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さぷログ

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【書評】軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い

「これは科学技術論争だ。感情論ではないんだ。感情論をぶつけあってる限り、安全への道は開けない」(本文より)

4月25日は福知山線脱線事故が発生した日であり、今から15年前の大変痛ましい事故です。当時僕は大阪に住んでいたのですが、先頭車両が原型を留めていないヘリコプターからのショッキングな映像は現実のものとは思えないものでした。

この本は事故で妻と妹を失い、次女が瀕死の重症を追われた淺野弥三一氏が、官僚よりも官僚的と言われたJR西日本からなんとかして事実を引き出し、安全に対する真の取り組みを求め続けた13年間を追い続けた松本創氏の渾身のルポです。

本書は淺野氏のエピソードと4・25ネットワークの活動、事故報告書の分析、国鉄の歴史と分析、福知山線脱線事故につながる信楽高原鉄道事故、JR西日本天皇と呼ばれた井手正敬氏へのインタビューなど多岐の項目に渡って構成されています。

このエントリーでは本書を読み感じた、JR西日本はなぜ性悪説によって組合員を管理していたのか、著者が最後まで理解し難かったと思われる淺野弥三一氏の信念、また僕も企業勤めなので企業側の論理の3点について見ていきたいと思います。


〈なぜ性悪説で組合員を管理し続けたのか〉
「営業列車に30分以上の遅れを生じさせたものを「責任事故」、それより軽いが、10分以上の遅れを生じさせたものを「反省事故Ⅰ」、上記二つには該当しないが輸送障害を生じさせたものを「反省事故Ⅱ」などと決め、処分の対象としていた」

本書の中にはこのような組合員を性悪説で捉えるような記述がいくつも出てきます。「責任事故」「反省事故」という事故の種別についても、事故は100%運転士の過失という強烈な性悪説に基づいている表現のように見受けられます。

明らかにミスを犯しやすい状況というのはありますので、全てを自責として処理されるのは科学的とは言えないと思いますが、JR西日本ではそれがまかり通っていたという事になります。

製造業だとフェールセーフといって、人間はミスする前提でそれを回避するような対策をするのがセオリーだと思っているのですが、井手正敬氏の社長在任時も安全は重要と言いながら個人の責任で全てを済ませようとするという所にかなり違和感を持ちました。

JR西日本天皇と呼ばれた井手氏はインタビューの中で「組織的に事故を防ぐと言ったって無理です。個人の責任を追求するしかないんですよ」「放っておけば現場はすぐ緩む。楽をしようと元に(国鉄時代に)戻るんです」「完全に運転士のチョンボ。それ以外にありえない」というコメントや「井手さんは、事故が起こるとまず、運転師が悪い、たるんでいるからだという。二言目には『クビだ!』と怒鳴ってね、怒ると手がつけられない。運転士には旧動労系が多かったから(後略)」という山崎元社長の証言など、性悪説を通り越して組合員への憎しみにも近いような感情を感じます。

国鉄時代は国労動労、鉄労などの労働闘争は苛烈を極め、現場協議制度という名の組合員の突き上げやいじめにも等しい吊し上げによって自殺した駅長や助役、ちょっとした人事異動すら組合からの妨害に遭う、順法闘争というサボタージュストライキ権がないのに権利を求めてストライキするスト権スト等々、国鉄の現場は荒れに荒れていたので、経営層のエリートが組合と組合員へ恨みを持つのはある意味当然の感情であるとは思いますが、我々の想像を遥かに超えた嫌悪感を抱いているのだと思います。

そういった論理を超える負の感情が積年の報復となり悪名高い日勤教育として、国鉄時代にも増して厳しいものとなっていったのではないかと感じました。

日勤教育は内容や日数に規定はなく、各現場長の判断で反省文や就業規則の書き写しや、線路の草むしり、トイレ掃除、ホームに立って列車が通るたびに礼を繰り返すなど、令和の次代から見ると即炎上するのではないかという事が行われていたという事です。

また、JR西日本の経営陣は事務屋が占めており、技術屋や土木屋とは距離があった中で、事務屋とは即ち国鉄時代に労務管理で組合に煮え湯を飲まされ続けてきた人達ですから、本気で運転士が悪いと悪いと考えていたのではないでしょうか。

ですので、淺野氏をはじめ、4・25ネットワークの方々はJR西日本と戦っていただけでなく、国鉄時代の組合の亡霊とも戦っていたのではないかと、途方もない気持ちになります。


〈淺野弥三一氏の信念〉
「被害者の責務」

冒頭の「これは科学技術論争だ。感情論ではないんだ。感情論をぶつけあってる限り、安全への道は開けない」という言葉は4・25ネットワークの代表であった淺野氏の言葉です。

