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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

自己啓発本はなぜ読んでも無駄なのか

さぷさんです。クリスチャンではないですが、労働は原罪だと思っています。

さて、僕も一時期ビジネス系の自己啓発本を読み漁っていたことがありますが、読んだ本の内容を一切覚えていないので相当の金と時間を浪費したと思ってます。

自己啓発本アメリカ発で日本に輸入されたと思っているんですが、今回はその事について書いてみたいと思います。

以下、本からの引用です。

『「リバイバル」という現象そのものは、寄せては返す波のようにこうして何度でも繰り返す。そして、そうであるからこそ、リバイバルは成長ビジネスとなる。一度の回心で誰もが聖人になってしまったら、この商売はやがて行き詰まってしまうだろう。しかしリバイバルは、いわば同じ客に同じ商品を何度でも売ることができる』(森本あんり 反知性主義

ちなみにここで言うリバイバルとは、信仰復興というキリスト教の宗教用語で、キリスト教徒だけれども信仰心がさほどない人たちに回心を求める一連の運動であると理解しています。

そして、18世紀のアメリカのリバイバルは凄まじかったようでして、以下のエピソードでそれを感じる事が出来ます。

『信仰復興が最初に明瞭な記録として残されたのは、1734年のことである。(中略)その年の春、二人の若者が相次いで急死し、人々の間に人生のはかなさについて実存的な不安が広まった。これに数人の回心が続き、さらにある身持ちの悪い婦人が劇的な回心を遂げるに及んで、町全体が急速な宗教心の高揚を見るに至る。(中略)教会の礼拝や祈祷会は大盛況で、集まった人は救いの歓喜や罪の悲嘆にむせび泣く。ひきつけや痙攣などの身体的症状を起こす人もある。(中略)当時の人びとが交わす挨拶の言葉は、「もう経験されましたか」だったという。こうした状態が数カ月ほど続く。要するに集団ヒステリーである』(同書)

僕が考えているのは、自己啓発本の源流を辿るとこのリバイバルに行き着くのではないかということなのですが、リバイバルとは当然神に対しての信仰の確信を得続ける事だと理解しています。

ただ、森本あんり氏も集団ヒステリーと言っている通り、これはちょっと特別な精神状態だと思われ、神の啓示を毎日感じていられる人などほぼいないでしょうから、また日常に逆戻りしてしまう中で、エヴァンジェリストによる説教によって何回目かの回心果たすというのが必要とされたという事なのだと思います。

ちなみに反知性主義にも少し触れておきますと、反知性主義とは決して知性的ではないと言うことではなく、もともとアメリカの建国の歴史そのものが腐敗したカトリックに対してのプロテスタントのさらに急進派の人々が中心に建国した国ですで、キリスト教福音派の人々は根本的に反権力主義である事と、マルティン・ルター以降の聖書中心主義を最も忠実に受け継いでいますから、それでどうなったしまうかと言いますと「自分が正しいと考える事は正しい」という思考になるそうでして、それを反知性主義と言うと理解しています。

ですので自己啓発本のご先祖にあたるリバイバルというのは、神を体験するという非常に宗教的な行いだったと思っています。

そして、本家のリバイバルについても、回心の体験がそうそう残り続けるものではなく、何度でも繰り返す必要があったと言う事で、エヴァンジェリストはビジネスとしても成り立つという皮肉な側面があったと言う事です。

自己啓発本の全てが役立たないとは言いませんが、源流のリバイバルからして永遠に体得出来ないような構造を根本的に抱えていた訳ですから、それの現在形である自己啓発本を何冊読んだところで意味がないのは歴史的な宿痾であると言えると思います。

また、リバイバルの源流を引き継いでいると思われるのが、平等主義です。確かに神の前で人は平等ですが、キリスト教は社会的に平等であるべきとは言ってません。

私達日本人はなんとなく、機会は平等に与えられていて、努力しない個人が悪いというような自己責任論を展開しがちだと思っていますが、はっきり言いまして暴論かもしれないですが、平等なのはだれでも1日24時間なのと、法治国家なので法の前では平等という事くらいで基本的には不平等だと思っています。

個人の特徴や能力も人それぞれですし、生まれによってアクセス可能な社会資本の質には大きな隔たりがあります。(それが見えにくいのが日本の特徴だと思います)

ですので、前向きに努力すればお金を稼げるというのが自己啓発本の基本スタイルだと思うのですが、常にポジティブになれないから人間な訳でして、仮に誰かを理想的な人だと思っていたとして、その人の人格が安定して見えるのは、限定的な状況でしか交流していないからだと言えるのではないかと思います。

中にはそういうスーパーな人もいるかもしれませんが、たまに世間的に成功した有名人が薬物やDVなどで捕まったりしてしまいますが、光が強ければ影は濃くなるものです。バランスがとれなくなってしまう事も多いのではないかと思います。

そして自己啓発本は神の啓示を受けるという崇高な面があったリバイバルと比べてお金儲けによる自己実現に矮小化されてしまっている訳でして、さらに長続きしない要素が満点だなと思います。20代の頃の僕に会えるのであれば説教したい事のひとつですね。

やはり読むべき本は期待の新刊ではなく、古典や歴史の本、専門書などだと思います。