Search Console

さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

みずほ銀行のシステム障害に関する考察

さぷさんです。ついに上司に暇だとバレまして、仕事がやたら増えました。働かないおじさんから働くおじさんに戻りたいと思います。

さて、みずほ銀行はトラブルが続出したり、デリバティブで損害が100億円規模になりそうだったりと散々な新年度スタートになってしまっております。

件のシステム障害ですが、4/1付けの日経新聞朝刊の記事によると「制御などに関する組織的なスキルやノウハウが低下するとともに、横断的なチェックや統制が十分に機能しなくなっていた」という事です。

ATMで障害が発生したのが2/28(日)の朝ですが、上記と同じ日経新聞記事で「ATMが広範囲で止まっていると担当部へ情報が上がったのは午後1時過ぎ。幹部が全拠点に出勤を指示したのは午後2時半ごろだったが、休日でメールを閲覧できる端末を携行していない管理職が多かった。本部が顧客への対応で明確な指示を出したのも午後5時半と後手に回った」との記載がありました。

僕もシステム会社勤務のときは会社の携帯電話を持たされ、土日に電話がかかってきたら即トラブルという事な訳でありますから、怯えながら過ごしていた記憶がありますが、みずほ銀行のシステム担当者は携帯電話の携行が徹底されていなかったという事になると思います。

携帯電話の常時携行が徹底されていないと言うことは、おそらくATM障害発生時の対応フローも存在していないだろうと言う事が推測されます。

システム界のサグラダ・ファミリア教会との汚名を晴らしたMINORIが稼働したのが2019年7月で、1年半も立たずにまた障害かと思いたくなりますが、一旦冷静になる必要があります。

みずほ銀行を擁護する訳ではありませんが、システムの構築の失敗と運用の失敗は別物です。

システムが無事カットオーバーし、初期トラブルが収束して安定稼働期に入り、何かしらの大規模メンテナンスが入った時のトラブルのようですから、完成させたはよかったものの、このフェーズの対応を全く考慮していなかったという事になると思います。

残念ながら、経営マターとして取り扱われていたMINORIのプロジェクトが終了し、みずほ銀行のシステム部門の立場がまた弱くなってしまったのではないかと推測しています。

そしてなぜ2/28に大規模なメンテナンスを強行してしまったのかという理由は、推測ではありますが、当年度中に実施すると計画していたものの、準備が遅くなってしまい、3月にやるよりも2月中になんとか終わらせたいというような理由かもしれません。弊社でも3月に入ってから、当年度納期の依頼がやたら入ってきたりしますので、他社様の事をどうこう言える立場ではありません。

立場が弱くなるというのは、エース人材と予算が情報システム部門にはあまり分配されず、立場の強い部門の言いなりになると言う事です。

確かに、稼いでいる部門ではないのですが、社会インフラを支える部門でありますから、この構造が変わらない限り、また同じ事が起こると思います。

組織的なガバナンスを効かせる為には、エース人材を情報システム部門のトップに据えて、社会インフラ部分も含めて他部門に物申せる体制にしつつ、大規模メンテナンスの際のシナリオ作成を充実させ、失敗の際のロールバック等の対応も準備をするという真っ当な対策を行っていくしかないかなと思います。

子供>家>>>>>僕の健康>>>>>>>>僕自身

さぷさんです。最近引っ越しをしまして、嫁と子供二人との生活になりました。それまでは単身赴任生活が一年ほど続いておりました。

このような状況下ですから、東京=新型コロナウイルスみたいに思われている地方において、ネットよりもクチコミが光速で伝わる自宅には全く帰れず、家族よりもほぼ毎日配信をしているバーチャルyoutuberに親近感を覚えるちょっとアレな状況でしたが、個人的には日常が戻ってきました。

そんな中で、ほぼこの一年強を女手ひとつで子供二人を育てた妻にはさらに頭が上がらなくなってしまったのですが、引っ越しの中での妻とのやりとりと以前から思っていたことが一致したのでその事について久しぶりにエントリーを書いてみようと思います。

引っ越し準備をアレコレしていた中で、僕は家族よりもちょっと早く転居先に移動して生活していたのですが、妻が「引っ越し先に着いてからトイレットペーパーを買うのは面倒だから、買って持っていこうと思う」というご発生がありまして、そこで僕が「いやいや、先に転居先に住んでるからトイレットペーパーは買ってるよ」と言ったところ、「ああ、そうね」というやりとりがありました。

続けまして僕が「ほんとにパートナーに対して興味がないのねえ」とやや嫌味を言ってしまったところ、「あなたがほとんど帰ってこないから切れた電球を変えるとか全部自分でやらないといけなかったし、仕方ないでしょ」とピシャリと言われました。1ミクロンたりとも反論の余地はありません。

