献血はどちらかというと自分のため(個人の感想です)
この前時間があったので献血に行ったのですが、丁度10回目という事で記念品をもらいました。記念品はいい感じのおちょこです。
なんで献血を続けているのか、それはおそらく人助けとか大袈裟な事ではなくて自分のためだと思ったのでその事について書いてみます。
その1 やさしさにふれたい
アラフォーのおっさんともなると、人のやさしさに触れる機会が激減します。殺伐とした会社、嫁さんとはプロ夫婦ではなかろうかという子育てに特化したある意味事務的なやりとり、子供はかわいいですが、愛情は主に注ぐ方であって、注がれる事は稀です。(当たり前ですが)
そんな中、献血ルームに行くとものすごく気遣ってくれる訳です「体調はどうですか?」「昨日は眠れましたか?」「お昼は食べましたか?まだなんですね、ではドーナツを食べて下さい」「献血後はトイレは念の為にすわって用を足してください」など、マニュアルだとは思うのですが、日常生活ではこんなに気遣ってくれる事なんてほぼ皆無な訳です。
心配して声をかけてくれる(繰り返しますが、マニュアルだとは思いますが)と言うことはとても嬉しく思うものです。
ただ、献血ルームで働く人にとっては、感情労働を強いられている訳であって、ありがたい思いつつ申し訳ないとも思っています。
その2 生きている事を感じる
日頃私達の生活では死というものが上手に隠蔽されています。ともすれば生が当たり前と感じてしまい、そのありがたみが日々の忙しさですり減っていっているのではないでしょうか。
僕は注射針で自分の血を抜かれている所を見るのが好きなんですが、痛みを感じる自分、抜かれている血液を見るにつけ、生というものを意識せざるを得ません。
献血とは自分がいまここで生きている事を確認するための行為と言えます。
その3 体に触れてもらうという事
献血の際には看護士さんの手が触れる事がある訳ですが、妙に気持が落ち着く事があります。考え過ぎかもしれませんが、大丈夫ですからねという気持が手を通じて伝わってくるからかもしれません。
女性がエステやヘアサロン、ネイルサロンなどによく行く理由もなんとなく分かります。信頼できる人には触って欲しいのです。
妻とも以前はそういう関係だったはずなのですが、人間とはかくも不思議な生き物だと思わざるを得ませんね。
その4 子供の時の夢を叶える
子供の頃、ボタンを押せばジュースが出てくるという自動販売機を夢見た事はないでしょうか。献血ルームにはそれがあります。
僕はリアルゴールドとコーンスープを交互に呑み続け、糖分と塩分のダブル過剰摂取というおそらく相当に体に悪い事を繰り返しているのですが、なんてったって子供の頃からの夢の実現です。仕方がありません。今度は爽健美茶も飲みたいと思います。
その5 その他もろもろ
雑誌も読み放題だし、献血後しばらくいても何も言われないし、献血という行為に対してのリターンが大きすぎると思ってます。
上記は主に献血ルームについて書いていますが、献血ルームも独自色があって、献血終了後に頂けるご褒美がアイスだったり、パンだったりという違いを献血ルーム毎に楽しむ事も出来ます。
僕は血圧が低い為に、あとに来たマッチョ系の男性が先に終わったりなんかして、ちょっとアレな気持ちになったりしますが、献血ルームはスタッフの方、看護士さん、医師のみなさんの人命を守るという目的意識とホスピタリティにより、私達がまた次も行きたいと思う事が出来る運営をされていると思います。頭が下がる思いです。
あと、毎回スタッフの方に「エイズ検査が目的ではないですよね」と言う事を聞かれてもちろん「いいえ」なんですが、そういう目的で行ったら絶対ダメですし、自分で言っていて何ですが、やさしさを求めて献血に行くというのも本末転倒な訳であって、「いまたまたま健康な体でいるから、空いた時間でちょっと行こうかな」くらいの気持が重要だと思っています。