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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

言いたいことがなくなってくる件

さぷさんです。44歳のおじさんです。

さて、僕のブログの更新回数が金曜ロードショージブリ作品を放送する回数よりも減ってきてしまったわけですが、このことについて考えてみたいと思います。

僕も若かったつもりがいつの間にかいいおっさんになってしまった中で、44歳にもなりますと、いいんだか悪いんだか別にして、世の中との折り合いがついてきます。

妻、子供たち、会社、友人、親、親戚、地域との折り合いということですね。

僕の視点からすると、いろいろあるけれどもみんな頑張ってるよね。コロナで大変だけど、なんとか生活できてるだけでありがたいよね。という感じです。

一方で僕の周囲の人も僕の性格を分かってくれているので、コンフリクトの発生はそんなにない訳です。

そうするとどういう事になるかと言いますと、特段ブロクで発信しようというモチベーションがなくなってしまうんですよね。「すべてのことがありがたいですよね、以上」みたいな感じです。

ただこれは折り合いがついたからだけではなくて、僕自身の生物としての熱量が低下しつつあることも関係していると思います。

たとえばこの前ふと思い出したのですが、少なくとも20代の頃はかなりの脂性肌で、あぶらとり紙が手放せない状況にありました。

いつの頃からかあぶらとり紙の購入の必要がなくなった訳ですが、要するに代謝が活発ではなくなったということだと思います。

熱量の低下がもたらす作用としては、例えば本を呼んだり新たな知識を身に着けたりしたときに、それを人に伝えたいというパッションの低下です。

ちょっと面白い視点の考えを思いついても、エントリの更新が面倒だったり、他の誰かが似たような事を言っているからいいかあというメンタリティになって早数ヶ月です。

この熱量低下問題はもちろん仕事にも影響を与えておりまして、以前なら残業して乗り切った仕事も多いのですが、今は本当に19時を過ぎると何も手につかなくなるので、「明日の自分に期待」と言い聞かせて仕事を切り上げたりします。

よく若い人は働かないおじさんを目の敵にされますが、本当に体力が持たないというのは若い人も10年後とかに分かると思います。

ですので40代半ばを過ぎて積極的に情報発信をしている人は本当に尊敬します。

ただ、そういう方のエントリーを読んでいると、何か達成したい事があって、それに向って突き進まれているのかなと思います。使命感をお持ちなのだと思いますが、僕は残念ながら何か使命感を感じるような対象がなく、そういう人たちを羨ましいと以前は思ってましたが、中庸な生き方も別に悪くはないなというような心境です。

ただ、この状況というのは実はかなり恵まれていて、男性大企業勤務という状況に担保されている事は間違いありません。

痛ましい事件のニュースは数多報道されており、理不尽が多い世の中において自分とその周囲だけがよければいいのかという思いはありつつも、具体的には何かアクションを取れているわけではありませんので、なんとなく後ろめたい気持ちはあります。

話を戻します。ブログで一番良くないのは、書きたいことがないのに無理やり書こうとすることで、そういう時の文章をあとから読み返すと「うわぁ、なんかこれはまじでひでえな」と思います。文章は精神状態が如実に現れるものです。

また書きたいネタが降りてくる可能性はあるとは思うので、ブログの神様に期待ですね(他力)

FIRE終了の件

さぷさんです。僕はお小遣いでこつこつ投資をしている訳ですが、昨年10月頃に不覚にもFIRE(Financial Independence, Retire Early)関係の記事に影響されて日本株より米国株かと思い、ポートフォリオを入れ替えました。

米国株のいいところは一株単位で株を購入できるところだと思うのですが、例えば本日時点でアップルの株は166ドルで買えますし、スターバックスは96ドルです。

「卵を同じかごに入れるな」という投資の格言からいきますと、ミニ株をやるという選択肢を抜きにするとお小遣い投資家にとっては米国株の方が適しているかなと思います。(為替リスクは怖いですけどね)

