バブル入社組と氷河期世代の決定的な違い
さぷさんです。この前のエントリーで43歳と言いましたがまだ誕生日前だったので42歳でした。ついに自分の年齢がわからなくなってきました。
さて、何年か前の話なのですが、地方に住んでいたときに本社出張があって、近くのビジネスホテルに泊まるためにチェックインしようと並んでいました。
確か22時くらいで、次の日早いし早く休みたいなーと思っていたのですが、なんだか前の人がフロントと揉めていました。
50歳くらいのちょっといかつい営業マンみたいな感じで、揉めている内容は分からなかったのですが、やたらエキサイトされていました。
フロントの方は申し訳なさそうにしてたんですが、怒りが収まらないらしく、いろいろクレームつけていた中で次の発言がありました。
「○○って会社はねえ、そんな事はしないんだよ!」
ええと待てよ、○○って弊社の事ではないですか、この方と同じ会社の社員だったのかと思うとさらに疲れが出ました。まあ一定以上の年齢には残念ながらそこそこいるタイプです。
ただ、後で冷静に振り返るとわざわざ会社名を出す必要があるのかどうかって興味深いんですよね。多分ダブルブッキングとかだったんでしょうけど、あえて会社の名前を出す必要はないように思うんです。
しかも後ろがつかえているのも気にする素振りもない残念な感じのおまけ付です。
会社と自分を一体のものとして考えるというのはある程度年齢が上の層の傾向な気がしますが、バブル入社組までがその傾向が顕著で、それ以降の世代は基本的に会社に対して醒めた目で見ている傾向があるような気がします。
特に最近の若手は本当に見切りを付けるのが早くて、確かに不確実性の時代で年功序列の会社の現実に気が付いてしまったら辞めたくなる気持はわかります。
我々氷河期世代は、そもそも就職するのにめちゃくちゃ苦労した中でも、転職にさほど抵抗のない世代だったりして、僕も2回ほど転職してます。
バブル入社組とは10歳くらいしか年は変わらないんですが、世の中の状況が様変わりするのは本当にあっという間なんだなと思います。
ジョブ型雇用は○○な事になるが、本当に出来るのだろうか
さぷさんです。43歳のおっさんです。
基本的に在宅勤務なのですが、先週たまたま出社しました。そしてその日出社していたメンバーがかき集められて、会議室の3密を避ける対応作業をしました。
ドアに3密回避の注意喚起の貼り紙を貼ったり、使用してはいけない椅子にも貼り紙の貼り付けなどの作業です。
会議室の担当者が貼り紙を準備して、課長以下数名に作業を割り振ってそれぞれ貼り紙をペタペタ貼った訳なんですが、大会議室なんかはかなり大変でした。
「こんな広かったっけ」
「椅子多いよね。密だよね」
「ガムテープ貸してください」
「結構汗かきますね」
「マスクがつらいよね」
などなど会話をしながら作業を終えて、課長が「おつかれさまでした!コロナじゃなければ飲みに行きたいところだけどね」「そうですねえ、飲み会なくなりましたねえ」みたいな昭和的で平和な会話が珍しくありました。
どうやら僕たちはみんなで何かの作業に頑張るという事が大好きで、これは何かに似てるなと思ったらお祭りの準備でした。
役割があるようなないようなあまり分担されていない中で、「去年どうだったっけ」「あれが足りない」などわいわい言いながら準備をして、完了したときの満足感。アレです。
おそらく我々日本人の遺伝子プールとして、共同作業に対して、基本的にはポジティブな感情が芽生えるのではないかと思うんです。
稲作を2千年くらい続けてる国民性ってやっぱりあると思うんですよね。みんなで汗かきながら共同作業をする事が大切という感情が。
ですので、上記の会議室の新型コロナウイルス対応をジョブ型でするとすると、会議室の担当者のみが作業をする事になると思うんですよね。
