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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

パワハラ禁止を徹底したら、会社から熱量も奪われてきたかもしれない話

最近の弊社の人事面白トピックスとしましては、上司が部下に「有給を取得するように」と言ったら、部下の方から「自分は休みたくなかった、パワハラだ」と人事部のホットラインに連絡があったという何とも言えない事案がございまして、窓口の担当者と盛り下がっておりました。皆様如何お過ごしでしょうか。

さて、弊社でもパワハラ禁止はかなり徹底していまして、パワハラ防止研修とか、上記の人事部ホットラインとか、いろいろ対策を実施しています。

最近ようやく分かってきたのは、パワハラをものすごくざっくり分けると2種類あって、1つ目は上司に問題があると言いますか、パーソナリティ障害や発達障害を疑ったほうがいいようなケースです。このタイプからは逃げるしかありません。

そして2つ目ですが、仕事が出来すぎるので理想が高くて、部下に多くを要求するタイプの上司です。この区分けはちょっと乱暴ではありますが、後半の話に繋がってくるのでご容赦下さい。

また、この話をもう少し詳しくしますと、1つ目も2つ目も両方とも当てはまる最強最悪の上司もいますし、2つ目についても悪名高いマイクロマネジメントを行なって部下を疲弊させるタイプの上司もいます。

あと身も蓋もない話ですが、基本的に仕事が出来る人間は仕事が出来ない人間の気持ちは分かりませんから、自分の規準で仕事を進めること自体が部下から見るとパワハラとして捉えられてしまうという事もあるのではないかと思っています。

さて、会社から熱量が奪われつつあるのではないかという話です。僕は選抜研修の事務局を担当しているのですが、受講者の発表は大体役員にボロかすに言われ、受講者は悶々としながら終了するというのが今までのパターンでした。ただ年々役員も発表会の質疑応答のコメントが優しくなっているなとは思っていたのですが、今年の発表会は優しいどころか、上手く表現出来ないのですが場の熱量自体がかなり低くなっているなと思った次第です。

全体的に淡々と進む感じで、しかも予定よりかなり早く終わってしまい、何か問題があった訳ではなく、淡泊だったという印象です。

確かにうるさ型の役員はほぼ退任され、代替わりしているのですが、ちょっとこれはどういう事なんだろうと考えてしまいました。

先程のパワハラの話に戻りますが、2番目のパターンは理想が高い上司が現状に怒りをおぼえている訳です。

喜怒哀楽の感情のうち、1番熱量が高いのは怒りの感情です。「お前ら全員辞表もってこい!」という役員が今のご時世いいとは決して思いませんが、(指示自体がまちがったものでなければ)何とかせねばならないという現場の緊張感と頑張りがあったのは事実です。

しかし、今の会社全体の傾向として物分りが良く、良くも悪くも見切りが早いような傾向が生じているのではないかと少し心配になりました。

僕が感じたのは研修という場においてですが、パワハラ禁止の成果の副作用として、会社の熱量も下がっていくという事はあり得るのではないかなと感じました。杞憂であればいいのですが。

「働かないおじさん」を全力で擁護する

「働かないおじさん」というそこそこのパワーワードに対してはかなりのイライラ感を隠せない就職氷河期世代改め人生再設計第一世代の一人なのですが、今回は全力で「働かないおじさん」擁護してみたいと思います。

この「働かないおじさん」ですが、おぎゃあと産まれてからずっと「働かないおじさん」だった訳ではないと思うのです。

いまは全方向から避難を浴びている「働かないおじさん」ですが、新卒で入社した投資はピカピカのスーツでやる気に満ち溢れ、残業も休日出勤も厭わなかったキラキラした社員だったに違いありません。なぜそのような若手社員が「あの人何やってるかわからない」と陰口を叩かれる「働かないおじさん」になってしまうのでしょうか。

さて、どの会社でもそうだと思うのですが、弊社でも出世のゴールデンコースみたいなのがあります。例えば営業だと最初は国内の支店に配属されてから、本社勤務になり、海外現地法人にも出向して、経営企画室、もう一度海外現地法人でトップ、執行役員、役員みたいなサラリーマン出世すごろくです。

社員の社内の職務経歴を見ているだけで、この人は出世街道をひた走ってるなとか、あの人はこのタイミングで出世競争から外れたな等が分かったりするものですよね。

だいたい出世競争は30歳くらいで目星がついて、40歳くらいでは選抜はほぼ終えてるのですが、日本企業の人事部が凄いのは、とっくに選抜ルートから外れているのに50歳くらいまでは本人にそこそこ期待を抱かせる人事異動をする事です。