淺野氏は都市計画を専門とする技術畑の方なのですが、著者の松本氏は淺野氏の行動を支えているものが一体何であるのか、なかなか納得がいかないような記述が随所に出てきます。果たして「被害者の責務」などというものがあるのだろうかと。

僕が本書の淺野氏の言動を知る中で、同じような思考をする方が身近にいた事を思い出しました。今勤めているメーカーの工場長だった方で、今はもう退職されてしまったのですが、技術畑で厳しくも温かい方でした。仮にSさんとします。

その人がよく仰っていたのが何かトラブルや問題が発生すると「事実をありのままに時系列で簡潔に伝えるように」と仰るのです。つい私達は自分の立場でエクスキューズに走り、すぐ思いつきの対策に向かってしまいがちなのですが、Sさんは事実を出来るだけ多く集めるように指示し、短絡的に解決策を提示しようしたら怒り、自分でも現場に行くことを欠かさない人でした。

要するに、S さんは「問題の全体像や構造が分からないことには真の解決にはならない」という信念を持たれている方だと理解してからは対応を間違わないようになりました。

口癖が「それって本当なの?」「ちゃんと調べたの?」「Nはいくつ?」だったので、部下としては辛くなかったといえば嘘ですが、かなり鍛えられました。

Sさんは「事実関係が分かれば問題は八割方解決したようなものだ」というのも口癖でした。僕は文系ですが、技術屋の思考に触れられたのは人生においてとても貴重な体験でした。

淺野氏は真実を明らかにして、問題の全体の構造を明確に把握し、その前提があった上での確実な安全対策を求めていたのではないかと、そうでないと「被害者の責務」という言葉は出てこないのではないかと思うのです。


〈大企業の論理〉
「ひと言で言えば、彼らには事故を起こした当事者という意識がないんですよ。(中略)上から下までそういう組織になってしまってるんでしょう」

僕も規模の大きい組織にいるので、これは正直耳が痛いのですが、例えば自分から遠い部署が何か不祥事を起こしたとして、当事者意識が持てるかというと、「余計なことしやがって」と思ってしまうのではないかと思います。

分業は責任を部分的にする。これ自体は悪い事ではないと思います。リスクマネジメントをしている訳ですから。

ただ、JR西日本の縦割りの風通しの悪さや、影響力の強い部門が会社の権限を握ってるとか、1個人として話は出来るが、組織になるともう話にならないというのは、弊社も程度の差こそあれ弊社も似ていますから、大企業批判のところについては読んでいてJR西日本側の社員の気持ちもごく一部ですが分かってしまったというのが正直あります。

さすがに事故当日にボーリング大会というのはちょっとないなと思いますが、正常性バイアスというか、内輪の論理は益々許されない時代になってるような気がします。

また、国鉄民営化当時に黒字路線だったのは山陽新幹線大阪環状線のみで、関西は私鉄王国ですからJR西日本の置かれた状況は最初から厳しく、アーバンネットワークによる高速化、余裕時分の全廃など、安全は個人の責任に多くを追わせて利益追求にひた走り、事故が発生する前までJR西日本はエクセレントカンパニーと呼ばれていたのです。

ただ、利益至上主義のその先の軌道として、事故はいずれは必ず起きるだろう予測していた人もいた中で、108人の命が奪われる事故が発生してしまいました。

こういう事態が起きなければ会社が変わるきっかけが訪れない(それでもなかなか変わろうとはしない)というのは、第二次世界大戦の日本と重なりますし、弊社もショック療法がないと変わらないよと諦め顔で言う人もいます。

問題は構造の一番弱いところに発生します。JR西日本ではそれがよりによって安全でした。

いま収束が見えない新型コロナウイルスでは医療機関がそのような状況になってしまっています。日本の公衆衛生はレベルが高いと思っていましたが、危機管理体制として脆弱だった事が露呈しました。

何か問題が発生すると、それは遠くない過去にどこかで見た事のある光景であったりします。我々は驚く程学んでおらず、また誰かのせいにして自分は安全地帯にいるつもりになっているのではないでしょうか。

また今回のエントリーでは触れませんでしたが、井手社長の後を継いだ山崎社長のエピソードなど、事件に関わった人達を丁寧に取材していると感じました。著者の松本氏は歴史を記録する使命感があったのではないかと思います。

JR西日本の社員の中でもJR福知山線脱線事故が風化しつつあるというニュースを見ました。未読の方は1度この本を手に取って頂き、既に読んだ事がある方はもう一度読み返してみては如何でしょうか。

軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い

軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い

  • 作者:松本 創
  • 発売日: 2018/04/06
  • メディア: 単行本