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ホワイト企業のブラック職場より

メーカーの人事部門で働いています。仕事がら組織とか戦略とかの本の書評が多めです

では「多様性がない」とはどういう事か

最近の世の中の流れですと「多様性」は問答無用で是とされている感があります。どの会社のホームページのCSRを見ても判を押したように「多様性を活かして新たな価値をつくり出す」みたいな事が書かれています。

一方で多様性疲れなどという言葉もちらほら聞こえて来る中で、今回は逆に多様性がない状態を見てみる事で、多様性について浮かび上がらせたいと思います。

多様性がない状態について、いくつかのケースを考えてみました。

例1
上司「A部長に説明したあの資料だけどさ、B部長はああいう感じじゃない、ちょっと手直ししておいて」

部下「わかりました。長い説明は嫌いですから、サマリにしときます」

例2
上司「この前のC社へのプレゼンだけどさ、、」

部下「ええ、他社事例をかなり気にしてたんで事例追加しときました」

上司「おお、助かる!」

例3
上司(21時頃)「あー疲れたな、ちょっと(飲みに)行くか!」

部下「行きますか!メール一本だけするので待って下さい!」

ざっと思いついた所で書いてみましたが、要するに上司部下で前提や感覚がかなり共有出来ていて、あまり詳細を説明しなくても物事が前に進んでいっている状態です。

上のやり取りは、1を聞けば10を知るみたいな感じで、昭和的と言いますか、こういう状況が理想と考える管理職は実はまだ多いのではないかと思います。

言い換えると「コミュニケーションコストを最小化」しているとも言えるのですが、どうやってこの状況が成り立っているかと言うと、残業や休日出勤を含めた長時間労働で上司部下が長く接している事による情報や感覚の共有があります。

また、失われた30年よりも前の時代では、良い品質のモノを作れば売れていたために同じ事を繰り返していてもある程度成果を出すことが出来ていたので、コミュニケーションコストを下げても良かったのだと考えています。

この「コミュニケーションコストの最小化」というのは、新卒一括採用でまっさらな若者を長期的にその会社のカラーに染め上げるという事でも強化されていたのだと思います。

説明するまでもなく、モノが売れず少子高齢化で人手不足の今日、上記のような会社全体で同じ方向を向いていて、「コミュニケーションコストを最小化」しつつ物事を進める事が出来るという昭和的・男性中心的な会社は(まだ根強くあると思いますが)長期トレンドとしては、人気がなくなり絶滅していくのではないでしょうか。

ただ、このような会社のメリットとしては「コミュニケーションコストの最小化」によって、管理職がいちいち説明しなくて物事は進んでいったという点にあります。

もちろん個別には色々な衝突や葛藤やトラブルもあったでしょうが、年功序列で一生同じ会社に務め上げるという会社への信頼と忠誠がマイナスを相殺していたのだと思います。

極論すると、多様性の重視が謳われていない以前の日本の会社は、「なんとなく仕事をしていてもなんとなく上手くいっていた」という事です。

ですので、「コミュニケーションコストを最小化」しながら「なんとなく物事が前に進む」というのが多様性のなさだとすると、多様性があるという事はその逆になるはずです。

つまり「コミュニケーションコストがかかる」上に「目的を明確にして物事を進める必要がある」というのが多様性を語る上でのキーワードになるという事です。

考えてみれば当たり前ですが、多様性とは属性や前提の異なりです。

性別、既婚未婚、子供の有無、国籍、性的嗜好、障害、持病、思想信条などなど、職場の多様性の要素が高まる程にコミュニケーションコストと目的を明確にする必要性が高まります。

例えば子育て期で時短勤務の方がいる場合のフォローひとつ取っても、その人が育児で早く帰らなければならない事を他のメンバーが納得して、お子さんが体調不良で休まないといけないときの引き継ぎについての体制を整え、評価についてはどのようにするかという事についてを上司は本人とメンバーに対してコミュニケーションコストをかけていかなければなりません。ここでのコミュニケーションコストとは、メンバーに説明する事だけではなく、メンバーの意見をしっかり聞くということも当然含まれます。

令和の今の時代、このコミュニケーションコストをないがしろにして、部下の善意に頼るような管理職はもはや管理職を下りなければならない時代になってきたと思います。

管理職が気づいていないだけで、実はメンバーの不満が溜まっていて、ある日突然辞表を出されたり、メンタルクリニックの診断書を出されるような管理職は意外に多いのではないかと感じます。

つまり、こういう言い方をしてはいけませんが、多様性は大切だけどとても面倒であるという事です。

冒頭に書いた「多様性を活かして新たな価値をつくり出す」というのは、そうそう実現出来るものではないと感じています。余談ですがあのiPhoneも開発はほぼ白人男性のみだったと本で読んだ事があります。

