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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

【考察】声優巫女説について

声優で打線組んだは本当に面白い。耳に精子が付くとか、通常の発想ではなく何かのシンギュラリティを超えていると思う。

さて、声優巫女説についてである。夜中にたまたま深夜アニメを見るとかなりの確率で主人公の男の子がビーチかプールで巨乳グラマラスからロリ系まで、よりどりみどりの女子に囲まれやや困惑気味というシーンを見かける。

特に重要そうなシーンというわけではなく、ビーチバレーに誘われてみたり、浮き輪でただ浮いてみたりという絵が続き、これストーリー上必要なのかと真剣に考えたところ、こういうシーンそのものが重要なのだと言う事に後日気が付いた。

要するに深夜にやや困惑気味の主人公はそれを見ている視聴者本人に他ならず、アニメの中で繰り広げられているビーチでの光景は、視聴者が行きたくて仕方のない理想郷に他ならないのだということがようやく理解ができた。

この二次元の理想郷が視聴者に取って到達すべき最終目的地であって、現世は苦行を積むだけの地獄にも等しい場所に他ならず、あらゆるタイプの美少女に囲まれてのキャッキャウフフが目指すべき場所なのだということなのだなと。

ただ、その理想郷はおそらく到達が大変に難しい。だって視聴者が生きているのはあくまで現世であって、理想郷はいくら金を積んでも、徳を高めても、グッズで部屋を埋め尽くしても、行く事は叶わないのだから。

いや、視聴者自身は無理だが自在に行き来しているそういう存在がいる。声優である。モニターの向こうの理想郷の中から人間の声がしているわけである。アニメの世界にしかも美少女キャラに乗り移って、声優は理想の世界をいきいきと(時にけだるく、というかキャラによる)生きているのである。さらに素晴らしいことに現世とも行き来出来る。もはやシャーマンといって差し支えなく、あっち(二次元)とこっち(三次元)を自在に行き来する現代の巫女である。

そう、声優は巫女なのである。多くの声優が黒髪ロングであるのは意識しているかどうかは別にして、つまりはそういう事である。

また巫女は処女でなくてはならない。穢れていてはあっち(二次元)に行く資格を失ってしまう。なので声優は間違っても男と付き合ってはならないわけだ。

とすると、声優へのクリスマスの尋常ならざるネットストーキングも理解できる(納得できる訳ではない)極めて善意的に解釈すると、あちら側に行く資格を失ってほしくない熱心な信者の行いなのだから。

らき☆すたがブームになったのも偶然ではない。あれは主人公が巫女である。この設定の時点で既に勝っている。声優は巫女であり、らき☆すたでは巫女が主人公である。二次元と三次元をつなぐイメージをより強固とし、さらに実在する神社がモデルとなってるわけで、イメージの増幅効果が半端ない。

そして、売れたい声優と理想郷に行きたい視聴者はある一時期まで幸せな共犯関係にある。ただ、巫女を演じている声優もひとりの女性である。恋愛だってしたいし、子供もほしいかもしれない。売れない頃から支えていた信者を裏切ってしまうこともあるのは仕方ない事である。巫女である前に人間の女性なのだもの。

声優はあの世とこの世を結んでくれる巫女ではあるが、一方巫女は巫女である前にひとりの女性である。そのことを受け入れる視聴者が一人でも増えることを祈る。