ただ、これも位打ちみたいな事になってしまって、自分の能力に余るポジションに配置されてしまい、そこでやらかしてしまったり、ローパフォーマーぶりを発揮する事で自分に自分で引導を渡してしまう誠に残念なおじさんもいたりしまして、名実ともに閑職へ異動となり、そういう時の送別会はかなりしょっぱい感じなんですが、皆本音は押し隠して粛々と振る舞う姿には我々ジャパニーズの様式美を感じずにはいられません。

さて、「働かないおじさん」の話です。話は前後してしまいますが、この「働かないおじさん」は主に歴史のある昭和的な日本の会社で生息しています。

よく言われる事ですが、日本企業の三種の神器は「終身雇用」「年功序列」「企業別労働組合」です。もうひとつ足してよいとしたら「新卒一括採用」も入れたい所です。

なぜこの仕組みが出来上がったのかはそれはそれで興味深いのですが、それは別な機会に譲るとして、このようなジャパニーズトラディショナル企業に新卒で入社すると、出世への時間無制限の一本勝負という途方もないロングウェイの戦いに身を投じることになるわけです。

そしてこの「働かないおじさん」とは、どこかのタイミングでこの長い戦いから戦線離脱した(させられた)社員に他ならない訳ですが、一方的で優秀で出世している社員というのは、「働かないおじさん」の屍の上に成り立っているとも言える訳です。(この方々は社長を筆頭とした「働くおじさん」と言えますね)

日本は上記の通り、まだまだ新卒一括採用というポテンシャル採用に頼ってますから、ある程度の人数を採用しないとそこから優秀な社員は出てこない訳です。「働かないおじさん」とは、優秀な社員を出現率させるための必要悪と言えます。ガソリンを精製しようとしたら、必ず軽油も精製されますが、そのようなものかもしれません。

また、「働かないおじさん」はかなりの高給取りであることも非難されがちですが、これも会社として安心して働けるという制度設計をしているからに他ならず、優秀な社員や若手が安心働く事が出来る為に必要な仕組みであるという事です。これは「働かないおじさん」が悪いのではなく、従来型の日本企業の構造的な仕組みです。

決して会社は「働かないおじさん」に高給を払いたい訳ではないのですが、組織の維持の為にここ迄せねばならないという現実があるのだと思っています。そして、担当課長とか担当部長とかいう部下がいなくてなにを管理しているか分からない管理職が社内にそこそこの規模で存在する訳です。

そしてもう一つ重要な視点として、能力のない人間がやる気を出そうとするとろくな事がないという事です。「能力」の高低と「やる気」の高低があるとして、「能力」が高くて「やる気」もある社員がベストなのは言うまでもありません。そして、次にましなのはまちがいなく「能力」が高くて「やる気」がない人間です。そして一番やっかいなのは「能力」は低いのに「やる気」がある人間です。

これが若手ならまだ伸び代もあると思いますが、個人的には45歳を過ぎてからの伸びにはさほど期待は出来ません。

能力の低いのにやる気のあるおじさんというのは、おそらく的外れな事をやりまくり、周囲を疲弊させるでしょうから、それなら何もしない方がましで、会社としてもそのように仕向けます。

つまり「働かないおじさん」とは、会社から「働かなくていいと言われたおじさん」という事なのです。明示されないものの、会社命令なら仕方ないですよね。

熱血社員は不要であると思う話

弊社でも残念ながらメンタル不調者が一定数います。メンタルが発生するケースで多いのは、上長の指導や組織の運営方法に耐えられない部下という構図が一定数ある訳ですが、メンタル不調者の上司にはある法則がある事を発見しました。

それは、メンタル罹患してしまうパワハラ上司には過去選抜研修を受講した優秀者がかなりの割合でいるという事です。

どういう事かと言いますと、今どき珍しく熱血で、昼夜をとわず働き、しかも同期に比べて圧倒的な成果をスタッフ時代に上げているような人物は選抜研修の受講対象者になるという事です。

ただ、名プレーヤーが名監督にならないのはどの世界でもあるのだと思うのですが、1番最悪なケースは、部下に自分の仕事のやり方を1から10まで完全にトレースさせるケースです。