組織の対話をおろそかにせず、目的を明確にして各人が納得しながら仕事をするというのは書いてしまえば簡単ですが、容易ではありません。繰り返しになりますが、組織における多様性とは属性と前提が異なる人たちが集まり、ある目的に対して協働して働くという事だからです。

これからは、日本人的な阿吽の呼吸に頼る事は出来ません。国際経験が豊富な方からこのような話を聞いたことがあります。

「世界共通語は英語ではない。英語は出来て当然。必要なのはLogicだ。Logicこそが世界共通語である。そこにPassionがあれば尚良い。Logic with passionがあれば世界の人と話す事が出来る」

と仰っていました。組織における多様性は放置しておくとすぐメンバーがばらばらになりがちであると言えます。よってマネージャーである上司の役割が大変重要になります。

メンバーに対してコミュニケーションコストをかけつつ、達成すべき目的について部下と何度も話し合いを続けながら働きかけていく必要があり、紆余曲折はあると思いますが、年功序列や上司へのゴマすりではなく、本当の意味でのマネジメントが出来る人が多様性のある組織を活かすことが出来る時代になりつつあるのではないかとも思っています。

【書評】流線型の考古学

初めてiPhoneの画面が動いているのを見たときの衝撃は今でも覚えています。王様のブランチで谷原章介さんがiPhoneで地図をいろいろ操作していたんですが、見ていて「これはすごい!」ととてもワクワクした感覚が残っています。

iPhoneが出てからその形状がほぼ今まで変わっていないという事については、最初からとてつもなく洗練された形で発売されたのだと思います。

このiPhoneが日本で発売されたのは2008 年ですが、2012年に満を持してシャープからテンキー付のスマホが発売された事も覚えています。

「閉じてタッチ、開いてテンキーをシーンに応じて使い分けが可能」という売り文句で、おサイフケータイワンセグ、防塵、防水などなど、機能を全部入れてみましたというジャパニーズの企業がやってしまいがちな足し算なプロダクトでして、スマホユーザーもテンキーを使用したいシーンがあるはずという読みが見事に外れて程なく店頭から消えて行ったような記憶があります。

https://gpad.tv/phone/kddi-au-aquosphone-sl-is15sh/

iPhoneの凄いところは、形状的には引き算的な思想で成り立ってる中で、いくら目の付け所がシャープでも足し算的な形状を出してしまったらスマートじゃないよなと思った記憶があります。

さて、流線形の話でした。iPhoneのツルンとしたフォルムは流線形的と言っても差し支えないと思った次第なのですが、この「流線形の考古学」は原克先生お馴染みの鬼の資料収集の集大成みたいな本でして、豊富な図版をもちいて流線形の歴史を丹念に追っています。

この本は当初「流線形シンドローム」というタイトルで2008年に発売されたのですが、2017年に「流線形の考古学」と題名を変更して文庫版が発売されました。

原先生のファンとしては講談社の英断に感謝してもしきれないと思っており、文京区方向には足を向けて寝ることは出来ません。

さて、本の体裁としては主にサイエンス雑誌の流線形の記事を表象文化論の切り口で検証していくというスタイルがとられる訳なのですが、流線形が出現し始めた頃は単純に「空気抵抗の低減」を表していた流線形が、徐々に「○○の抵抗の低減」となり、「障害因子の除去」という意味合いを獲得するまでの敬意を丁寧に追っていくという本です。

例えば本書の中で「流線形建築」というものが出てきます。なぜ建物なのに流線形なのだろうかと思う訳ですが、曲線を用いた外観もさることながら、従来の職人が作る無駄のあった建築方法から、工法のシステム化や近代化によって洗練された建物として
「流線形建築」と名付けられたそうです。

また、「流線形ポテト」というのも本書で紹介されているのですが、じゃがいもはちょっとした凸凹がある中で、そのような凸凹をなくした品種改良をしたじゃがいもを「流線型ポテト」と呼んだという事なのですが、要するに料理のしづらさの障害の除去するという文脈で、通常だと一緒の単語になりそうもない流線型とポテトが結び付けられる訳です。

よって本書を読んでいくにつれて、空気抵抗を軽減する流線型の歴史を読んでいるつもりが、徐々に心に不穏な何かを感じさせていきます。

その中でまた一つの事例として出てくるのが「心の流線形」です。1930年代に出版された啓蒙書なのですが、その本には「多く人は本来備わっている能力を活用しそこなっており、無駄が多いといえます。そのためには効率的な思考方法が必要です。今からでも決して遅くはありません」というようなことが書いてあったそうで、多様性や働き方改革SDGsが重視される今の時代から見るとちょっと古いビジネス書のようにも感じますが、効率最優先の時代は相当長く続いており、今も効率というのは重視されているとあらためて感じます。