今を遡ること10数年前は永遠の愛を誓ったはずの二人ですが、人間の認知リソースは有限です。子供二人とグッドハウスキーピングに認知リソースを全振りして行使していたら、僕に残るものはないのも当然です。

それは僕も僕とて同じ話で、嫁が髪を切っても全然気が付かない訳でして、全く持ってお互い様だと思います。

そういう僕に塩対応(しつこいですが、お互い様ではあります)の嫁さんではありますが、単身赴任の時には料理を作ってクール宅急便で送ってくれる気遣いはしてくれていて、とてもありがたい話でした。

しかし、僕も自炊はするタイプなので、単身赴任寮の小さい冷蔵庫は既にパンパンな中で、泣きそうになりながら全部食べた昨年夏の出来事な訳ですが、僕の体調はとても気遣ってくれております。

ちなみに僕の母親も母親でたまに実家に顔を出しますと、帰り際に食べ物をいろいろ持たせてくれますし、妻のお母さんも食料品をかなりの頻度で送ってきてくれますから、たった3人の例ですが、女性はかなり食に対して認知リソース及び行動を割くような事になっているのかなと思っています。

やはり人類の長い進化の歴史の中で、狩猟時代は今日明日の食糧確保が最重要課題だった訳ですから、その行動原理は根強く残るという事ではないかと思っています。

ですので、日本では年間60万組くらいのカップルが結婚し、20万組くらいが離婚を選択しますが、夫婦はお互い興味がなくなるといいますか、興味の主体がおそらく本能に近いレベルで変化していくということを前向きに捉える必要があるのかなと思っています。

但し、我々は他人を思い遣る知恵を持っているホモサピエンスですから、自分の本能に近いかもしれないレベルでの行動原理さえ認識出来れば、是正の為の行動をする事が出来ると思うんですよね。

繰り返しになりますが、私達の行動原理の多くは、狩猟時代の名残を多分に引き継いでいますから、例えば旧石器時代は今から約3万8千年前から1万6千年前まで約2万2千年間も続いた中で、約4万年かけて人類が生きるために身に着けてきた行動の発露が嫁さんの行動である可能性は高いと思う訳です。

貧困などのニュースで大変痛ましいケースはありますが、相対的に見て人類史として稀見る平和で飽食な時代においてのミスマッチが発生しているとしたら、個人の責任に帰すのは難しいと思うんですよね。

「ウマ娘」と「豆腐」から生産性向上とは何かを考える

さぷさんです。最近のヘビロテはうまぴょい伝説なのですが、僕の子供たちへの遺言は「ソシャゲには手を出すな」と「マンションを買うなら駅チカにしろ」の予定でしたが、前者は僕自身が守れませんでした。少なくともメジロマックイーン様でURAファイナルズを制覇するまでは。

さて、そういう訳でして今僕は充実したウマ娘ライフを送っておりますのでブログを更新する暇がなくて大変困っているのですが、「ウマ娘」と唐突で恐縮ですが「豆腐」から生産性向上の本質に迫ってみたいと思います。

ウマ娘について〉
メジロマックイーン様の育成がかなり厳しいような気がしており、そろそろ本気で課金を検討せねばならない。。という僕の今の一番の困り事はとりあえず脇に置いておきまして、ソシャゲにあるまじきクオリティ高さのウマ娘についてまず語らねばなりません。

パブリッシャーはご存知Cygames様で、渋谷区方向に足を向けて寝れないわけですが、直近の流動資産が800億円もあるんですよね。

任天堂などもそうですが、当たり外れの大きいゲーム業界は手元資金を厚めにするのがセオリーと言われていますが、相当な積み方です。

また、2020年9月期の決算はホームページを見ますと以下のとおりです。(9月決算なんですね)

Cygamesの2020年9月期の決算は、売上高1104億0600万円(前の期比1.6%増)、営業利益248億8800万円、経常利益243億1400万円(同24.5%増)、最終利益161億3300万円(同43.6%増)となり、売上高、経常利益、最終利益は過去最高を更新した。

まさかこんなに業績が良い会社だとは知りませんでした。弊社の営業利益率の何倍なのでしょうか。Cygames恐るべしです。

当初ウマ娘は2018冬にリリース予定だったそうで、口の悪い人はソシャゲ界のサグラダ・ファミリア教会と言っていたようですが、リリースされるや否やセルラン1位のぶっちぎりツインターボ様状態な訳でして、時間とお金と人を相当投入しましたよね、という事かと思います。

売上と財務状況が盤石ですので、MBAの教科書に出てくるキャッシュカウで稼ぎつつ、新規投資を積極的に行うというビジネスを地で行っている感じが致します。

開発初期の画面をネットで見ると完全に別物ですから、かなり根本的に作り直したと思うんですが、財務余力があるからこそ、大胆に経営判断としてプランBの実行が出来るのだと思います。