他の誰かに頼んだとしても「It's not my job」というのが厳密なジョブ型の働き方です。(流石に新型コロナウイルスでみんな大変な中で、いくらジョブ型雇用の会社でもイレギュラーな仕事をシェアしてやってくれれるとは思いますし、マネージャーからの命令ならば別ですが、極端な事を言うとそういう事です)
そして、会議室の貼り紙程度の話から、異動したのにいつまでも引き継げていない業務や、ある人の為に部門自体が出来てしまったり、組織上の権限決定者である管理職がいるにも関わらず現場の社員が実権を握っていて、マネジメントがぐちゃぐちゃになっていたり、人に仕事が貼り付くメンバーシップ雇用に私達は馴染みきっています。
新型コロナウイルスの会議室の対応作業とそれは違うと思うかもしれませんが、こういう事が切れ目なく繋がっているのが日本の古くからある会社の特徴です。
ジョブ型雇用に本気であるのであれば、「It's not my job」と部下が言ったときにはむしろ褒めるべきです。
果たして私達にその選択は出来るのでしょうか。
非常時は平時の特徴を増幅する
どなたかが「非常時は平時の特徴を増幅する。良くも悪くも」とブログで仰っていて、本当にその通りだなと思ったので僕もその事について書いてみます。
僕はいま東京で単身赴任で、家族は地方で暮らしています。
かれこれ3ヶ月以上自宅に帰れていません。嫁さんが言うには「東京から旦那が帰ってきてると分かったら何言われるかわからない」と言う事で、東京と地方の感覚は全然違うのだなと思っています。
近所のスポーツジムの入口に県外者お断りという貼り紙が貼ってあるみたいで、田舎の閉鎖性が増幅してるなと感じます。いい人達なんですが。
そんな嫁さんはと言うと、多発性円形脱毛症で6ヶ所も円形脱毛症になってしまい、週1で病院通いしています。気丈なタイプで自分が頑張ればならないと思いつめ、ついに体が悲鳴をあげてしまったのだと思います。本当に申し訳ない。
そんな嫁さんに何も出来ない僕にも変調が訪れ、元々内向的で行動よりまず考えるタイプで、思考が煮詰まりがちな傾向があるのですが、ちょっと鬱ぽくなりました。
しんどくなってしまうと、何もかもがしんどいと言う自分の認知フィルターを通しての世界認識となります。
特にキツイ言葉で綴られるTwitterのツイートが見てられなくなって、アカウントを削除したというのを前のエントリーで書きました。
結論から言うと情報をシャットダウンした事は精神的には良くて、しんどくなる事はあまりなくなりました。
僕が過敏に反応してただけかもしれないですが、Twitterでバズるのは良くも悪くも感情に訴えかけるような内容です。
Twitterは感情の増幅装置と言えるので、今もこの瞬間何かがバズってるはずです。
「○○が許せない」「□□に反対する」といったネガティブなツイートは確実に感情を削りにきます。対応は2つあって、ツイート対象者と同化して自分も怒るか、見ないかどちらかです。
スルーは出来ません。秀逸なエモいツイート(必ずしもいい意味ではない)というのは確実に心を動かしてきます。
「非常時は平時の特徴を増幅する。良くも悪くも」という論で行くと、攻撃的な人はより攻撃的になり、他者共感力が高い人は様々なケースで心を痛め、内向的な人はさらに自分の世界に自らを埋没させ、匿名というベールを被り剥き出しの自己を放出する中で、健全な場であるとは到底思えません。
リツイートやいいねやフォロワー増加による自己承認欲求が満たさせるメリットを考慮しても、Twitterはデメリットが多すぎます。
また、話は全然変わりますが、2人いる息子のうち長男は比較的温厚で、次男が武闘派です。
よくLINEで話すのですが、小6の長男は大好きな電車についてよりマニアックに極めつつあり、京浜急行の乗り換えの便利さと沿線開発の重要性や、小林一三の先見性、五島慶太の功罪、阪急今津線、銚子電鉄の今後について熱く語ってくれるんですが、立派なテッチャンへの道を歩みつつあります。
小2の次男は食べ物の話ばかりで、ケーキの上にドーナツを載せて食べたいとか。ホットケーキが食べたい。あとフレンチトーストもみたいな感じで、「それ全部小麦やんか」と毎回ツッコミを入れるんですが、食べ物、女の子、戦いが好きで、将来を心配していますが、それぞれの方向性がなんか最近増幅しているような気がしなくもありません。
会社についても、割と保守的な社風の会社に勤めているのですが、基本的に在宅勤務推奨が継続しており、出社しても自席で密になる場合は、会議室とか別な場所で仕事をしたり、課のミーティングをする時に出社メンバーも会議室には集まらず、自席とかでヘッドセットをして実施するのですが、安全第一で少し過剰かなと思ってます。
一方で在宅勤務が終了した会社もあるみたいで会社毎の特徴はよく出るのだと思います。
そういう事で僕が今気をつけているのは、良くも悪くも己の特徴を増幅しがちな現在において、身体の平時性を保つと言うことです。
具体的には日常のルーチンをおろそかにしない事。洗濯、掃除、食器洗い、週1の食事の作り置きなどです。特にトイレ掃除は大切です。それ以外と違ってトイレは掃除しなくても使い続ける事はとりあえず出来てしまいます。
毎日のトイレ掃除を欠かさずに行い、身体の平時性が保てて始めて精神の落ち着きが得られると思っています。
新型コロナウイルスは人を試すと言うことはよく言われますが、ピンチの時にはその人の地金と真の実力が試されると思います。ちょっとこの状況は酷すぎますけどね。
Twitterのアカウントを削除しました
さぷさんです。Twitterのアカウントを削除しました。
確か1年半くらい前から始めて、削除直前で1700ツイート程だった気がしますので、1日3ツイートくらいしていた事になります。
先週までは割と普通にツイートしてたのに何故急に削除したのか、その辺を書いてみたいと思います。
直接の理由は比較的はっきりしています。
今は単身赴任中なのですが、新型コロナウイルスの影響でなかなか地方の自宅に帰れず、嫁さんと息子二人に会えません。
嫁さんはストレスからか、多発性円形脱毛症と言うものになってしまい、六ケ所も円形脱毛症になってしまいました。
次男もまた嫁さんや長男を噛むようになってしまったりとか色々あった中で、「帰ろうか?」と言った訳ですが、「今東京から旦那が帰ってると分かったら何言われるか分からない」と言うことで帰れません。
田舎はおそろしいと思いつつ、最愛の妻が六ケ所もはげていてボロボロなのに、あなたは不要だと言われるのは中々精神的につらいものです。
Twitterでは何気ないつぶやきなどをしていればいいのかもしれないのですが、「ひとりの時間がほしい」みたいなツイートを見ただけで、「ひとりの時間しかないのも辛いです」みたいな気持ちになり、危うく返信しかけて思い留まるみたいな事もありました。道を歩いているだけの人に殴りかかってはいけません。
Twitterはゆるいツイートから攻撃的なものまでありますが、心が弱ってる時は攻撃的な内容をみるのはやはり精神的によろしいものではありません。寒空を薄着で歩いてる中で、「#○○に抗議します」と言われても、「いやちょっと余裕ありません」みたいな感じで、下を向いて足早に走り去る感じです。
人間は1日で処理できる情報量が有限であると思っているのですが、Twitterのタイムラインから流れ込んでくる情報量は膨大で、体調がいい時は気にならないものですが、文字の洪水だけで辛いという事もあります。
それより何より、繰り返しになりますが、家族から必要とされていない状況下において、あらゆるツイートが虚しいのですね。
そんな訳で先週までは元気だったんですけどね。来週元気になるといいのですが。
ただ、元気になったらまたTwitterをやるのかと言うと、多分やらないと思います。
つぶやきでいいねをもらったりリツイートされると承認欲求が満たされますし、Twitterがなければ繋がらなかった人もいるので、そういう人たちとの関係が切れてしまったのが唯一の心残りではありますが、またご縁があれば何か別の方法でも会えると信じています。
ではブログはやめないのかというと、ブログは双方性があまりなく、自分の気持ちを文字制限なく書くことが出来、書く事で気持ちが整理され、次に進める気がするので続けると思います。
気にし過ぎかもしれませんが、今の僕にはTwitterの刺激が強すぎました。
とりとめがないですが、Twitterをやめたのはそういう経緯があったからでした。我ながら情けない感じですが、仕方ないですね。
単身赴任中42歳のおっさんが「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」を見た感想
【通常版】映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ DVD
- 発売日: 2020/04/17
- メディア: DVD
さぷさんです。42歳くらいになるとそれなりに責任が出てきまして、しんどい場面もあります。大人とはその年齢になれば“なれる”ものではなく、無理に“やせがまん”を続けているだけではないかと感じています。
それでもバランスを取って生きている訳ですが、それが狂ってしまうと世間を騒がす芸能人みたいな事になってしまうのではないかと思っています。
さて「すみっこぐらし」でした。「すみっこぐらし」という主に低年齢の女の子向けの作品がある事は知っていました。
うちは男の子が2人なので名前くらいしか知らなかったのですが、「すみっこぐらし」というネーミングには惹かれていました。“一隅を照らす“みたいな感じでいいなあと。
そんな訳で今年のマイテーマを「すみっこぐらし」にしてみた中で、マイテーマなのによく知らないのも良くないと思い、アマゾンプライムで「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」を視聴してみました。
単身赴任中+寮での在宅勤務なので人と触れ合う機会がほぼ全くない僕としては、まずすみっこ達が仲良く(?)暮らしているだけでめちゃくちゃ羨ましい訳です。
まさかほのぼのアニメで最初から嫉妬させられるとは思いませんでしたが、孤独は耐える事が出来るだけで、極めることは出来ません。(個人の感想です)
そんなすみっこ達ですが、食べてもらえなかったとんかつの切れ端。エビフライのしっぽ。自分探し中のペンギン。恐竜であることを隠している自称とかげ。かたつむりを装うなめくじのにせつむり。雑草。飲み残しのタピオカなど、外見はゆるふわですが、なかなかハードなトラウマを持ったキャラクター達が登場します。
僕もコンプレックスの塊のようなタイプですが、すみっこ達には感情移入が出来るような、そうでないような、微妙な感覚です。これは後述します。
映画のあらすじは、昔話の飛び出す絵本の中に吸い込まれてしまったすみっこ達が、そこで出会ったひよこの居場所を探そうとするロードムービーみたいな感じのお話なんですが、すみっこ達が桃太郎とか、赤ずきんちゃんとか、人魚姫の話の中の登場人物になって、大活躍(?)していきます。
すみっこ達は何かしらのトラウマを抱えていると書きましたが、映画の中では長所の能力が描かれる事は何故かありません。とんかつの切れ端がアンパンマン的な活躍をする事はないのです。
ただ、すみっこ達はお互い助け合う事についてはよく描かれていて、とんかつ切れ端とエビフライがひよこを助けるために水に飛び込もうとしたら、他のすみっこ達が止める訳です。衣がぐちゃぐちゃになってしまいますからね。
長所を活かすとかでなくて、相手の特徴を受け入れて当然のように仲間が助けるというテーマがすみっこぐらしの中にはあるのだと思います。
また、ひよこの居場所探しに一番共感するのが、自分探し中のペンギンだったりするのですが、「ひよこは居場所探している→ペンギン自身も自分探しをしている→ひよこ=自分である」という、私はあなただったかもしれないというやや哲学的なテーマも扱っています。