そしてこの本を読んでいてなんとなく感じていた心地悪さが明確となり、この本の白眉となるのが「流線形」と「優生学」の関わりです。1930年代のアメリカの美人コンテストの審査の中で、理想の体型のシルエットをくぐり抜けるという今実施したら即炎上する案件ではないかということが行われたそうです。

これは逆に言うと理想の体型に当てはまらないものは排除するという考えに基づいている訳ですが、流線型という言葉が持つ洗練された明るいイメージと、その裏にある非効率や障害因子の除去という暗い面があぶり出されていきます。

優生保護法は1996年まで存在していました。人類が追い求めてきた効率性は、それを妨げる障害因子の排除が人間にまで及んだ時に非常にグロテスクな形としても表出させてしまったという人間の業を感じずにはいられません。

光が強ければ強いほどな影はより暗くなる、流線型がもてはやされた時代の表と裏について興味深くよめる本です。

流線形の考古学 速度・身体・会社・国家 (講談社学術文庫)

流線形の考古学 速度・身体・会社・国家 (講談社学術文庫)

  • 作者:原 克
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/12/13
  • メディア: 文庫

自分が「働かないおじさん」になるとは思わなかった

僕は以前全従業員の中でもトップクラスを争う残業時間を誇る昭和型のダメ社員でして、人事部や組合からかなり目をつけられていました。

しかし、最近異動になりまして、いわゆる本社のコストセンターの部門なんですが、正直かなり暇です。「今日あとまだ5時間もあるよ、どうしよう」と思ったのは新卒の時以来かもしれません。

ただ、前任者はかなり毎日残業していたみたいなのですが、この仕事量でなんでこれだけの残業が必要なんだろうとかなり疑問に感じつつ、そこは僕も波風を立てたくない典型的なジャパニーズトラディショナルサラリーマンですから特にそこは聞かずに淡々と引き継ぎを受けました。

そしてここからは実話ではなくて完全に作り話なのですが、例えば事業所に生えている草をひたすらむしる事を目的とした「草むしり推進本部」という本部があるとします。(こういう事を言うと本当に「草むしり推進本部」に僕が所属していると勘違いする人が稀にいるのですが、あくまで例え話です)

だいたい組織ができる時はちゃんとした目的があって、その手段としての組織体制であるはずです。きっと草むしりをしなければならない差し迫った状況があったのだと思うのですが、設立の経緯はもう誰も知らなかったりします。

そんな中で、草むしりは多分最初は月1回くらいだったと思うのですが、そこは「草むしり推進本部」です。草をむしることが最大にして唯一のミッションです。

月1回では全然足りないと言う事で、二週間に1回になり、一週間に1回に頻度が上がっていきます。

また、夏場の草むしりでは脱水症状になるので水分補給のルールが出来、水分補給担当が設置されます。

そして、たまに葉っぱで手を切ったりする人が出てくるので、草むしりには救急箱の携帯が必要になり、救護担当も設置されます。

「草むしり推進本部」も日本企業の例に漏れず少子化高齢者の影響をもろに受けてますから、中腰による腰痛者がある時続出して、草むしり前のラジオ体操が義務付けられます。

そして、「草むしり推進本部」のメンバーの中で常に不満がくすぶっていたのが、田中さんのむしる草の量が少ないのではないかという事でした。

なので、ある時期から草むしりをした草は個人毎に計量される事になり、個人のむしった草の量が見える化されました。

ただここで新たな問題が生じました、草が狭い面積に大量に生えている方が仕事量が多いのか、広い面積に点在していて歩く距離の多い方が大変なのか、いわゆる「雑草抜くのと原っぱを歩く方、どっちが大変なのか問題」の勃発です。

暫定的な解決策として、各人に万歩計を渡して、歩いた歩数とむしった草の量の両方で評価する事になりました。

ただ、この評価を悪用し、まず草の密集地である程度草をむしってから、雑談をしながら散歩する社員がいるというタレコミがあったのです。

「草むしり推進本部」の改革室のメンバーは、ドローンによる監視も検討していますが、コストや有効度について、本部長の了承を得られる事が出来ていない状態のまま、有効な手が打てていません。

また、むしる草が少なくなって来たのとほぼ同じ時期に「コケはむしるべきなのか、草じゃないからむしるべきではないのか問題」が発生しました。

何回も打合せが行われましたが、結論としては「コケは地衣類であり植物学上の草ではないが、草と一緒にむしる事とする。但し、事業所内の日本庭園内のコケは除く」という本部長方針が出されました。

また、他社事例の収集、年に一度の草むしり技能競技大会の実施、草むしり検定の制定、正しい草むしりのやり方の教育コンテンツの充実、年間MVP制度、草むしりへの取り組みの心得冊子の作成と配布、KPIによる管理など、「草むしり推進本部」は日々充実した草むしりを実行しています。

