箱根駅伝は新年の奉納の神事であると思う件
箱根駅伝は日本の伝統的な神事なんだなあとふと思ったのでその事について書いてみます。
箱根駅伝はご存知の通り、大手町からスタートしますが、強引ですがほぼ日本橋とさせて頂くとして、品川、川崎、鶴見、横浜、保土ケ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根とほぼ旧東海道の宿場町を通ります。そして往路の目的地の先にあるものは霊峰富士山です。
つまり、箱根駅伝とは旧東海道を霊峰富士山に向かって若い衆が競い合って駆けつけるという、新年の奉納の神事という極めて日本的な行事なのだと思います。走る距離は全く違いますが、毎年関西地方でニュースになる西宮神社の福男選びと似ていますよね。
また、箱根駅伝の中継では事ある毎に歴史や各校の伝統などのエピソードが挿入されていきますが、箱根駅伝そのものが伝統と格式を持ったイベントを超えた神事であるという事を日本テレビが総力を上げて全国ネットで放映している訳です。
そして、5区の山登り区間のエキスパートにつけられるのは山の神という称号です。この名称は箱根駅伝という神事において神様の加護があるくらいの信じがたい力を発揮しているということの現れなのだと思います。
そうでないと、大会としては関東の大学しか出れない地方大会が日本全国でここまで盛り上がるとは到底思えません。
また、最近の青山学院はとても強いですが、ミッション系の上智大学や立教大学、明治学院大学、関東学院大学は箱根駅伝に参加していないか、あまり熱心ではなく、逆に東洋大学、駒澤大学、国士舘大学、國學院大學などが熱心なのはこういう所に遠因があるかもしれません。
ですので男女平等のこのご時世、例えば10区間を男女5名づつにすればいいのではないかと思いますし、女性で箱根駅伝を走りたい人もいるのではないかと思ったりするのですが、そういう議論はあまり聞いたことがありません。大相撲も同じだと思いますが神事に関することに対して、日本人はかなり保守的である気がします。
それというのは繰り返しになりますが、箱根駅伝が江戸の旅を忠実に再現し、霊峰富士への若い衆の参拝という神事として定着しきっているからだと思います。
日本人は無宗教と言う人もいますが、一神教のようなわかりやすさがないだけで、神道的な感覚は多くの日本人がまだ持っているのではないかと思います。