これでメジロマックイーン様の育成がもうちょっと難易度低めでしたら言う事無しなのですが、嘘か真かトップ課金者は2700万円という噂もあり、そういう都市伝説みたいな話がもうでてくる所がウマ娘の成功を物語っていると思います。


〈お豆腐について〉
さて、ここで突然お豆腐の話になるんですが、最後にちゃんとまとめるつもりなのでもう少しお付き合い下さい。

全豆連さんのホームページを拝見しますと、豆腐の市場規模は5〜6000億円だそうです。

仮に豆腐の市場規模を6000億円だとして、お豆腐は超成熟産業ですから、これ以上の市場の拡大は望みが薄いと思います。

思考実験として、豆腐メーカーや豆腐関連事業の会社を全部買い占めても6000億円を上回る売上を上げることは難しいということになります。(話を単純にするために事業の独占による値上げはしない事とします)

そうしますと、経営者として固定費の削減くらいしか出来ませんので、小規模拠点の統廃合によるスケールメリットしか求められないと思います。

当たり前ですが、市場規模を超える売上は上げられない訳ですから、自分勤めている会社がどのような市場に位置しているのかを冷静に把握することが重要だと思います。(その上で技術革新などで市場そのものを作り出したり、市場規模を拡大させるのがベストですが、これ以上お豆腐でイノベーションを起こすのはなかなか難しいと思います)

〈DXをがんばれば生産性が上がる的な、、〉
なんと言いますか、日経新聞を読んでいるとDXが生産性向上の鍵みたいな書かれ方をしていて、弊社でもDXブームみたいになっていますが、例えば営業日報が活用されていないみたいな話になって、データを確認してみたところ、失注の理由が「昨今のコロナ禍で通常の営業活動が出来ず、訪問ができていなかった所、他社が受注してしまいました。大変申し訳ございません」みたいな作文を目にしてしまう訳ですが、別に謝らなくてよいのでこっちは定量的なデータがほしいのでプルダウンにしてほしいんですが、現場サイドは作文による誠意が大切だと思っていて、「訪問不足による失注」というプルダウン項目化はまかりならんみたいな感じになってしまう訳です。

これは極端な例ですが、DXはあくまで手段の一つである訳ですから、そもそも頭打の市場で闘っていたり、自社の商品に競争力がなかったら話になりませんから、そういうもっと大きな前提があっての手段としてのDXであるべきだと思います。

やはり日本は未だに八百万の神のいる国で、その神様の一人であられるDX神に祈っておけばなんとかなるという、古典的アニミズムから抜け出せていないのが、2021年での我らがジャパンの状態だと思います。戦艦大和しかり、神風しかり、なんか象徴的なモノを祀っておけばなんとかなるという、このメンタリティは少なくとも数千年かけて形成されていますから、日本人の宿痾として治そうとして治せるものではないと思います。

〈それでもって生産性って結局何?〉
ようやく結論ですが、もう少しで終わりますのでブラウザバックしないで下さい(懇願)

生産性の定義をいろいろ調べましたが、日本生産性本部のホームページにあった「経営資源のインプットに対するアウトプット」という定義が一番シンプルでよかったです。(もっと複雑な事ももちろん書いてあります)

つまり、生産性とはヒトモノカネを投入したリターンとしての利益というしごく分かりやすいものだということが分かりました。

ということは、ヒトモノカネをおそらく大量に注ぎ込んでリリースが2年遅れたものの大成功中のウマ娘は生産性が高く、お豆腐については劇的な生産性向上というのはそもそもなかなか難しいのではないかというのが僕の結論です。

そして、生産性向上のカギがDXだというのも誤解を恐れずに言うと多分間違いで、経営者が日経新聞を斜め読みして、担当者を呼んで「ちょっとDX検討して」と言ってもおそらく担当者が能力とヒトモノカネと権限があれば既に出来ているでしょうから、「同じことを続けているのに違う結果を求めるのは狂気だ」とアインシュタインが言ったとか言わないとか言われていますが、経営資源を投入しない事には変化など出来ないし、現場の現有戦力のみのガンバリズムにすがっているような会社では生産性の向上は見込めないと言うことなのだと思います。

アクセスについて

さぷさんです。一年前に名刺を作ったのですが、一枚たりとも使っていない事に気が付きました。うすうす不要不急の人材と思ってましたが、ガチでした。

さて、そんな不要不急人材の不要不急ブログなのですが、日におそらくだいたい10〜20人位の方に見ていただいていると思っています。

そういう訳で僕的には丁度いいくらいのお気楽ブログライフを送っているのですが、一週間ほど前にいきなり1日90アクセスくらいありました。

たまにはてなブログさんのアクセスカウンターは、はてな的な動きをする事があるのでまたそれかなと思ったんですが(ごめんなさい)、どうも過去エントリーが2ちゃんねるに貼り付けられたみたいで僕のブログにしては事件(事故かしらね)的なアクセスの上がり方でした。