人間はある程度の長時間労働には耐えられると思っていますが、自分がコントロール出来る裁量を失うと急激にメンタルが悪化すると思っています。

人間は生まれたときから自分の欲求を通そうとし、死ぬ直前まで自分で意思決定したがる生き物です。赤ちゃんが不快で泣き叫ぶのも、老人が頑固なのも我々サピエンスの本能です。長かった狩猟時代、自分の一瞬の判断が生死を分けるような中で我々の祖先が進化してきた中での宿命のようなものだと思ってます。

ですので裁量を失った状態での長時間労働が一番メンタル的にキツくて、上司の求める正解を当てに行くという作業というのはとても前向きになれるものではありません。

また、この手の上司は、完璧主義であることも多くて、パワポの1ピクセル、資料の色み、ホチキスの留め方等々独自の美学とこだわりがあり、スタッフ時代に自分の意志で実行しているのならよいのですが、管理職の立場で部下にそれを強いると、今では完全に過剰品質ですし、働き方改革に逆行しているのではないかと思います。

さらに、この手の上司はフィジカル的にも強いという特徴があります。近くで見てきたこの手の管理職はやたら暑がりでクーラーをガンガンにかけたがる人物が多いのですが、つまり生物としての発熱量がそもそも高いのだと思います。また、週末はゴルフやランニング、自転車の趣味を持っているケースも多くて、冬は冷え症で困っている僕からしたら最早モンスターです。

そしてさらに厄介なのが、会社から認められており、自分は善だと思い込みつつ、他者共感力が低めだと言う事です。

個人的には、人の能力は残念ながら平等ではないと思っています。周囲に優秀な人を何人か知っていますが、勝てる気が一切しない訳です。会議中にパソコンカタカタ打ってたと思ったら、終了後にすぐ議事録を発行していたり、議論が散漫になったり紛糾した時に、ホワイトボードに十字を書いてささっと4象限に分けて、「Aさんはここ、Bさんはここ、Cさんはここにいて、さてこれだけ意見の相違がある中でどこを目指しますか?」みたいな事をさらっとできてしまう人がいる訳です。飲み会の幹事なんかもソツなくこなします。その上で人格者だといいのですが、必ずしもそうだとは限りません。自分が出来すぎるが故に出来ない人の気持ちが分からない人もいます。

さて、このように優秀だが他者共感力が低く、完璧主義で高い目標を求める管理職への対抗方法が部下としてあるのでしょうか。

個人的には残念ながら正面から戦っても勝ち目はないと思います。

会社側としたら組織運営方法にはやや難があるものの、成果は出している場合は積極的には手は打ちにくいものです。

対抗方法としては記録を取ることです。特に音声データは有効です。いくら優秀であっても発言にはボロが出る事はあります。

また、人事部にパワハラ相談窓口もあったりしますが、人事部は基本的に会社の体制を支える組織です。個人的にはあまり期待していません。

割と最後の手段ですが、効果的なのはメンタルクリニックに行って診断書をもらうことです。診断書には拘束力がありますから、上司も人事部も見過ごすことは出来ません。

そして、かなり酷い上司の場合は休職や退職を検討する事です。メンタルを病んでまでするような仕事はないと思います。

ただ、このような上司は転職したとしてもどの会社にも一定の確率でいます。スティージョブズや会社を一代で大きくした人の本を読んでいると、この人かなりひどいのでないかと思う事もあります。一般人とは違うから圧倒的な成果を出している訳ですが、これがパワハラが一向に減らない理由だと思ってます。経営者は多かれ少なかれこういう要素を持っているものです。人がいいだけでは会社は潰れますし、このバランスは大変難しいと思います。

また、これからの人事部はこのような熱血社員に対して、研修や業績評価等で対峙していく必要があると思います。

つまり、成果を上司個人の独自のやり方で達成し、後任が来た場合に再現性が低いものにさせてはならないこと。少子化により人材は極めて重要であり、「お前の代わりはいくらでもいる」という時代ではなくなったこと。管理職は個人のガンバリズムで成果を上げるのではなく、組織の力で成果を上げるように仕組み作りを工夫する事。仕組みは作った瞬間から陳腐化が始まるので次の仕組みを常に考える事など、会社の人材育成と組織運営に明確なメッセージを発していくことが人事部門に求められていると思います。

振り切った成果を出している人は、逆方向にも引っ張られている件

Bose QuietComfort 15 Acoustic Noise Cancelling headphones ノイズキャンセリングヘッドホン

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僕はBOSEクワイエットコンフォートを持っているんですが、ノイズキャンセンリングという仕組みはメカ好きの心をくすぐります。

