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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

離婚とお笑いコンビの不仲の共通点

さぷさんです。離婚しかけた事があります。

世の中の夫婦の3組に1組は離婚すると言われていますが、2018年は59万組の結婚に対して、20万7000組の離婚があったそうです。

夫婦関係は当事者にしか分からないことがあると思いますが、ここ迄多いと何か共通の理由があるのではないかと思ってしまいます。

お笑い芸人のコンビが不仲という話も真偽は不明ながらよく聞くような気がします。かなり昔ににダウンタウンのドキュメンタリーを見たことがあるのですが、収録開始前まで一切話さずに本番迎えている事にかなりびっくりした事があります。(今は分かりませんが、昔は不仲だったかもしれませんね)

また、最近だと金スマ南海キャンディーズ山里亮太しずちゃんの不仲時のエピソードが話題になっていました。

お笑いはコンビの不仲はよく聞く気がするのですが、トリオの不仲はあまり聞かない気もするので、そもそもお笑いトリオはダチョウ倶楽部とか東京03とか我が家とか、そんなに多くはないというのもあるかもしれませんが、3人いたらもしかしたらバランスが取れるのかもしれません。

話はちょっと変わりますが、産まれたばかりの赤ちゃんはまだ自分と他人が別であると言うことが認識出来ていないというのを以前何かの本で読んだことがあります。

お腹が空いたり、おむつを替えて欲しいという不快感は全宇宙的な不快感である訳です。自分と他者が未分化であり渾然一体となった状態から、徐々に他者を認識する成長プロセスを辿るのだと思います。

話はさらに逸れますが、前の職場の後輩で誠実さゼロと言いますか、他者配慮が一切なく、他部門とはトラブルを起こしてばっかりの困った社員がいたのですが、ある時「自分で服を買ったことがない」と言っているのを聞いてピンときました。

おそらく、母親がかなり甘やかしてきた典型的なマザコンで、自分と他者の分化が30歳を超えた今でもまだ出来ていないのではないかと考えると全ての辻褄が合いました。

他者尊重が出来ないと言うことは、他者を他者として認識する事が出来ず、自己の認識との延長線上に他者を捉えてしまっているのです。

つまり、自分が不快であればストレートに外に表現する事が基本動作であり続けていると言う事ですから、母親の胎内からやり直して頂きたいと思いました。

さて、離婚の話でした。

僕も結婚してかれこれ10年以上経つ訳ですが、なんとなく感覚的なものは共有出来ているんじゃないかとつい思いがちですが、一方で夫婦とは一番身近な他人でもある訳です。

それぞれ別な人生を歩んできて、デートを重ねて結婚して、同じ屋根の下で住んでいるわけですが、相手をどこまで知っているのか、相手が今何を考えてるのか、身近すぎて相当見落としているのではないかと思います。

僕がどれだけ今の配偶者の気持ちを理解していると言われたら自信はないですし、それは妻も僕に対して一緒ではないかと思います。

やはりシンプルに会話をするしかないと思います。率直に。一番身近でいちばん理解出来ていないのが配偶者だと思います。

それなのに私達はなぜかなんとなく同じ感覚を共有しているのではないかと幻想に囚われ、自分の感情を配偶者以外の他人には決して伝えないようなやり方や言い方をついしてしまうのです。

つまり、配偶者の前での私は悪い意味で赤ちゃん返りしており、前の職場の同僚と同じような事を配偶者にしてしまっているという事です。

お笑いコンビもおそらく似たような側面があるのではないかと思います。

下積み時代に長い時間をかけてネタの打ち合わせや練習で共に過ごし、一番身近な他人として苦労してきた中で、相方を他者として認識出来なくなってしまってるのではないかと思います。

もちろんコンビの片方が人気が出たりするなどもあると思います。

「自分以外は全て他者である」という私達が成長する中で学んできた事をあらためて配偶者にも当てはめる事が大切だと思います。愛を誓って結婚した一番大切な他者なのですから。

