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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

現場のエースを管理部門に抜擢→やる気なくすというデフォルト設定について

さぷさんです。会社の中ではどう贔屓目に見ても2番手集団です。

さて、現場でエース級として活躍していた社員が本社部門に抜擢されてはいいものの、やる気を無くしていくというのはほぼデフォルトとしてあるなあと思うのですが、今回はその事について書いてみます。

僕が知っている営業さんの中で最も強烈だったのが、取引先の先代社長の月命日には必ずとらやの羊羹を持参して、お仏壇にお線香を上げるというのをルーチンにしていた方でして、間違って発注してしまった製品を(最終的には先方納得の上で)買わせてしまう豪のものでした。

仮にAさんとしますが、Aさんの周りには人が自然と集まり、交際費もバンバン使うのですが、それ以上に売上をあげてしまうので本社からもお咎めなしでした。

Aさんの影響力は凄まじく、多くの取引先の社長と懇意にしているので、Aさんが乗ってる車は社長達の目に止まり、ディーラーを紹介するとそのメーカーの車がどんどん売れるようになったので、ついぞディーラーから、格安で高級車に乗ってもらえないかとオファーが来るようになったそうです。

また、そんなAさんですから、後輩にも慕われている中で、後輩から売れる営業マンのコツを聞かれた際には「おまえ、輝け」という全く参考にならないアドバイスをされていたようなのですが、天性の人たらしというのは努力でどうにかなるものではありません。

そんなAさんの成績に目を付けたのか、いよいよ交際費が洒落にならんようになってきたのかは分かりませんが、本社企画部門に抜擢されたのはいいものの、あまりお元気がないようです。

本社企画部門というのは、地味な調査と資料作成と会議と会議のための事前調整がメインなようなものですから、切った張ったの最前線の営業とは異なる綿密さとスキのなさが求められれたりします。

そんななかでAさんはかなり元気がなくなってしまっており、緊急事態宣言が解除されたとはいえあまり飲みに行くような雰囲気でもない中、かなり心配しています。

Aさんみたいな営業の売り方の再現性はないわけであって、個人的には最前線で営業を続けられたほうがいいんじゃないかなと思います。

ただもしかすると、このご時世コンプライアンスが最優先ですから、危なっかしい売り方をしている事の牽制という線もあるかもしれません。

なかなか難しいなと思います。

あやうくアンチになりかけた

さぷさんです。いつも冷静沈着です。

さて、この前あやうくアンチになりかけたのでそのことについて書いてみたいと思います。

最近我が家でうさぎを飼い始めました。血統書付きのネザーランドドワーフの女の子です。動物好きの次男が犬か猫がほしいとずっと言っていたのですが、今住むマンションでは買えず、小動物を買うことにしたのが事の経緯です。
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うさぎを買ってみて分かったのですが、鳴きませんし、草を食べているのでフンやおしっこも臭くなく、餌とトイレは日に一回替えればよいので都市型のペットとしてはとても飼いやすいと思います。

一方で小動物なので、犬や猫みたいにコミュニケーションを取るのは難しいと思いました。また捕食される側の生物ですから、相当に臆病でもあります。

そんな中で僕は、家では掃除担当だったりするので掃除機をかけるわけですが、うちのうさちゃんは掃除機の音にかなりビビっており、掃除機をかけるとゲージの中に置いてある木の家にすぐ逃げ込みます。

また、ブラッシングも僕がやることになってるんですが、前述の通り捕食される側の生き物ですから、押さえつけられることをとても嫌がるのでブラッシングは一苦労です。

そんな中で僕はうさちゃんから、おそらく嫌いな人認定されており、食事やトイレも替えているのに足ダンされるという悲哀を味わっています。

そんな事が続いた中で、ブラッシングの為に捕まえようとして、逃げ回るので退路を塞いでなんとしてでも捕まえようと躍起になっていた時に、うさちゃんが嫌がることをなんとしででも完遂しようというダークサイドに落ちてしまったのではないかとふと思い、ブラッシングを諦めました。

おそらく、この構図はアンチの生成と相似形を成すと思っていまして、ある対象者に対して良かれと思ってしていることを無視されたとか、悪い方にに捉えられたと思ってしまった場合、マイナスでもよいから対象者と関わりを持ちたいという非常に厄介なメンタリティを人は持ってしまうのではないかと思っています。

そして自分も容易にこの様な精神状態になることに気が付き、己のことながら自分の気持ちに恐れを感じました。

一時期は好意を持っていたのに、何らかの理由でエネルギーが負の感情に転嫁した上でそれでもまだコミュニケーションを諦めないというのがアンチの非常に厄介なメンタリティおよびそれに伴う諸行動でありまして、ヤフーニュースあたりが定期的に残念な事案を報じていて、大量のコメントが書き込まれるというを目にします。