音には位相というものがあって、ノイズの逆位相の音を瞬時に出す事でノイズが低減させるというのを知った時はかなり驚きました。

実際に初めて飛行機の中や都会の雑踏の中でクワイエットコンフォートをつけた時にサーッとノイズが消えていく感覚、今までこんなノイズがある中にいたんだと思った記憶があります。

さて、話は全っ然変わりますが、オリエンタルラジオの藤森さんがチャラ男でブレイクしてた時に、あやまんJAPANやAKB48、郷ひろみさんとかとコラボして合いの手を入れまくっていた時期にオフの日はソファーで横になって無になっていたという記事を見た事があるんですが、ああいうすごい人でも無理してるんだなと少し親近感を感じた事があります。

また、話は全然変わるのですが、1年くらい前に財務次官がテレビ局の記者の女性にセクハラ行為を働いて更迭されるというニュースがありました。セクハラは許されるものでは決してありませんが、財務次官は国の財政を預かる事務方のトップです。プレッシャーたるや相当なものであると思います。

NHKでちょっと前にキラーストレスという特集がありましたが、現代社会はストレスを感じやすい一方で、狩猟時代と違って命の危険まではないわけですから、我々の身を守っていたストレスに対する反応は今の時代にはちょっと過剰である可能性が高い訳です。

男がストレスを感じた場合の異常行動は比較的単純で、女・酒・ギャンブルのどれかに走ります。非合法的なものとしては大麻覚醒剤もあるかもしれません。

つまり、ストレスを感じて、本能的には生存欲求が刺激され、子孫を残す行動を取れと脳が命令する訳です。また、狩猟時代は飢えてピンチの時に大きな獲物を狩ることが出来れば全て帳消しに出来るし、周りからも称賛される訳で、一発逆転を狙ってギャンブルに手を出す男もいます。

酒やクスリはどちらかと言えば現実逃避ですが、男性の皆さんは自分が高いストレスを感じた時に女に行きやすいか、ギャンブルなのか、酒なのかは客観的に把握しておいたほうがいいと思います。

あと、SHOWROOMで有名な前田裕二さんという方がいらっしゃるのですが、本か何かで「1秒ごとのROIを最大化して下さい」というご発言を読んだことがあります。おちおちトイレも行けないし、う○こをしている時のROIとは一体何だろう考えた事がありますが、前田さんはご両親を早くに亡くされていて、人生は有限であるというのと、成功への執念が狂気のように感じるのですが、恐らくご両親に褒めて欲しかったというのが根底にあるように思えるのですが、常にアクセルがオン状態という人はなかなか少数なのではないかと思います。

位相の話に戻ります。

藤森さんがチャラ男でテンションをMAXあげぽよにしていた時も、テンションを位相だとしたした場合、郷ひろみに合いの手を全力で入れた場合は、同じだけのマイナスのテンションの反動があったと思うんです。

また、財務次官は日本の中でも相当にストレスが高い人物の一人です。極度の緊張状態が続いた場合は必ずマイナスの反動が訪れます。この方はストレスを感じると女性に走る方だったのだと思いますが、自分のくせが分かっていたら、他の対処方法があったはずです。明らかに悪手でした。

また、たまにストレス状態にあったとしたも、それを乗り越えてしまうような超人みたいな人物がたまにいたりします。前田裕二さんが本当にそういう人なのかどうかは分かりませんが、仮にいたとしてもレアケースだと思います。

つまり何が言いたいかといいますと、何か懸命に取り組んでいる場合に、その方向とは逆向きの負の要素が蓄積します。

それが解消出来るレベルならいいのですが、やり過ぎでしまった場合は反動は大きくなります。山が高ければ高いほど谷も深いものです。

鬱や燃え尽き症候群、オーバートレーニング症候群はこれにあたるかもしれません。

ただ、少しずつなら位相の位置を上方向にずらしていき、ストレス耐性を高める事は出来ると思います。

いきなり高める事はすべきではないと思うので、少しずつでいいと思います。

、、、、もうちょっと面白い事を言うつもりだったんですが、普通のエントリーになってしまいましたね。うーん。

グーグルの心理的安全性だけではチームの生産性はおそらく落ちる話

最近の教育研修や人事コンサル界隈ではグーグルがプロジェクトアリストテレスで発見した「心理的安全性」がちょっとしたブームになっています。といいますかセミナーとか展示会で話をきくとデフォルトで組み込まれ出したような印象すら受けます。