最高かよに殴られた

さぷさんです。陰キャです。

Twitterをアカウントごと海に沈めたのでイラッとくるハッシュタグ栄光のナンバーワンであり、マイ永久欠番であるところの「#最高かよ」に遭遇する事はほぼ無くなって超絶平和な在宅ワークの日々を過ごしていたんですが、なぜかYou Tubeで「アオハルかよ」がリコメンドに出てきて日清食品に怒りが湧いてきました。もうエースコックしか買いません。スーパーカップ最高かよ。

現場からは以上です。

【書評】オカダマサキ ダンボールアートワークス

オダカマサキ ダンボール アートワークス

オダカマサキ ダンボール アートワークス

さぷさんです。図工は好きなほうでした。

新型コロナウイルスの影響で地方に住んでいる家族の元に帰れず、週末暇で暇で仕方ない中で、池袋のジュンク堂書店で平積みになっているこの本を見つけてつい購入しました。

表紙がカッコいいドラゴンで、これがダンボールで作られていることに驚きました。

ちょうど次男がヒックとドラゴンにハマっていて、週末作って送れば有意義な週末が過ごす事が出来、次男も喜んで一石二鳥!と思ったのですが、なかなか甘くなかったのはすぐに明らかになるのでした。

驚いたのが著者のオカダマサキさんは会社員で、ダンボールアートは本業じゃないという事でした。それでいて圧倒的なクオリティと「ダンボールの声を聞く」「ダンボールを捏ねる(こねる)」などの名言、只者ではないな思いました。

そんな中で、この本の後半部分にいくつかつくり方の詳細が載っており、ミニドラゴンは超上級編になっていたんですが、初診貫徹、作るしかありません。

ホームセンターでグルーガンとカッターを探したところまではいいのですが、Gフルートのダンボールはどこにも売っていません。

ダンボールは厚みによってAフルートからG フルートまで種類があるというのを今回初めて知った次第ですが、ダンボールをネット通販で買うのもちょっとなんかなーと思って、絵を書くために買った厚めの水彩用紙で代用することにしました。

いきなりダンボールではなくなってしまったんですが、何事もチャレンジです。

型紙を丁寧に切って、本に書いてある手順の通り組み立てます。

組み立て時に注意なのが、接着用のグルーガンの糊はかなりの量を使用します。

せっかく水彩用紙で作ったんで色鉛筆でカラフルに塗って完成したのがコチラです。

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ダンボールとは違いますが、一応作れるといえば作れることは分かったんですが、ポーズがなかなか上手くいかず、特に足が難しかったですね。

オカダマサキさんの仰るとおり、水彩用紙との対話が足りてなかったと思いました。

ここで次の作品にトライするか、まあこんなもんかなみたいな感じで満足してしまうのか、僕は後者になってしまうそうなのですが、ここが凡人と何かを成し遂げる人の違いなんだろうなと思います。

取り敢えず出来たドラゴンは次男に送ろうと思います。喜んでくれるといいのですが。

リーガル部門の闇

さぷさんです。持っている資格は普通自動車免許です。

さて、リーガル部門というのは本社機能の中でも特に優秀な人達の集まりで、弊社でも確か半分くらいが弁護士資格を持っていたような気がします。

僕もたまに契約書関係やその他法務案件で打合せをお願いするのですが、彼らの物事への理解力の高さにはいつも助けられます。

訴訟リスクについて必要以上に用心し過ぎな気もしないでもないですが、いざ訴訟になった時の最後の番人になる訳であってポジション的にはそれはそうだよなあと思っています。

それと、言葉遣いとか、服装とか、そんなちょっとした端々に育ちの良さといいますか、「あ、お金惜しみなく投入されている人生ですな」と思います。

そんなエリート集団のリーガル部門ですが、何回か彼らと飲みに行く中で独特な闇があるのではないかと思ったのでその事について書いてみます。

比較的若手のスタッフと飲んでいたのですが、どうもいじめというか、マウンティングのやり合いのようなものが日常的にあるようでした。

グループチャットをしていたら、上司が突然割り込んできてマウント取られたとか、なかなか生々しい話を聞くことが出来ました。

そして数ヶ月後にそのスタッフは辞めて転職してしまったのですが、優秀だっただけに残念でした。

これは弊社のメンバーがたまたまそういう性格の人がいるのか、リーガル部門全体の傾向なのかは分かりませんが、おそらくこういう事はあり得るのではないかと思っています。

弁護士資格のホルダーで企業法務の職につくようなタイプの人は、おそらく小学校の頃から学級委員を務め、先生からも覚えめでたく、エリート街道を爆走してきたような人達が多いのではないかと思います。