そして、だいたいそれは美人にからむ冴えない男というパターンが多いと思うんですが、生殖という本能が絡んでいる分ますます面倒な事になる訳でして、推しにお金を落とすという意味では養分にはなりますが、決して受粉に至る事はないわけでありますから、養分としての立場は常にわきまえないといけないと思います。

なので、自分がダークサイドに落ちたと思ったら、興味の対象から強制的に外さないといけないと思う訳ですが、正常な判断力を失っている状態においては何を言っても無意味というのが実際の所だと思います。

自分に興味を持ってもらえないならそれがマイナスのコミュニケーションであっても取りたいというのは人間の心の負の側面として誰もが持ちうる感情だと思うのですが、その事実は淡々と受け入れなくてはならないと思っています。

ですので、僕はうさちゃんに対してはエサとトイレの交換を淡々と行うだけにしてまして、かわいがるのは嫁と子どもたちがやってますのでそれでいいのかなと思っています。

子供のスパチャにモヤるのは返報性の原理をお金で買っているから

さぷさんです。今のところ特定の推しはいません。

さて、ちょっと前に子供のスパチャにモヤるという記事がバズられておりました。

推しにも友達ライバーにも「投げ銭」。10代に浸透する「スパチャ」、なぜモヤる?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/069ac2f4bc72489758cd8757f6d73333d0fa0380?page=1

こんなマニアックなブログを見に来ている方でスパチャを知らない人はいないと思いますので割愛しますけど、日本はスパチャ大国だそうでして、「推しは押せるときに押せ」というワードは主にバーチャルYouTuberの引退の時によく聞きますが、新型コロナの影響でエンタメ費の行き先がない中でぴたりとハマった側面もあると思っており、これから正常化に向かう中でのスパチャ額の推移は注視して参りたいと思います。

そのスパチャが飛び交うのは新衣装お披露目などの場などですが、トップバーチャルYouTuberは一回の配信で200〜300万円のスパチャが飛び交う狂気の世界が出現しています。(ただ、これらのスパチャを稼ぎ出すのはkson様などの一部の例外を除き、ホロライブかにじさんじ所属のバーチャルYouTuberに限られるでしょうから、それ以外の事務所や個人勢はかなり厳しいと思います)

僕がスパチャを投じたことがあるのは一回だけなのですが、なんとなく見たキズナアイ様の無料ライブがかなり素晴らしかったので、良いものを見せて頂いたライブチケット代として2000円ほど投じたのが人生で今の所最初で最後のスパチャとなります。

この僕の行為が返報性の原理そのものだと思うのですが、返報性の原理とは以下のとおりです。

「人は他人から何らかの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという感情を抱くが、こうした心理をいう。」ウィキペディアより。

人間の御先祖が木から降りて約300万年ですが、役割分担による分業に伴う社会化が進む中で、ギブアンドテイクが我々人類の行動様式として遺伝子レベルで浸透したのではないかと思います。(テイカーや非社会性パーソナリティ障害の方の議論はここではしないことにします)

以前ホロライブの切り抜き動画で、唐突に赤スパチャしたらどうなるのかという反応を集めたものがあったのですが、なかなか興味深いものでした。

普通のゲーム実況で、特に盛り上がっている状況ではないときに無言赤スパチャがコメントに流れると、確か百鬼あやめ様でしたが、かなり困惑されていました。

これは返報性の原理で考えると非常に分かりやすいのですが、今は赤スパチャが流れるタイミングではないので、今以上の神配信を期待されてもちょっと困るという反応だったのだと理解しています。

つまり、スパチャとはお金を媒介としたコミュニケーションになるので、それなりのリターンを返さねばいけないという心理がバーチャルYouTuberの演者側に生じるという構造であるということです。

通常の配信が終わったあとに行われるスパチャ読みも返報性の原理と営業活動の一環だと思っています。

さて、前置きが相当長くなりましたが子供のスパチャの話でした。

そもそも親が子供にお小遣いなり、お年玉をプレゼントするのは、子供にそのお金を有効に使ってもらいたいからです。

お小遣いなので好きに使っていいとは言いますが、基本的にはこの考えが親としては暗黙の了解としてある中で、それがお菓子とかマンガとかであっても、親としてはまあいいかと思う訳です。

お小遣いなら好きに使っていい前提ではありますが、スパチャにモヤるというのは、スパチャによってお金で推しと強制的にコミュニケーションを図ろうとしている側面を親が無意識に感じとってしまうからだと思います。