日本だと100株単位でしか株は購入出来ませんので、ディスコの業績がよいなと思っても330万円ほどかかりますので、とてもじゃないですが購入することが出来ません。

そんな中で、利益が出ていた日本株以外は全部売り払ってナスダックのIT関連中止のポートフォリオにしたところ、FRBのテーパリング終了ということで資産バブルがついに弾けたのか、連日強烈な資産目減りで絶賛大爆死中です。

確かに今までがノーリスクハイリターンという異常な状況ではあったのですが、FRB新型コロナウイルス前は日本円換算で400兆円くらいだったバランスシートを990兆円まで拡大させていましたし、中央銀行はインフレ防止という使命があるので仕方ないのは分かるんですが、大爆死です。(大事なので2回目)

そして逆に少し残していた日本株は、バリュー株だったりしましたので、今は株価が上がってきたというなんだか複雑な心境になっております。

ですので、FIREなみなさまは空前の株高の中で特にIT関連株に投資していたんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか。

個人的にはYahooニュースあたりを賑わしていたFIRE関係の記事は今後見かけなくなるんじゃないかと思います。はい。

雑記20220111

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さぷさんです。久しぶりのエントリーです。

〈萌えイラストが上手くなった(自分比)〉
年末年始はどこも行かずに暇だったので、スマホで萌えイラストを描いてました。デジ絵歴は1年ちょいなのですが、おそらくこの1年で400〜500時間くらいデジ絵に費やしています。

もうSNSはやらないと宣言したんですが、絵を描いたら公開したくなるのが人情でして、それなりにいいねをもらえる中で、自己承認欲求を満たしていたりします。

ちなみにこの絵はホロライブ4期生の常闇トワ様とラプラス・ダークネス様ですが、割と尊さを表現できたかなと思いつつ、44歳のおっさんが何をしているんだ自分はという気がしなくもありません。

〈やる気になればタダでいろいろ出来る恐ろしい時代〉
僕のデジ絵は完全に独学ですが、お絵描きツールをスマホに入れて、さいとうなおき先生のYouTubeの動画を見て勉強しつつ、構図はPinterestで探すという手法で絵を描いています。

優良なアプリやYouTubeなどの動画のお陰で良いツールと情報に対して格段にリーチしやすくなっており、やるかやらないかは本人のやる気次第でありますから、言い訳が出来ないというある意味おそろしい時代を我々は生きています。

〈でも本当にそうなのか〉
ただ、僕がデジ絵で出来たことを英語学習に転用することができるかと言いますと俄然怪しくなります。

英語のアプリをいくつかスマホに突っ込んで、YouTubeでビジネス英語の動画をひたすら見ればいいという理屈になりますが、全く出来る気がしません。

AIも同様で、パソコンにPythonをインストールして、GitHubでコードを見ながらプログラミングをすれば、元コボラーの僕でも最先端のIT人材になれるはずなのですが、その気配はありません。一体全体なぜなんでしょうか。


〈おそらくは〉
僕は幼少期から絵を描くのが好きで、基本的には何時間絵を描いてても苦ではないですし、小学校の時にはクラスでコンクールに出す絵に選ばれたこともありました。

僕にとって絵を描くことはそもそも好きなことですし、好きでやっているので努力しているという感覚もあまりありません。

おそらく、対象物は違えど英語なりプログラミングなりが大好きで、本人は努力しているという感覚はなく、好きだからやっているし、なんか周りもすごいと褒めてくれるのでさらに頑張れるという人が世の中にはいるのだと想像します。

僕は、超絶技巧絵師には敵うとは思いませんが、上に描いた方法を試したらそれなりの絵が誰でも描けるんじゃないかと思ったしています。

でもこれは多分僕が英語やプログラミングがさっぱり出来る気がしないのと同様で、同じメソッドを試しても出来る人とそうでない人がいるのだと思います。これはおそらく勉強、スポーツ、趣味などあらゆる分野に当てはまります。

