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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

なぜ私たちはエヴァンゲリオンに熱狂せざるを得ないのか

さぷさんです。大学生の頃に深夜に再放送していたエヴァにどハマりし、旧劇はスルーしましたが、新劇場版は「序」「破」「Q」を見た(と言ってもアマゾンプライムビデオですが)エヴァ中級者です。

いよいよ3月8日に『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開されますが、なぜ私たちはここまでエヴァに熱狂せざるを得ないのかちょっと考えてみたいと思います。

エヴァは謎の考察が盛んですが、岡田斗司夫の「エヴァはその場その場の盛り上がりを重視していて整合性は考えてないと思う」という発言でしたり、オリラジ中田の「エヴァは現代の神話。神話は整合性が取れてなくて当たり前」というエヴァが好きすぎるが故の全肯定もあったりしますが、僕も謎の整合性にはあまり興味がなく、熱狂の正体の方が興味があります。

と言う事でエヴァというよりもエヴァの制作者である庵野秀明監督にフォーカスしつつ、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のラストについても考えてみたいと思います。


<壮絶な自己嫌悪>
「人間以前に、生物嫌いですね。動物も好きじゃないです。僕が肉や魚を食わないのも、たぶん、嫌いなんですね。そんな気持ち悪いもの食えるか、と思うんですけどね。まだ明解な答えとなってはいなんですけど」(庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン

庵野秀明は親が殴ろうが蹴ろうが肉類は食べなかったそうですが、以前何かでハムサンドのハムを外してサンドイッチを食べているのを見たような記憶があり、かなり驚きました。また、あれだけ絵が上手いにも関わらず、人物が全く書けないのでナウシカ巨神兵のシーンを書いていた時にしびれを切らした宮崎駿が「人物はマルチョンでいいから」と言ったエピソードも読んだことがあります。

誤解を恐れずに言うと、庵野秀明は自己嫌悪の感情が強すぎて、生き物に対する同族嫌悪として肉や魚を食べない、人物が描けないという表面としての現象が出現してしまったと考えています。このコンプレックスがどこに由来しているかはわかりませんが、ここまで強い自己嫌悪はなかなかないように思います。

一方で生徒会長を務める優等生的な側面もあったようなので、(師匠筋の宮崎駿にも通じる)相当に矛盾したものを抱え込んだ人物なのではないかと言えるのではないでしょうか。

また、エヴァンゲリオン庵野秀明が企画からすべて担当した最初の作品であるため(ナディアは他の監督が降りての緊急登板だったそうです)、庵野秀明の負の感情全てが作品に投影されてしまっているのだと思います。


<コピーのコピーのコピー>
「もっと認識すべきだと思うんですよ、僕らには何もないっていう事を。(中略)テレビしか僕らにはないんですよ。(中略)僕らの前の世代には、戦争というかなり大きく組み上げられたイベントがありますからね」(庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

僕は趣味で絵を書くのですが、絵に一番情報を入れられるのは現地で絵を書く事です。その場所の空気感だったり、やろうと思えばモノを実際触ってみて感触も確かめることが出来ます。その次は写真を見ながら描く事でありまして、一番ふわっとした絵になってしまうのは、他人の書いた絵を参考にして書いた時です。

絵を書く際は何かしら取捨選択をした結果が反映されますから、意識的であれ無意識であれ表現として切り落としたものは、コピーする側には見えず、本物の作品の劣化バージョンにしかならないというのが体感としてあります。

庵野秀明は自分がコピーの存在であることに極めて自覚的ですが、それは庵野秀明が愛してやまない「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」「ウルトラマン」などが、戦争を直接経験した世代の作品であることが影を落としています。

また、庵野秀明の師匠筋に当たる宮崎駿も事あるごとに「空襲から車で逃げる際に、親が近隣に住む母子を見捨てた(但し兄の証言は異なる)」という体験の罪悪感を何度もインタビューで語っています。

宮崎駿が「生きろ」「生きねば」という言葉を発する重みは、残念ながら庵野秀明にはありません。誤解を恐れずに言いますと、庵野秀明は戦争体験を欲しているのではないかと推測しています。


<リアリティへの狂気ともいえるこだわり>
「(スケジュールの都合で)外に出したら、それがちょっと不本意な仕事だった。それで再出しするにはお金がかかるけど、そのお金はないわけ。それで美監に頭を下げて「君が直してくれ」って頼むわけだけれども、「時間がないし、やってやれないよ」と美監が言うわけですよね。そうするとしばらく下向いてて、ブルブルブルッて全身が震え出す。で、いきなりその辺の本棚に、頭をガーン、ガーンとぶつけだして(笑)。涙ボロボロ流しながら「チクショーッ、チクショーッ」とか言い始めて。(中略)それで皆が徹夜で直すっていうような状態ですよ」(庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