以上すべて僕の妄想による冗談ですが、何が言いたかったかというと、当初は何かしらの目的があって手段として設置した組織が、そのうち組織の存続が自己目的化して、様々な仕事を作り出すということになってしまってないでしょうかと言う事です。

もしかするとその本部や組織は会社での使命を終えていて解体すべきかもしれないのに、社長が肝入りで作った部門だからとか、祖業の部門だからとか、そういう理由で残ってしまっている組織はある程度規模の大きい会社にはあるのではないでしょうか。

そしてそこにいる社員も実は自分の仕事が会社の大勢に影響がないと言うことは分かっていますから、仕事に身が入らず、すぐタバコに行ったり、お昼の15分前から食堂メニューを吟味していたり、こっそりネットサーフィンをしたりする訳です。

僕もいままさにそのような部門に異動になった中で、そのうち感覚が麻痺するか、仕事がないというと自己否定につながるので何か意味のない仕事を作り出してしまうのか、「働かないおじさん」として、どう会社生活を送っていくのかの岐路に立っています。

あなたの会社にも「草むしり推進本部」はないでしょうか、そこの社員は短期的には仕事をしておらず腹立たしいと思いますが、崖っ淵の社員です。目をつぶって現状を見ないふりして逃げきる事も出来ない時代になってきたと思っています。自戒をこめて。

早稲田大学黒田祥子教授の「ワーキング・ハイ」説への異議と別仮説の提示

僕はメーカーの人事部門で仕事をしているので、人事関連の記事は興味深く見ている訳ですが、長時間労働が続くと幸福度が増加する(ワーキング・ハイになる)という説には異議があるのでその事について書いてみたいと思います。

確かに、難易度の高いプロジェクトや画期的な新製品の発売前などで、所謂ゾーンに入ると言うことは確かにあると思いますし、個人的にもそのような経験はあります。ただ社会人生活でそのようなある意味とても恵まれた仕事にめぐりあえるというのはそうそう機会があるものではないと思っており、長時間労働者は幸福度が比較的高い事を仮に事実とした場合、別の要因があるのではないかと考えています。

ですので、早稲田大学黒田祥子教授の「ワーキング・ハイ」説や立教大学中原淳教授の「残業時間の増加による幸福度上昇」説には違和感があるのですが、今回はその事について書いてみたいと思います。

黒田教授のご専門は労働経済学、応用ミクロ経済学だそうです。また黒田教授は独立行政法人経済産業研究所働き方改革と健康経営に関する研究のプロジェクトリーダーをされているとの事です。

そして今回の議題にしたいのは、プレジデントウーマンのウェブページに2019.12.16日付で掲載された「残業を愛する人々が気づかない恐るべきリスク」という記事の3ページ目になります。https://president.jp/articles/-/31467?page=3

この3ページ目にこのような記述があります。

『「仕事の満足度」は、労働時間が週55時間を超えたあたりから上昇するということです(図表2)。この満足度は、残業手当が増えるなどの金銭的な効用ではなく、仕事から得られる達成感、自己効力感、職場で必要とされているという自尊心などを指しています。平たく言えば、週55時間を超える長時間労働は、本人にとっては、仕事が面白く、満足感や達成感が大きいということになります。(中略)メンタルヘルスは悪化しながらも、気分は高揚している。いわゆる「ワーキング・ハイ」だろうと推察できます』

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この図の出典元はJournal of Happiness Studiesという学術誌に掲載された論文からの抜粋でした。
https://link.springer.com/article/10.1007/s10902-018-0008-x

この学術誌が世界的にどれだけ権威があるものなのかは分からないのですが、査読の結果掲載されたものと思います。

論文のいいところは使用したデータの取得方法などの詳細が掲載されている所です。論文によると2014年と2015年に独立行政法人経済産業研究所が実施した郵送アンケートで回答率は12.7%、サンプル数は4392人という事です。

論文タイトルは「Why Do People Overwork at the Risk of Impairing Mental
Health?」です。「何故メンタルヘルスを損なってまで人々は働くのか?」というタイトルですね。

正直に申し上げますと高度な統計の理論は分かってないので、数式とか検定の結果への言及は出来ないのですが、論文を読んで感じた事を以下に記載したいと思います。

本論文の中の先行研究に言及した箇所に以下のものがありました。(論文は英語で書かれていますので、グーグル翻訳は本当に便利です)

『私たちは、人々が長時間労働すると精神的健康の悪化を認識すると仮定しています。しかし、彼らは同時に、労働時間とともに生じる非金銭的要因による仕事の満足度を過大評価する傾向があります。人々は、精神衛生に悪影響を与える可能性がある過労に関する非標準的または誤った信念を持っている可能性があり、非金銭的要因から得られる効用を過大評価したり、長時間労働の不利を過小評価したりする場合があります』

これをものすごく噛み砕いて言うと「長時間労働は健康に悪いと分かってるのに何故か長時間労働してしまうんだよね」という事になると思います。この仮説の立て方として気になるのが、個人を主体として問いを立てており、組織との関わりを軽視している所だと思うのですが、それは後述したいと思います。

そして論文の後半で上の図に対する以下の論述があります。(以下もグーグル翻訳です)

『労働者が仕事の満足度を強調したり、精神的健康のリスクを過小評価したりすると、極端な時間労働を選択する可能性があることを示しています。これは、自信過剰(外向性の高い性格特性)、仕事に対する満足度の高さ、および職務昇進の肯定的な感情に対する過大評価が原因である可能性があります。労働者は、仕事の満足度を高めるために極端な時間を働くことを選択する場合があります。人々が精神衛生のリスクについて誤った信念を抱き、自信過剰と予測バイアスのために長時間労働する可能性が高いという事実は、特に注目に値します』

これも要約すると「昇進などを期待したり、仕事の満足度を高めたいと思うと、健康のリスクを低く見積もり、長時間労働してしまう可能性が高い」というように理解が出来ます。

そして、論文の中ではこれ以上踏み込んだ考察はされていないのですが、一番上の参照URLにあるプレジデントウーマンの記事では長時間労働をすると「ワーキング・ハイ」になるという所まで黒田教授は踏み込んで指摘されています。

Journal of Happiness Studiesに掲載された論文については(あくまでグーグル翻訳で読んだもので、数式モデルとか正直わかりませんが)特に異論はないのですが、この「ワーキング・ハイ」説にはかなり違和感を感じています。

この「ワーキング・ハイ」説を僕自身に当てはめたとして、残業40時間くらいの時は仕事の満足度が低くて、80時間くらい残業すると40時間の時より幸福度が約1.5倍くらいになる可能性があるというのはちょっと想像しずらい現象です。

残業80時間というと過労死ラインとしても知られている時間でもあり、本当に危険と隣り合わせの時間です。土日は休めるとして毎日22時くらいに帰社できるような状態での幸福度増加は考えにくいと思っています。

この「ワーキング・ハイ」説はあくまで仕事と個人が比較的対等であるという先行研究の流れを踏襲していると思うのですが、おそらく先行研究は欧米の研究であって、ジョブディスクリプションがしっかりあるという所謂ジョブ型雇用であれば違和感なく比較的すんなり理解出来ると思います。頑張り次第でステップアップ出来るというのは明確なインセンティブになり得ます。

ただ、まだ日本企業では年功序列が幅をきかせていており、理不尽な異動や生産性が低い仕事をしているメンバーシップ型雇用がメインの職場では仕事を「やらされている感」がかなり高くて、「ワーキング・ハイ」という境地(?)に達する事が出来る人は限りなく少数なのではないのでしょうか。

ただ、残業時間が増えると幸福度が上がるというデータに対しては「ワーキング・ハイ」説に対して別な仮説を提示する必要があります。

僕は典型的な日本のメーカーの人事部門にいる訳ですが、以前似たような分析を自社データを用いて行った事を思い出しました。下のグラフは残業時間と会社における評価を表したものです。

あまりデータに関して詳細をお伝え出来ないのが申し訳ないのですが、サンプル数は1000以上あります。


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月の残業時間が15時間未満、15-45時間未満、45時間以上の3つに分けてそれぞれ評価分布の割合を表しています。

見て頂くと分かるのですが、残業15時間未満には評価上位ニ割は15%しか含まれていませんが、残業時間45時間以上の中には評価上位ニ割の社員が33%含まれてており、その差は2倍以上です。

逆に残業15時間未満の下位評価ニ割は30%を占めますが、残業45時間以上の中には5%しかいません。

つまりどういう事かと言いますと、出来る社員には難しい仕事が割り当てられており、その為に残業時間が長くなる傾向があると言う事です。そして仕事が出来るので評価も高いという当たり前の内容です。

逆に評価が低い社員にはそれなりの仕事が割り当てられているため、残業はあまりしなくて済んでいると推測されます。

これと黒田教授の調査結果はどのように理解すればいいのでしょうか。同じ日本企業に対する調査結果である為、同じ現象を別の調査項目で見ていると言ってしまってよいと思います。弊社も「ワーキング・ハイ」現象が起きているという事なのでしょうか。

おそらくですがこういう事なのだと思います。調査サンプルを残業時間が少ないグループと残業時間が長いグループに分けていく中でそのグループ分けした母集団の構成要素に変化がでてくるという事なのだと思います。

どのような変化であるかというと、長時間残業者になればなるほど、仕事が出来て評価が高い社員の比率が高まるという事です。

仕事が出来て評価が高い社員というのは、会社からも認められており、社会的な成功者の部類に入ると思われ、自己肯定感も高いと推測されます。そのような人間はそもそも幸福感は高いものです。

よって、黒田教授の調査分析結果は長時間残業による幸福度上昇は「ワーキング・ハイ」であるというのはおそらく間違いであり、長時間残業→ハイになるという因果関係はないと考えます。単純にグルーピングした調査サンプル内での構成要素(ここでは仕事の出来る社員比率)の変化が理由であるという説明の方がすっきりするのではないかと思います。

繰り返しになりますが、長時間残業をするから「ワーキング・ハイ」になるのではなく、長時間残業をしている層にはそもそも幸福度が高い人が多く含まれているからではないかという事です。(論文の方だと後者の考えとほぼ同じに読めるのですが、なぜ「ワーキング・ハイ」説に踏み込んでしまったのか、詳細をお聞きしたいです)

統計というのは(勉強中なのであまり偉そうな事はいえませんが)当たり前の事が数字でも証明できたと言うのが圧倒的に多いと思います。

興味深く意外な結果が出た時こそ注意深く検証しなければならないと思います。

影響力がある方がミスリードしてしまうと、問題の根本解決が遠ざかってしまいます。日本の少子化労働人口の減少、生産性の低さは喫緊の課題ですから、黒田先生の益々の御活躍をお祈り申し上げます。

仕事が出来て優秀な人ほどパワハラ社員になりやすい

このブログで何回か書いているんですが、仕事が出来て優秀な人ほど部下からパワハラと訴えられる可能性があるのではないかと思っていまして、その事について書いてみます。

僕は人事系の社員なので、人事データは比較的入手しやすい立場にあるんですが、以前データをかき集めてエクセルで巨大なデータセットを作ってパワハラについて分析した事がありました。

いくつか分かった事があるのですが、その中でちょっと衝撃的だったのが、最優秀層の管理職の一部が部下からはパワハラと思われてしまっているという分析結果でした。

分析する前は、強引に物事を進めようとするような典型的なパワハラ管理職を想像していたのでかなり驚いたのですが、今回説明の為の図を用意してみました。

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左側が優秀な社員で右側が普通の社員です。

そして社員を囲んでいる立方体は、縦軸に「熱意」、横軸に「能力」、奥行きに「知識」という3軸によって空間が成り立っています。

優秀な社員というのは、熱意がありますし、能力も高くて、社内の情報にも通じていて、読書家だったりもしますので知識が豊富にあります。つまりこの立方体の空間がとても広いと言うことが言えます。

一方で普通の社員は、熱意はそこそこで能力も普通かこれから伸びていく途中です。知識もそれなりだったりするのでこの立方体の大きさが優秀な社員と比べたら小さくなっています。

熱意はあるけど能力は普通とか、立方体の形は人によって様々だと思います。サイコロに近い形の人から、縦長の人、横長の人もいると思います。「認知範囲の広さの箱」とも言い換えてもいいかもしれません。

この空間の大小は当然目に見えないものですが、優秀な社員というのは、この広い空間を総動員して仕事をしている訳です。当然OJTによる部下指導にもフル活用する場合もあると思います。

この立方体は、当然本人の努力によって少しずつ大きくなっていく訳ですが、急には大きくはなりません。

優秀な社員である上司が、普通の部下に対して、全力で指導をしたとすると、どうなってしまうのか。

必死に食らいつくような部下ならいいのですが、この立方体の大きさが違えば違うほど、上司にとってはどのように教えても上手くいかないし、部下にとっては上司が何を言っているのか分からないというケースが生じる事がありえます。

もちろん、上司が部下のレベルを勘案して、部下に応じた指導が出来るのがベストですが、身も蓋もない言い方をしてしまうと、出来る社員は出来ない部下の気持ちが分からなかったりしますし、また出来るが故に難易度が高い仕事を任されていたりするので、余裕がなくなってしまい、部下にきつく当たってしまうケースもあるのではないかと思います。

つまり、仕事が出来る優秀な社員は構造的にパワハラと捉えられやすい性質を有してるのではないかと思うのです。

そして会社は基本的に優秀な人が経営している組織です。パワハラがなくならないというのは、組織というものが内包している宿痾なのかもしれません。

また、パワハラを擁護するつもりは一切ありませんが、パワハラか否かを判断するのは部下であり、最近は部下側の発言力が強まっています。良かれと思った発言や行動が間違って捉えられてしまったら、元も子もありません。