みずほ銀行のシステム統合のエントリなんですが、元コボラーの経験をふんだんに記事に盛り込みましたので、まさかブログに「0C7でアベンド」とか出てこないでしょうから、一部のマニアックな人の目に止まったのだと思います。

しかし、異常値は標準に回帰致しますので、また1日10〜20アクセスののんびりお気楽ブログに戻りつつあります。

3年くらい前からブログを初めて、今トータルで15000アクセスちょいですから、ちょうど1日15アクセスくらいですね。あと今まで頂いたコメントは2件です。ありがたい次第です。

あといつも見ていただいている奇特な方は多分3人くらいいらっしゃると思ってるんですけど、いつもありがとうございます。僕は元気です。

さて、ブログのアクセスアップ術は世の中に腐るほどある訳ですが、その中にSNSで公開するとアクセスが上がるというのがありますが、僕はSNSはやっていません。(というかやめました)

SNSは芸能人かよっぽどのインフルエンサーでもない限り、基本的にいいねと返信の共依存関係ですから、僕もTwitterで確か100人くらいにフォロー頂いておりましたけれども、タイムラインで見慣れたアイコンを見つけたらとりあえず内容をろくに確認もせずにいいねを押すという行為が単純にあほらしくなってしまい、アカウントごと沼に沈めました(ツイッタラーの方ごめんなさい。個人の感想です)

ですので、そんな涙ぐましい努力をしていいねやリツイートやブログアクセスを上げることになんの価値があるのかと今は冷静に思えますが、なりふり構わずアクセスを上げることはしなくなったとはいえ、ブログアクセスは気になりますのでちょいちょい見てしまいます。

この前スマホ脳を読んだのですが、おそらくこのアクセス数は、脳を直接ハックしに来るタイプの欲求なのでなかなかやっかいだと思っています。

そういう意味でSNSと同じかもしれませんが、Twitterみたいな脊髄反射的な早さではないような気がするのでまだましかなと思っています。

数年前のツイートなどはほぼ誰も見向きもしませんが、1年前のエントリが急に見てもらえる事はブログにはある訳ですからね。

あと思うのが、SNSは渋谷のスクランブル交差点でいろんな人が行き来している往来の中心でハッシュタグを叫ぶってイメージなんですが、ブログだけを淡々とやるのは神保町の古書街の裏路地で看板も掲げずにマニアックな品揃えをしている本屋みたいなイメージなんですよね。僕は後者でありたいと思っています。(いったいどうやってこのブログにたどり着いたんですか、地図にのせてないのに。という感じですね)

という事で今回のエントリには特にオチはありません。皆様の素敵なネットライフをお祈り申し上げます。

モテる方法について、15年前の女子との会話

さぷさんです。バレンタインで次男がチョコレートをもらい、長男は貰えなくてすねていたので、長男に「小学生の時にチョコをくれた女の子と結婚する人はまずいない。いくらモテても日本だと結婚できる相手は一人だけ。父さんみたいに素敵な人と出会わなきゃ意味がないよ」と我ながら完璧な回答をしたところ、妻から「うそはやめなさいよ」と言われました。なぜなのでしょうか。

さて、かれこれ15年ほど前、僕がまだ20代でブラック企業のITベンチャーで働いてた頃、確か深夜にも関わらず人が大量にいるオフィスで雑談になった時の話を思い出したので書いてみます。

15年前ですし、僕も若かったのですが、今の時代だとややアウトかもしれないので、ジェンダー的なポリティカルネスを重視されている方はここでブラウザバックをして頂けますと幸いです。

本題を始める前に、どういう労働状況だったか言いますと、朝は比較的遅めの出社でよいのですが、とにかく残業が多く、毎日終電かタクシーでした。

そして、忙し過ぎて日中雑談する余裕はほぼないのですが、終電を諦めた金曜の深夜はちょっと雑談したりするような状況でした。

今はホワイト企業で働かないおじさんをしている身としては、本当にサステイナブルではない働き方をしていました。

逆に今の自分の立場もサステイナブルではないと思いますので、身の処し方は常に戦略的でならねばならずと思いながら、もう43歳なのでヤバいなと思っています。

さて、本エントリーを見たくない方はブラウザバックして頂けたと思いますので本編を始めます。

Aさん(確か20代半ばの女子)と当時まだ20代後半だった僕との深夜25時頃のまだ人がたくさんいるオフィスでの会話です。

Aさん「さぷさんさん、あたしぶっちゃけ全然モテないんですけど。デートに行っても進展しないというか。。。」

僕「Aさんは、ボーイッシュというか、ショートヘアだし、スカート履いてるとこも見たことないし、性格サバサバだし、付き合いたいというか、一緒に飲みに行きたいタイプだよね」