クラスで一番だった人達のみの集団が出来上がるとどうなってしまうのか、おそらくトップを取るための壮絶なマウンティングの応酬です。

しかも彼らは頭がいいので分かりやすいマウンティングはせず、グレーなやり方で相手を追い詰めるのではないかと思います。

一人ひとりと話すと基本的にはいい人達なんですが、今までの生き方がそのようになっているので、生存本能として無意識にやってしまうのだと思います。

特にターゲットになりがちなのが、自分を超える可能性がある優秀な若手社員だと思います。

なので、結構彼らは部内に対して悩みを持っており、相談を受ける事の多い部内の事務職の女性がヤバめの情報を全て握っているという結構なカオス状況が出現したりします。

また、企業法務はどの会社でも仕事の手順に変わりはあまりないですし、1案件を最初から最後まで担当する事になりますから、スキルも身に付きやすく、転職も容易だったりします。

どんな部門であったとしても悩みは尽きないものだと思っています。

ヘテロセクシャルは槇原敬之の「どんなときも」を聴くべき

どんなときも。

どんなときも。

  • 発売日: 2008/11/19
  • メディア: MP3 ダウンロード

さぷさんです。今のところストレートに生きています。

LGBTの方は一説には人口の7%とか10%とか言われていますが、仮に7%だとしたら14人に1人いる訳で、クラスで2〜3人いる事になりますから、決して少なくはないと思います。

僕の周りではLGBTの方はいないのですが、かなり昔に残業で遅くなってしまい、夜道をとぼとぼ歩いて帰っていた時に、前から来た男性2人が手を繋いでいたのですが、僕の姿を認めるとその手を離したの見てしまいました。

おふたりの人の大切な時間を僕が切り裂いた訳ですから、申し訳ない事をしたと思うのですが、LGBTの方が堂々とできるような状況にはまだ程遠いのだろうなと思っています。

最近在宅勤務が続くのでAmazon music
Unlimitedで槇原敬之の曲をかける事がよくあります。

薬物使用については良くないのは言を待ちませんが、曲に罪はありません。

特に「どんなときも」は勇気づけられる気持ちになるのですが、この曲をLGBTの苦悩が表現されていると思うとまた聞き方が少し変わってきますし、より深く共感出来るような気がするのでその事について書いてみます。


以前、この本を読んだことがあるんですが、LGBTの方が一番悩むのは自分らしく生きることが難しいということだと感じました。

つまり、例えば自分にパートナーがいたとしても、会社の同僚にはパートナーはいないとか、異性のパートナーがいるといった嘘をつかねばならず、それが大変心の負担になると言う事でした。

愛する人がいるのにそれを同僚に自然に表現できない、愛する人を他人に隠したり偽ったりしなければいけないというのは想像しただけでかなりつらいものだと感じます。好きなものを好きと言えない状況なのだと。

では「どんなときも」の歌詞を抜粋して見ていきたいと思います。


『僕の背中は自分が 思うより正直かい?
誰かに聞かなきゃ 不安になってしまうよ』

『どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言えるきもち 抱きしめてたい
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから』

『消えたいくらい 辛い気持ち
抱えていても
鏡の前笑ってみる まだ平気みたいだよ』

『そしていつか誰かを愛し
その人を守れる強さを
自分の力に変えて行けるように』


この歌詞を見ると、LGBTである事をカミングアウトしたくても出来ず、自分が強くあらねばというような悲壮感が伝わってくる気がします。


「どんなときも」は1991年に発売されましたから、今よりもさらに理解がないような時代だったと思います。

当時槇原敬之さんはカミングアウトしていませんでしたが、おそらく命を削るような思いで作った曲でしょうから、そういう背景を知らなくても心に響くのだと思います。

僕は自分に正直で誠実に生きたいと心から願っていますし、またそのような自分をありままに受け入れて欲しいという願望もあります。承認欲求です。

おそらく、LGBTの方も自分に正直に誠実に生きたいと思った時に、一番誠実にしたい人を周囲に説明する時に嘘という一番不誠実な態度を取らざるを得ない事がとても辛いのではないかと思うのです。