金でコミュニケーションを買うというのは、キャバクラやホストクラブと全く同じ構造です。普通にしてたら相手をしてくれない若い美人や美男子とコミュニケーションを取るための最終手段がお金を介したやり取りである訳です。

仮に僕の子供が推しにスパチャを送りたいと言ってきた場合は、スパチャ読みを期待していないか、金で押しとのコミュニケーションを買おうとしていないかを問い、それを子供のためと思って渡してるお金でやろうとしているのかということを伝えた上で、そのコミュニケーションの取り方は父さんはあまり好きではないし、人のおカネで行くキャバクラ楽しいかもしらんけど、あまり美しい行為ではないわなと伝えたいと思います。

自分で稼いだお金だったら、別にいいんですけどね。

FIREへの違和感というか妬み

さぷさんです。最近FIRE(Financial Independence, Retire Early)が流行ってるようなのですが、その事について書いてみたいと思います。今回はFIRE達成者への妬みというやや(かなり)みっともないエントリーとなっております。

なんとなくFIREって聞きますと新しい響きのようですが、なんのことは無い「不労所得で生きていく」だと思います。ただ、FIREの特徴は米国株への投資のリターンを生活費とバランスさせるというところがポイントのようで、年4%のリターンを目標に投資していくそうです。

僕は日本株にしか投資していませんが、日経平均のマイナス0.5%位で資産が推移する絶妙なインデックス投信的値動きの含み損ですから、毎年4%の運用実績を出すことができる人というのは相当に優れていると思います。

そして、今はまだFRBや各国の中央銀行政策金利を抑えてますし、日銀はETFで株価を下支えしてますから、素人ながらどう考えても実体経済よりも金融経済の規模が大きく、テーパリングの時期が注目されていますが、危ういバランスでの株高だと思っており、そのうち調整局面を迎えると思います。

FIREが注目されているのも空前の株高が前提であり、ネットの記事を見て自分でもなんとかなりそうという幻想を抱いているのだと思うのですが、現実はそう甘くありません。各国のバランスシートは大幅に悪化している中で、何かがトリガーとなってリセッションに至った場合、FIREどころではなく、WATER
(Work After Tonight to Earn Rewards)になってしまうかもしれません。といいますか、例えば40歳でFIREを達成したとして、80歳まで生きるとして40年間毎年4%のリターンを得続けるというのは、なかなかファンタジーな気がします。

年4%のリターンで生きていくのための元金は7500万円だそうでして、その4%が300万円ですから、この額だと割と慎ましやかな生活となり、結婚も難しそうではあります。

また仮に結婚して子供が出来たとして、その子供がお父さんの仕事何?と聞かれてもかなり困りそうですし、必死で働いて元金を貯めて年4%の運用実績を残しているのがすごいと分かるのは中学生以降でしょうから、子供の教育にはあまり良くないような気もします。(一方で上着はワイシャツで下がジャージで在宅勤務をしている僕ではありますので、同様に子供の教育には微妙な感じではあります)

あと一つ思うのは、能力がある人というのは世の中のほんの一部です。

かなり以前に学生の時の部活のキャプテンで、リーダーシップがあり、人徳もあり、勉強とスポーツが万能である超優秀な友人とご飯を食べに行ったことがあるのですが、「アーリーリタイアメントして、あとは好きなことをしたい」と言っていた事にかなり違和感を覚えた記憶があります。(FIREが注目されるかなり以前の話です)

その友人は大手広告代理店勤務で、めちゃくちゃ美人な奥さんと結婚したので、それに対するひがみを差し引いたとしても、当時の僕の違和感の正体は、優秀な人材はその能力をある程度は社会還元すべきという思いがあったからだと思います。

FIREについては正直羨ましいと思いつつも元金の形成と基本的に死ぬまで株式運用で生きていくのはなかなか現実的ではなく、達成して継続できるのはほんの一人握りの優秀かつ幸運な人で、尚且近年の各国中央銀行の金融緩和が生命線だとすると、やはりファンタジーな生き方ではなかろうかと思います。

狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること

さぷさんです。皆様お元気でしょうか、僕はゆるゆる在宅勤務から週5出社に戻ってしまい、全く元気がありません。

さて、「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること」という言葉はそれなりに有名ですが、ギズモード・ジャパンさんの記事を見るとアインシュタインが言ったわけではなさそうということでした。

https://www.gizmodo.jp/2014/03/9_13.html

アインシュタインが言ってなかったとしても、この格言は味わい深く、平たく言うと「同じことをしてたらそりゃ同じ結果になりますよねえ」だと思うのですが、そんな事例をいくつか思い付くままに書いてみたいと思います。

新型コロナウイルス感染者の劇的な低下〉
最近新型コロナウイルスの感染者が劇的に減っていますが、緊急事態宣言が解除になって、むしろみなさん行動的になっているでしょうから、何か別の要因で減少しているのだと思います。

例えばワクチン接種が進んだので感染しても全く気が付かないとか、ウイルスが急激に弱毒化したとか、例えばそんな事だと思うのですが、誰か説得力のある説明をされていたりするのでしょうか。

〈経営者の悩み〉
「なぜうちはDXが推進できないんだ」でしたり、「イノベーションが進まないのか」など、最近の冴えない日経平均株価も相まって経営者の悩みは尽きないと思いますが、執行側からものすごい無責任なことを言ってしまうと、「ヒト・モノ・カネを同じ配分しかしていなければ、そりゃ出てくるアウトプットも自ずと同じになりますわね」という非常に当たり前の結論になるのではないかと思っています。(会社では口が裂けても言いませんけど)

リソースが一定、または減らされる中では要するに既存要員の根性に頼るしかありませんから、せめて不要不急の業務からの開放をしてほしいなあと思う次第です。ルーチンはノンルーチンを駆逐するという格言も味わい深いものがあります。

あ、あと権限の移譲もお願いします。

〈唯一の例外〉
同じことしかしていないのに違う結果が生じる可能性があることが実は一つありまして、それはギャンブルです。

競馬でも競輪でも競艇でもパチンコでもパチスロでもいいんですが、馬券の買い方やよく行くパチンコ店を変えるとかはまあ変化としては微々たるものだとさせて頂くとして、基本的には賭け事は胴元が勝つようになっていると思うのですが、ギャンブルという同じ行為をしているのに勝ったり負けたりするという現象がギャンブラーの脳の報酬系を刺激するということなのでしょうか。

特にオチはありませんが、こちらからは以上です。

リスキリングの対象から外れる50代大企業社員

さぷさんです。大企業の片隅で働く44歳のおっさんです。一応SEをやってたので会社ではシステムに詳しいことになってます。

さて、10/4付の日経新聞で以下の記事がありました。

社員学び直し「実施」は67% : 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO76293720T01C21A0TB0000/

新型コロナウイルス禍で経営環境が大きく変わるなか、企業はデジタル化などに対応できる専門人材の育成に力を入れる。社員のリスキリング(学び直し)に「取り組んでいる」と答えた企業が67.6%だった。内容を尋ねたところ(複数回答)、「デジタル・プログラミング」が75.5%とトップ。次いで「語学」(57.4%)や「統計・データ解析」(56.4%)、「マーケティング・経営」(56.4%)が続く。」

というような内容でして、「デジタル・プログラミング」と「統計・データ解析」はDXの活用ということでセットで考えた方がいいかなと思います。

といいますか、もっと言いますとDXの最新事例は欧米が先行していそうですし、マーケティングのセンスもDXには必要とされますので全て繋がっているような気がしなくとありません。

そして、記事の中にあるリスキリングの対象者なのですが、トップは30代の36.2%で、今回の記事の主役にしたい50代は19.0%で比率的に最下位でした。

僕はこの記事を読むまでは、リスキリングで今最も重要視されているのはDXであって、一番リスキリングが必要なのは働かない50代の社員だと思っていたので、ロジカルシンキングが苦手な働かないおじさんにDXは地獄だなと思っていたのですが、現実はもっと地獄で、経営層や人事部はそもそも50代の人材には見切りをつけていて、貴重な資本を投下する気は無いということが分かりました。

コーディングが不要なノーコードも注目されていますが、そもそもロジカルに考えを組み立てられないとDXに取り組んだところでろくなアウトプットが出せません。

僕も偉そうな事を言ってますが、今必要とされるのは統計の素養を持ってPythonを扱えるDX人材ですから、その前提でビッグデータを解析せねばならない訳です。

統計というのはややこしい学問でして、まず差が生じないはずという帰無仮説(無に帰したい仮説)を立てまして、それに対して違いが生じるはずという対立仮説を立て、差があるということを証明し、帰無仮説を棄却して対立仮説を採択するというどうしてそういうプロセスにしようと思ったんですかと思わず問わずにはいられない構成になっています。

この前提をクリアした上でのDX人材ですから、まあ50代の働かないおじさんでないとしてとハードルが相当に高いと思っています。

そしてここからが問題なのですが、経験勘度胸で事業計画を立てていたのをDX活用で精度を上げようというのは正論ですが、そもそも内需は人口減で縮小する一方ですから、企業によってはDXを充実させたところでマーケットがどうにもならないという事になってしまっているかもしれません。

50代の働かないおじさんは経営陣も見放してますし、そもそも内需関連企業だとコロナの反動需要はあるかもしれませんが基本はshrinkですから、シェア拡大か身の丈にあった経営をせねばならないということで、あまり先行きは明るくないというエントリーになってしまいました。

岸田内閣に期待したいと思います。

小室圭さんを応援したい。

個人的には小室圭さんを応援したいと思うのでその事について書いてみたいと思います。

マスコミ的にはご成婚が間違いない流れになってきたので、なんとなくお祝いムードに流れを変えつつあるものの、国民感情としては依然として受け入れ難いという状態かなと思っています。

賛成と反対についてはそもそも問いの立て方が異なっているので議論が噛み合わないと思います。

賛成派はおそらく眞子内親王殿下のご意向および結婚は憲法24条で保証されている両性の合意のみに基いて成立するとの権利をフォーカスし、反対派は天皇制の継続と権威低下への反発でしょうから、二者は永遠に混じり合わないと思います。

この問題は国体護持の為に国民一人ひとりが如何様に天皇制を必要としているのかという価値観と密接に結びついていると思うのですが、仮に天皇制がなくなったとして、僕の個人的な変化としては和暦を考える必要がなくなるくらいであって、特に困ることはないだろうというのが正直な感想です。(非国民かもしれずすみません)

日本で一番立場上不便なのは天皇御一家である事は言を俟たないと思いますが、我々国民の為に(生活は保証されているとはいえ)不自由な生活および国民としてのロールモデルを押し付けるのはちょっとどうなんだろうかと思わなくもありません。

そしてそのロールモデルというのは、典型的な核家族です。

これだけ家族の在り方が多様化している中で、高度成長期以降のあるべき家族像は一体どこまで守り抜く必要があるのかというのは一旦留保して考える時期に来ているかもしれないと思います。

あとは皇室の歴史が世界最古とか、そういった日本国としての誇りみたいなものもあると思いますが、その為に天皇家の方々は粛々と立場を守っていかねばならないという前提に対して実際に眞子内親王殿下がNOを突き付けた訳ですから、思考の体操どころか現実問題として「皇族が皇族を離脱したいと宣言した」際の議論というのは必要だと思います。

河合隼雄が喝破したように日本人の心の深層は中空・均衡構造ですから、武家社会の成立以来、基本的には統治と権威が分割された中で、天皇制がなくなったとして権威の部分が中空に置き換わる事になる中で、一部の知識階級は深刻なアイデンティティ・クライシスに陥るかもしれませんが、日々の暮らしに余裕がない我々一般庶民には大きな影響はないのではないかと思います。

なんだか天皇制の話になってしまいましたが、小室圭さんの応援でした。

小室佳代さんの疑惑は正直よくわかりませんが、小室圭さんはどちらかと言いますと疑惑の当事者ではなく、学費などを必要としていた対象者なのではないかと思います。

話は少し変わりますが、ネットで牟田口廉也を検索するとサジェストキーワードとして「牟田口廉也 子孫」と出てきます。

インパール作戦で10万人の死者を出した戦犯ですが、末代までその責任を負わせようとする意図が検索者にあると思うとややぞっとします。

さらに卑近な例として、例えば息子は父親に車の運転をやめてほしいと思っているのに、父親が言うことを聞かず、果ては人身事故を起こしてしまった場合、そういう加害者家族側の詳細な状況はあまり顧みられず、加害者家族全体に対する感情は決してよいものではないというのが一般的だと思います。

小室圭さんの話に戻します。一連の騒動は主に小室佳代さんにまつわる疑惑であって、小室圭さんは疑惑の主犯にはおそらくなり得ず、尚且日本は法治国家ですから推定無罪の原則が適用されるべきです。

ですので、小室圭さんが堂々とするということは、肩身が狭い加害者家族を勇気づけているかもしれません。

また、眞子内親王殿下と小室圭さんの結婚生活が上手く行けばそれはそれで大変喜ばしいですし、うまく行かなければいかなかったで「やはりねえ」と言えますので、何れにしても良いのではないかと下衆な考えがつい思い浮かびます。

それより何より1億人に嫌われていても、堂々としていればなんとかなりそうだという勇気を小室圭さんは与えてくれる訳で、僕みたいにちょっと嫌われたら落ち込む人間からすると超人の領域です。

警備費云々の話もありますが、眞子内親王殿下をお守りするためには仕方がないかと思います。

こちらからは以上です。