないかなと思いました。

仮に英語学習がおろそかになってきても、Remember light pronounce という感じで再びがんばれるような気がしてます。

 

 

 

ミッドライフ・クライシスとブログ

さぷさんです。ついにアラフォーですらない年齢になってしまったので、正直こんなかわいい名前でやっている場合ではありません。

さて、前回のブログのエントリーから一ヶ月半くらい日が空いてしまいました。仕事が忙しいということもあるんですが、(エントリーを書かなくなったのは)それだけじゃない気もするので、そのことについてちょっと書いてみたいと思います。

上のパンダは最後の方で説明すると思います。

〈いわゆる中年の危機〉
僕もいつも間にか45歳になっていた訳ですが、シンプルに体力が低下しています。

何かを成し遂げるということは、体力✕能力✕動機だと思うんですが、(これはこれでメリトクラシー的ぽい考え方であまり好きではないんですが)体力が全ての根幹ですから、目的に対するアウトプットの量と質が落ちていくのをなんとなく感じています。

あとは、自分の能力とか会社におけるポジションも大体分かってきますので、なんとなく冷めてくるようなところがあります。

要するに心身ともに熱量が低下していく中で、弊ブログはなんといいますか、「これを言語化したい」というような気持ちで書いてきたような気がしていて、もう少し具体的に言いますと、心にもやもやしているものをアウトプットしたい欲があるようなイメージで書いてきました。

それが上手くエントリーに出来たときは気分がいいですし、そうでないときはさらにもやもする訳ですが、自分が自分のエントリーの最初の読者であって、そして場合によってはただ一人の読者かもしれないし、他の方が読んで共感してくれたらさらに嬉しいという楽しみが、少なくとも数年間ブログを続けられた理由なんじゃないかと思ってます。そもそも文章を書いて、それを読み返すことが好きなんですよね。

ただ、冒頭の話に戻りますが、最近は「(エントリーにしてまで)言いたいことは特にないです」みたいな感じになってます。

〈なぜなのか〉
僕のブログは大まかなカテゴリに入れるとするとビジネスとか人事系とかだと思うんですが、例えばこうしたほうがいいみたいなことを書いたとすると、それが全部自分に跳ね返ってくるような年齢になってしまいました。

若い頃は会社の不満を書いていればよかったんですが、自分が責任ある立場になってくると「(社内稟議的なお作法は別として)実質的にこれを決めるのはおれか」みたいな状況があったりするわけです。

例えばこの課題を根本解決するにはかなりの人を巻き込んで時間のかかるA案か、当座をしのげるB案かみたいな状況においては、B案を選びたくなる気持ちを抑えてA 案をなんとか進めようとするわけですが、当然ヒトモノカネは有限ですから、やりたいことが全部出来る訳はありません。

会社全体がなんとなく見えてくる中で、基本的には会社を悪くしている悪人はほぼおらず、前例踏襲の不作為が蔓延しているというのが会社の正体といいますか、実態でした。

ですので、エントリーで何かを書いたとしても、なんだか言ってることがブーメランで帰ってくると言いますか、自分で自分を責めるようになってしまうように感じてしまい、真面目なエントリーを描くのを躊躇してしまいます。

〈では軽めのエッセイを書けばいいのか〉
ということになりますが、日経新聞の夕刊に載っているような(失礼)軽めのエッセイみたい内容のエントリーについては、以前はそういうのを書くのも好きだったんですが、なんだか面倒になってしまったというのがありますね。

中年になると無口になっていくタイプのおっさんがいると思うんですが、なんか僕はそっちのキャラな気がします。

〈なんとなくの達観〉
また中年の危機の話に戻ったような気もしますが、この年になると世間がどんな感じで回っているのかがなんとなく分かるようになります。

その知識を使って、会社ではある物事を成し遂げたい時に、どこをどうつつけばよいのかそれなりに分かってきたので、仕事はしやすくなりましたが、なんといいますか、分かってしまったことはあまり面白くないという気持ちもあります。そして、自分が動かせないと思ったものはそっと諦めるというところもセットになっているという(自分自身の)残念さもあります。

