ティール組織(ホラクラシー経営)は甘くないという話
フレデリック・ラルーさんのティール組織がベストセラーになったのはかれこれ1年以上前ですが、今ティール組織をググったり、Twitterで検索したりするとやたらティール組織に関するセミナーの案内が出てきます。
なんか怪しげな肩書の方も多くて、雰囲気的には有料サロン、仮想通貨、アフィリエイト等の関係の方々ととても良く似ている気がしますが、要するに「なんか面白そうだし、儲かりそう。先行者利益、ブルーオーシャンいえーい」と考え、これをネタにして有料セミナーや情報商材で儲けたい、いわゆる界隈系の方々の一部がティール組織(ホラクラシー経営)に飛びついているのではないかと思います。
それが示している事実としては、ティール組織(ホラクラシー経営)が、「なんだかよく分からないけど凄そう」という状況に未だあると言う事なのだと個人的には理解しています。
フレデリック・ラルーさんがこの状況を知ったら苦笑いしそうですが、新たな概念が広がり定着するまでは避けられないプロセスなのかもしれません。
ちなみに似たような状況なのが仮想通貨だと思っているのですが、こちらは「価値があることに価値があって、国家の保証はないけど決済にも使える不安定なシロモノ」という理解をしてしまうと、(名前が仮想通貨なのでややこしいですが)これを先物商品のひとつだと考えれば分かりやすくて、小豆相場に手を出して失敗したおじいちゃんの教訓を孫が活かせてないだけだけだとしたら、人間って本当に因果な生き物なのだと思わずにはいられません。
さて、かなり脱線しましたが、ティール組織(ホラクラシー)経営の話でした。
アマゾンのレビューなんかをみてても、「素晴らしい組織だ」「読んでいてワクワクする」「次世代のバイブル」みたいな事を言われている方が多いのですが、それはティール組織(ホラクラシー経営)の一側面であって、そんなに甘くないし、場合によっては恐ろしい事態になりかねないとも思うんですが、あまりそのような考察はないのでちょっと書いてみようと思います。
ティール組織は上下関係や階層がなくフラットで、組織を縛るルールも少なく、給料も自分で決められるという、夢のような組織として語られがちですが、ちょっと考えてみて下さい。
仮に私がティール組織で働いていたとして、何か新しいアイデアを思い付いた場合、従来の組織だったら上司に相談して、然るべき会議にかけ、稟議を通して決裁されて実施みたいなプロセスを辿るわけですが、そういうのは一切無いわけです。
ティール組織(ホラクラシー経営)では、それが好きなように出来るかといったら多分違って、ヒト・モノ・カネは常に有限ですから、他の仕組みが導入されているはずです。
例えば極端ですが、会社のキャッシュのうちでリスクマネーとして使える額が仮に1億円だとして、5億円する投資をしようとかいう事はいくらティール組織(ホラクラシー経営)でも認められない訳です。
と言うことは、まずティール組織で働いていたとしたら、キャッシュの見える化は必須な訳です。手元資金がどれくらいあって、売掛金の回収の平均はどれくらいかかっているのかとか、何か大きい事をしようと思う社員は財務の知識が必須になってくる訳です。ティール組織の社員は日々新たな事の勉強の連続です。
また、予算の件はクリア出来そうだとして、大きな事をしようとする場合は多くの人を巻き込まねばなりません。
上下関係などは無いわけですから、そういう立場を利用できず、自分の能力、熱意、人望といったその人の人間力そのものが試される訳です。
あと、給料が自分で決められるっていうのも魅力的に感じますけど、ティール組織では基本的に全てのデータが公開されるので、全員の給料が丸わかりです。例えば仕事も出来て人望があるAさんが給料を25万円にしていたとして、仕事の要領が悪くて周囲とも衝突しているBさんが自分の給料を30万円にしていたら、すぐに他の社員から総ツッコミが入るのは間違いありません。
また、景気が悪くなってきた場合には、経営陣が銀行を駆け回ることもないし、組合がベアアップに頑張る事もないので、一時的に賃金カットする事も、手取りを増やす事も全て自分毎として取り組まなければなりません。
ということは今まで経営陣や本社の管理部門に任せて、「あいつらコストセンターのくせに威張っていて気に食わないなあ」という愚痴は一切通用しない組織な訳です。全て自分に帰ってきます。