すみっこぐらしは、弱者やトラウマを持っている場合でも居場所はあるし、それを受け入れた上で助け合うという作品の信念があると感じたのですが、キャラに過度に感情移入出来ないようにしているようにも見えるのです。
すみっこ達はしゃべる事はなく、井ノ原快彦さんと本上まなみさんのナレーションしかありません。
また、すみっこ達の半数は口が書かれておらず、言語によるコミュニケーションはあまり望んでいないようにも見受けられます。(ただ、みんなでおにぎりを食べるシーンはあるので、口はあるのだと思います。書かれてないだけで)
すみっこ達はすみっこ達なりにがんばっているのだから、お前はお前なりのすみっこでがんばれというメッセージに読めてしまったので、すみっこ達を応援したい気持ちにはなりますが、自分がすみっこの一員になりたいかというとそういう作りにはなっていないような気がしました。
以前なら欠点として治していくものだとされていた事も当たり前のように受け入れてフォローも自然に出来るような仲間と居場所があるという事は理想的ですが、現実ではなかなか難しい事です。
あと、個人的には仲間がいる事が羨ましいですね。単身赴任+寮での在宅勤務はあまり精神的に宜しくありませんからね。贅沢な悩みだというのは承知してはいるのですが。
【書評】女帝 小池百合子
「なんでも作ってしまう人だから。自分の都合のいいように。空想なのか、夢なのか。それすら、さっぱりわからない。彼女は白昼夢の中にいて、白昼夢の中を生きている」(本文から)
今話題の「女帝 小池百合子」ですが、本書で小池百合子がなぜ新型コロナウイルスの対応で存在感を発揮できているのか理解出来た気がします。
著者はノンフィクションライターの石井妙子氏で、2016年に「原節子の真実」で第15回新潮ドキュメント賞を受賞されています。
「女帝 小池百合子」は延べ100名以上にインタビューを行い、足掛け4年かけて出版された渾身のルポです。基本的には抑えた筆致で幼少の頃から現在に至るまで、関係者へのヒアリング等の内容を丁寧に時系列で記述された本でした。
そして、小池百合子を理解するカギは、「父親」「芦屋」「顔のアザ」「敵」にあるのではないかと感じたので、そのことについて書いてみます。
<父親について>
「小池さんの前で父親の話はタブーだよ。途端に機嫌が悪くなるからね」
小池百合子の父親は勇二郎はかなり大法螺吹きで、不義理な人間であったようです。本書には様々なエピソードが書かれていますが、例えば「海軍中尉」で「満鉄調査部」にいたと言っていたようなのですが、歴史にあまり詳しくなくても陸軍と関係の深い満鉄と海軍に所属することはできないと思うのですが、気に入った他人の経験や経歴を自分のものとして語る癖があったようです。
そして本書を読み進めると父親と言動や行動がかなり似ていることに気付かされます。もし、父親が誠実で嘘は戒めるような人物であればどうなっていたのだろうとつい想像してしまいます。
<芦屋について>
「芦屋は坂の町である。坂を上がり、坂を下る。豪邸もあれば、ごくつつましい家も見受けられる」
関西以外の方は芦屋と聞いて六麓荘のような豪邸が立ち並ぶ風景を想像してしまうと思うのですが、実態はもう少し複雑です。僕は昔関西に5年ほど住んでいたのですが、当時は関西でこのようなやりとりをたまに聞きました。
A「家どこ?」
B「芦屋」
A「どうせ海っ側やろ~」
B「ばれたか!」
芦屋は高い建物があまりないため、一帯の空間を把握することは比較的容易です。六甲山の中腹にある富裕層のお屋敷から、海側に近づくにつれてきれいなグラデーションを描きながら所得階層の違いがこれほどあからさまにビジュアルとして見えるのはもしかすると芦屋だけかもしれません。