正直で誠実に生きたいだけで、カミングアウトすべきかどうかというプレッシャーや色眼鏡で見られる事に怯えるという事に苦しむというのは理不尽です。

その人が正直で誠実に生きたいと思っているのであれば、それは僕の生きたい生き方でもあります。

あなたは私だったかもしれないのです。他者志向というのは、積極的自己肯定でもある訳です。視点をちょっと変えるだけで。

自分が正直で誠実に生きたいと思っている全ての人は、同じ様に考えている他人が苦しんでいたら助けるべきですし、カミングアウトしてくれたら「ありがとう」と言える世の中になると素晴らしいなと思います。

あと、「僕は今のところヘテロセクシャルだけど、たぶん似てるところがあると思いますよ」とも。

本当は怖ろしいプレゼントの効用

さぷさんです。おごるのは好きですが、おごられるのは嫌いです。

僕は誰かにプレゼントをしたり、食事をおごるのが好きなんですが、決して善意だけではないのでその事について少し書いてみます。

コロナ禍前は後輩から飲み会に誘われた時は必ずおごるようにしていました。1対1なら必ず全額おごりますし、後輩が2人以上の場合はそれなりの額を出すようにしていました。

一方先輩や上司と飲みに行く場合は、お金を出す用意はある訳ですが、基本的には先輩や上司の指示に従っていました。

ただ、おごってもらった場合は次の日に朝イチで直接お礼を言うか、お礼メールを送るように心掛けています。

後輩と飲みに行く際は、時と場合によりますが、僕がお店を決めて予約する事も多く、飲みの場では後輩の話をよく聴き、おごるようにしています。

あまり自分の話をするのは好きではないというのもあるんですが、話を聞いてもらってしかもおごってくれる訳なのでありがたいことに後輩からお誘いが来るのだと思っています。

僕も聖人君子ではないので、ちょっとこの後輩は苦手とか、気分が乗らない場合はもちろん断わります。

お店も多分若い子ならチョイスしないだろうなというちょいといい感じのお店にするのですが、女性と二人で飲みに行く場合は必ずテーブル席を予約して、お酒は意識してセーブしつつ、一軒だけでさっと帰るようにしています。世の中で一番信用が置けないのは酔ったときの自分です。リスクマネジメントは重要です。

次の日(金曜だったら月曜日に)にちゃんとお礼が来るかどうかが重要ですね。特にないようだったら2回目はありません。不義理な人には親切にする必要はなく、謙虚さと誠実さを持ってる人にこそ多くの機会が来ると思っています。

さて、僕は後輩におごることによって積極的に見返りを求めるような事は一切しません。せこい人間はすぐ見破られます。

僕に対して好印象を持ち続けてくれるというのが大変重要です。例えば僕がいない時に僕の噂になったら、その人は多分ポジティブな発言をしてくれるはずです。少なくとも悪口大会になったとしても、そこに積極的には参加しないのではないでしょうか。

また、頼み事が発生した場合や仕事で下調べをしたい場合に連絡するとだいたい即時に反応してくれます。しかしこれは多用厳禁で、本当に必要なお願いがある場合にのみ行うべきです。信用残高は積み上げるのは時間がかかりますが、減るのは一瞬です。