なので、やはり最後は情熱や執念なのかなーと思います。僕は長文を書くのは好きですが、やはり好き止まりと言うことです。

あとこれはブログとは関係ないですが、以前社会起業家の方の講演を聞かせて頂いた時に、その方は精神障害者の方の支援しているNPOの方だったのですが、実の母親に殺されかけたというとんでもない過去をお持ちとのことで、かなりの使命感をお持ちになられているように感じました。また別の方は、低体重児の赤ちゃん用の服を作られている方だったのですが、ご自身が低体重児をご出産され、NICUの中で亡くなられてしまったそうなのですが、服を着させてあげたかったとの思いで起業されたとのことでした。

僕はいいとか悪いとかではないんですが、そのような過酷な原体験はありませんので、そこが弱いところだとは思います。ただ、弱くて良いのではないかとも思います。

〈絵を書くということ〉
僕はいまスマホのお絵かきアプリで絵を描いていまして、上のパンダは30 分くらいで描いたものですが、僕にとって今絵を描くということは仕事や家庭から完全に離れた趣味になっています。

今はかなり仕事が大変なんですが、仕事を全く忘れることが出来る手段としての絵というのはかなりよくて、絵を書くということに集中できますから、上のパンダを描くときは、パンダを短時間でどうかわいく描くかしか考えなくて済むわけです。

そして、絵は多分描いていて満足することはないので、ずっと続けられそうな気がしています。

ただ、創造物というのは大げさな言い方をしますと、少なからず命を削りながら作り出すもので、それなりのパワーを必要としますので無理ない範囲で続けたいと思います。

〈執着が無くなるのは悪いことではない〉
絵は別として、執着が無くなるの悪いことではないかなと思ってます。

他のミドルエイジの方のブログなんかを読んでいて、老いになんとか抗おうとするのはなかなか読んでいて辛いものがあります。圧倒的に不利な戦いですから。

ですので、なんといいますか、執着とか欲が無くなっていくのは悪いことではないと思うんですよね。

例えば僕くらいのレベルになりますと性欲も絶賛減退中ですから、煩悩がひとつ減って良かったなと思ってます。そうやって現世への未練を一つづつ消していければ、死は最後のおつとめとして受け入れることができるかもしれません。

ただ、これはなんといいますか、比較的恵まれた境遇だからこそ言える贅沢であることは心に刻んでおきたいと思います。はい。

なぜメンタルの回復に絵を描くとかそういうのがないんだろうか

最近プロジェクト業務で忙しすぎまして、皆さんが僕を腫れ物を扱うような状態になっているんですが、やまない雨はないとの言葉を信じてもう少しだけ頑張ろうかと思ってます。

さて、そんな訳で気持ちに余裕が一切ない状態ですのでメンタルがやばめなわけですが、上のオムライスの絵の説明まではまだしばらくかかります。

こんな悲惨な僕の状態を見て、いたたまれなくなったのか、配偶者殿がLINEでメンタルの回復についての記事を送ってくれたんですが、要約すると「アフターファイブが充実していて、仕事以外の仲間がいるとよい」みたいなことが書かれていた訳ですね。あの、ちょっと待ってくださいと。

僕は自他ともに認める陰キャで友達と最後に会ったのがいつか思い出せないくらいだったりするわけですが、この年になってようやく分かったのが、友達そんなに求めてないなという自分の気持ちでした。人といると結構疲れてしまうタイプなので、基本的には一人が好きなんだなと言うことなのですが、以前はそれでもそこまでぼっちではなかったんですが、最近は主体的にひとりがいいと思っています。(負け惜しみではありません、たぶん)

で、上記のメンタルにならないためにみたいな記事なんですが、陽キャの社交家はそもそもメンタルからは遠い位置にいるように思うんですが、そもそもメンタルになりにくいという性格による行動特性という因果関係をこの記事では逆向きに捉えている中で、陰キャの友達0人の僕のような人がそれを真に受けたらこの記事は真剣に罪深いと思うんですよね。「人を救うつもりで追い詰めてますよ」という感じです。やはり、世の中で一番たちが悪いのは、完全な悪ではなく、無知や配慮不足の善意だと思います。自分は良いことをしていると思っているわけですからね。

ここでようやく上のオムライスの話になるのですが、この絵はスマホのお絵かきソフトで描いたものです。

僕は昔から絵を描くのが好きだったんですが、疲れている中でもついつい寝る前とかにお絵描きをしてしまうのは、おそらくこれがストレス解消になっているからです。

別にオムライスである必要はなくて、萌え絵でも風景でも何でも良いのですが、オムライスの絵を描いているときはオムライスの事しか考えなくてすむので、とても集中出来るといいますか、良い気分転換になります。ただ、たまに上手く掛けないときは逆にフラストレーションが溜まるというデメリットもありますが、次の日にまたチャレンジしようと思うのは、たぶん本当に好きだからです。

ですので、ストレス解消というのは本当は人それぞれであって、僕なんかは休日に閉じこもってスマホで絵を描いているのが至福の時間だったりするのですが、そんなメンタル回復方法の記事には出会ったことがありません。(もしかしたらあるのかもしれませんが)

テレビなんかでめちゃくちゃ多忙な会社経営者の方がプロ顔負けの趣味を持っていて、忙しいのによくまあそんなことまでしておられるなと思ったことがあるんですが、もしかすると、その趣味に没頭する時間がないと自分を保てないということなのかもしれません。

とりあえず、次はラーメンの絵を描く予定です。

ブログのネタにしようと思ってメモってたワード86個

・到達できる場所は人それぞれ上限がある

・自らの力を誇示するために、力を与えてくれる他者に依存

・日本は間違えない達人の量産制度

・競争社会では、公に貢献する人間の値打ちが問われる。規制緩和が進むほど自制心が大切

・変化は戦いの最前線で起きる

・謙虚な心、前向きな姿勢、努力と奉仕

・仕事は人格の反映なり、どんなにITが発達しても最後は人間、信ずるより確かめよ、慣れても初心なれ、自分の弱さや間違いを認めて謝れる人間であれ

・通説を排しロジックで物事を見極めようとするとき、思考を支えてくれるのは結局歴史感

・日本企業の統治形態は事業部門連邦制

・不祥事の多くは悪意が原因ではない。社会の変化に気づかず、規範に反する行為を惰性で繰り返す無意識から生じる

・人間は実力以上のものは出せない。実力がないものをあるように見せても仕方ない

・大切なのは才能ではなく、根気と覚悟

・一つの人生の区切りがつくとき、次の用意がもう出来ていないといけない

ヒエラルキーのほうが民主主義より効率がいい

・重要なことは練習しなければならない

・アイデアは経験と知識の厚み

・ストレスを感じたときに依存行為に走る人は多いです。食事に限らず、飲酒やたばこ、ギャンブルに走る人も。これは、依存行為によりドーパミンが放出され、ストレスが軽減されるからです。

・自分を疑っている人間のほうが成長する。一方でその気になることも重要

地獄への道は善意で舗装されている

・量はそれ自体に高い質がある

・あなたの人生は、あなたの努力で動かせる部分はとても少ない

・最も重要な指標は売上高や利益などではない、バスの重要な座席のうち、そこにふさわしい人材で埋まっている割り当てるだ

・近代的メリトクラシーは、「がんばればみんなできる」という「能力=平等主義」に支えられて、人材の地位配分の機能と、国民国家における社会統合の機能という、両方の機能を同時に担ってきたということである。

・低迷のリーダー日本。超人的な速さと大きさで解決すべき課題が爆発する世界では、常人の日常感覚(世論)に配慮しななければならない民主主義は科学独裁、知的専制に敗北するしかないかもしれない。

・自己責任の過剰な内面化

・欧米は積極的に自分を売り込む、アジアは上司が部下からたくさん聞き出さないといけない

・書くは、心のエネルギーを消費する

・善意(良い意図)は役に立たない。仕組みだけが役に立つ

・最も重要な問題に最も優れた人材が、意志と能力のある周知を集めて、手続き論や世論の支持は二の次にして、取り組んでいけるかどうか

・格の違いは苦労の違い

・希望はないと思ったらなくなるし、あるとおもったらある

・結果は想いの強さに比例する。執念から工夫が生まれる

・一番考え抜いた人にアイデアは降りてくる

・火事のすぐ後で、エジソンはこう言ったという。“火事のせいで、失敗がすべて焼失してくれて幸いだった。また新たなスタートを切ることができる”