いわく、チームのメンバー安心してモノを言ったり働ける環境を作ることがチームの力を最大に引き出す事が出来る秘訣だという話なのですが、確かに日大アメフト事件があったり、湘南ベルマーレの曹監督の辞任の経緯の後味の悪さがあったりする中でとても今の時流に則った素晴らしい法則ですし、チームのあるべき姿のように感じます。

しかし、この心理的安全性ですが、ちょっと気を付けなければならないなと感じており、実はグーグルだからこそ生産性向上に直結する訳で、普通の企業でこれをやったらおそらく生産性は下がると思うのですが、そのような考察はあまりなさそうなので書いてみたいと思います。

まず最初に身も蓋もない話ですが、そもそもグーグルは超が付くほど優秀な人達のエンジニア集団であるということです。Office365の機能も十分に使いこなせない我々日系の一般企業との大きな違いです。

グーグルの優秀なチームメンバーに対して、マネージャーは最低限の進捗管理だけをして、あとは自由にやらせておいた方がいい仕事をしそうなのは直感的に理解できます。

また、上にも書きましたが、グーグルは基本的にはエンジニアの会社であるということが前提としてあります。以前読んだ本では、グーグルでは企画書というのはなく(または企画書を書いてもあまり意味がなく)、プロトタイプとしてアプリケーションが動いていないと評価されない文化だということを読んだことがあります。

また、グーグルの各チームが開発しているアプリケーションは他のチームも見る事が出来るようなのですが、これが20%ルールと相まって、興味深くて好奇心をそそるプロトタイプにはチーム外のいろいろな人からのアドバイスや協力がひっきりなしにされて完成度が上がっていき、あまりイケてないプロトタイプには人が集まらないような仕組みを構築しているようです。

また、グーグルではピラミッド型の管理をよしとせず、エンジニアの自主性に任せるべきだという、ハッカー文化と言いますか、オープンソースソフトウェアのコミュニティみたいな文化がそもそも根付いている中での「心理的安全性」な訳です。我々凡人はグーグルが持っているこの前提を忘れてはならないと思う訳です。

つまり何が言いたかったかというと、グーグルはそもそも超がつくほど優秀な人の集まりなので、要点さえ管理が出来てればチーム運営が上手く行く可能性は最初から高いし、マネージャーによる管理をせずとも、いいアプリケーションのプロトタイプには自ずと人が集まって、ローンチ出来る可能性が高まる仕組みがそもそもあるという事です。しつこいですが、その上でのさらに「心理的安全性」の確保な訳です。

ちなみにグーグル先生は「世の中の情報を整理しつくす」事を目的としている会社であり、検索もグーグルマップもグーグルフォトもこの定義にばっちり当てはまりますが、グーグル先生と言えども自ら何かしらの価値を創り出すといった事は苦手で、例えばFacebookに対抗していたGoogle+などは、グーグル先生としては忘れたい黒歴史のなのかもしれませんね。

さて、一般企業の話です。僕は研修の事務局対応をする事が多いのですが、選抜研修を担当していた時の話です。

選抜研修というと、各本部からエリートが集まりそうな気もしますが、実はそうでもないケースもあります。例えばもう一皮むけてほしいんだけどなかなか伸び悩んでいる社員とか、人数の割当として設定されてしまい、無理やり出してもらうケースなんかもあったりします。つまり、選抜研修と言いながら玉石混交なメンバーが研修を受講してグループワークをする訳です。(ちなみにこういう状況を決していいとは思っていませんが、いろいろ難しいです)

グループはだいたい6名くらいのメンバーで、テーマが与えられて活動するわけなんですが、あるグループのリーダーから相談を受けました。
「Aさんというメンバーがなかなか発言しないのだが、どうしたものか?」という内容の相談で、僕はその時グーグルの「心理的安全性」を知ったばかりだったので、その事を話してみました。リーダーの方も「分かった、やってみる」との事で、安心してしばらくその事を忘れていたんですが、一ヶ月後くらいにまたリーダーから相談を受けました。

リーダー「Aさんなんですけどね」

僕「ええ」

リーダー「チームでディスカッションする時に発言してもらうように仕向けたり雰囲気作りをしたんですよ」

僕「ありがとうございます」

リーダー「そしたらどうなったと思います?チームの討議のスピード感が格段に落ちたんですよ」

僕「どういう事ですか?」

リーダー「討議って話があちこちに飛ぶじゃないですか。前提とする知識があったり、新たなアイデアが産まれたり」

僕「ええ、そういうものですよね、チームの会話って」

リーダー「どうもAさんはついてこれないんですよ。討議の流れに追いついていないから、すごく前まで戻って説明しないといけないんです。かなりストレスですね」

僕「まじですか、すみません」

みたいなやり取りがリーダーとありました。それから本人や他のメンバーにやんわり聞いた話を総合すると、リーダーの言うとおりで、Aさんは話についていく事が出来ないから黙ってしまうのではないかという事ではないかと考え直すようになりました。地頭の差と言ったら身も蓋もないのですが、そういう事です。

その後、あらためてリーダーと話しました。

リーダー「会話中にあえてAさんには聞かないことにしました。最後にAさんには何かないかは聞きますが」

僕「思いやりのある無視も必要なんですね。。」

というような苦い経験をした訳です。

つまり、チームのメンバー感にレベル差がある状態で「心理的安全性」の対策を実施してしまうと、どうしてもレベルの低いメンバーあわせる必要が生じてしまうと言うことです。それはチームの活動のスピードを著しく遅くしてしまうと言う事を意味しています。

心理的安全性」が有効に作用するのは、メンバーのレベルが全員高いか、または同じレベルである場合という前提条件が付与された上での有効な対策だと思うのです。

グーグルのプロジェクトアリストテレスでは、「心理的安全性」の他にも「(メンバー間の)相互信頼」「構造と明確さ」「仕事の意味」「インパクト」が重要だと示されています。

Aさんの件では、リーダーに対して他の4つについてを満たすことなく流行りの「心理的安全性」を伝える事で迷惑をかける事になってしまいました。

心理的安全性」はキャッチーなフレーズですし今の時代の雰囲気にとても合っていますが、これだけにフォーカスするとチームの生産性は落ちるのでは無いかと危惧しています。

ティール組織(ホラクラシー経営)は甘くないという話

フレデリック・ラルーさんのティール組織がベストセラーになったのはかれこれ1年以上前ですが、今ティール組織をググったり、Twitterで検索したりするとやたらティール組織に関するセミナーの案内が出てきます。

なんか怪しげな肩書の方も多くて、雰囲気的には有料サロン、仮想通貨、アフィリエイト等の関係の方々ととても良く似ている気がしますが、要するに「なんか面白そうだし、儲かりそう。先行者利益、ブルーオーシャンいえーい」と考え、これをネタにして有料セミナーや情報商材で儲けたい、いわゆる界隈系の方々の一部がティール組織(ホラクラシー経営)に飛びついているのではないかと思います。

それが示している事実としては、ティール組織(ホラクラシー経営)が、「なんだかよく分からないけど凄そう」という状況に未だあると言う事なのだと個人的には理解しています。

フレデリック・ラルーさんがこの状況を知ったら苦笑いしそうですが、新たな概念が広がり定着するまでは避けられないプロセスなのかもしれません。

ちなみに似たような状況なのが仮想通貨だと思っているのですが、こちらは「価値があることに価値があって、国家の保証はないけど決済にも使える不安定なシロモノ」という理解をしてしまうと、(名前が仮想通貨なのでややこしいですが)これを先物商品のひとつだと考えれば分かりやすくて、小豆相場に手を出して失敗したおじいちゃんの教訓を孫が活かせてないだけだけだとしたら、人間って本当に因果な生き物なのだと思わずにはいられません。

さて、かなり脱線しましたが、ティール組織(ホラクラシー)経営の話でした。

アマゾンのレビューなんかをみてても、「素晴らしい組織だ」「読んでいてワクワクする」「次世代のバイブル」みたいな事を言われている方が多いのですが、それはティール組織(ホラクラシー経営)の一側面であって、そんなに甘くないし、場合によっては恐ろしい事態になりかねないとも思うんですが、あまりそのような考察はないのでちょっと書いてみようと思います。

ティール組織は上下関係や階層がなくフラットで、組織を縛るルールも少なく、給料も自分で決められるという、夢のような組織として語られがちですが、ちょっと考えてみて下さい。

仮に私がティール組織で働いていたとして、何か新しいアイデアを思い付いた場合、従来の組織だったら上司に相談して、然るべき会議にかけ、稟議を通して決裁されて実施みたいなプロセスを辿るわけですが、そういうのは一切無いわけです。

ティール組織(ホラクラシー経営)では、それが好きなように出来るかといったら多分違って、ヒト・モノ・カネは常に有限ですから、他の仕組みが導入されているはずです。

例えば極端ですが、会社のキャッシュのうちでリスクマネーとして使える額が仮に1億円だとして、5億円する投資をしようとかいう事はいくらティール組織(ホラクラシー経営)でも認められない訳です。

と言うことは、まずティール組織で働いていたとしたら、キャッシュの見える化は必須な訳です。手元資金がどれくらいあって、売掛金の回収の平均はどれくらいかかっているのかとか、何か大きい事をしようと思う社員は財務の知識が必須になってくる訳です。ティール組織の社員は日々新たな事の勉強の連続です。

また、予算の件はクリア出来そうだとして、大きな事をしようとする場合は多くの人を巻き込まねばなりません。

上下関係などは無いわけですから、そういう立場を利用できず、自分の能力、熱意、人望といったその人の人間力そのものが試される訳です。

あと、給料が自分で決められるっていうのも魅力的に感じますけど、ティール組織では基本的に全てのデータが公開されるので、全員の給料が丸わかりです。例えば仕事も出来て人望があるAさんが給料を25万円にしていたとして、仕事の要領が悪くて周囲とも衝突しているBさんが自分の給料を30万円にしていたら、すぐに他の社員から総ツッコミが入るのは間違いありません。

また、景気が悪くなってきた場合には、経営陣が銀行を駆け回ることもないし、組合がベアアップに頑張る事もないので、一時的に賃金カットする事も、手取りを増やす事も全て自分毎として取り組まなければなりません。

ということは今まで経営陣や本社の管理部門に任せて、「あいつらコストセンターのくせに威張っていて気に食わないなあ」という愚痴は一切通用しない組織な訳です。全て自分に帰ってきます。

つまり、売り上げが落ちたら、銀行に融資をお願いするか、賃金カットをするのか、自分が組織全体を考えて主体的に決めないといけない立場になると言うことです。

いくらティール組織(ホラクラシー経営)だからといって会社法から逃れられない訳ですから、決済が2回できなかったら銀行から取引停止されますし、もし仮に倒産なんかした場合は誰かが最後まで責任を持って対応しなければならない訳です。

あと、悪意を持った社員が入社した場合の対応はかなり大変だと思います。階層がなくてフラットな組織であることが、逆にデメリットになってしまいます。

ティール組織は、組織に共感する人を社員にするという事で選考は時間をかけてじっくりやるみたいですが、仮に頭脳明晰でカリスマ性があり、会社を乗っ取る悪意がある人間が入社してしばらくしてから本性を表した場合、ティール組織はかなり脆弱な組織形態なのではないかと思います。

また、そこまで行かなくても派閥が出来てしまったりした場合は最早ティール組織とは言えなくなってしまいます。

なので、ティール組織(ホラクラシー経営)は、「全体性(ホールネス)」を重要視しているのだと思います。

ネットを見ていると、例えば社員が会議室に集まり、誰も座ってない椅子を置いて、会社の存在意義を皆で考えるというような事例に対して、スピリチュアル的でちょっと受け入れ難いみたいなコメントも見受けられます。

個人的な見解ですが、これは独裁的な人物を出現させないためのかなり優れた取り組みだと思います。

中心に誰も座ってない椅子は、誰かに権力を集中させる事はないという組織の意思を可視化したものに他ならないからです。

また、人事評価も当然ない中で、ティール組織(ホラクラシー経営)がどのような工夫をしているかというと、顧客から直接フィードバックを社員がダイレクトに貰える仕組みを構築しています。

例えばオランダのビュートゾルフは在宅ケアのサービスなので、それこそケアしている方から直接感謝の言葉もクレームも受け取る訳です。フランスの変速機メーカーのFAVIも、納入先のメーカーと社員が直接やりとりする中で、あるケースでは納期を守るためにヘリコプターをチャーターしたという話も本の中で出てきます。

そして日々生じる良い事例や失敗例、どうしたらよいか分からないことなどは、社内SNSで瞬時に共有されて組織知となり、質問に対しては社内の有識者から回答がすぐ来るような仕組みを構築しているようです。

ドラッカーはマネジメントの中で「組織は構成員が増えるごとに表面積が2倍、体積は3倍になる。組織の自重に耐えるために内部の規則、評価、風土作りにかけるウエイトが大きくなり、徐々に顧客を見なくなるジレンマに直面する」と言っています。(若干意訳してます)