上記は「トップをねらえ」の作成中のエピソードなのですが、庵野秀明の作品に対する過剰なこだわりというのは、おそらく自分をコピーだと自認しているが故に、自己表現の手段でもあるアニメにおいて、納得できないクオリティというのは自己存在に関わる重大な問題ですから、上記のようなかなり衝撃的な行動に出てしまうのだと思います。

王立宇宙軍オネアミスの翼」の宇宙ロケット発射シーンで、ロケット表面についた薄氷が振動で落ちていく驚異的な手書きアニメーションのシーンがありますが、あのシーンもコピーであるという事への嫌悪の裏返しであると考えられるような気がします。

この動画の3分50秒くらいのシーンですね。これが全部手書きとは。。。
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あと、大学生の時に作った「じょうぶなタイヤ」も恐ろしいクオリティです。
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エヴァンゲリオン葛城ミサトさんがいう「この次も、サービスサービスぅ」とは、決してエロ的な内容についてだけではなくて、作画やシナリオのクオリティの事も含まれているという事になると思っています。


<ATフィールド>
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上記のYoutube動画は庵野秀明22歳時の恐ろしくレベルの高い同人作品ですが、22分12秒のシーンでATフィールドのようなものが出てきます。この時点ですでにATフィールドに似た発想があったという事に驚きます。

ATフィールドの発想の理由について、おそらく庵野秀明は生まれつき相当に感受性が高かったのではないかと思っています。スキゾ・エヴァンゲリオンやパラノ・エヴァンゲリオンに生い立ちの貴重なインタビューがありますが、幼少期に宮崎駿のような強烈なエピソードは出てきません。おそらく、傍から見ればそこまで波乱万丈のある幼少期や青年期ではなかったと思うのですが、感受性の強さからATフィールドみたいなものを想像しないと自分が守れなかったのではないかと想像しています。


<チルドレン>
「シンジ君って昔の庵野さんなんですかって聞かれるんですが、違うんですよ。シンジ君は今の僕です(笑)」
「『エヴァ』のキャラクターは全員、僕という人格を中心に出来ている合成人格なんですけど、(中略)平たく言えば僕個人があのフィルムに投影されているってことですね」(庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

上の発言からすると、エヴァのチルドレンは、碇シンジ綾波レイ、惣流(敷波)・アスカ・ラングレー、渚カヲル真希波・マリ・イラストリアスの5人いる中で、この5人全部が庵野秀明の人格の一部を誇張したものだという事になります。

庵野秀明曰く、綾波レイが一番自分に近いそうですが、それは上記の通り自分が空っぽであるとの認識によるものなのでしょう。その一方で勝気なアスカは、作画での類まれなる才能の部分が特化されており、それをさらに突き詰めるとカヲルになると思うのですが、完璧すぎますし(その割にはQで騙されてますが)、敵になってしまう所に庵野秀明の精神の暗闇の深さを感じてしまいます。

そんな中でマリは14歳よりは大人びて見えますし、性格も前向きでよく歌いながらエヴァに搭乗していますが、これはおそらく統合人格として創出されたキャラクターなのでしょう。安野モヨコの「監督不行届」では、庵野秀明がよくアニメソングを歌いながら車を運転しており、こういった部分がマリに反映されているのだと思います。

そういう意味で、以下のリンク先にある「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」の線路のポスターは人格の統合と捉えることが出来るかもしれません。基本的には直線の線路の先にシンジ君がいるわけですが、脇から線路が2本合流しており、何かの統合を思わせるものです。(人類補完計画は達成されないと思いますので、LCLで溶けて一つになるとかではないと思いますが)

また、気になるのが左端に行き止まりがある事です。これはもしかすると主要な人物の死を暗示しているかもしれません。(このようにエヴァは深読みしようと思えばいくらでも考察できるところが楽しい所です)

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庵野秀明の心境の変化>
エヴァQの中で、冬月とシンジ君が将棋を指すシーンがあり、「31手先で君の詰みだ」という考察厨にはたまらないシーンがありますが、そのあとに「ふーむ……これなら楽しめるか?」と将棋崩しをするシーンがあるのですが、この将棋崩しの部分の考察はあまりない様に思えます。

このシーンですが、庵野秀明の若手育成への想いが込められているのではないかと考えています。このエントリーの引用は庵野秀明が30代の頃の内容なので尖っている内容ばかりでしたが、おそらく歳を重ねるにつれて落ち着いた部分が出てきたのではないかと思っています。