・真の大人とは、誰かに傷つけられてもやり返さないで、相手の状況を思いやろうとする人のことだ。それをするために必要なことは ”忘れること” である。

・「暗点化」とは、自分が経験したにもかかわらず、不都合な事実や思い出したくない出来事が意識からすっぽり抜け落ちる現象であり、フランスの神経学者、シャルコーが見出した。「暗点」とは視野の中の欠損部分であり、それによって見えない箇所が生じる。それと同様に意識野に「暗点」ができて、ある種の体験や出来事があたかもなかったかのように認識されるのが「暗点化」である。

・物事をきっちりやりたければ人任せにするな

・精神の偉大さは苦悩の深さによって決まる

・妬まれたら相手の幸せを願う

・標準のないところに改善はない

・余裕がある人程先を考え、追い詰められている人ほど考えない

・スケジュールが作れない人は仕事が出来ない

・アイデア固定観念とちょっとずれた所にある

新羅モデル。象徴がいて、世襲血縁が出自の低い実務担当者を雇う

・正しい道理の富でなければ永続出来ない

・道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である

・私はあなただったかもしれない

・欧米は自己主張としてのメイク、日本はエチケットとしてのメイク

・経営者同士で議論すると、やっぱり教育だよねという意見に集約される

・優秀な人材は命令ではなく、企業文化や価値観で管理できる。命令より刺激を与えたほうがよい

・暴力を振るう人間ではなく、暴力を語る人間が避難されてしまう、語ることへの抑圧は問題の論点をずらしてしまう

・新しいことは常に外から来る

・地獄で天国の方を向き続ける

・動機善なりや、私心なかりしか

・成功から生まれる傲慢、規律なき拡大路線、リスクと問題の否認、一発逆転策の追求、競合への屈服と凡庸な企業への転落か生滅

・敬してこれを遠ざく

・メンバーシップ型雇用だと自分が何に期待されているのかわからない

・人間は、つらかったことや不便だったことを忘れるようにできている。これって人間の本性だと思う。僕は今回のコロナ騒動も、まず間違いなく同じだと思う。「コロナ禍で世の中が変わる、もう以前には戻れない」と言う人たちがいるんですが、私の推測では、ほとんど元通りになると思います。ただし、リモートワークのように、今までの「因習」を突き破って新たに出てきた「無駄なことはしたくない、面倒なことは嫌だ」という人間の「本性」は、定着すると思うんですよ。

・持って生まれた能力は人のために使う義務がある

・仕事の本質とは、誰かの課題を解決して役に立つこと

・若者は長期雇用に期待せず、給与水準、仕事内容、数年以内の獲得能力にこだわる

・気にしないが、気をつける

・人は、基本的に間違いを認めない。事実の解釈を変えるほうが得意である。間違いを指摘すると「私は嫌われている」「この人は失礼だ」と解釈されてしまう可能性もある

・「人間力」という名のハイパー能力主義が要求され、常にフレキシビリティー(柔軟性)と学習意欲を発揮することが生き残りの条件とされる

・誠実、正確、平静、忍耐、良い機嫌、謙虚

・自分の願望とファクトの区別がつかない。自分の見たいものしか見ず、聞きたいことしか耳に入れない。自分で努力も成長もできない。自分の不都合は常に誰かのせいだと考える

