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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

ミッドライフ・クライシスとブログ

さぷさんです。ついにアラフォーですらない年齢になってしまったので、正直こんなかわいい名前でやっている場合ではありません。

さて、前回のブログのエントリーから一ヶ月半くらい日が空いてしまいました。仕事が忙しいということもあるんですが、(エントリーを書かなくなったのは)それだけじゃない気もするので、そのことについてちょっと書いてみたいと思います。

上のパンダは最後の方で説明すると思います。

〈いわゆる中年の危機〉
僕もいつも間にか45歳になっていた訳ですが、シンプルに体力が低下しています。

何かを成し遂げるということは、体力✕能力✕動機だと思うんですが、(これはこれでメリトクラシー的ぽい考え方であまり好きではないんですが)体力が全ての根幹ですから、目的に対するアウトプットの量と質が落ちていくのをなんとなく感じています。

あとは、自分の能力とか会社におけるポジションも大体分かってきますので、なんとなく冷めてくるようなところがあります。

要するに心身ともに熱量が低下していく中で、弊ブログはなんといいますか、「これを言語化したい」というような気持ちで書いてきたような気がしていて、もう少し具体的に言いますと、心にもやもやしているものをアウトプットしたい欲があるようなイメージで書いてきました。

それが上手くエントリーに出来たときは気分がいいですし、そうでないときはさらにもやもする訳ですが、自分が自分のエントリーの最初の読者であって、そして場合によってはただ一人の読者かもしれないし、他の方が読んで共感してくれたらさらに嬉しいという楽しみが、少なくとも数年間ブログを続けられた理由なんじゃないかと思ってます。そもそも文章を書いて、それを読み返すことが好きなんですよね。

ただ、冒頭の話に戻りますが、最近は「(エントリーにしてまで)言いたいことは特にないです」みたいな感じになってます。

〈なぜなのか〉
僕のブログは大まかなカテゴリに入れるとするとビジネスとか人事系とかだと思うんですが、例えばこうしたほうがいいみたいなことを書いたとすると、それが全部自分に跳ね返ってくるような年齢になってしまいました。

若い頃は会社の不満を書いていればよかったんですが、自分が責任ある立場になってくると「(社内稟議的なお作法は別として)実質的にこれを決めるのはおれか」みたいな状況があったりするわけです。

例えばこの課題を根本解決するにはかなりの人を巻き込んで時間のかかるA案か、当座をしのげるB案かみたいな状況においては、B案を選びたくなる気持ちを抑えてA 案をなんとか進めようとするわけですが、当然ヒトモノカネは有限ですから、やりたいことが全部出来る訳はありません。

会社全体がなんとなく見えてくる中で、基本的には会社を悪くしている悪人はほぼおらず、前例踏襲の不作為が蔓延しているというのが会社の正体といいますか、実態でした。

ですので、エントリーで何かを書いたとしても、なんだか言ってることがブーメランで帰ってくると言いますか、自分で自分を責めるようになってしまうように感じてしまい、真面目なエントリーを描くのを躊躇してしまいます。

〈では軽めのエッセイを書けばいいのか〉
ということになりますが、日経新聞の夕刊に載っているような(失礼)軽めのエッセイみたい内容のエントリーについては、以前はそういうのを書くのも好きだったんですが、なんだか面倒になってしまったというのがありますね。

中年になると無口になっていくタイプのおっさんがいると思うんですが、なんか僕はそっちのキャラな気がします。

〈なんとなくの達観〉
また中年の危機の話に戻ったような気もしますが、この年になると世間がどんな感じで回っているのかがなんとなく分かるようになります。

その知識を使って、会社ではある物事を成し遂げたい時に、どこをどうつつけばよいのかそれなりに分かってきたので、仕事はしやすくなりましたが、なんといいますか、分かってしまったことはあまり面白くないという気持ちもあります。そして、自分が動かせないと思ったものはそっと諦めるというところもセットになっているという(自分自身の)残念さもあります。

なので、やはり最後は情熱や執念なのかなーと思います。僕は長文を書くのは好きですが、やはり好き止まりと言うことです。

あとこれはブログとは関係ないですが、以前社会起業家の方の講演を聞かせて頂いた時に、その方は精神障害者の方の支援しているNPOの方だったのですが、実の母親に殺されかけたというとんでもない過去をお持ちとのことで、かなりの使命感をお持ちになられているように感じました。また別の方は、低体重児の赤ちゃん用の服を作られている方だったのですが、ご自身が低体重児をご出産され、NICUの中で亡くなられてしまったそうなのですが、服を着させてあげたかったとの思いで起業されたとのことでした。

僕はいいとか悪いとかではないんですが、そのような過酷な原体験はありませんので、そこが弱いところだとは思います。ただ、弱くて良いのではないかとも思います。

〈絵を書くということ〉
僕はいまスマホのお絵かきアプリで絵を描いていまして、上のパンダは30 分くらいで描いたものですが、僕にとって今絵を描くということは仕事や家庭から完全に離れた趣味になっています。

今はかなり仕事が大変なんですが、仕事を全く忘れることが出来る手段としての絵というのはかなりよくて、絵を書くということに集中できますから、上のパンダを描くときは、パンダを短時間でどうかわいく描くかしか考えなくて済むわけです。

そして、絵は多分描いていて満足することはないので、ずっと続けられそうな気がしています。

ただ、創造物というのは大げさな言い方をしますと、少なからず命を削りながら作り出すもので、それなりのパワーを必要としますので無理ない範囲で続けたいと思います。

〈執着が無くなるのは悪いことではない〉
絵は別として、執着が無くなるの悪いことではないかなと思ってます。

他のミドルエイジの方のブログなんかを読んでいて、老いになんとか抗おうとするのはなかなか読んでいて辛いものがあります。圧倒的に不利な戦いですから。

ですので、なんといいますか、執着とか欲が無くなっていくのは悪いことではないと思うんですよね。

例えば僕くらいのレベルになりますと性欲も絶賛減退中ですから、煩悩がひとつ減って良かったなと思ってます。そうやって現世への未練を一つづつ消していければ、死は最後のおつとめとして受け入れることができるかもしれません。

ただ、これはなんといいますか、比較的恵まれた境遇だからこそ言える贅沢であることは心に刻んでおきたいと思います。はい。