また、上司の言っている事が分からないと感じた場合、すぐにパワハラだと言うふうに捉えてしまうケースも増えているかもしれません。

このような難しさの中で、優秀な社員に求められるのは、謙虚さ、他者共感力、心に余裕を持つことだと思います。

謙虚さ強者ほど身に着けなければならないというのを何かで読んだことがありますが、本当にその通りなのだと思います。

また、上司は部下の熱意、知識、能力レベルを判断して、指導の仕方を変えていく必要もあります。相手の認知レベルの少し上を狙うのは容易ではありませんが、努力はすべきです。

そして、心に余裕を常に持ち続けるために十分な睡眠、食事、週末のリフレッシュは不可欠です。

愚痴のひとつも言いたくなってしまいますが、上司も部下も真面目なのにお互いが不幸な結果になってしまわない為にもマネジメントは常に工夫と忍耐と寛容な心が必要だと思います。

じゃあ「働くおじさん」ってどんな人?

最近「働かないおじさん」のネット記事をかなり見るような気がするのですが、「働かないおじさん」の記事を検索しまくっていたらどうやらグーグル先生に覚えられてしまい、「働かないおじさん」の記事をリコメンドされ、さらにそれを見るからリコメンドされるという不毛なループに陥っているような気がしないでもない訳ですが、それくらい日々記事が書かれているという事実があるのだと思います。

しかし、僕の知る限り「働くおじさん」の記事は恐らく1回も見たことがありません。

「働かないおじさん」は主に大企業にいて、最近だと業績好調のキリンビール朝日新聞も45歳以上の社員をリストラ対象としていて、バブル入社組が嫌いで嫌いで仕方ない氷河期世代ど真ん中の僕には吉報な訳ですが、「働くおじさん」をフォーカスする事によって「働かないおじさん」がより逆照射されて輪郭をクリアに出来るのではないかと思うのです。

さて「働くおじさん」の代表格はなんと言っても社長です。おじさんと言ってしまっては申し訳ないのですが、社長にはお許し頂きたい思います。

弊社の社長は15分単位ぐらいで打合せが入っていて、おそらく打合せの1つ1つが重要な決定を求められる内容でしょうから、相当しんどいだろうなと一社員として思います。

また以前、ほぼ一年先の社長のスケジュールを半日抑えようとしたら、ピンポイントで1日しか空いておらず、驚愕した記憶があります。

夜も夜で会食だらけでしょうから、ストレスマックスなんだろうなと思います。顔もわれてる訳ですからコンビニもおちおち行けないでしょうし、偉い人は大変です。

社長程ではないでしょうが、各本部の本部長クラスの役員も忙しい訳で、ある人から聞いた話ですが、役員に相談事をメールしたら返信が一言「で?」だったと言ってました。

おそらく、半端ない量のメールを確認してるでしょうから、それくらいの返信になるんだと思いますが、受け取った方は複数案提示しつつ、これにします。とか書いて返すしかないのではないかと思います。

その次に忙しいのはラインの管理職でしょうか。部下には残業させられないし、パワハラと言われないように気を付けないといけません。また、弊社も大企業にありがちなオーバーサーベイ、オーバーコンプライアンス、オーバープランニングの三本柱を堅持してますから、特に仕事のできる課長クラスは疲弊しきっています。

つまり、社長以下、役員、ラインの部長、課長は忙しい訳です。会社は2割の出来る社員が引っ張っているといいますが、まさにこの人達は「働くおじさん」な訳です。

さてここから逆照射されるのは、部下のいないいわゆる「スタッフ管理職」と呼ばれる人達になります。担当課長とか、担当部長と呼ばれる人達ですね。

管理する部下がいない管理職とは言語矛盾も甚だしいのですが、この方々は大企業にはうようよ生息しています。特に本社に大量にいますね。

出世競走から外れたものの、終身雇用と降格制度があったとしても有名無実化してるためのキャリアの隘路な感じで、そもそも仕事が出来たらラインの管理職になっている訳でありますから、マネージャーとしては落第だし、スタッフとしての仕事も今更やる気がないという厄介な人材である訳です。

また、今の50歳は丁度バブル入社組がど真ん中に当てはまっていて、彼らは会社には忠誠を誓っているものの、社内政治をしてれば上に上がれた世代なので、あまり勉強をしませんし、社外の事には本当に無知だったりします。

ようするに「働かないおじさん」は、身も蓋もないいい方をすると、出世競走から脱落した仕事が出来ないおじさんな訳ですが、企業側もそんな人間を70歳まで面倒見る気はさらさらないので、最近のリストラ報道があるのだと思います。

異常値は標準に回帰するという統計の格言がありますが、給料に対してリターンがほぼ無いか極端に低い担当課長殿や担当部長殿の待遇はリストラか降格で落ち着く所に落ち着くのではないかと思います。