・挨拶をするという事はあなたを受け入れる用意がありますよと言うこと。挨拶をしない人は受け入れないという意思表明をしていると言う事

・非常時には平常時の特徴がさらに強まる

・だいたい正しいことはいつも中間にある

・Z世代はウェブで繋がる事が多いので、想像しなければならない事が多く、逆に共感力は発達する

・我を落とすと迷いがなくなる

・感謝というのは教養の一部

・構造に運命は埋め込まれている

・日本人の心を読む、察するというは抑圧的に使うと相互監視社会になる

利他主義は合理的利己主義

・リスクを追わない人は意思決定に関わってはいけない

・出るくいを打つのはおそらく、不安からくる本能的な自己防衛

・効率化すればするほどワンショックで崩れる

・大きな借りがあって、それは返さないと仕返しにあう

・ひとは成長するにつれ、自分の罪を自覚する

・失敗や挫折が続くと、自分に能力がないという事を認められず、他人のせいにしようとする

・代用行動の自己目的化

・データを検証せず、特殊な事例を一般化しがちな日本企業

・文化には強迫性がある

・知りたいと思うのは愛。愛は冒険。傷付きたくないので最初からこき下ろす事が目的となる。これは中毒性がある。

・本当に大切な事は事後的にしか分からない

もやもやを言語化出来たときの喜び

さぷさんです。生きてます。

さて、僕は今かなり難儀なプロジェクトにアサインされていまして、残業時間が過労死ラインを超えた中で人事部から産業医面談を受けるように指示されているわけですが、それで仕事が減るわけではなく、残業時間を規制されても困る中でなやましい状況に陥っています。

上司やプロジェクトオーナーがパワハラ的ではないのが救いですが、もしそうだったとしたら確実に病んでいたところです。

そんなしんどいプロジェクトのメンバーのひとりが、なんと言いますか、優秀には優秀なのですが、なんとなく違和感を感じていた中で、ついさっき言語化が出来たような気がするのでそのことについて書いてみたいと思います。

仕事への取り組み姿勢は人それぞれなので、いいとか悪いとかじゃないんですけど、僕はある課題や問題を解決しなきゃいけないとして、どうすればその課題や問題が根本的に解決するのか?また、その課題や問題に関わる関係者は誰で、誰がどのような行動原理で動いていて、どうすれば利害関係を調整して、予算や納期等々を勘案の上で、あるべき方向にどれくらい近付けることが出来るかという点に興味があります。

その優秀なプロジェクトメンバーも最初は似たような人なのかなと思っていたのですが、要所要所で意見が食い違いうようになり、ちょっと違和感を感じるようになりました。

例えば、優先順位の付け方なのですが、「今のタイミングでそれやるの?」みたいなことを主張され、しかもそれをやるのに僕を指名してきたりするのですが、正々堂々と他人のリソースを使うことに躊躇ない人物はあまり会ったことがない中で、観察対象としては非常に興味深いのですが、ただでさえ忙しく、さほど優先順位が高いとは思えないリソースに割く時間は1秒たりともない訳です。

ただ、この手のタイプは出会ったことがなかったので、もやもやしていた訳なのですが、言葉の端々に出る「それだと上司にエクスキューズできない」という発言とか、僕やコンサルへのあたりの強さとか、やたらスケジュールをブロックしてくる特徴とかを総合的に判断すると以下の結論に至りました。

つまり、「自分の目の前の興味を満たしたり、不安を取り除く為にあらゆるリソースを使うことに躊躇がなく、上に対しては最大限にアピールしたい」という特徴を持った人なんだと思いました。しかも基本的には優秀で弁が立つのが厄介です。

この手のタイプにはプロジェクトの大義のド正論をぶつけつつ、リソースが限られている中での優先順位の付け方を論理的に伝えるしかないと思います。また、コンサルや他のメンバーを味方につける必要もあります。何の役にも立たないメンバーも腹立たしいですが、この手のタイプも鈴をつけておかないとプロジェクトが迷走するのでここは気合を入れてファイティングポーズをとらないといけません。

ただ、相手が理解できれば(面倒くさいですが)対処はできるので、言語化っていうのは本当に大切だと思いました。

死なない程度に頑張りたいと思います。はい。

人生で初めて見た名探偵コナンが「ハロウィンの花嫁」だった44歳のおっさんの感想

さぷさんです。ついに月イチ更新するかどうかのブログになってしまいました。

さて、僕は学生の頃はジャンプ派でして、尚且ミステリーは登場人物をなかなか覚えられないので謎解きで爽快感を感じることが出来ないという致命的な欠陥を持って生まれてきたようでして、名探偵コナンの履修は避けてきた人生でした。

しかし、GWの予定がほぼない中で、次男が「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」を見たいとせがんできたので、覚悟を決めて観に行ったところ、なかなか興味深かったのでそのことについて書いてみます。

