アベ的なものが許せない人
さぷさんです。今いちばん許しがたいのはコロナ禍なのに飲み会開催をしようとしている同僚です。
さて、安倍首相辞任で「アベ政治を許さない」と言っていた人たちは一体何を生きがいにしていくのかしらと思ったら、「アベ的な政治は許さない」という事のようです。
もはや手段が目的化しているような気もしますが、ああいう方々は何にたいしてもアゲインストなんでしょう。
そういう僕の両親も年代的には団塊の世代のちょっと下になる訳ですが、母親のバックに「NO ΝUC」という缶バッジが付いているのを見つけました。身近にアベガーがいましたよ。
そして、以前父親がこんな事を言っていたのを今になって思いました。僕がまだ高校くらいの時だったと思うのですが、「今の自民党は許せない。今回は批判票という意味で共産党に投票する」と息巻いていました。
当時は政治の事などよく分からないので聞き流していましたが、今思うと自民党が政権政党であり続ける前提での批判票という事ですから、55年体制の中でしか思考ができていないと言うか、自民党政権を暗に認めている前提での発言であるという事に本人も気が付いていないのではなかったのかと思います。
また、面白いと思うのが、「アベ政治を許さない」と言う時の安倍首相がなぜアベになってしまうのかと言う事です。
これはおそらく表象文化論的に理解すると、安倍首相が記号化してしまっており、批判する人のイメージが投影しやすい概念に昇華されてしまっているのではないのではないかと言う事です。
つまり、安倍首相にはアベガーさん達の何某かの負の願望が付託されたものが、「アベ」という表彰表現につながっているのではないかと言う事です。重要なので繰り返しますが「アベ」とは概念です。
ではその付託されているものとはなにか。安倍首相は祖父に岸信介、父に安倍晋太郎を持つ典型期なエスタブリッシュメントです。血筋としても昭和的な父性を体現しており、最近は封印していましたが、憲法改正にも強い意欲を示していました。
おそらくアベガーさん達は父性的なものに対する拒否感がそもそも強いのではないかと思います。
僕の両親も団塊の世代がすぐ上にいた、何かにアゲインストするのが基本的な行動様式だった時代の人間ですし、テレビでそのような人達を見ていてもヒステリックなものを感じてしまいます。
もしかすると、個人的な体験として、自分の父親との関係性にそもそも失敗があり、それを安倍首相に投影しているというケースは意外に多いのではないかと思っています。
真に建設的な議論をするのであれば、政策毎に冷静に判断すべきであって、外交と公文書管理では評価は全然違って来ると思います。
全てひっくるめてアベガーと言っているアベガーさんはどうなのかしら?と思います。うちの両親ですが。