また、ダンバー数というものがあります。人間が頭の中だけで認知出来る限界は凡そ150名までで、それを超える事はないそうです。イケイケのベンチャー企業が規模を拡大する中である時期から成長が鈍化するというのはよく聞く話ですが、この150名が閾値なのかもしれません。

あと、弊社は世間一般のカテゴリーでは大企業に分類されますが、不思議に思うのは、社内へのメールなのに「○○様」という表現が幅をきかせています。当然、頻繁にやりとりする間柄の人には「○○さん」もありますが、要するに規模が大きすぎて同じ会社の社員であっても、仲間とは見なしていないということなのだと考えています。

既存組織であれ、ティール組織であれ、組織の維持が困難である事におそらく変わりはありませんが、基本的に性善説と徹底した情報共有を行う事で社内における社員ひとりひとりの能力の発揮と自浄作用に期待するティール組織(ホラクラシー経営)は意外に理にかなっていると思います。

ただ、肩書が一切通用せず、素の人間力が試されたり、財務や人事、法務的な知識も必要になってきたり、自由度が高い分だけ節度が求められられたり、悪意を持った人間が入ってこないような歯止めと、仮に独裁的に振る舞いつつある場合の自衛など、ティール組織(ホラクラシー経営)ならではの苦労はあると想います。

極論ですが、ティール組織であっても組織の発展段階であると本書で語られているレッド組織、アンバー組織、オレンジ組織、グリーン組織にしても、あくまで目的達成の為の手段としての組織であるはずです。

ティール組織のハコを作ってもそこに魂がないと意味はありません。大切なのは組織形態や自分の立場が何であっても「それはお客さんの為になっていて、対価を頂くに値するのか?」を常に問い続けていく姿勢と実践なのだと思います。

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

【書評】関ヶ原(中)司馬遼太郎

最近歴史好きになったので今更ながら司馬遼太郎の本を読んでいるんですが、関ヶ原(中)で特に印象深いのは、細川ガラシャの非業の最後です。

明智光秀の三女である玉子(後の細川ガラシャ)はめちゃくちゃ美人だったそうなんですが、夫の細川忠興が今で言うところのモラハラ夫で、庭師がガラシャ夫人と話しただけで「無礼者!」と首を切ったと言うほどのとんでもない人物だったみたいで、今だったらSNSで大炎上するのではないかと思います。

そんな訳で人質になるくらいなら死ねというくらいのサイコパス忠興さんの言付けもあって、石田三成の人質作戦で細川ガラシャが捕らえられそうになった時に有名な悲劇のエピソードが発生してしまうのです。

『少斎は薙刀を頭上にかざし、しずかに、しかしするどく伽羅奢の乳房を刺した。瞬間で伽羅奢の生命は止まった。(中略)建物は、ことごとく焼け崩れ、天に立っているものといえば黒く焦げた樹木だけしかない』

ここまで読んで、「はてな?」と思いました。当然細川ガラシャは亡くなり、胸を刺した小笠原少斎も屋敷に火をつけて自害しています。屋敷はほぼ焼け落ちている訳です。当事者死亡で現場も焼けてしまっている訳で、詳細な証拠は残っていないはずです。

胸を刺されたというのが本当に事実なのかと思ってググってみたんですが、胸を刺されて死んだとは証明されておらず、どうも諸説有のようです。

そうやってこの本をあらためて捉えてみると、他のエピソードもホントなんだろうかという疑心暗鬼になってしまうんですが、読み物としては大変面白いんですよね。

真面目すぎて融通がきかない石田三成、主君思いの策士で大胆不敵の島左近、用意周到で抜け目のない徳川家康、家康の謀臣の本多正信など、キャラがやたら立っていて、いきいきと動き回る様子がとても魅力的でついついページをめくってしまいます。

また、小説なんですが、所々で司馬遼太郎本人が本筋とは少し外れたエピソードを挟んだりして史実風に進んでいくので、読んでるとあたかも確定している歴史をちょっと脚色しているのかな?くらいなイメージで読み進めてしまいますが、どうやら創作も相当あるのではないかと思った次第です。

歴史家は司馬遼太郎の本を禁書にしたいと言ったというような話もネットに書いてありました。

関ヶ原は文句なしに面白いのですが、史実を参考にしたエンターテインメントであるくらいの認識で読んだ方がいいんだろうなと思いました。

関ヶ原(中)(新潮文庫)

関ヶ原(中)(新潮文庫)