Aさん「ひどーい、これでも昔付き合ってた事くらいありますよ!どうしたらモテますか?既婚者の意見を聞かせてほしいんですけど。。。」

僕「そうねえ、、セクハラって言わないなら、手っ取り早くて効果的な方法があるけど」

Aさん「言いません!言いません!教えて下さい!」

僕「下着を買ったらいいと思う。日頃絶対買わないようなめちゃくちゃセクシーなやつ」

Aさん「下着ですか?スカートではなく?」

僕「多分セクシーな下着にすると、服は変わってなくても身のこなしが変わってくると思うんだよね。例えば落ちたものを拾うときとか。男って基本的にはバカなんだけど、そういう所って何故か直感的にわかって、なんか相手をいいなって思うんだよ。バカだから(笑)」

Aさん「なるほど、私上下違う下着の日とかありますからね」

僕「そうそう、Aさんはそんなイメージ。日頃買わないようなお店に行って、店員さんに選んでもらったらいいんじゃない?あ、報告はいらないけど」

Aさん「分かりました。週末デパートに行ってみたいと思います」

僕「あと、やはりベタだけどデートはスカートがいいと思うわ」

Aさん「やっぱりそうですかねえ。。」

僕「あと、Aさんはフレグランス付けないでしょ。昔使ってたやつで、嫁から結婚したのにフレグランスとか、色気づくなと言われてて使ってないから今度持ってくるわ。パコラバンヌのさわやかなやつだからAさんにも合うと思う」

Aさん「まじすか?!ありがとうございます!」

という事で僕のアドバイスが功を奏したのかどうか分かりませんが、しばらくしたあとに彼が出来たようで喜んでいました。

ただ、結局上手くいかなくて別れたそうで、その時もちょっと話を聞いたのですが、年上の男性で自分中心だったのでついていけなかったとの事でした。

その時に「(15年前の僕の偏った意見です)30過ぎて結婚していない男はよっぽど出会いがなかったか、何か致命的な欠陥があるので用心してかかったほうがいい」と言った記憶があります。

ただ、令和の今、30代前半で結婚したらむしろ早いんじゃないかくらいの感覚ですから、この15年で世の中も大分変わったように思えます。

そして、このエントリーを見て、同様のアドバイスとかは絶対にやめたほうがいいと思います。令和の今はアウトになる確率が非常に高いです。

セクハラとは女性が性的な文脈として捕えて嫌だと思ったらそれはもうセクハラです。男性側の抗弁は認められません。

ただ、ここが大変不公平なのですが、女性側が好意を抱いている場合はOKになるケースもあるのですが、それは竹内涼真級のイケメンでさわやかで清潔で誠実で不倫とかしなそうという現実にはほぼいないような上司に限られます。

迷ったら控えるというのが鉄則ですのでくれぐれもお気をつけ下さい。(僕も若気の至りでしたが、今は同じ相手に同じ状況になっても絶対に言わないと思います)

なぜ私たちはエヴァンゲリオンに熱狂せざるを得ないのか

さぷさんです。大学生の頃に深夜に再放送していたエヴァにどハマりし、旧劇はスルーしましたが、新劇場版は「序」「破」「Q」を見た(と言ってもアマゾンプライムビデオですが)エヴァ中級者です。

いよいよ3月8日に『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開されますが、なぜ私たちはここまでエヴァに熱狂せざるを得ないのかちょっと考えてみたいと思います。

エヴァは謎の考察が盛んですが、岡田斗司夫の「エヴァはその場その場の盛り上がりを重視していて整合性は考えてないと思う」という発言でしたり、オリラジ中田の「エヴァは現代の神話。神話は整合性が取れてなくて当たり前」というエヴァが好きすぎるが故の全肯定もあったりしますが、僕も謎の整合性にはあまり興味がなく、熱狂の正体の方が興味があります。

と言う事でエヴァというよりもエヴァの制作者である庵野秀明監督にフォーカスしつつ、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のラストについても考えてみたいと思います。


<壮絶な自己嫌悪>
「人間以前に、生物嫌いですね。動物も好きじゃないです。僕が肉や魚を食わないのも、たぶん、嫌いなんですね。そんな気持ち悪いもの食えるか、と思うんですけどね。まだ明解な答えとなってはいなんですけど」(庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン

庵野秀明は親が殴ろうが蹴ろうが肉類は食べなかったそうですが、以前何かでハムサンドのハムを外してサンドイッチを食べているのを見たような記憶があり、かなり驚きました。また、あれだけ絵が上手いにも関わらず、人物が全く書けないのでナウシカ巨神兵のシーンを書いていた時にしびれを切らした宮崎駿が「人物はマルチョンでいいから」と言ったエピソードも読んだことがあります。

誤解を恐れずに言うと、庵野秀明は自己嫌悪の感情が強すぎて、生き物に対する同族嫌悪として肉や魚を食べない、人物が描けないという表面としての現象が出現してしまったと考えています。このコンプレックスがどこに由来しているかはわかりませんが、ここまで強い自己嫌悪はなかなかないように思います。

一方で生徒会長を務める優等生的な側面もあったようなので、(師匠筋の宮崎駿にも通じる)相当に矛盾したものを抱え込んだ人物なのではないかと言えるのではないでしょうか。

また、エヴァンゲリオン庵野秀明が企画からすべて担当した最初の作品であるため(ナディアは他の監督が降りての緊急登板だったそうです)、庵野秀明の負の感情全てが作品に投影されてしまっているのだと思います。


<コピーのコピーのコピー>
「もっと認識すべきだと思うんですよ、僕らには何もないっていう事を。(中略)テレビしか僕らにはないんですよ。(中略)僕らの前の世代には、戦争というかなり大きく組み上げられたイベントがありますからね」(庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

僕は趣味で絵を書くのですが、絵に一番情報を入れられるのは現地で絵を書く事です。その場所の空気感だったり、やろうと思えばモノを実際触ってみて感触も確かめることが出来ます。その次は写真を見ながら描く事でありまして、一番ふわっとした絵になってしまうのは、他人の書いた絵を参考にして書いた時です。

絵を書く際は何かしら取捨選択をした結果が反映されますから、意識的であれ無意識であれ表現として切り落としたものは、コピーする側には見えず、本物の作品の劣化バージョンにしかならないというのが体感としてあります。

庵野秀明は自分がコピーの存在であることに極めて自覚的ですが、それは庵野秀明が愛してやまない「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」「ウルトラマン」などが、戦争を直接経験した世代の作品であることが影を落としています。

また、庵野秀明の師匠筋に当たる宮崎駿も事あるごとに「空襲から車で逃げる際に、親が近隣に住む母子を見捨てた(但し兄の証言は異なる)」という体験の罪悪感を何度もインタビューで語っています。

宮崎駿が「生きろ」「生きねば」という言葉を発する重みは、残念ながら庵野秀明にはありません。誤解を恐れずに言いますと、庵野秀明は戦争体験を欲しているのではないかと推測しています。


<リアリティへの狂気ともいえるこだわり>
「(スケジュールの都合で)外に出したら、それがちょっと不本意な仕事だった。それで再出しするにはお金がかかるけど、そのお金はないわけ。それで美監に頭を下げて「君が直してくれ」って頼むわけだけれども、「時間がないし、やってやれないよ」と美監が言うわけですよね。そうするとしばらく下向いてて、ブルブルブルッて全身が震え出す。で、いきなりその辺の本棚に、頭をガーン、ガーンとぶつけだして(笑)。涙ボロボロ流しながら「チクショーッ、チクショーッ」とか言い始めて。(中略)それで皆が徹夜で直すっていうような状態ですよ」(庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

上記は「トップをねらえ」の作成中のエピソードなのですが、庵野秀明の作品に対する過剰なこだわりというのは、おそらく自分をコピーだと自認しているが故に、自己表現の手段でもあるアニメにおいて、納得できないクオリティというのは自己存在に関わる重大な問題ですから、上記のようなかなり衝撃的な行動に出てしまうのだと思います。

王立宇宙軍オネアミスの翼」の宇宙ロケット発射シーンで、ロケット表面についた薄氷が振動で落ちていく驚異的な手書きアニメーションのシーンがありますが、あのシーンもコピーであるという事への嫌悪の裏返しであると考えられるような気がします。

この動画の3分50秒くらいのシーンですね。これが全部手書きとは。。。
www.youtube.com

あと、大学生の時に作った「じょうぶなタイヤ」も恐ろしいクオリティです。
www.youtube.com

エヴァンゲリオン葛城ミサトさんがいう「この次も、サービスサービスぅ」とは、決してエロ的な内容についてだけではなくて、作画やシナリオのクオリティの事も含まれているという事になると思っています。


<ATフィールド>
www.youtube.com

上記のYoutube動画は庵野秀明22歳時の恐ろしくレベルの高い同人作品ですが、22分12秒のシーンでATフィールドのようなものが出てきます。この時点ですでにATフィールドに似た発想があったという事に驚きます。

ATフィールドの発想の理由について、おそらく庵野秀明は生まれつき相当に感受性が高かったのではないかと思っています。スキゾ・エヴァンゲリオンやパラノ・エヴァンゲリオンに生い立ちの貴重なインタビューがありますが、幼少期に宮崎駿のような強烈なエピソードは出てきません。おそらく、傍から見ればそこまで波乱万丈のある幼少期や青年期ではなかったと思うのですが、感受性の強さからATフィールドみたいなものを想像しないと自分が守れなかったのではないかと想像しています。


<チルドレン>
「シンジ君って昔の庵野さんなんですかって聞かれるんですが、違うんですよ。シンジ君は今の僕です(笑)」
「『エヴァ』のキャラクターは全員、僕という人格を中心に出来ている合成人格なんですけど、(中略)平たく言えば僕個人があのフィルムに投影されているってことですね」(庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

上の発言からすると、エヴァのチルドレンは、碇シンジ綾波レイ、惣流(敷波)・アスカ・ラングレー、渚カヲル真希波・マリ・イラストリアスの5人いる中で、この5人全部が庵野秀明の人格の一部を誇張したものだという事になります。

庵野秀明曰く、綾波レイが一番自分に近いそうですが、それは上記の通り自分が空っぽであるとの認識によるものなのでしょう。その一方で勝気なアスカは、作画での類まれなる才能の部分が特化されており、それをさらに突き詰めるとカヲルになると思うのですが、完璧すぎますし(その割にはQで騙されてますが)、敵になってしまう所に庵野秀明の精神の暗闇の深さを感じてしまいます。

そんな中でマリは14歳よりは大人びて見えますし、性格も前向きでよく歌いながらエヴァに搭乗していますが、これはおそらく統合人格として創出されたキャラクターなのでしょう。安野モヨコの「監督不行届」では、庵野秀明がよくアニメソングを歌いながら車を運転しており、こういった部分がマリに反映されているのだと思います。

そういう意味で、以下のリンク先にある「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」の線路のポスターは人格の統合と捉えることが出来るかもしれません。基本的には直線の線路の先にシンジ君がいるわけですが、脇から線路が2本合流しており、何かの統合を思わせるものです。(人類補完計画は達成されないと思いますので、LCLで溶けて一つになるとかではないと思いますが)

また、気になるのが左端に行き止まりがある事です。これはもしかすると主要な人物の死を暗示しているかもしれません。(このようにエヴァは深読みしようと思えばいくらでも考察できるところが楽しい所です)

www.msn.com


庵野秀明の心境の変化>
エヴァQの中で、冬月とシンジ君が将棋を指すシーンがあり、「31手先で君の詰みだ」という考察厨にはたまらないシーンがありますが、そのあとに「ふーむ……これなら楽しめるか?」と将棋崩しをするシーンがあるのですが、この将棋崩しの部分の考察はあまりない様に思えます。

このシーンですが、庵野秀明の若手育成への想いが込められているのではないかと考えています。このエントリーの引用は庵野秀明が30代の頃の内容なので尖っている内容ばかりでしたが、おそらく歳を重ねるにつれて落ち着いた部分が出てきたのではないかと思っています。

以前テレビ番組でアニメーターを育成するために「日本アニメ(ーター)見本市」というスタジオカラードワンゴによる企画を庵野秀明は立ち上げていますが、おそらくそれは自分がダイコンフィルムで力を付けたという経験があり、それを今の若手の育成の場としたいという思いがあったのではないでしょうか。

そして人を育成するためには、場合によってその人のレベルに応じた教え方をしなければならないというのがあのシーンでの庵野秀明のメッセージではなかったかと思うのです。

「日本アニメ(ーター)見本市」の告知PVです。勢いを感じますよね。
www.youtube.com

こちらが庵野秀明も参加したDaicon IV(大阪で開かれた4回目のSF大会だったので、大阪でのconventionなのでDaiconだそうです)
版権関係がおおらか(汗)ですが、上の動画と雰囲気は似ていますよね。
www.youtube.com


<突然ですが、村上春樹
「俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ。俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。」(ノルウェイの森

僕は高校生の時に「ノルウェイの森」を読んだのですが、感想は「暗いな、よくわからないな、でもエロいな」でした。そしてこの「暗いな、よくわからないな、でもエロいな」という感想は、エヴァンゲリオンの感想にそのまま当てはまります。

僕の村上春樹の理解は「ある日突然不幸が訪れる」と「他者との分かり合えなさ」だと思っておりまして、分かり合おうとするための手段としてのセックス描写が多かったのだと、今はなんとなくわかりますが、当時はさっぱり分かりませんでした。

そしてこの「ある日突然不幸が訪れる」と「他者との分かり合えなさ」というのエヴァにも当てはまるテーマだと思います。テレビ版1話では意味不明なままエヴァに載せられ、エヴァQでは良かれと思ったことが全て裏目に出るシンジ君は村上小説の主人公のそれと言えるかもしれません。

また、エヴァの登場人物は基本的にまともな人間が一人もいないという不安定さの中で物語が進みます。分かり合えたと思った直後に意思の疎通が出来なくなったりしますし、ゼーレはゼーレで人類補完計画という全人類の人体を一回溶かして一つにするという中二病的な計画を実行しようとしていたりして、人と分かり合いたいのに何か間違っているというエヴァ全体のいびつなコミュニケーションの特徴を感じます。(セックスの忌避みたいなものを感じるので、これはこれで興味深いですが)

ですので、エヴァンゲリオンは、純文学との親和性が非常に高く、私たち現代人が漠然と抱える悩みと同じものを主人公たちも抱えている訳であり、キャラクターに深く感情移入が出来るのだと思います。戦闘シーンに目を奪われますが、この漠然とした不安と他者との分かり合えなさがエヴァへの熱狂の正体だと思っています。


<唐突ですが、シン・ウルトラマン
shin-ultraman.jp

2021年夏に公開のシン・ウルトラマンの情報も徐々に公開されるようになってきましたが、タイトルのキャッチコピーに驚きました。「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」です。

元ネタがあるようでして、初代ウルトラマンの最終話でゾフィーが「ウルトラマン、そんなに地球人が好きになったのか」というようなのですが、僕はもう一つの理解をしています。

庵野秀明ウルトラマンを演じているYoutube動画を貼り付けましたが、庵野秀明ウルトラマンなのですよね。お面すら被っていません。庵野秀明は本当にウルトラマンになりたいのだと思います。ご本人曰くまだ14歳ということですし。

という事は、「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」は「そんなに人間が好きになったのか、庵野秀明」と言い換えることが出来ると思うのです。

肉と魚を子供のころから口にせず、あれほど絵が上手いのに人間が書けない庵野秀明が、、、と思うとめちゃくちゃ衝撃的でした。

<シン・エヴァンゲリオンのラストは>
個人的には、2人のシンジ君同士が向き合い片方のシンジ君がもう片方のシンジ君に「それでも前に進むしかないんだよ」って感じだったら理想かなと思いました。

私たちは庵野秀明の壮絶な生き様を見せつけられてきた四半世紀だったのではないかと思います。

劣等感と優越感、悲観と達観、希望と絶望を絶えず行き来し、かつありえないほどのエネルギーを内に秘め、モノづくりを通してしか他者とコミュニケーションが出来ない人というのは私たちの想像の範疇を超えています。当然理解できるものではありませんが、いずれにしても映画の公開を楽しみに待ちたいと思います。

「僕らは結局コラージュしか出来ないと思うんですよ。それは仕方ない。オリジナルが存在するとしたら、僕の人生しかない。」(庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

私達のやる事は変わらないという現場の抵抗感の正体

さぷさんです。メーカーのコーポレート部門で不要不急の仕事をしています。

さて、今ぐらいの時期は次年度の組織改定や人事が発表される時期になりますので、メンバーシップ雇用ばりばりの昭和的企業の弊社は「○○さんは△△に行くんだ」とか「□□さんがあのポジションに行くとは」みたいな話が繰り広げられる訳ですが、早くジョブ型雇用になってそういうのがなくなればいいなと思ってます。(僕自身が不要不急人材なので自分の首を締めている気がしなくもないですが)

やはり、弊社を見ていても開発者や現場の技能者は別かもしれませんが、メンバーシップ雇用の弊社の多くの社員は専門性が身に付いていません。

いまのVUCAの世界の中で専門知識がなく、言い方は悪いかもしれませんが特にコーポレート部門の一部は結果的に仕事ごっこみたいな事をしてしまっており、専門性が求められる内容は外部にお金を払って頼む選択肢しかないというと言うことをこれ以上続けていると、会社に取ってはデメリットが益々大きくなってくると思います。

さて、組織改変で「○○推進室」「〇〇企画部」「〇〇改革室」みたいな組織が出来たりしますが、名は体を表すと言いますか、今出来ていないことをやりたいが為にこのような名称が付けられます。

組織改変には、上層部の狙いが当然ある訳ですが、末端の社員にはそれがなかなか伝わらないか、伝わっていても拒否感があったりします。

つい最近、大きな組織改変がある部門の社員とビジネスチャットしていた時に、「組織改変で大変だねー」と伝えたところ「でもやる事は変わりませんから」と返信がありました。

まあ確かに実態はとりあえずそうなのかもしれませんが、理想を言うと組織改変の目的に応じて日々の仕事が変わっていくはずです。

日々の仕事が変わると言うことは、昨日やっていた仕事と今日の仕事が変わる筈です。

このような現場の抵抗感というものの正体は正常性バイアスなのではないかと最近思っています。

正常性バイアスは、予期せぬ出来事に対して人は鈍感になってしまう現象で、災害時の逃げ遅れなどの理由としてあげられたりしますが、社員本人が想定していない状況に置かれるとこの正常性バイアスが働き、鈍感になってしまうのではないかという仮説です。

ですので、このような組織ができた時は特にマネージャーが重要で、組織の目的と目的達成の手段を明確にして、仕事の棚卸しを行い、新しくやる事とやめる事の仕訳をしなければなりません。

組織としての仕事全体をデザイン出来る力と、それを達成する日々の積み上げのスタッフの仕事の両方を理解して判断出来るマネージャー人材が必要なんですが、なかなかいないのが正直な所で、「〇〇改革室」が出来てもいつの間にか解体されてたりします。会社も本気なのであれば、エース人材とそれなりの数のスタッフを付けるという経営判断をしないと、失敗する可能性が高くなると思います。