小池百合子の実家はちょうど平均的な場所に位置していたようなのですが、上昇する(成功する)という事がビジュアルとして可視化されていた中で生活していた訳です。著者が指摘しているように土地が与えた性格への影響は深いものがあるかもしれません。
<顔のアザ>
「疲れてくると化粧の下から浮き上がってくるんだ。(中略)こっちの表情を見て、彼女はハッと顔をそむけた。そんな経験を何度もしてきたんだろう」
あまり人の外見については触れるのは良くないと思うのですが、今から数十年前で「お嫁に行く」というのが当たり前として考えられていた時代、相当につらい経験をされてきたのだと思います。
小学生の頃からアザを消すために化粧をしていたと本書には書かれています。そして著者は「隠す」という行為は小池百合子にとって当たり前の所作なのではないかと推測します。カイロ大学卒業の疑惑に通じている道の一つなのかもしれません。
<敵>
「世間への恨みがあるんでしょうか。社会的な地位が高い人にすり寄っていくイメージがありますが、最後はそういう人を足蹴にする」
小池百合子が新型コロナウイルスの対応で株を上げる前に政治家として成し遂げた事を挙げるのは難しいと思います。
防衛大臣はわずか55日で投げ出し、官僚からのレクチャーも嫌がったそうです。逆に、グラビア撮影やテレビ出演には積極的だったようで、近くで接していた人物からは「政治家として達成したい事はなく、ただ目立ちたい、上に上り詰めたいだけなのではないか」と批判されています。
そういった中で、今回の新型コロナウイルス禍が発生したわけです。新型コロナウイルスは明確に「敵」であると言えます。小池百合子が得意とする「敵」との対決の場が用意されたわけです。
また、率先して情報発信するという点についても、目立ちたいという願望をストレートに実現させるものであり、ワールドビジネスサテライトの初代キャスターとしての技能が遺憾なく発揮されているように思います。
そして次回の都知事選で小池百合子の当選は間違いないと言われていますが、とても悪運が強いと感じます。100年に一度あるかどうかという最も得意とする舞台が図らずも用意されてしまった訳です。
本書ではカイロ大学の卒業疑惑についてもかなり詳細に記載されています。実際本を読んで頂きたいと思いますのでこのエントリーでは触れませんが、ネットを見ていたら、カイロ大学から卒業証明書を発行されるというニュースが報じられていました。
個人的にはついに黒が白になったのかと思いましたが、日本はエジプトに対して例えばJICAを通じてエジプト・日本教育パートナーシップで186億円の円借款をしていますし、大エジプト博物館にも500億円近く供与しています。自民党とも近い日本の有力者の機嫌を損ねるくらいなら、卒業証明書の発行など安いものだと思います。
小池シンパ側からすると「周囲から証言を取っただけで、事実かどうか定かではない。推定無罪という言葉を知っているか?」というような反論が届きそうな気はします。
おそらく、次の4年の東京都知事も小池百合子で決まりだと思いますが、目立つことが好きで粛清人事を行い、深い考えがなく思い付きで行動していると言われているので、おそらく都政は停滞するのではないでしょうか。
歴代の都知事である青島幸男、石原慎太郎、猪瀨直樹、舛添要一はそれぞれいい辞め方をしていませんから、小池百合子にどのような歴史の判断がなされるのか興味があります。
また、このエントリでは言及しませんでしたが、エジプト時代の同居女性。合わせ鏡のような従妹の存在。舛添要一との因縁、拉致被害者家族会やアスベストの被害者、築地の方々への冷たい仕打ちなど、多角的に小池百合子を浮き上がらせており、著者である石井妙子氏の執念を感じます。
「彼女には別に都政でやりたいことなど、ひとつもなかったのだ。求めたものは新たな敵と新たな戦場。戦場でしかヒロインになれないと知っていた」
2ヶ月ぶりに出社して分かった会社の生産性向上策