以前テレビ番組でアニメーターを育成するために「日本アニメ(ーター)見本市」というスタジオカラードワンゴによる企画を庵野秀明は立ち上げていますが、おそらくそれは自分がダイコンフィルムで力を付けたという経験があり、それを今の若手の育成の場としたいという思いがあったのではないでしょうか。

そして人を育成するためには、場合によってその人のレベルに応じた教え方をしなければならないというのがあのシーンでの庵野秀明のメッセージではなかったかと思うのです。

「日本アニメ(ーター)見本市」の告知PVです。勢いを感じますよね。
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こちらが庵野秀明も参加したDaicon IV(大阪で開かれた4回目のSF大会だったので、大阪でのconventionなのでDaiconだそうです)
版権関係がおおらか(汗)ですが、上の動画と雰囲気は似ていますよね。
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<突然ですが、村上春樹
「俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ。俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。」(ノルウェイの森

僕は高校生の時に「ノルウェイの森」を読んだのですが、感想は「暗いな、よくわからないな、でもエロいな」でした。そしてこの「暗いな、よくわからないな、でもエロいな」という感想は、エヴァンゲリオンの感想にそのまま当てはまります。

僕の村上春樹の理解は「ある日突然不幸が訪れる」と「他者との分かり合えなさ」だと思っておりまして、分かり合おうとするための手段としてのセックス描写が多かったのだと、今はなんとなくわかりますが、当時はさっぱり分かりませんでした。

そしてこの「ある日突然不幸が訪れる」と「他者との分かり合えなさ」というのエヴァにも当てはまるテーマだと思います。テレビ版1話では意味不明なままエヴァに載せられ、エヴァQでは良かれと思ったことが全て裏目に出るシンジ君は村上小説の主人公のそれと言えるかもしれません。

また、エヴァの登場人物は基本的にまともな人間が一人もいないという不安定さの中で物語が進みます。分かり合えたと思った直後に意思の疎通が出来なくなったりしますし、ゼーレはゼーレで人類補完計画という全人類の人体を一回溶かして一つにするという中二病的な計画を実行しようとしていたりして、人と分かり合いたいのに何か間違っているというエヴァ全体のいびつなコミュニケーションの特徴を感じます。(セックスの忌避みたいなものを感じるので、これはこれで興味深いですが)

ですので、エヴァンゲリオンは、純文学との親和性が非常に高く、私たち現代人が漠然と抱える悩みと同じものを主人公たちも抱えている訳であり、キャラクターに深く感情移入が出来るのだと思います。戦闘シーンに目を奪われますが、この漠然とした不安と他者との分かり合えなさがエヴァへの熱狂の正体だと思っています。


<唐突ですが、シン・ウルトラマン
shin-ultraman.jp

2021年夏に公開のシン・ウルトラマンの情報も徐々に公開されるようになってきましたが、タイトルのキャッチコピーに驚きました。「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」です。

元ネタがあるようでして、初代ウルトラマンの最終話でゾフィーが「ウルトラマン、そんなに地球人が好きになったのか」というようなのですが、僕はもう一つの理解をしています。

庵野秀明ウルトラマンを演じているYoutube動画を貼り付けましたが、庵野秀明ウルトラマンなのですよね。お面すら被っていません。庵野秀明は本当にウルトラマンになりたいのだと思います。ご本人曰くまだ14歳ということですし。

という事は、「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」は「そんなに人間が好きになったのか、庵野秀明」と言い換えることが出来ると思うのです。

肉と魚を子供のころから口にせず、あれほど絵が上手いのに人間が書けない庵野秀明が、、、と思うとめちゃくちゃ衝撃的でした。

<シン・エヴァンゲリオンのラストは>
個人的には、2人のシンジ君同士が向き合い片方のシンジ君がもう片方のシンジ君に「それでも前に進むしかないんだよ」って感じだったら理想かなと思いました。

私たちは庵野秀明の壮絶な生き様を見せつけられてきた四半世紀だったのではないかと思います。

劣等感と優越感、悲観と達観、希望と絶望を絶えず行き来し、かつありえないほどのエネルギーを内に秘め、モノづくりを通してしか他者とコミュニケーションが出来ない人というのは私たちの想像の範疇を超えています。当然理解できるものではありませんが、いずれにしても映画の公開を楽しみに待ちたいと思います。

「僕らは結局コラージュしか出来ないと思うんですよ。それは仕方ない。オリジナルが存在するとしたら、僕の人生しかない。」(庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン