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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

誠実であることはかなり難しい

さぷさんです。理想は高く、腰は低くがモットーです。

さて、日経新聞などで会社社長などのリーダー論を読んでいると、かなりの確率で「誠実さ」が重要であると記事の中で言われている気がします。

「誠実さ」とは大変いい言葉ですが、印象な強烈なワードに我々はしばし思考停止をしがちです。

例えば「AI」と言ったときになんとなく凄そうで思考停止してしまうのは良くなくて、AIに対してデータセットを用意し続けられるのか、アウトプットの定義はどう決めるのか、囲碁や将棋と違ってビジネスは唯一絶対の答えがないものですから、現在の慣行を正とした場合にその前提が間違っていることを疑わないと結局現状追認の強化になるだけだとか、フィードバックループをどう回すのかとか、そういう事を考え出すとAIは万能では無いことはすぐに分かります。

話が少しずれましたが、「誠実さ」を少し分解するとすると、「誠実さ」は自己と他者の関係性で成り立たつとした場合、以下のことが言えるのではないかと思います。

「他者を尊重し、己は謙虚」
「事実をありのままに受け入れる」
「間違いは素直に認め、他者の間違いには寛容」

3つほど書きましたが、これが出来ている人はほとんどいないように思えてしまいます。「誠実さ」だけでなんとなく感じていたイメージとはえらい違いです。

そして、残念ながら世の中はいい人ばかりではありません。NHKで毎日18時台後半に振り込み詐欺の電話が多かった地域のニュースが流れますが、騙されないように気を付けなければならない事が多いのも事実です。

そんな中で、無条件に「他者を尊重し、己は謙虚」などという事をしてしまっていたら、すぐに騙されてしまうかもしれない訳です。

「誠実さ」は発揮すべき相手を見極めなければならないので、実は認知的なリソースを使う高度な判断が前提となると思っています。

仮に認知レベルが下がっているとした場合に、騙されないようにする為にはコミュニケーションをシャットアウトするしかない訳で、齢をとると頑固になると言いますが、自己防衛手段であると思うと理解できます。(納得は出来ませんが。。)

そして、「事実をありのままに受け入れる」ですが、人間は残念ながら自己のフィルターを通してのみ世界を理解する事が可能であり、客観的事実を本当に客観的に受け入れられる人はほとんどいないように思います。

例えばよくある残念な例として、プライドが高くて自己愛が強いタイプの場合、自分の評価が低いことを受け入れる事が出来ません。

ですので、自分が正しくて周囲が間違っているという世界観に逃げ込み、自我の崩壊を食い止めている訳ですが、私達は多かれ少なかれ自分を守るために都合のよい解釈をしがちです。

自分に都合が悪い内容も認め、ありのままに受け入れる事が出来る人は相当に強い人だと思います。

また、「間違いは素直に認め、他者の間違いには寛容」ですが、これは齢をとると「ごめんなさい」が言えなくなってきますが、本当になかなか出来ない事です。

と言う訳で、「誠実さ」を身に着けている人というのは、認知リソースが豊富にあり、事実を認識するためのものの見方が出来ていて、自分に不都合な真実を受け入れるメンタルの強さ、過ちを認める勇気が備わった稀有な人物であり、そりゃ社長になりますよね。という事なのだと思います。