タイトルはプレゼントなのにおごる話ばっかりしてしまっていましたが、プレゼントも同様です。冠婚葬祭や入社異動退職などの節目節目の義理ごとは大変重要です。

僕もある程度親しい人には何かプレゼントや会社では(コロナ禍前は)ランチか飲み会、最低限メールをするようにしていました。

また自分がプレゼントをもらった時はすぐにお返しをするようにしています。

おごりの仕組みと一緒ですが、人間には何か良くしてもらうと心理的な負債が貯まります。心理学用語的には返報性の原理といいますが、高額商品を売りつけるセールスマンも最初は100円ボールペンをプレゼントする所からはじまると言いますし、スパイが協力者に仕立て上げる為に、エルメスのネクタイをプレゼントするというような話も何かの本で読んだことがあります。

では、踏み倒してしまえばいいではないかと思われるかもしれませんが、おごってもらったりプレゼントをしてもらったのにも関わらず、お礼一つも言わないような人というのは、その悪い噂がかなり周囲に伝わると考えたほうがいいと思います。

僕も一緒に飲んでても楽しくなく、またおごってもお礼を言わないような人の悪口を積極的には言いふらすような事はしませんが、誰かから「あの人の事どう思う?」と聞かれた時にとっておきのエピソードとして話すことはあります。実体験に基づいているのでなかなかインパクトはあるのではないでしょうか。

このように、おごってもらったり、プレゼントをもらったりするのはその場での短期的なプラスにはなりますが、長期的にはマイナスになる可能性やきっちり回収されてしまっている可能性もある訳です。

なので僕が一番こわいのはおごりたがりやプレゼントやメッセージをまめに送ってくれる人ですね。知らないうちにその人のコントロール下におかれてしまうで、不義理な人以上に注意するようにしています。

エヴァQ「渚カヲル=宮崎駿」説(考察)

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

  • 発売日: 2019/12/01
  • メディア: Prime Video

庵野(秀明)の悲劇は、自分がコピーのコピーのコピーだってことを自覚していることなんです、ほんとに。(中略)もうほんとにダメだって言ってるんですよ」(宮崎駿 映画雑誌「Cut 2013年9月号」)


先日「エヴァンゲリオン新劇場版:Q」を初めて見たのだが、大方のネットの感想同様「よくわからないな」というのが正直な所感であって、これは庵野秀明の精神世界を理解しない事には始まらないと感じた。

幸い在宅勤務で時間があり、庵野に関する書籍をKindleで漁ってみたところ、宮崎駿に比べて極端に少ない事が分かった。

そこで「スキゾ・エヴァンゲリオン」、「パラノ・エヴァンゲリオン」、安野モヨコの「監督不行届」、乖離症の本を1冊、オウム真理教の本を1冊読み、You Tube岡田斗司夫エヴァ考察の動画を全て視聴し、また庵野のインタビューを可能な限り全て見た。

結論から言うと「スキゾエヴァンゲリオン」、「パラノエヴァンゲリオン」には庵野の幼少期から旧劇場版作成までの本人インタビューとガイナックスの主要メンバーの対談(本人抜き)があったので、この2冊を読んでおけば庵野の特異性を知るのに十分であった。

ちなみに岡田斗司夫が「エヴァはわからない」と謎解きに匙を投げていたので、ストーリーを忠実に追うということを岡田斗司夫ができないという事は、世界中の誰もが出来ないと言う事になると思った次第である。

エヴァの考察動画で良く出来たものもあるのだが、言っている事がみんなそれぞれバラバラで、語られない部分を想像しつつ考察しているように見受けられる中で、やはりエヴァ岡田斗司夫が言うようにストーリーの厳密さは最初から考慮しておらず、カッコいいシーンを作ってつなげているというのが真実の一つとしては近いものであると理解している。

さて、冒頭の宮崎の言葉である「庵野(秀明)の悲劇は、自分がコピーのコピーのコピーだってことを自覚している」と言う事はどういう事なのか、なぜ私が「渚カヲル宮崎駿」説を思いついたのか、宮崎を補助線として庵野の精神世界に迫ってみたいと思う。

まずは庵野の生い立ちを正確に記す必要がある。庵野はカラーテレビ本放送が開始され、戦争の傷も癒えつつある1960年に山口県宇部市に生を受けた。

生い立ちはパラノ・エヴァンゲリオンにやや詳しく書いてあるものの家族に関する記述は少なめであるが、両親と妹の核家族であったのではないかと思われる。(祖父母に関する記載は一切ないため。あくまで推測)

