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さぷ日記、主に本の書評

メーカーの人事部門で人材育成関係の仕事をしてます。仕事がら組織とか戦略とかの本の書評が多めです

【書評】前田裕二さんにとってのメモとは果たせなかった両親との対話である メモの魔力

「書くか書かないか。もはやこれは、テクニックの問題ではなく、自分の人生とどれだけ真剣に向き合うのかという、「生き方」の問題なのです」(本文から)

今話題のこの本を一言でいうと前田裕二さんご本人もこの本の中でそのように分析されていますが「狂気」なのだと思います。メモ魔というよりメモ狂と言ってもいいかもしれません。

この「狂気」は一体どこから来るのものなのか、前田裕二さんにとってのメモとは一体何なのかと考えました。

しばらく考えていくうちにメモとは、前田さんにとって果たせなかった両親との対話であるのではないかという仮説に至りました。その視点で本書を見ていきたいと思います。

前田さんは8歳でご両親を亡くされ、11歳でギターの弾き語りでお金を稼ぐという過酷な原体験をお持ちです。

僕はいま10歳と6歳の息子がいますが、彼らとはよく対話します。「今何が好きなの?」「そうなんだ、サッカーなんだ」「お父さんはどういう子供だったの?」「大人しかったよ」とか本当にいろいろです。

両親との会話はテニスの壁打ちにも似ています。気持ちや想いを言葉でぶつけ、その返しにまた返す。日々そういう事を繰り返し、徐々に自分の像をクリアにさせていき、徐々に両親の元から巣立っていく準備をゆっくりしていきます。

前田さんは壁打ちする相手を8歳にして失ってしまったなかで、おそらくメモによって自分との壁打ちを始めたのではないかと思います。「僕はこう思っているのだけど」という問に対して返事のない対話を。

なので、僕はこの本を読んでる最中で不意に涙が出てとまりませんでした。メモという行為が「ねえ、こんな事を考えたんだけど、お母さん(お父さん)どう思う?ねえ、答えてよ!」という少年の前田さんの叫びに思えて仕方なかったからです。

最後の1000問の問も、あれは前田さんが両親と話したかった事なんだと思います。両親と話すのであれば1000問は逆に少なすぎます。

もちろん、前田さんがご自身の拘りまくる性格と努力の天才であるところも大きいとは思いますが、根源的な欲求はかなりプリミティブなものだと思うのです。

なので、両親の子供でいられる20歳くらいまでに親と対話してきた僕らは前田さんの真似をする事はおそらく出来ませんし、する必要がないかもしれません。(社会人にとってメモは必要というは言を待たないですが)

ただ、前田さんにとってのメモにあたるものが僕にもあるかもしれず、それはこのブログかもしれないし、前田さんの言うとおりメモで自己分析して見つけたほうがいいかもしれません。

メモは大体においては手段です、ただ前田さんにとってのメモは今まで支えてくれた両親そのもの、過酷な人生を生きてきた証であり、これから生きていく道しるべであり続けているのではないかと思うのです。前田さんと読者は入口の段階で想いが全然違います。真似できない前提でいいと思います。

僕がこの本で学んだのはメモではなく、真剣に生きている一人の男性の哀しみと喜び、成功への狂気とも言える執念でした。

前田さんにとってのメモが狂気から共喜になる日を一人の読者として心から祈っております。

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)