つまり、売り上げが落ちたら、銀行に融資をお願いするか、賃金カットをするのか、自分が組織全体を考えて主体的に決めないといけない立場になると言うことです。
いくらティール組織(ホラクラシー経営)だからといって会社法から逃れられない訳ですから、決済が2回できなかったら銀行から取引停止されますし、もし仮に倒産なんかした場合は誰かが最後まで責任を持って対応しなければならない訳です。
あと、悪意を持った社員が入社した場合の対応はかなり大変だと思います。階層がなくてフラットな組織であることが、逆にデメリットになってしまいます。
ティール組織は、組織に共感する人を社員にするという事で選考は時間をかけてじっくりやるみたいですが、仮に頭脳明晰でカリスマ性があり、会社を乗っ取る悪意がある人間が入社してしばらくしてから本性を表した場合、ティール組織はかなり脆弱な組織形態なのではないかと思います。
また、そこまで行かなくても派閥が出来てしまったりした場合は最早ティール組織とは言えなくなってしまいます。
なので、ティール組織(ホラクラシー経営)は、「全体性(ホールネス)」を重要視しているのだと思います。
ネットを見ていると、例えば社員が会議室に集まり、誰も座ってない椅子を置いて、会社の存在意義を皆で考えるというような事例に対して、スピリチュアル的でちょっと受け入れ難いみたいなコメントも見受けられます。
個人的な見解ですが、これは独裁的な人物を出現させないためのかなり優れた取り組みだと思います。
中心に誰も座ってない椅子は、誰かに権力を集中させる事はないという組織の意思を可視化したものに他ならないからです。
また、人事評価も当然ない中で、ティール組織(ホラクラシー経営)がどのような工夫をしているかというと、顧客から直接フィードバックを社員がダイレクトに貰える仕組みを構築しています。
例えばオランダのビュートゾルフは在宅ケアのサービスなので、それこそケアしている方から直接感謝の言葉もクレームも受け取る訳です。フランスの変速機メーカーのFAVIも、納入先のメーカーと社員が直接やりとりする中で、あるケースでは納期を守るためにヘリコプターをチャーターしたという話も本の中で出てきます。
そして日々生じる良い事例や失敗例、どうしたらよいか分からないことなどは、社内SNSで瞬時に共有されて組織知となり、質問に対しては社内の有識者から回答がすぐ来るような仕組みを構築しているようです。
ドラッカーはマネジメントの中で「組織は構成員が増えるごとに表面積が2倍、体積は3倍になる。組織の自重に耐えるために内部の規則、評価、風土作りにかけるウエイトが大きくなり、徐々に顧客を見なくなるジレンマに直面する」と言っています。(若干意訳してます)
また、ダンバー数というものがあります。人間が頭の中だけで認知出来る限界は凡そ150名までで、それを超える事はないそうです。イケイケのベンチャー企業が規模を拡大する中である時期から成長が鈍化するというのはよく聞く話ですが、この150名が閾値なのかもしれません。
あと、弊社は世間一般のカテゴリーでは大企業に分類されますが、不思議に思うのは、社内へのメールなのに「○○様」という表現が幅をきかせています。当然、頻繁にやりとりする間柄の人には「○○さん」もありますが、要するに規模が大きすぎて同じ会社の社員であっても、仲間とは見なしていないということなのだと考えています。
既存組織であれ、ティール組織であれ、組織の維持が困難である事におそらく変わりはありませんが、基本的に性善説と徹底した情報共有を行う事で社内における社員ひとりひとりの能力の発揮と自浄作用に期待するティール組織(ホラクラシー経営)は意外に理にかなっていると思います。
ただ、肩書が一切通用せず、素の人間力が試されたり、財務や人事、法務的な知識も必要になってきたり、自由度が高い分だけ節度が求められられたり、悪意を持った人間が入ってこないような歯止めと、仮に独裁的に振る舞いつつある場合の自衛など、ティール組織(ホラクラシー経営)ならではの苦労はあると想います。
極論ですが、ティール組織であっても組織の発展段階であると本書で語られているレッド組織、アンバー組織、オレンジ組織、グリーン組織にしても、あくまで目的達成の為の手段としての組織であるはずです。
ティール組織のハコを作ってもそこに魂がないと意味はありません。大切なのは組織形態や自分の立場が何であっても「それはお客さんの為になっていて、対価を頂くに値するのか?」を常に問い続けていく姿勢と実践なのだと思います。