〈努力は無駄なのか〉
そうすると努力は無駄なのかという絶望的な気持ちになりかけますが、努力は無駄ではありません。

ただ、同じ分野で努力しているという自覚なしに楽しんで対象分野に取り組んでいて、しかも元々才能がある人がライバルにいたりする訳です。このような人達に勝てるわけがありません。

〈では自分の得意分野は何なのか〉
仮に僕が若い頃からイラストに全リソースを割いたとしても、それで食べていけかたかと思うと、イラストを描きたい人は山程いる中で、成功した可能性は低いと思います。

僕は絵が好きですが、二人の息子たちには遺伝しなかったようなのです。

生まれもった才能や特性というものが現代社会で稼ぐ能力として発揮できる人はごく一部なのではないかと思います。

自分の得意分野を職業にする事が出来ればそれは幸せな事ですが、そうではない人が大半だとすると、神様はなかなか残酷な事をしてくれたなと思わざるを得ません。

〈という上記の考えはメリトクラシーに絡め取られている〉
マイケル・サンデル先生の本などを読んでいると、最近はメリトクラシー批判が少しずつ出てきていると思います。

メリトクラシーの問題は大きくは2つあって、元々恵まれた才能をもち、良い環境で親や周囲の手厚いサポートがあって社会的に成功している人が、その成功を自分の努力で成し遂げたと思い込みやすいことにある事と、元々才能に恵まれず、親や周囲のサポートも得づらかった人が自己責任として自分の境遇を受け入れてしまう事です。

それが資本主義における前提と言ってしまえばそれまでなのですが、マイケル・サンデル先生をして何処まで本気なのかわかりませんが、(ある一定の学力があれば)入学する大学をくじ引きにすればよいなどと提案するというような、非現実的な提案をされてしまうくらいですから、資本主義社会下におけるメリトクラシーの強固さは社会の構成の隅々に行き届いているので、これを変革していくのはほぼ不可能に思えます。

〈そんな中でのコロナ禍〉
新型コロナウイルス感染症の恐ろしいところは、社会システムの弱さを明らかにしてしまう所です。日本だとセフティーネットの脆弱さがそのひとつだと思うのですが、小田急線ジョーカー事件や大阪のビル放火も社会的弱者が社会そのもの対して恨みを強く抱いた事による犯罪だと思います。

これらの殺人事件とは、人と人、人や組織とのコンフリクトが発生する中で、大体の人は不満がありながらもなんとなくバランスを取りながら社会を構成していくものですが、その歪が大きくなり、不満が吸収できなくなってしまう中で最悪の形で犯罪として噴出してしまう事案であると理解しています。

言い方は正しくないかもしれませんが、今の日本はセフティーネットが貧弱さの代償をしばしば発生してしまう無差別殺人事件としてそのコストを引き受けてしまっている社会構造になってしまっているのではないかと思います。

拡大自殺とも言われるこれらの事件ですが、如何ともし難いのが犯罪者になってしまう社会的弱者が社会そのものに恨みを抱いてしまっているため、攻撃対象が日常そのものとなってしまう点です。

このような事件の発生が多発していますが、社会的弱者を救済するというような機運はあまり高まっていないように感じます。

〈ではどうすればいいのか〉
今の社会を構成している基本ルールとしてのメリトクラシーは否定されなければならないと思っています。(現代社会において)能力が高い人はその能力を社会に還元する責務があり、能力が高くない人は、人間としての尊厳を奪われる事はないような世間一般的な認識の醸成が必要だと思っています。

自分の意見に100%反対な人がいる前提で仕事をしたほうがよい

さぷさんです。大企業の管理部門の片隅でひっそりと生きています。

さて、僕は立場上全社員にアンケートを取る仕事もしていたりするんですが、アンケートに自由コメントなんかを設定した場合はなんといいますか、この社員はQアノンの信者なのではないかしら?くらいの陰謀論を長々と綴っているコメントを発見したりしてげんなりするんですが、それは極端な例としても何かの施策をやろうとすると様々な意見が出てきます。

また、以前システムの担当をしていたのですが、グループ全体でシステムを同一するプロジェクトで、子会社にシステムを導入するために現地に赴いて説明会を開いたんですが、会場の会議室には子会社の管理職が全員集められており、まじかと思いながら淡々と説明していたんですが、本社から来た若造が面倒くさい事を押し付けやがってという雰囲気がありありでした。

質疑応答の際には「確かに管理が厳しくなり、仰って頂いたとおり現在の慣行とそぐわない部分もございますが、そこは柔軟に対応頂きつつ、なんとか導入をお願いします」という感じで平身低頭でお願いをしたという経験もあります。

そんなこんなで僕はもともと陰キャで慎重な性格というのもありますが、自分のやろうとしていることに100%反対という人は必ずいるという前提が体感として染み付いています。

何か新しい取り組みをしなければならないときには、一旦素案を作った後、この取り組みに関わるステークホルダーは誰で、反対するとしたどの部分で、それは対策可能なのかという事を一通りシミュレーションを行うようにしています。

また、何かを始めるときは必ず反対する人がいる前提としているため、大義と正論が大切になります。「あなたと僕の考えは正反対ですが、この施策にはこのような実施背景と目的があるのですが、ここまで同意出来ますかね」みたいなイメージです。ドストレートには言いませんが、説明会などではそのような資料構成や説明を意識して行っています。

あと、寝技は好きではないので、キーパーソンや偉い人には事前説明しますが、それよりなりより施策としての筋のよさが何よりも重要だと思っています。

そんな訳で今まで担当したプロジェクトはそれなりにうまくいったものが多いのですが、今同じ部署にいる後輩がプロジェクト的な業務を進めるのが上手ではなく、1ヶ月ほど何の進捗もなかったので手伝うことになりました。

仮にA君としますが、そのA君の口癖が、「たぶんこうだと思います」とか「ふわっとしてますが、」とか「○○さんも同じだと思います」とか、エビデンス軽視のふんわりイメージ君なので、「思い込むより確認してほしいんだけど」「だいたいってそれ数字でいうとどれくらいなの?」「ちゃんと確認した?」とか、このご時世パワハラにならないくらいに優しい口調で立て直しました。

幸いA君は僕の事を慕ってくれていて「さぷさんさんのスキルを吸収したいです」って言ってくれていて、それは心のなかでは無理だと思っているんですが、プロジェクトがひと段落したくらいにAくんと雑談しているときに、上に書いたようなことを伝えました。

その時に、「Aさんが主担当のプロジェクトが進まないというのは、誤解を恐れずに言うと誰かが反対をしているということでしょ?例えば極端な例だけど、よかれと思って自分のハンカチで机を拭いたとして、ある人が見たらハンカチの汚れを机にこすり付けているって不快に思う可能性があるわけだよ。一旦自分の仕事を批判的な目で見る癖をつけないと、大きな仕事を成し遂げるのは難しいよ」と伝えました。

「え?さぷさんさんはそんなこと考えて仕事しているんですか?何歳くらいそう言うことを意識しているんですか?」と聞かれたので、「Aさんは今確か30代前半だと思うけど、そのくらいの時は仕事に活かしてたと思うけど」と伝えたところ感心されました。

僕は逆にA君の想像力のなさに若干驚いたんですが、自分の常識は他人には全くもって新鮮な考えであるという事があらためてよくわかりました。

大東亜以下に落ちたことがあります

さぷさんです。正直に告白するんですが、僕は現役受験生の時に大東亜以下に全滅した事があります。

現役生のときは勉強してなかったから当たり前と言えば当たり前なのですが、親に泣きついて浪人させてもらって、かろうじてMARCHに滑り込んだはいいものの、就職がもろに氷河期でして、40社程受けてようやく内定を貰えたという微妙なキャリアだったりします。

そんなこんなで紆余曲折を経ていまは大企業の管理部門の片隅で働いているんですが、目の前の定年後再雇用のおじさんは東大卒、上司は早稲田卒という石を投げれば高学歴に当たる弊社の中では、MARCHは正直に申し上げますと割と最底辺の学歴です。

そんな中で今回の大東亜以下はなかなか衝撃的なパワーワードでした。これが早慶上智以上とかだったらここまで話題にならなかったと思います。

学歴で差別するのは良くないと言われているのになかなかなくならないのは、採用の時に便利だからという理由に集約されます。

もちろんこれは最近では悪しき例と言われがちな新卒一括採用を効率よく行うためのそれこそフィルタリングな訳ですが、かの米国も苛烈な学歴社会ですから、日本だけの問題ではありません。

また、最近批判されがちなメリトクラシーですが、サンデル先生などのご活躍により、能力の高さは親から受け継いだ有形無形の資本に頼るところが大きく、あなたが優秀なのは遺伝ガチャと親ガチャの運がよかったからでしょうと言える風土が整ってきたように思います。

あまり自分を嘆くのものかっこよくないので少しだけにしますが、僕の両親は高卒で、父親の本棚は美味しんぼ落合信彦という超絶偏った構成でしたから、司馬遼太郎吉村昭の小説や論語マルクス・アウレリウスの自省録が本棚に置かれている家庭とはやはり雲泥の差があると思います。

そういった事も全部含めて世の中不公平に出来ている訳ですが、個人的な感覚ですと学歴と仕事ができる社員というのは8割方一致します。

○○大学を出ているのに全然仕事が出来ないというのは、確かに事例としては目立ちますが、これは残りの2割の例外入るので、学歴による採用はやはり合理的です。

正義感で学歴フィルターはいけないというのはまあいいと思うんですが、新卒採用においてこれだけ強固な仕組みを変えるのは正直不可能だと思います。

但しこれは新卒採用や第二新卒に限った話ですので、それ以降の中途採用になると今までの仕事の実績が問われますから逆転のチャンスはあると思いますが、新卒で良い経験が積めるのは大企業や尖ったベンチャーだったりしますから、やはり難関大卒でないと転職の難しさはあると思います。

そんな訳で学歴社会は続くと思いますが、優秀だから偉いわけじゃないってし、優秀じゃないのは個人の自己責任とは必ずしも言い切れないという雰囲気になってきたのは良いことではないかと思います。

【書評】1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き 「選ばれた才能」を120%活かす方法

さぷさんです。元左利きです。と言いますのも小学校入学直前に右手に矯正されたのですが、母親曰く祖母から右に矯正にするようにと言われたそうでして、当の母親からはご飯を食べたりするときに隣の人と肘が当たると良くないと言われたような記憶があります。

ちょうど右に矯正していた頃に確か吃音が出ていた記憶があるのですが、いま思うと矯正のストレスだったのかもしれません。よくがんばりましたと小さいときの自分に伝えてあげたい気持ちでいっぱいです。

そんな訳で僕の日常生活はほぼ右利きなのですが、歯を磨く時は矯正を受けなかった左だったり、駅の改札でPASMOをかざす時もついパスケース入れを左で持ってしまうときがあり、腕をクロスさせながら改札を通ることになったりします。

また、右と左が咄嗟にはわからなくなるという弱点がありまして、教習所で教官に右折と左折の指示が瞬時には分からずに難儀したことがあります。

「右と左が分からないとかw」と嫁から馬鹿にされていたのですが、どうもこれは左利きに稀にある現象らしく、僕は元々基準が左である中で、最初に想起する手が右利きとは逆なので「左でないので右」というワンクッション必要な面倒くさい頭の構造になっているというのがその理由のようです。

そんな訳でほぼ右利きの僕ですら上記のようなちょっとした生きにくさを感じている中でガチの左ぎきの方はかなり難儀されているのではないでしょうか。

また、レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロピカソニュートンアインシュタインは左利きだったことから、左利きには天才が多いという説がありますが、残念ながら僕には全く当てはまらなかったようです。ちなみに親族で左利きだったのは僕だけなので遺伝ではないと思いますが、生まれたときからちょっと拗れていたかもしれません。

そんな中で「1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き 「選ばれた才能」を120%活かす方法」の本の宣伝を見まして、最近中年の悲哀を感じる中で少しは元気が出るかしらと購入してみました。

著者である佐藤俊徳先生は中学で柔道の黒帯を取ったり、陸上の砲丸投げで優勝したり、医師になろうと志して医師になり、MRIのエフニルス法という手法を考案され、Wikipediaに掲載されている先生の著作を数えたところ60冊以上あったのですが、まあなんといいますか、たぶんに遺伝ガチャの勝者の方だと思います。

そんな佐藤先生も左利きでご苦労されたようなのですが、先生が開発されたりエフニルス法は脳のどこが活性化しているのかを計測する手法ですので、左脳が言語処理をしており、右脳が画像や空間の認識を担当しているという今となっては広く知られている事実は、佐藤先生のエフニルス法のおかげということになります。

本書の中に、「脳科学的に見て、左利きは多数派と異なる個性を持つ「すごい」人たちです」とあるのですが、おそらく佐藤先生は右利きであってもすごい人だったのではないかと思います。

例えば右ハンドル車と左ハンドル車があったとして、左ハンドル車は日本においては希少ですが、エンジンやサスペンション、ブレーキなどの性能が悪ければ走行性能としては大した自動車ではない訳です。ポンコツだけど左ハンドル車とかよっぽどのモノ好きでないと買わないと思いますが、書いていて辛くなってきました。

身も蓋もない話を続けますが、仮に左利きが画像や空間認識に優れていたとしても、それは自分の中で右脳優位と言うことであって、マイケル・サンデル先生が批判されているところのメリトクラシーの世の中では高性能の右利きパーソンには勝てないと思います。

左利きは10人に1人らしいのでオンリーワンといえばオンリーワンですが、車屋の店先に並んだとして、買ってもらえないとあまり意味がありません。

本書の中で、左利きの人は直感に優れているのでそれを磨くと良いという事が書かれているのですが、「直感を言語化するためにたくさん本を読んだほうがいい」でしたり、「コーヒーを入れたら、お気に入りのカップに淹れて香りを楽しむといった」、左利きの人というか万人に当てはまるようなアドバイスがあると思えば、「アニメキャラを思い出す」といったどう先生の直感が働いたのかもう少し言語化してほしいようなアドバイスもあります。

また、いつでもメモを持ち歩く、ルーチンを変えてみる、憧れの人だったらどうするかを考えるなどのアドバイスも次々と出てくるのですが、やはり右利きの方にも有効なアドバイスが多い中で、本を逆から読むなどのオリジナリティのあるアドバイスもありました。

個人的にはアニメキャラを思い出しながら本を逆に読んでみたいと思います。

最近の自己啓発本の特徴として、ADHDや繊細さんなどの生きにくさを抱える人を励ましつつ、メリトクラシーの世の中で成功するためのノウハウを伝えるというのが流行りな気がしますが、本書もその系譜に繋がる本なのかなと思いました。

脳科学の複雑な話は一切出てこず、一時間位でさらっと読め(次の日には忘れ)る感じの本だと思います。

左利きで自己啓発ポルノを読みたいという気分の場合はいいんじゃないかと思いますが、Kindleで1158円出すんだったらちょっといいランチを食べるんだったと思わなくもないです。

新型コロナウイルス感染疑惑からのさらなる苦難

さぷさんです。このエントリには若干の下ネタが含まれます。苦手な方はブラウザバッグをお願いします。

さて、僕の今年のテーマは昨年に引き続いてのすみっコぐらしなので、会社でもひっそり生きていきたいのですが、なにやら忙しくなってきまして、ここ2ヶ月はそれなりに働いておりました。

そんな中で先週ちょっと体調が思わしくないな、咳や鼻水が出るぞと思って体温を測ったところ37.6度でした。

次男がやたら咳とくしゃみと鼻をかんでたのでそれがうつったかと思いましたが、次男は病院にこそ行ったものの、ただの風邪という診断でPCR検査を受けておりません。

いま僕の勤めている企業は石橋を叩いて渡るのが大好きな保守的昭和企業ですから、上司に報告したところガイドラインに則って発熱外来を受診せよとの事でした。

さらにその上でここ一週間の行動を記入する用紙がメールに添付されて送られてきました。完全に容疑者扱いです。ここは法治国家日本ですが、新型コロナウイルス禍においては推定無罪の原則は無力のようです。きっと多分ただの風邪だってばよと思うのですが、そこは僕も従順なジャパニーズサラリーパーソンです。

素直に発熱外来を予約して近所の病院に行ったところ、まあ多分風邪だろうけど、その場で抗原検査を実施した上に、さらに念の為のPCR検査を実施したわけですが、結果的には両方とも陰性でした。

めでたく容疑が晴れた旨を上司に報告したのですが、会社ガイドラインに則ると偽陰性のおそれがあるので、在宅勤務マシマシでとのお達しでした。弊社は石橋を叩いて壊す企業だったようです。

そんなこんなで新型コロナウイルスではないのに、最近出社奨励の雰囲気になりつつあったところ、しばらくは在宅勤務でまあラッキーと思っていたところ、手に発疹が出来始め、口の中がやたら痛くなってきました。

ええ、そうです。結論から言いますと手足口病です。病院で診察を受けたところ、「たぶん無症状のお子さんからうつったのかもしれません。免疫が弱っているということですから、気を付けて下さい」との事でした。

つまり僕は5歳児並の免疫力しかない44歳のしがないおっさんと言うことになりますが、まだここまではある意味よかったんです。

手の発疹と口の中が痛くなってから二日後くらいに、手でも足でも口でもない部分であるところのかわいい出っ張りがなんだか痛くなってきました。

話はちょっと変わりますが、駅ナカとかによくある青○フラワーマーケットのアレンジメントって、ものすごく早くしなしなになっていく気がするのですが、僕が水をあまり換えないのが悪いのか、単品で売れなかったお花たちを集めてアレンジメントにしているのか分かりませんが、特にガーベラがしなってなっていく様を見ると、なんとなくつらい気持ちになります。

そんな可哀想なガーベラのように僕のいたいけな出っ張りがしょんぼりしなびている訳ですが、擦れたり排尿の度にずきりと傷みが走ります。

これは果たして手足口病が僕のガーベラに症状として発生しているのか、否、別の未知なる病気なのか、新たな悩みが生じました。但し、性病の可能性は1000%ないと強く断言できます。理由は秘密です。

今はインターネット社会です。スマホ手足口病の症状を調べる訳ですが、僕の知りたい情報は出てきません。

「足の甲・膝・お尻にまで及ぶこともあります」という記載を見つけたのですが、お尻まで言及して、もう少し頑張れなかったのかと憤懣やるかたない思いでブラウザを閉じました。

じゃあグーグル先生で「手足口病 tintin」って調べればいいじゃないかとみなさんは思うかもしれないのですが、なんと言ったらいいんでしょうか。その検索ワードを導入する勇気が僕にはありません。

結果を見たくないと言うよりも、その単語を打ち込んだ自分自身がなんとなく許せないような、検索結果が出て情報にリーチ出来たとしても、そのような情報が存在せず、頭をかかえるような状態になってしまったとしても、何かこう自分を保てる自信がないような心情です。

確かに最近は泌尿器系としてしか使用していませんが、生まれてこの方一緒に戦ってきた戦友です。既知であっても未知であっても病気に負けたという事実を僕は認めたくないのだと思います。

こちらからは以上です。こんなエントリですみませんでした。