さぷさんです。昨日久しぶりといいますか、2ヶ月ぶりに出社しました。2ヶ月間在宅で仕事に全く支障が無いことにいまわたしの存在意義が問われています。
さて、会社での僕の席の目の前に大きいゼロックスの複合機があるのですが、僕は2ヶ月間複合機を使用しなかったということになる訳です。
もちろん自宅でもプリントアウトはしていません。寮なのでプリンターもないですし、仮にあっても印刷しないと思います。会社からのセキュリティ教育の賜物ですね。
そうすると複合機の使用用途ってちょっとどういう事なんだっけ?という疑問が湧きます。
複合機の使用方法は主に印刷ですが、
①お客様用の資料
②捺印が必要な書類
③捺印は不要だが、紙での提出が必要な書類
④上司からの指示
⑤上司への説明用
⑥自分用
⑦FAXの送受信
⑧紙資料のPDF化
⑨会議資料・研修資料
このくらいでしょうか。
①は必要ですね。ただ今は対面営業はあまり求められていないでしょうから、しばらくは印刷の機会は減りそうです。
②③は正式な契約書以外はすぐにでも無くせそうです。社内稟議を紙でやっていた会社もWEBに切り替えるよいタイミングだと思います。
④⑤も、偉い人には紙で説明してましたが、WEBミーティングで、モニターを見てもらえばいいわけです。
⑥は、確かに印刷した方が見やすいですが、2ヶ月間在宅勤務して、複合機が無い前提だと慣れます。ただ、出勤したらいろいろ印刷してしまったので、あれば使ってしまいます。
無くてもいいけどあればあったで使ってしまうが最もやっかいですね。
⑦ですが、未だに小さい取引先はFAXで注文して下さいと言われる事がありますが、PDFでメールにしてもらえないかと交渉するのがいいのかなと思います。
確かに、紙でファイリングすればそれで台帳が出来るので便利と言えば便利なんでしょうけど、ちょっともうそういう時代じゃないと言いたいですよね。
⑧はもともと紙さえなければ電子化も不要な訳で、不必要ではないでしょうか。
⑨は、会議資料はすぐに紙廃止で、研修資料は演習なんかで使うことがあったりするので、すぐの廃止は無理そうですね。
ということは、営業部門と研修を内製化している部門以外は、ゼロックスさんには申し訳ないですが、複合機を廃止出来ると思います。
そして、複合機を廃止出来ると追加メリットもある訳です。
トナー交換が不要、複合機の調子が悪いときの業者さんへの連絡が不要、シュレッダーも不要、シュレッダーはしない再生用紙用のゴミ箱不要などです。
複合機を入れている事による付帯業務まで不要になる訳ですね。
ホワイトカラーが業務レベルで生産性向上が難しいのが、こういうちょっとした業務がミルフィーユの層のように重なっていき、総量としては馬鹿に出来ない分量になっていると言う事です。
そして、業務のミルフィーユの層が重なっているとすると、その層を丁寧に一枚ずつ剥いでいかなければならない訳ですから、そんな面倒くさい改善にはなかなか誰も手を付けないという事なのだと思います。
ただ、これは業務レベルの生産性向上であるので、会社単位で見た場合は人的リソースの最適配置の実施という解決策が必要です。
また、日本全体で生産性向上を見た場合は、デービッド・アトキンソン氏が言うように、不採算の会社は市場から退出して、規模の経済でリソースを最適化させるというのが解決策になると思います。
経済合理性から言いますと、規模の経済で分業化すべきと言うのが生産性向上に効くファイナルアンサーだとは頭では理解出来ます。
例えば新型コロナウイルスの影響で運転資金が1ヶ月で底をつくような会社は市場から退出すべきだというのがアトキンソンさんの立場だと思うのですが、夫婦で食堂を経営していたとして、値上げせずになんとか頑張っているというお店は潰れるべきなのかと言うと、頑張ってほしいと思いますし、難しいですね。
でも、僕の目の前にある複合機はなくても問題ないと思います。
ゼロックスさんには申し訳ないですが、はい。