父親は高度成長期の企業戦士で、ほとんど家にいなかった会社人間だったという。また戦時中に事故で足を切断しており、庵野は奇形に対する愛着があると証言している。

母親は父親不在でやることがないから子供にエネルギーを注いでいたといい、そこから逃げたかったと語っているが、母親への言及は極端に少ない。

山口県宇部市は田舎の保守的な土地柄で、学級委員を務めるような優等生タイプだったという。

貧乏だったという事なのだが、友達もそれなりにいて、庵野の幼少期には強烈で特別なエピソードは皆無であると言える。

また、当然庵野はアニメや特撮ヒーロー物には熱中しており、ウルトラマン宇宙戦艦ヤマトがお気に入りであった。

さて、一方の宮崎駿はどうか。宮崎は1941年1月に生を受けている。同12月に真珠湾攻撃が行われ、日本は泥沼の太平洋戦争に突入していく年である。

宮崎の父親と伯父は零戦の部品(風防)を組み立てる工場を経営しており、話はすこしずれてしまうが「風立ちぬ」の堀越二郎と宮崎は浅からぬ因縁があるのである。

また、宮崎は比較的裕福な家に住んでいたので自宅に自家用車があったのだが、空襲から車で逃げる際に、親が近隣に住む母子を見捨てた(但し兄の証言は異なる)強烈な体験による罪悪感は、長い間宮崎駿を苦しめる事になる。

未来少年コナンナウシカ天空の城ラピュタの廃墟のイメージ、「生きろ」「生きねば」などのキャッチコピーは宮崎の原体験から生じているものであり、いくら宮崎が否定したところで、自己を回復する為に作品を生み出してる側面は否定できない。

宮崎アニメのあらゆるキャラクターや物語が宮崎本人のトラウマの昇華と戦争という悲劇の鎮魂への祈りであるとしたら、庵野はどうなるのか。

庵野は前述の通り戦争からある程度復興し、カラーテレビの本放送が開始された年に生まれた。

庵野の人生は宮崎のようなドラマチックな展開はなく、最も影響を受けたのが「ウルトラマン」や「宇宙戦艦ヤマト」であり、「機動戦士ガンダム」であった。

つまり、上記の宮崎の言葉を用いるのならば「コピー」、庵野の言葉で言うならば「パロディ」で成り立っているのが庵野秀明その人である。

象徴的なエピソードが「スキゾ・エヴァンゲリオン」の中にある。

「(スケジュールの都合で)外に出したら、それがちょっと不本意な仕事だった。それで再出しするにはお金がかかるけど、そのお金はないわけ。それで美監に頭を下げて「君が直してくれ」って頼むわけだけれども、「時間がないし、やってやれないよ」と美監が言うわけですよね。そうするとしばらく下向いてて、ブルブルブルッて全身が震え出す。で、いきなりその辺の本棚に、頭をガーン、ガーンとぶつけだして(笑)。涙ボロボロ流しながら「チクショーッ、チクショーッ」とか言い始めて。(中略)それで皆が徹夜で直すっていうような状態ですよ」

はっきり言って相当に異常な行動だと思えるのだが、人が冷静に見ておかしいと思う行動にその人の本質が投影される。

決して作品への情熱などという抽象的なものではなく、具体的でドロドロとした情念の塊のような何かである。

庵野は自分がパロディにより構築されている事に対する強烈なトラウマを抱えているため、リアリティに対するこだわりが狂気とも言えるレベルまで高まっている。

それは「じょうぶなタイヤ」や「王立宇宙軍オネアミスの翼」のロケット発射シーンなどを見てもよく分かる。あの作画には狂気が宿っている。

しかし、ここに庵野が抱えている難しさがあるのだが、自分の根本がパロディによって成り立っている中で、いくら精緻な表現を求めたとしてもアニメーションという庵野が登場する前に確立されたフォーマットや表現手法の中で、パロディの精緻化になるだけだというループにハマりこんでしまっているという構造を抱えてしまっており、それを宮崎は「コピーのコピーのコピー」であると喝破した。