- 作者: フレデリック・ラルー,嘉村賢州,鈴木立哉
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2018/01/24
- メディア: 単行本
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【書評】関ヶ原(中)司馬遼太郎
最近歴史好きになったので今更ながら司馬遼太郎の本を読んでいるんですが、関ヶ原(中)で特に印象深いのは、細川ガラシャの非業の最後です。
明智光秀の三女である玉子(後の細川ガラシャ)はめちゃくちゃ美人だったそうなんですが、夫の細川忠興が今で言うところのモラハラ夫で、庭師がガラシャ夫人と話しただけで「無礼者!」と首を切ったと言うほどのとんでもない人物だったみたいで、今だったらSNSで大炎上するのではないかと思います。
そんな訳で人質になるくらいなら死ねというくらいのサイコパス忠興さんの言付けもあって、石田三成の人質作戦で細川ガラシャが捕らえられそうになった時に有名な悲劇のエピソードが発生してしまうのです。
『少斎は薙刀を頭上にかざし、しずかに、しかしするどく伽羅奢の乳房を刺した。瞬間で伽羅奢の生命は止まった。(中略)建物は、ことごとく焼け崩れ、天に立っているものといえば黒く焦げた樹木だけしかない』
ここまで読んで、「はてな?」と思いました。当然細川ガラシャは亡くなり、胸を刺した小笠原少斎も屋敷に火をつけて自害しています。屋敷はほぼ焼け落ちている訳です。当事者死亡で現場も焼けてしまっている訳で、詳細な証拠は残っていないはずです。
胸を刺されたというのが本当に事実なのかと思ってググってみたんですが、胸を刺されて死んだとは証明されておらず、どうも諸説有のようです。
そうやってこの本をあらためて捉えてみると、他のエピソードもホントなんだろうかという疑心暗鬼になってしまうんですが、読み物としては大変面白いんですよね。
真面目すぎて融通がきかない石田三成、主君思いの策士で大胆不敵の島左近、用意周到で抜け目のない徳川家康、家康の謀臣の本多正信など、キャラがやたら立っていて、いきいきと動き回る様子がとても魅力的でついついページをめくってしまいます。
また、小説なんですが、所々で司馬遼太郎本人が本筋とは少し外れたエピソードを挟んだりして史実風に進んでいくので、読んでるとあたかも確定している歴史をちょっと脚色しているのかな?くらいなイメージで読み進めてしまいますが、どうやら創作も相当あるのではないかと思った次第です。
歴史家は司馬遼太郎の本を禁書にしたいと言ったというような話もネットに書いてありました。
関ヶ原は文句なしに面白いのですが、史実を参考にしたエンターテインメントであるくらいの認識で読んだ方がいいんだろうなと思いました。
弊社のパワハラも御社のパワハラもなぜなくならないのか?
今年の5月にパワハラ防止法案が成立して、来年にも施行される予定です。
今回の法案では「優越的な関係を背景にした言動で、業務上必要な範囲を超えたもので、労働者の就業環境が害されること」と定義された事が画期的なようなのですが、おそらく業務上必要な範囲を超えてという部分が、パワハラ事案が発生した場合の争点になりそうです。
さて、話は少し変わりますが企業ではどういう人が出世していくのでしょうか。
規模が大きくない会社だと社長の知り合いがいきなり役員で来ることがあるケースもあると思いますが、未だ多くの会社では新卒で会社に入って同期よりも成果を上げて、徐々に頭角を表すという出世の仕方はまだまだあると思います。
ドラッカーはマネジメントで圧倒的に大切なのは時間であると言っています。よく優先順位をつけろと言うことは言われますが、それよりも劣後順位が大切で、要するにやらない仕事を決めてから優先順位をつけるべきだという事を著書の中で示しています。
社会人にとって時間は圧倒的について重要な要素な訳ですが、僕の知っている限り成果を出している社会人は働き方改革の時代にあってもかなりのハードワーカーばかりです。
知り合いのコンサルの方は土日にメールしても必ずその日中に返信がありますし(土日メールする僕も良くないですね、反省です)、弊社でも成果を出している人間は未だ軒並み残業時間が長い人間が少なくないですが、昨今の働き方改革の流れがあるので、どうも家に持ち帰って仕事をしているのではないかと疑っています。
優秀な社員は前例のないミッションを与えられている事が多く、新しい事にチャレンジする場合はどうしても時間がかかります。試行錯誤とは言い方は悪いですが時間の消費と同義でもあります。
つまり優秀な社員というのは、難題に対して自分の能力や時間を含めたリソースを全投入して圧倒的な成果を上げる社員です。会社にとっても貴重な存在で、当然出世していきます。
このような優秀な人材がスタッフの時はまだいいのですが、課長、部長、役員と出世していく中で、部下を使って仕事をするようになります。
優秀な管理職の全員が全員ではありませんが、一部の優秀な管理職は部下のリソースを限界まで使って成果を上げようとします。
さらに優秀な管理職の中の一部には、優秀であるが故に自分の中で仕事の進め方のストーリー展開が決まっており、部下がそこから外れる事を許さない困った管理職がいます。またそのような上司に限って完璧主義者です。
いわゆるマイクロマネジメントですが、例えばAという目標達成をする方法はいくつもあり、部下はBという方法で目標に向かっていきたいと考えているのに、Cという方法しか許さないというマネジメントをします。僕もそのような上司に当たった時は本当に辟易したものです。
人間は自分の裁量や判断を封じられた時に最もストレスを感じる生き物です。例えば長時間労働をしていても、自分の判断や裁量が確保出来ていれば人は意外に病みません。
上司のマイクロマネジメントにより、自分の判断を封じられ、そこに叱責や長時間労働が重なると人は容易に病みます。
パワハラ問題がなくならないのは、このタイプの上司が手段は何であれ成果を出していると言う事です。部下にとっては厄災以外の何者でもない上司であっても、会社側はありがたい存在と考え続けている場合はパワハラはなくならないと思います。
身体的な暴力やあからさまな暴言はおそらく減ってきていると思うのですが、このように部下を疲弊させて成果を出すやり方にはNOという時代になってきたのだと思います。会社側は問題だと思っていても成果を出しているので見て見ぬふりをせず、成果を出している優秀な管理職は今一度自分のマネジメントスタイルを見直して頂きたいと思います。
日本人はなぜ血液型信仰から離れられないのか
唐突ですが僕はO型です。そしてたまに女子と「えー、割としっかりしてるからA型かと思った。でもやっぱりO型ぽいかも」という毒にも薬にもならない話をしたりする訳ですが、A型しっかり、O型適当、B型マイペース、AB型変わり者みたいな感覚は血液型信仰があるにしろないにしろ、日本人はなんとなく共通理解してるんじゃないかと思うんですよね。これってなんだか凄いことなんじゃないかと思います。
この血液型信仰があるのは、日本と韓国くらいだと聞いたことがあるんですけど、これってどういう事なんだろうかとちょっと考えてみたいと思います。
話は変わりますが、エスニックジョークというのをご存知でしょうか?ウィキペディアから引用しますが、以下のようなものです。
沈没船ジョークの例
沈没しかけた船に乗り合わせる様々な国の人たちに、海に飛び込むよう船長が説得を行う。
アメリカ人「飛び込めばあなたはヒーローになれます」
イギリス人 「飛び込めばあなたはジェントルマン(紳士)になれます」
ドイツ人「飛び込むのはルールです」
イタリア人「飛び込めばあなたは女性に愛されます」
日本人「みんな飛び込んでますよ」
というような感じで、なんかありそうな気がすると思わせるちょっとブラックなテイストも入っているジョークです。
あと、他のエスニックジョークでは以下のものもありますよね。ちょっと今の時代は当てはまらないかもしれないですが。
「ドイツ人が発明し、アメリカ人が製品化し、イギリス人が投資し、フランス人がデザインし、イタリア人が宣伝し、日本人が小型化し、中国人が海賊版を作り、韓国人が起源を主張する」
つまり、民俗的な特徴にレッテルを貼り、ステレオタイプ的に理解をするという事なのですが、日本ではエスニックジョークはあまり盛んではない気がしています。
なぜかと考えますと、日本で外国人労働者はかなり増えていると思いますが、まだまだ単一民俗的だからというのが理由ではないでしょうか。日本人は他者と相対的に自分を見る事に慣れていないような気がします。
さて、またまた別の話なのですが、皆さんはダニエル・カーネマンのファストアンドスローを読んだ事はあるでしょうか?
ものすごく乱暴に言うと、我々サピエンスは人にレッテルを貼って理解したつもりになりたがる生物だと言う事です。(たぶん)
何故かというと、我々のご先祖が狩猟時代に生きていたとき、いつ野生動物や敵の部族に襲われるか分からない訳ですから、いちいち理屈で考えていたら、命がいくつあっても足りない訳ですよね。熊やライオンぽい影を見たらそうに違いないとレッテルをササッと貼って行動する事が行き残る勝ちパターンだったんだと思います。
なので、こういうパターンに遭遇したら、このような理解した方がいいというのが我々サピエンスの脳に刻み込まれており、ダニエル・カーネマンはそれをシステム1と名付けました。
毎日死の危険にさらされている狩猟時代には必要な能力だと思いますが、現代においては完全にイノベーションのジレンマだと思います。
さて、血液型の話でした。
つまり、何か言いたいかと言うと、基本的に同一民族で、似たような思考を持ってしまいがちな日本人は、血液型によってシステム1を起動させて他者との差異を認識する事によって自分自身を安心させているのではないかと思うんですよね。仮説の域を出ませんが。
多民族国家の場合や他国と自続きの場合は日常的に異文化との接触がある中で、システム1による他人のレッテル貼りを民族レベルで行っているので、自国民に対するレッテル貼りをする必要性を感じてないのではないかと思うんですよね。
以上、思い付きのノーエビデンスの記事なのでなんとも言えないのですが、個人的には日本の血液型信仰はそんな所に理由があるのではないかと思っています。
ストライダー→自転車の練習はほぼ正しい
STRIDER ( ストライダー ) 本体 12インチ クラシックモデル ( レッド ) 日本正規品
- 出版社/メーカー: ストライダー
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7〜8年前、うちの長男が確か3歳くらいの頃にストライダーを買ったんですが、その時はまだストライダーが出始めの頃だったので、道行く人が「何だあれ?」みたいな感じで振り返って、スピード狂のように走り回る長男をもの珍しそうに見ていた記憶があります。
ストライダーのすごい所は、子供が本来持っているバランス感覚を信じた乗り物だと言う事です。
それまでは3歳くらいの子供が遊ぶ乗り物は三輪車とか、アンパンマンとかの四輪の乗り物とかしかなかったのですが、ストライダーは画期的でした。
ペダルなし、ブレーキなしというある意味大胆な引き算の設計で、バランス感覚と足で前進させる(または坂を下る)という、使い方によっては子供が怪我をしかねない乗り物を世に送り出して大ヒットした訳です。
転んで痛い思いをしないと人間なかなか成長しません。親がある程度は見守りながら、擦り傷くらいはいいんじゃないかと僕は思っています。
そんなこんなで2年くらいストライダーに乗っていた長男は、バランス感覚をかなり身につけたようでした。
そして確か幼稚園の年長さんになってすぐに、ストライダーもだいぶ小さく見えてきて、そろそろ自転車を買ってもいい頃じゃないかということで自転車を買って、公園で自転車デビューしました。もちろん補助輪付きです。
ただ、すぐに長男は「つまらない」と言い出しました。ストライダーでバランスを取りながら乗っていたのに、補助輪がついた自転車では満足が出来なかったみたいです。
奥さんと二人で来ていたので、モンキーレンチを取りに家に戻り、公園で補助輪を外しました。
普通の自転車になったわけで、奥さんと「どーだろーねー」と話した瞬間、ひとこぎ目から長男が自転車に乗る事が出来ていました。
あとにも先にもうちの子が天才かもしれないと思ったのはこの時限りですが、僕自身が幼少のころ、自転車に乗れるようになる為に相当練習したのでかなりビックリしました。
自転車の運転で難しいのは「ペダルを漕ぐ」事と「バランス」を取る事です。この2つを同時に行わないといけないというのが、自転車を練習する子供にとって、最初はとても難しい事なのです。
ただ、長男はストライダーでバランス感覚は何度も転んで身に着けている訳で、あとはペダルを漕ぐ事に集中すればいい状態でした。ストライダーという下積み時代が2年くらいあった事が、ひとこぎ目から自転車に乗る事が出来た秘訣だと思います。
しかし問題もあって、しばらくはブレーキを使うことが出来ず、足で止まろうとする癖がぬけなかった事ですが、これもそのうち慣れて普通に自転車に乗れるようになりました。
なので、ストライダーや類似商品で遊ばせるのは(本人が気に入れば)とても良いことだと思います。
これは仕事をOJTで教える時も使えるメソッドだと思います。作業というものは分解する事が可能です。多くの内容を整理しないまま教えるのではなく、一つ一つに分解して順番を工夫して新人に教えるのが理想的です。
また、部下に3回行ってやらなかったら、要素分解して同じ事をまた3回言うべきという事をよくきいたりしますが、それも同じ事だと思います。
なんでそんな事しなきゃいけないのか、自分は誰も教えてくれなかったと思うかもしれませんが、自分がされて嫌だったことは他人にもしないという気持ちで部下や後輩に接してほしいと思います。
そして、可能性は信じる事、子育ても部下育成も忍耐ですね。
【書評】ママはテンパリスト〜ユーモアの根源は哀しみ
既婚でお子様のいる男性の皆さん、奥様を愛されてますか?毎日感謝の言葉を伝えてますか?ハグしてますか?たまには子供を預けてディナーに行ってますか?
日頃言葉や行動では表せてないけど、いつも感謝してるからうちは大丈夫とか思っているとしたら夫として失格です。大いに反省して下さい。
夫婦といえど、元々は赤の他人。言葉でしっかり伝えないとなかなか伝わらないものなのです。これは本当にしっかり覚えていて下さい。
僕くらいの熟達者になると、会社から帰宅したら「ただいま」「いただきます」「おやすみなさい」の3パターンで成立するスタイリッシュな会話が確立していて、プロ夫婦として無駄のないストイックな生活を送っていますから、いつ妻から離婚を突き付けられてもおかしくありません。
さて、東京タラレバ娘で有名で、私生活も何かと話題の東村アキコ先生の「ママはテンパリスト」です。
子育て奮闘記の本で、2010年には「このマンガがすごい」にノミネートされたり、累積100万部売れたそうで、確かに作者と息子さんのごっちゃんのやり取りが面白いのですよね。
ただ、ちょっと冷静に見ると、状況というのが完全にシングルマザーの子育て奮闘記なんですよね。
この時点では離婚はされてなかったようなのですが別居婚だったようで、旦那さんが出てくるのは1回のみです。
その1回のエピソードで、旦那さんがごっちやんを寝かしつけるというシーンがあるのですが、日頃なかなか寝付かないごっちゃんがいい子にしながらすぐに寝てしまうんですよね。
マンガでは私は苦労しているのに何で寝るんだ?みたいな感じで面白い描写にしていますが、多分別居婚ですし、マンガで登場シーンが1回だけという事は、ごっちゃんはなかなかパパに会えなかったと思うんですよね。
きっと自分がいい子にしていれば、パパはもう少し帰って来てくれるんじゃないかと思って健気にいい子にしてたんだと思うんです。
多分、東村アキコさんもその辺が分かってて、マンガでは敢えて面白おかしい描写にしてるのではないかなと思っています。
また、別のシーンでは、ごっちゃんと怪獣ごっこみたいな事をするのですが、東村さんは本気で相手にするんですよね。これも父親不在で母親が父親役までしているんだろうなと。
シングルマザー状態のネガティブな気持ちもきっとあったと思うのですが、そういう面はあまりださずに笑いに昇華させているのがこの本のすごい所です。
ユーモアの奥にある哀しみは表に出さずに、きっと歯を食いしばりながら漫画を書き、子育てをされていたのだと思います。この本がヒットしたのは、表面上の面白さと、その奥にある東村さんとごっちゃんの寂しさや哀しさやなのかなと思います。
- 作者:東村 アキコ
- 発売日: 2008/10/17
- メディア: コミック
【書評】「THE TEAM 5つの法則」にもやもやする件
リンクアンドモチベーションの麻野耕司さんという方のチーム運営に関する本なのですが、エリヤフ・ゴールドラット先生の「ザ・ゴール」と本のタイトルが似てるのと、SNSで評判がよかったのでつい買ってしまったのですが、「ザ・ゴール」で示された、制約理論(生産ラインのボトルネックが全体のスループットを決定する。よってボトルネックを常に探し、市場規模より少し多くの能力を備えて置くことだ)くらいの内容を期待していたのですが、どうも期待しすぎたようでした。
また、所々そうだなーと思う事もあるのですが、全体を通じて何かもやもやするので、そこの違和感を書いてみたいと思います。
僕は人事部で教育的な仕事をしており、選抜的な研修のグループワークでものすごい成果を出すグループと、空中分解寸前のグループまで50グループ近く見てきたのですが、そこで経験的に気付いたのはリーダーの重要性です。
格言的な言い方をすると「チームはリーダーの能力を超えられない」という事になるのですが、たとえ研修であっても、チーム内の役割というのは大変重要であって、仮に優秀な人が遠慮してリーダーにならない場合は、チームの力は格段に落ちます。スタンフォード監獄実験が有名ですが、我々人間は定められた役割に従ってしまうという基本的な性質を持っているのだと思います。
ということで、「チームはリーダーの能力を超えられない」という仮説の視点を持って、この本を見ていきたいと思います。
この本は「THE TEAM 5つの法則」の名前の通り、大きくは5つの章から成り立っており、AIM(目標設定)、Boarding(人員選定)、Communication(意思疎通)、Decision(意思決定)、Engagement(共感創造)の5つになっています。
頭文字がアルファベットのABCDEになっている是非はさておき、ひとつひとつ見ていきたいと思います。
AIM(目標設定)
この章では目標設定の重要を説いてるのですが、確かこの本でもこの手の例として出てくる有名な話で、教会を建設する為にレンガ積みをしている作業員に対して、「何の仕事をしてるんですか?」と聞いたときに、ある作業員は「レンガをつんでいるんだ」と答え、またある作業員は「人々が祈る場所を作っているんだ」と答えましたという有名な例え話があります。
同じ作業でも目的意識でモチベーションが全然違ってくるという教訓なのですが、メンバーひとりひとりが勝手に崇高な目的に気が付いていたら苦労は無い訳で、誰が目標設定をしているかというのが大変重要と言う事を伝えたいという章なのだと思うのですが、これはまさにリーダーの仕事だと思うのです。
それが気になってこの章で何回リーダーという単語が出てくるか数えたのですが、たった1回です。しかも以下の文脈で用いられているので、純粋にリーダーの重要性を説いている訳ではありません。
("担当編集の箕輪さんから「リーダー以外の人にも役立つ本にしましょう」"という部分)
うがった見方をするのは良くないですが、リーダーという言葉をあえて避けているような気もします。
これが僕の感じたもやもやの理由のひとつなんだと思います。
Boarding(人員選定)
チームは必ず4つのタイプに分類する事が出来、それをサッカー型、野球型、柔道型、駅伝型と分類されていて、ほんまかいなと思うのですが、僕が勤めているメーカーの生産部門は駅伝型に分類されています。
何故なら生産計画は中長期的に立てられ、短期的にはコロコロ変わるものではないという事なのですが、人材育成に熱心な企業は現場の改善に取り組んでおり、QC活動も実施している訳です。紋切り型に駅伝型と称されるのも違和感がありますが、駅伝型は従来の日本企業によく見られていたというような悪い例で使われています。
一方、称賛されているのがサッカー型で、要するにフレキシブルに戦うと言うことを言いたいのだと思いますが、本当に客観的な考察かというと、ちょっと違うのではないかと思います。
これは麻野さんご自身の成功体験として、リンクアンドモチベーションで新記事業を立ち上げの時に、外部やフリーランスの方に活躍してもらった経験から来ているものでしょう。
また、そのようなメンバーの人選は主にリーダーと言いますか、マネージャーの仕事です。
この本を読んでじゃあこれからはサッカー型だと思ったとして、どのように外部の力を活用するかはリーダー(マネージャー)でなければ出来ません。
また、適材適所、フレキシブルだからこそ、以心伝心は通用せず、しっかりした説明や外注管理が必要な訳で、例は申し訳ないですが、ヴィッセル神戸みたいにスター選手を集めても勝てないサッカークラブもあるように、サッカー型だからいいのではなく、よい監督(リーダー)が大切だと思うのですが、この章でもリーダーという単語は1回も出て来ません。
あと、サッカーの例はバルセロナのメッシを出しているのに対し、野球は巨人のV9時代を例に出してメンバーが固定化されていると理屈付をしていて、50年前を例に出すのはちょっと、、と苦笑してしまいました。
Communication(意思疎通)
コミュニケーションは範囲が広いので、この章に書かれてることもいろいろあるんですが、ルール設定の粒度、権限規定のルール、責任範囲のルール、評価対象のルール、確認頻度のルール、相手を深く知ってないと良質なコミュニケーションは成立しない、モチベーションタイプ毎の対応が必要、心理的安全性の確保なのですが、やはりリーダーの心得と言えます。
この中でひとつ注意したいのが心理的安全性です。グーグルがプロジェクトアリストテレスの中で成果を出すチームを分析して導き出した特徴の一つなのですが、要するにメンバーが安心して物が言える環境を作ると言うことです。
これは基本的に優秀なエンジニアしか採用しないグーグルだから特に成り立つ法則であって、これを普通のチームで実践するとどうなるかと言うと、レベルの低いメンバーの発言も安全生確保のために重要になってきますから、議論のスピードは絶対に落ちます。
優秀ではないメンバーをどう扱うのか、成長させていくのは永遠の課題ですが、グーグルやネットフリックスなどの超一流企業を除くと、短期的な心理的安全性の確保はアウトプットの質をさげると思います。(人材育成のために全て分かっててやるならいいとは思いますが)
あと、失敗事例共有とか、反論機会の設定などはいいと思いますが、これもリーダーが公平でメンバーからの信頼があり、本質を突いた応答が出来るかどうかが重要なのではないかと思います。
Decision(意思決定)
この章はやや異色で「正しい独裁はチームを幸せにする」とか、今までの流れをぶった斬る感じが個人的には好きなのですが、これもおそらく麻野さんの成功体験なのでしょう。会社は学級運営ではなくて、営利組織なのですから。
ただ、悪い独裁になってしまわないような歯止めのかけ方をどうするのかというのは大変重要だと思います。
Engagement(共感創造)
この文脈でのエンゲージメントとは、会社と従業員との広い意味での約束であって、従業員側としては、会社の理念に共感して高い貢献をするというような事だと思います。
その中で従業員のモチベーション維持について、多く言及されているのですが、個人的な経験としては、仕事の裁量の割合を増やせば基本的にモチベーションは上がります。(達成不可能なノルマ設定はしない前提ですが)
本書の中では、Philosophy(理念・方針)、Profession(活動・成長)、People(人材・風土)、Privilege(待遇・特権)がモチベーションに大切だと説かれています。
ただ、Privilegeを重視しているメンバーがいるとして、パフォーマンスが期待に達したり、そうでなかったとしてそのメンバーだけに、メリハリのある報酬体系を作るというのは無理ですし、あまり現実的ではないかなと思いました。
また、なんとなくですが、上記の4つのPは比較的若手の男性社員イメージしたような特徴な気もします。
チームにはモチベーションが高くない年配社員や、定時で帰りたい社員もいると思います。
そもそも低エンゲージメントのクラスタは対象外としているように感じられるので、別の章ではダイバーシティが重要と言いつつ、ちょっとひっかかります。
また、章の後半で感情報酬が重要であるとの記載がありますが、感情報酬の設定はいわゆるブラック起業のやりがい搾取に容易に結びつきますから、設定する側もされる側も注意が必要です。
まとめ
本書はチーム運営に関してオリジナルな主張はあまりなく(チームをスポーツの4つに分類するのが目立つくらい)、既視感が多いものでした。
また、このエントリーの最初に書いた、チームはリーダーの能力を超えられないという仮説については、本書はチームについての本であるため、可能な限り避けて書いたのではないかという印象です。(但し、意思決定の章でブレてしまってますが)
この本でとても残念だと感じたのが、著書の方がチームの法則で日本を良くしたいという想いがあるにも関わらず、チーム運営のテクニックという手段を目的化してしまっており、ノウハウ本の枠組みを超えることが出来なかった事です。
同じ幻冬舎の本でも前田裕二さんのメモの魔力は感動を感じましたが、この本にはそれはありませんでした。(そこまで求めるのは酷かもしれませんが)
また、法則に徹するならデータ重視で徹底的に理屈を書いて欲しかったのですが、経験則の域を出てないかなと思います。
本書は、この手の本を読んだことがない学生さんや、若手3年目くらいまでで、この手の本を何冊か読んだことがある方は、「ティール組織」とか「学習する組織」とか、読むのに難儀する本の方が為になると思います。
幻冬舎さんはSNSを含めてマーケティングがとても上手なのでつい買ってしまうのですが、簡単に読めるものは、すぐに役立たなくなるなーという事をあらためて学びました。
最初の話に戻すとやはりチームはリーダーが重要だと思いますし、スキルやノウハウはベースとして必要ですが、パッションとか、メンバーを尊重すると姿勢とか、総合的な人間力がとても重要だと思います。
THE TEAM 5つの法則 (NewsPicks Book)
- 作者: 麻野耕司
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2019/04/03
- メディア: 単行本
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