基本的にはネタバレはしないようにしますが、少し触れる部分もあると思いますので、これから見ようとされている方はブラウザバックをお願い致します。

さて、僕の名探偵コナンの事前知識はコナン君が何か薬を盛られて小学生になってしまったらしい、以上!という圧倒的情弱なおっさんである前提となりますので、情報強者の皆様におかれましては承服しかねる的外れなことを書くかもしれず、そのようなエントリに耐えられそうにない方もブラウザバックをお願いしたいと思います。

さて、ここからが感想となります。

〈オープニングが助かる〉
オープニングのシーンでなぜコナン君が小さくなってしまったのかという説明が簡潔に流れた訳ですが、おそらく僕のような完全初見のお客さんを念頭に作られたの思います。よく理解出来て助かりました。製作者の方におかれましては、誠に感謝申し上げます。

〈20-30分に一回のアクションシーン〉
正確に数えていたわけではないのですが、だいたい20-30分に1回程度アクションシーンがありまして、またそのアクションシーンの出来がとても良いので見ていて飽きない映画でした。

てっきり謎解きミステリーかなとおもっていた中で、感覚的に一番近いのがミッションインポッシブルかなという感想でした。

とくにラストのあの状況でのアクションシーンはやはりどこか見たような気がしつつも、どうやって絵コンテ切ったのかしらと思うような複雑さと凝った作りでした。

〈恋愛モノ〉
ハロウィンの花嫁は恋愛モノの要素もあるわけですが、これは映画に限った話ではなく、単行本が101巻、映画がハロウィンの花嫁で25作目という化け物のようなコンテンツですが、サイドストーリーとしてキャラクターの恋愛にも力が入っているようで、その進展をファンは楽しみにされているようです。

〈熱血刑事モノ〉
ハロウィンの花嫁のインタビューをいくつか読んだのですが、その中で太陽に吠えろを参考にしたという下りを見たのですが、登場人物が熱く語るシーンがあり、熱血刑事モノの側面もあると思います。

ガンダム的な〉
ハロウィンの花嫁の重要キャラクターである安室透のCVは古谷徹さんでした。赤井秀一というキャラクターもいるようで、名探偵コナンガンダムを作中に取り込んでいるとのことで、初代ガンダム派の僕としてはなかなか嬉しかったです。

また、ガンダム宇宙世紀という架空の歴史があるわけですが、名探偵コナンもコナンサーガと呼んで差し支えないくらい歴史的な流れや人物の相関係数が複雑だと思います。

〈渋谷のね〉
ハロウィンの花嫁は渋谷が舞台なわけですが、ヒカリエや宮下パークなど、実在の場所が効果的に使われていますが、僕が大学生の頃に友達のマニュアル車に乗っていて、坂道発進に失敗してクラクションを大量に鳴らされた黒歴史が蘇ったのは誤算でした。

ドラえもん的な〉
コナン君がなぜドラえもん的なハイテクガジェットを使っているのかも冒頭の丁寧な説明で理解することが出来たんですが、今作でも四次元ポケットから出てきてもおかしくないガジェットが大活躍します。小さい子は見ていて楽しいと思います。

〈エンタメのごった煮〉
ということで、名探偵コナンがなぜここまで人気があるのか分かったような気がしてきたのですが、世の中の優良コンテンツをかなり遠慮なく詰め込んでいるように思います。ある時はミッションインポッシブルで、またある時は太陽に吠えろで、そしてまたある時はドラえもんである訳です。

それが借物になっておらず、名探偵コナンという枠組で成り立っているという稀有な作品なんだなと思いました。

テーマパークに例えるとディズニーランドではなくUSJって感じですね。

〈エンタメが現実を超えそうな、超えなかったような〉
本作は現在世界中敵になっているあの国との関わりが冒頭から提示されるのですが、映画作成段階ではまだそのような状況になってなかったと思われる中で、現実を先取りしていることに驚きつつ、現実のほうがさらに悲惨で上を行っていたということになんとも言えない気持ちになりました。

あと、ハロウィンの花嫁のエンタメとして極上の作品であることは間違いないと思うのですが、敵の信念とか、その資金は一体どこから出てるんだろうかとか、ちょっと気になると言えば気になりましたが、それをいうのは野暮というものかなと思います。

次男も満足していたみたいですし、観に行ってよかったなと思いました。はい。