そのために一時期庵野は実写に挑戦したのではないか。また、エヴァンゲリオンの新劇場版の映像の精緻さは庵野のパロディに対する自己嫌悪と怒りの産物であり、その迫力がカラーに優秀なアニメーターを引き付ける原動力になっている。若手アニメーター曰く「カラーに入社して、エヴァをやりたい」と。

私生活では安野モヨコと2002年に結婚し、株式会社カラーを2006年に設立、2007年に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」、2009年に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」、そして2012年に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を公開している。

おそらく、私生活の充実や会社経営を継続出来ているという確かな自信は庵野をポジティブな方向に少しづつ変えていったのではないかと予想できる。(但し、いい方向に向かっているだけで、トラウマが解消出来た訳ではない)

ここでようやく本題に入れるのだが、庵野のパロディに対するトラウマを「エヴァQ」でようやく断ち切る事が出来たのではないかと推測している。

碇シンジの首に巻かれたチョーカーが庵野のパロディのトラウマを象徴していると仮定する。

「生きていく為には新しい事を始める変化も大切だ」という渚カヲル碇シンジにピアノの練習を進める時のセリフ。これは宮崎が庵野に投げかけた言葉だったのではないかと推測する。

そして、碇シンジ庵野だとして、最初は人差し指のみでぎこちなく弾いていたのが、渚カヲルのピアノの技術に数秒で追いつく。

つまり、自分は宮崎駿の技能にすぐ追いつく事が出来るという自信をあの連弾のシーンで表現したのではないかということだ。

1997年に発売された「スキゾ・エヴァンゲリオン」の中で庵野は既に宮崎の後継者を自認しているが、2012年時点では確信に変わっていたのではないだろうか。そして2013年には「風立ちぬ」の堀越二郎の声を担当し、名実ともに宮崎の後継者となった。

話を「エヴァQ」の続きに戻す。エヴァ13号機でセントラルドグマ最深部に潜る前に碇シンジのチョーカーを渚カヲルが受け取る。

つまり、庵野のトラウマであるパロディの呪いを宮崎が引き受けるのである。

この時点で庵野のトラウマは解消されていいかもしれないが、深く鋭く心身に刻まれているトラウマを完全に消し去るにはまだ十分ではない。

もう一つ、セントラルドグマリリスに刺さっているロンギヌスの槍。これも庵野のトラウマのメタファーである。

つまり、自身がパロディで成り立っているという恐怖や怒りが心の奥底に槍のように突き刺さっているという表現ではないのであろうかという理解である。(カシウスの槍については後述する)

そして、ダブルエントリーシステムのエヴァ13号機でロンギヌスの槍を抜いた事でおそらく庵野のパロディに対するトラウマからはほぼ解放されるがまだ終わりではない。最後の儀式が必要とされた。

それは渚カヲルの死=庵野による宮崎の父親殺しをの決行である。職業人としての父親である宮崎の死によってようやくパロディの呪縛から庵野は解放されたのだ。

あの映画は庵野のプライベートフィルムであり、そこで宮崎を殺す事でトラウマを解消した。極上のエンターテイメントを装い、とんでもない事をやりお仰せたのではないか。

エヴァQはそういう映画だったのではないかと個人的には思っている。当たっているか外れているかは分からない。私はそう思ったと言うことである。

そしてさらに、庵野のトラウマはパロディだけにあるものではない。もうひとつ大きなトラウマ、性にまつわるトラウマはまだ全く解消されていない。

そのトラウマを象徴する存在が唐突に現れたカシウスの槍である。

そして、性に関するトラウマはパロディに関するトラウマの比でない可能性が高い。

次のエントリーでは、性に関するトラウマがどのようなものであるのか考察してみたいと思う。

「僕らは結局コラージュしか出来ないと思うんですよ。それは仕方ない。オリジナルが存在するとしたら、僕の人生しかない。僕の人生しか僕は持っていない」(庵野秀明 「スキゾ・エヴァンゲリオン」)

庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン

庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン