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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

【書評】なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議

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さぷさんです。僕の母方の祖父は満州鉄道で車掌をしていたらしく、祖母は75年前の8月9日に長崎の原爆のきのこ雲が当時住んでいた鹿児島から見えたと言っていました。

もう祖父も祖母も亡くなってしまいましたが、もう少し戦争の話を聞いておいたほうがよかったという気持ちと、一方で戦争の話を聞きたいと言ったとして、はたして話してくれたのだろうか?とも思います。いずれにしても確認する手段はもうありません。

8月はやはりテレビも新聞も戦争関係の番組や記事が多い訳ですが、なぜあんな無謀な戦争を始めてしまったのかというテーマの番組や新聞記事は必ずあるような気がします。

大きな視点でいうと、戦争とは領土の拡大が大きな目的の一つである中で、遅れてきた日本、ドイツ、イタリアの枢軸国側が覇権の拡大を計ったという事があると思う訳ですが、日本人だけで310万人、連合国側と枢軸側併せて5565万人が亡くなり、代償が大きすぎる事に絶句します。

1941年12月7日になぜ日本海軍が真珠湾攻撃を行い、泥沼の太平洋戦争に突入していったのか、長年すっきりしないものがありましたが、この本を読んでようやく理解出来た気がします。

本書は1976年から1978年まで、「大東亜戦争の開戦の経緯」という陸軍の中堅幹部の座談会をあらためてまとめ直したものです。

なんとなく「海軍善玉論」 「陸軍悪玉論」という見方が頭の中にあったりするのですが、陸軍に比べて人員構成で10分の1の海軍は話をまとめやすいようで、戦後にすぐ何冊か反省本をだしたり、日露戦争での日本海海戦での勝利や山本五十六の人気がある一方で、陸軍は泥沼の日中戦争インパール作戦など悪名が高い訳ですから、なんとなく信じてしまいそうですが、事はそう単純ではない事が本書で理解する事が出来ました。

本書の中で興味深かった話をいくつかピックアップしてみたいと思います。


「決意先行思想と準備先行思想の海軍の功罪について(中略)陸軍は、決意してから準備をする。もちろん、それで外交が成立すれば元に戻ります。しかし、外交が成立しない場合には、やるという決意です。ところが、海軍は、決意は最後の段階においてやればいいのではないか。準備だけはやる、というのです。陸軍は、戦争となると、大兵力を動員しなければならんし、船を膨大に徴用しなければならん。そういう重大なる戦争準備は、国家の戦争決意なくしてやるべきではない(中略)ところが、海軍はそうではない。なんでもいいから準備だけはやってしまおうというんで、どんどんやってしまっている。海軍の戦争準備は、もう終わっているんです」

上にも書いたとおり、海軍の人員は陸軍の1/10の規模です。また、海軍は兵站を考える必要がありません。船の燃料、砲弾、食料さえ準備出来てしまえば、それで戦争の準備が完了します。

一方で陸軍は、侵攻するのであれば、綿密な作戦を立て、海軍の10倍の規模の組織を動かし、大量の物資を調達し、現地での戦闘から制圧後の占領政策まで計画しておく必要があり、すぐには動き出せないという組織的な違いがあると言うのです。

また、1941年の状況で言うと、6月には海軍は戦争の準備が出来ており、泥沼の日中戦争を何とかしたいというのと対ソ戦想定する陸軍に対して、なんとか南方に侵攻したいと考えている海軍の思惑があったそうで、太平洋戦争に積極的だったのは海軍であった事に驚きました。

一方で米英への戦争意思はなかったとされる陸軍も、1931年の満州事変、日中戦争、北部インドネシアへの進駐など、相当乱暴に事を進めていた訳ですから、どっちもどっちなのかなという気はします。


「戦争を始める段階では、統帥部も陸軍省も、長期戦争になるであろう、少なくとも数年にわたる大持久戦争になるであろうと言うことであって、その結果、勝つと見通してないんですよ。(中略)たった一人で「鉄がない」とか言えないですよ。当時の雰囲気は、本当に言えないんだ。」


鉄も燃料も米国からの輸入に頼っていた中で、当然物資が底をつくという事は当然軍部も理解していた訳ですが、まだ戦えるのに手を上げるのかという事は言えず、わかっていながら太平洋戦争に突入していった事が分かります。

あと2年で燃料が尽きるという事が分かっていて、燃料が尽きたから戦艦はただの鉄の塊ですから、動けるうちに動きたかったという論理なのですね。


「明治時代はまだいいんです。軍人も、文官も、みな、武家の出身で、政治も軍事も、よく知っているんです。だから、政治家も戦争というものを、よく知っているんですな。ところが、大正以降になると、そういう元老がいなくなってきた」

幕末から明治にかけては、主に薩長を中心とした元武士が政権の中枢にいました。武士は内政も外交も軍事も全て担っていた訳ですから、戦い方も引きどころも心得ていたと言う事なのだと思います。

制度や組織が整えられて行く中で、分業化が進む訳ですが、軍人と文民がそれぞれ相手について理解がなくなり、個別最適化が全体を壊すという事になってしまったのだと思いました。

私達はなぜあのような戦争をしたのか、日本陸軍も海軍も政府もなぜ情報の共有を怠ったのかと他人事のように批判しますが、翻って自分の勤めている会社で、となりの部署が何をやっているのか分からなかったり、対立している部門があったりするのはよくある光景です。

そういう意味で80年前と現代は地続きの話であり、分業とは遠心力ですから、マネジメントの工夫は私達に常に求められています。

その他にも山本五十六真珠湾攻撃への批判や、この手の本には必ず出てくる服部卓四郎と辻政信など、興味深い内容が多く書かれていておすすめの本です。