とはいえ会社がこういう方向に舵を切ったとしたら、自分も明日はわが身な訳ですが。

変態こそ助けなくてはならないという話

本エントリーは読んでいて気分が悪くなる方もいらっしゃるかもしれないのでお気を付け下さい。

以前何かでアイドルの握手会の闇について読んだことがあるんですが、握手会に来るヲタの一部には明らかにおかしい方もいらっしゃるそうです。

握手する自分の手を唾液まみれにして握手したりするのは序の口で、一番狂ってるのは自慰した自らの精子を手に塗りたくって押しメンと握手する最早犯罪行為みたいな輩もいるらしくて、アイドルの方は握手会終了後に泣きそうになりながら手を洗っていたのだそうですが、自分で書いていて気持ちが悪くなってきました。

そういう迷惑なヲタは極一部だと信じたいのですが、アイドルとは何とも因果な商売だなと思った次第です。

どうして自分の押しのアイドルに精子なんかつけて嫌がらせの極みみたいな握手するのかと普通の人間は思う訳ですが、心理的にはもの凄く単純で要するに自分が押しているアイドルを妊娠させて自分の子供を産んでほしいという意識がキ○ガイな行為をさせているのだと思います。

もちろん許される事ではありませんが、実行者の心理を正確に捉えないと問題の解決には繋がりません。

また、少し前になりますが、財務省事務次官が女性記者にセクハラをするというニュースが世間を騒がせましたが、東京大学法学部卒業で財務省トップという人間的にも高度な倫理が求められるポジションの方が「胸触っていい?」「手縛っていい?」等のご発言はかなり驚愕しますし、会社命令でセクハラにあった記者の方には大変気の毒だと思う訳なのですが、百万歩譲って財務次官を擁護しますと、国家財政を預かる国の事務方トップのプレッシャーとストレスたるや、想像を絶する訳です。

男が過度のプレッシャーやストレスを感じた時の逃避行動はとても単純で、女・酒・ギャンブルのいずれかに行くというのが定番ルートです。あとは覚醒系のクスリもありますね。

要するに、男は本人にとって過度なストレスを感じた場合には子孫を残すという生殖本能か、現実を忘れたいという酒か、一発逆転のギャンブルのいずれか(またはこれ全部)に行ってしまいやすいという事です。

クスリについては今はどうかわかりませんが、新橋とかでキレイなおねえさんから「最近疲れてない?」とか声かけられる事案もあったみたいで、意外に身近にドラッグがあるみたいですね。

件の財務次官も、相当のストレス下の中で生物としての危機感の本能が彼をおかしくさせてしまったのではないのではないかと思います。

僕はギャンブルもお酒も嗜まないので、高ストレス下では恐らく女性にいってしまうと思うのですが、そうなりそうな時は○videosとか○ornhubとかでお手軽に未然防止する事で対策しています。

また、僕の友人ではそういう時に無性に走ってしまうという人がいました。恐らく強靭な身体でありたいということによる行動なのだと思うのですが、走り過ぎて怪我した事もあるみたいなので、冷静さを失っての行動は大変危険ですし、その友人も僕に指摘されるまでは自分が高ストレス下にある時に走ってしまうという事を理解出来ていなかったので、意外に自分で自分の事は分かっているようで分かっていないと言う事です。

また、最近新宿駅とかで女性がいきなりぶつかられれるという事件が起きているという事ですが、あれって男性が若い女性を狙うケースが多いみたいに思うんですけど、もしかすると痴漢の変種なのではないかと思うんですよね。触ってしまうと痴漢という犯罪になるので、ぶつかるという行為で自分の歪んだ性欲を満たしているのではないかと睨んでいます。いずれにてしても許される事ではありません。

もちろん、犯罪を侵した場合は厳罰に処すことが重要性だと思うのですが、犯罪を起こした人間は意外な程に反省の感情を持っていないという事を本か何かで読んだ記憶があります。

つまり、自分がこうなってしまったのは両親や他人のせいで、自分がした事は仕方なかったのだという感情です。または善悪の判断が出来なかったり、高ストレス下で認知のレベルが下がっているといいますか、正常な時であれば適切に下せるはずの判断基準が狂ってしまっているというケースもあると思います。

なので、冒頭の話に戻ると、精液を手に塗りたくってアイドルと握手しようとしているヲタには、「何か困ったりストレスを感じることはないですか?」とその手に臆することなく話しかけるのが大変重要なんだと思います。

でもそんな状況下におかれましてはたとえフローレンスの駒崎弘樹さんでも人助けるを躊躇するんじゃないかと思いますが、変態と言うのは「高ストレス下において本能がいびつな形で行動に現れてしまった人」だと考えると、何か別なソリューションを提供しなければならないなとは思うのです。