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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

早稲田大学黒田祥子教授の「ワーキング・ハイ」説への異議と別仮説の提示

僕はメーカーの人事部門で仕事をしているので、人事関連の記事は興味深く見ている訳ですが、長時間労働が続くと幸福度が増加する(ワーキング・ハイになる)という説には異議があるのでその事について書いてみたいと思います。

確かに、難易度の高いプロジェクトや画期的な新製品の発売前などで、所謂ゾーンに入ると言うことは確かにあると思いますし、個人的にもそのような経験はあります。ただ社会人生活でそのようなある意味とても恵まれた仕事にめぐりあえた情況でのワーキングハイというものはそうそう機会があるものではないと思っており、長時間労働者は幸福度が比較的高い事を仮に事実とした場合、別の要因もあるのではないかと考えています。

ですので、早稲田大学黒田祥子教授の「ワーキング・ハイ」説や立教大学中原淳教授の「残業時間の増加による幸福度上昇」説には違和感があるのですが、今回はその事について書いてみたいと思います。

例えば毎月40時間くらいまで残業してる時は普通なのに今月の残業が55時間を超えたとして「ちょっと今月仕事頑張ってるし、なんか充実してて幸せ!!」って本当にそんな事になるのだろうかという事です。

黒田教授のご専門は労働経済学、応用ミクロ経済学だそうです。また黒田教授は独立行政法人経済産業研究所働き方改革と健康経営に関する研究のプロジェクトリーダーをされているとの事です。

そして今回の議題にしたいのは、プレジデントウーマンのウェブページに2019.12.16日付で掲載された「残業を愛する人々が気づかない恐るべきリスク」という記事の3ページ目になります。https://president.jp/articles/-/31467?page=3

この3ページ目にこのような記述があります。

『「仕事の満足度」は、労働時間が週55時間を超えたあたりから上昇するということです(図表2)。この満足度は、残業手当が増えるなどの金銭的な効用ではなく、仕事から得られる達成感、自己効力感、職場で必要とされているという自尊心などを指しています。平たく言えば、週55時間を超える長時間労働は、本人にとっては、仕事が面白く、満足感や達成感が大きいということになります。(中略)メンタルヘルスは悪化しながらも、気分は高揚している。いわゆる「ワーキング・ハイ」だろうと推察できます』

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この図の出典元はJournal of Happiness Studiesという学術誌に掲載された論文からの抜粋でした。
https://link.springer.com/article/10.1007/s10902-018-0008-x

この学術誌が世界的にどれだけ権威があるものなのかは分からないのですが、査読の結果掲載されたものと思います。

論文のいいところは使用したデータの取得方法などの詳細が掲載されている所です。論文によると2014年と2015年に独立行政法人経済産業研究所が実施した郵送アンケートで回答率は12.7%、サンプル数は4392人という事です。

論文タイトルは「Why Do People Overwork at the Risk of Impairing Mental
Health?」です。「何故メンタルヘルスを損なってまで人々は働くのか?」というタイトルですね。

正直に申し上げますと高度な統計の理論は分かってないので、数式とか検定の結果への言及は出来ないのですが、論文を読んで感じた事を以下に記載したいと思います。

本論文の中の先行研究に言及した箇所に以下のものがありました。(論文は英語で書かれていますので、グーグル翻訳は本当に便利です)

『私たちは、人々が長時間労働すると精神的健康の悪化を認識すると仮定しています。しかし、彼らは同時に、労働時間とともに生じる非金銭的要因による仕事の満足度を過大評価する傾向があります。人々は、精神衛生に悪影響を与える可能性がある過労に関する非標準的または誤った信念を持っている可能性があり、非金銭的要因から得られる効用を過大評価したり、長時間労働の不利を過小評価したりする場合があります』

これをものすごく噛み砕いて言うと「長時間労働は健康に悪いと分かってるのに何故か長時間労働してしまうんだよね」という事になると思います。この仮説の立て方として気になるのが、個人を主体として問いを立てており、組織との関わりを軽視している所だと思うのですが、それは後述したいと思います。

そして論文の後半で上の図に対する以下の論述があります。(以下もグーグル翻訳です)

『労働者が仕事の満足度を強調したり、精神的健康のリスクを過小評価したりすると、極端な時間労働を選択する可能性があることを示しています。これは、自信過剰(外向性の高い性格特性)、仕事に対する満足度の高さ、および職務昇進の肯定的な感情に対する過大評価が原因である可能性があります。労働者は、仕事の満足度を高めるために極端な時間を働くことを選択する場合があります。人々が精神衛生のリスクについて誤った信念を抱き、自信過剰と予測バイアスのために長時間労働する可能性が高いという事実は、特に注目に値します』

これも要約すると「昇進などを期待したり、仕事の満足度を高めたいと思うと、健康のリスクを低く見積もり、長時間労働してしまう可能性が高い」というように理解が出来ます。

そして、論文の中ではこれ以上踏み込んだ考察はされていないのですが、一番上の参照URLにあるプレジデントウーマンの記事では長時間労働をすると「ワーキング・ハイ」になるという所まで黒田教授は踏み込んで指摘されています。

Journal of Happiness Studiesに掲載された論文については(あくまでグーグル翻訳で読んだもので、数式モデルとか正直わかりませんが)特に異論はないのですが、この「ワーキング・ハイ」説にはかなり違和感を感じています。

この「ワーキング・ハイ」説を僕自身に当てはめたとして、残業40時間くらいの時は仕事の満足度が低くて、80時間くらい残業すると40時間の時より幸福度が約1.5倍くらいになる可能性があるというのはちょっと想像しずらい現象です。

残業80時間というと過労死ラインとしても知られている時間でもあり、本当に危険と隣り合わせの時間です。土日は休めるとして毎日22時くらいに帰社できるような状態での幸福度増加は考えにくいと思っています。

この「ワーキング・ハイ」説はあくまで仕事と個人が比較的対等であるという先行研究の流れを踏襲していると思うのですが、おそらく先行研究は欧米の研究であって、ジョブディスクリプションがしっかりあるという所謂ジョブ型雇用であれば違和感なく比較的すんなり理解出来ると思います。頑張り次第でステップアップ出来るというのは明確なインセンティブになり得ます。

ただ、まだ日本企業では年功序列が幅をきかせていており、理不尽な異動や生産性が低い仕事をしているメンバーシップ型雇用がメインの職場では仕事を「やらされている感」がかなり高くて、「ワーキング・ハイ」という境地(?)に達する事が出来る人は限りなく少数なのではないのでしょうか。

ただ、残業時間が増えると幸福度が上がるというデータに対しては「ワーキング・ハイ」説に対して別な仮説を提示する必要があります。

僕は典型的な日本のメーカーの人事部門にいる訳ですが、以前似たような分析を自社データを用いて行った事を思い出しました。下のグラフは残業時間と会社における評価を表したものです。

あまりデータに関して詳細をお伝え出来ないのが申し訳ないのですが、サンプル数は1000以上あります。


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月の残業時間が15時間未満、15-45時間未満、45時間以上の3つに分けてそれぞれ評価分布の割合を表しています。

見て頂くと分かるのですが、残業15時間未満には評価上位2割は15%しか含まれていませんが、残業時間45時間以上の中には評価上位2割の社員が33%含まれてており、その差は2倍以上です。

逆に残業15時間未満の下位評価2割は30%を占めますが、残業45時間以上の中には5%しかいません。

つまりどういう事かと言いますと、出来る社員には難しい仕事が割り当てられており、その為に残業時間が長くなる傾向があると言う事です。そして仕事が出来るので評価も高いという当たり前の内容です。

逆に評価が低い社員にはそれなりの仕事が割り当てられているため、残業はあまりしなくて済んでいると推測されます。

これと黒田教授の調査結果はどのように理解すればいいのでしょうか。同じ日本企業に対する調査結果である為、同じ現象を別の調査項目で見ていると言ってしまってよいと思います。弊社も「ワーキング・ハイ」現象が起きているという事なのでしょうか。

おそらくですがこういう事なのだと思います。調査サンプルを残業時間が少ないグループと残業時間が長いグループに分けていく中でそのグループ分けしたそれぞれの母集団の構成要素に変化がでてくるという事なのだと思います。

どのような変化であるかというと、長時間残業者になればなるほど、仕事が出来て評価が高い社員の比率が高まるという事です。

仕事が出来て評価が高い社員というのは、会社からも認められており、社会的な成功者の部類に入ると思われ、自己肯定感も高いと推測されます。そのような人間はそもそも幸福感は高いものです。

よって、黒田教授の調査分析結果は長時間残業による幸福度上昇は「ワーキング・ハイ」であるというのはアンケート結果からのみ論理的に結論を導き出そうとしているために、おかしな事になってしまっているのではないかと考えます。

長時間残業→ハイになるという因果関係ではなくて(あり得なくはないですが、マジョリティかというとちょっと待って下さいと言いたくなります)、残業時間でグルーピングすると調査サンプル内での構成要素(ここでは仕事の出来る社員比率)の変化しているという理由であるという説明の方がすっきりするのではないかと思います。

冒頭の例に当てはめると仕事が出来て残業時間が長い社員は「残業時間は長くて大変だけど、会社からは認められてるし、まあまあ幸せかな」であれば違和感はないのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、長時間残業をするから「ワーキング・ハイ」になるのではなく、長時間残業をしている層にはそもそも幸福度が高い人が多く含まれているからではないかという事です。(論文の方だと後者の考えとほぼ同じに読めるのですが、なぜ「ワーキング・ハイ」説に踏み込んでしまったのか、詳細をお聞きしたいです)

仮に残業時間の増加で幸福度が増すという仮説を検証するのであれば、一回限りの調査ではなくて、同じサンプルに対して継続的に調査すべきです。

統計というのは(勉強中なのであまり偉そうな事はいえませんが)当たり前の事が数字でも証明できたと言うのが圧倒的に多いと思います。

興味深く意外な結果が出た時こそ注意深く検証しなければならないと思います。

そしてなぜここまでしつこいエントリーを書いているかといいますと、黒田祥子先生や中原淳先生はこの「ワーキング・ハイ」の状態を「認知の歪み」と仰っているんですよね。

「認知の歪み」というとなんとなくオブラートに包まれた言い方ですが、ストレートに言うと「残業し過ぎで頭がおかしくなっているんじゃないの?」という事を仰っているわけですから、いくらアカデミズムの世界で成果を上げられている先生たちであったとしても、ちょっとサラリーマンをバカにしすぎているのではないかとの怒りがその理由です。

影響力がある方がミスリードしてしまうと、問題の根本解決が遠ざかってしまいます。日本の少子化労働人口の減少、生産性の低さは喫緊の課題ですから、黒田先生の益々の御活躍をお祈り申し上げます。