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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

イナズマイレブンを構造的に理解する

第1話 世界への門

第1話 世界への門

  • メディア: Prime Video

うちの子供達はイナズマイレブンが好きなわけですが、アラフォーのおじさんとしてはどうしても我らがキャプテン翼と比較してしまうわけです。

キャプテン翼にしても橘兄弟のスカイラブハリケーンは現実では実現出来ないし、若島津君の三角跳びを試そうとして、ゴールポストを蹴って跳ぼうとして失敗したとかいい思い出な訳ですが、イナズマイレブンはそういう校庭でチャレンジしてみようとかいうレベルを遥かに超え、100メートルくらいジャンプしたり、地面が裂けたり、要するにシュートは必殺技なんですよね。レベル5さんの作品ですから、ゲームの必殺技という事なんだと思います。

と言う事でイナズマイレブンの試合は自ずと必殺技の応酬になる訳ですが、フォーメーションとかあったもんじゃないですから、非常に大味というか、子供達がアニメ見てるのをちらっと見ると大体灰崎がオーバーヘッドペンギンを決めてるか止められてるシーンだったりするんですよね。

そう考えるとキャプテン翼はまだ試合のバリエーションがあって、今更ながらに高橋陽一さんをリスペクトする訳です。

そんなイマズマイレブンが頼ってるのは試合以外のサイドストーリーだと言えます。今放映しているオリオンの刻印だと、一星が日本代表なのにチームをわざと負けさせようとするわけですが、なぜそんな事をするのか謎な訳です。そういうサッカーの本筋以外の所でアニメを盛り上げようとしているのがアニメのイナズマイレブンの構造です。

これって何かに似ていると思うのですが、プロレスですよね。WWEとかリングの試合よりも駐車場の口論とかのほうが盛り上がるとかあるみたいですけど、ライバルとか因縁の試合とか、試合前後のストーリーがしっかりあるわけで、アングルというのですが、イナズマイレブンはプロレスを参考にしてるんじゃないかと思うんです。

ちなみにチームを邪魔する一星は、重病の弟を救わなければならなかっというベタな展開で、子供向けなのでいいのかもしれませんが、ちょっとなあと思った次第です。

PDCAのAって、アクションなのに改善という但し書きがついていて、一体何なのだろうか?

社会人にとって「PDCAをまわす」というのは正面から否定できないというか、当たり前すぎる前提みたいなところがあります。

でもこのPDCAですが、よく考えるとわからなくなるんですよね。以下はWikipediaからのコピーなんですが、PDCAの説明は以下の通りです。

「Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Action(改善)の 4段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する」

Planはもちろん分かります、計画はとても大事です。Doも分かります。計画を立てても実行しないと意味がありません。Checkもわかります。実行した内容の確認は必要です。

この後が問題なのですが、Actionって辞書的には行動ですよね。PDCAをネットをざっとしらべる限り、Aは改善って訳語が当てられてるんですよね。改善ってImprovementじゃないですか。素直に考えるとPDCIサイクルではないかと思うのです。

さらに混乱するのがActionとPlanの関係です。Actionが百歩譲って改善だとして、改善の為の計画は必要ですから、PDCサイクルで十分な気がするんですよね。Aがなくても成り立つと思うんです。

そういうもので特に深い意味はないんじゃないのと言う方もいらっしゃると思いますが、ここで諦めずにもう少し頑張りたいと思います。

このPDCAは一体誰が言い出したかと言うと、どうもデミング博士と縁が深いようなのですが、日科技連の幹部が言い出したとか、出所が実は定かではないようで何やらミステリアスです。

ですが、デミング博士がPDCAに近い所にいるという事は、第二次世界大戦後にマッカーサーが日本を占領するために連れてきた品質管理の専門家達にヒントがあるはずです。

品質管理のデミング博士は大変有名ですが、同じ時期にTWI(Training Within Industry)という手法の職能訓練の専門家も日本に来ていました。

このTWIという手法ですが、第二次世界大戦中に米国で開発されたもので、戦時需要の中で造船所で軍艦とかを作る工員を募集して、急速に1人前にしなければならないという切迫した理由から産み出されたものです。いくつかのメソッドから成り立っているのですが、その中でJI(Job Instruction)と呼ばれるものがあります。

ちょっと長いですが以下が教え方の四段階のプロセスです。


第一段階 習う準備をさせる

・気楽にさせる
・何の作業をやるかを話す
・その作業について何を知っているかを確かめる
・作業を覚えさせたい気持ちにさせる
・正しい位置につかせる


第二段階 作業を説明する

・主なステップを一つずつ言って聞かせ、やって見せ、かいて見せる
・もう一度やりながら、急所を強調する
・はっきり、ぬかりなく、根気よく
・しかし一度に覚えられる能力以上に強いない


第三段階 やらせてみる

・やらせてみて、間違いを直す
・もう一度やらせながら、一つずつ主なステップを言わせる
・もう一度やらせながら、一つ一つ急所を言わせる
・よくわかったかたしかめる
・相手が分かったと自分が分かるまで繰り返す


第四段階 教えたあとを見る

・仕事につかせる
・わからぬ時に聞く人を決めておく
・たびたび調べる
・質問するようにしむける
・だんだん指導を減らしてゆく

相手が覚えなかったのは、自分が教えなかったのだ


という内容です。なんだか日本人にフィットしそうな内容ですが、個人主義の国だと思っていた米国が生み出したと思うとやや驚きです。

戦争は発明の父と言いますが、この手法が産み出された当時はナチス・ドイツがフランスを占領し、大戦が避けられない時代だった訳で、今とは比べ物にならないくらい切迫した状況だったのだと思います。

そして前述の通りに日本にTWIが輸入され、人材育成のメソッドとして一般企業にも急速に広まる訳です。

さて、PDCAの話でした。上の四段階を教える側の視点でアルファベットで表すとどうなるでしょうか?

第一段階は習う準備をさせる、Planです。第二段階は指導者側としてはやってみせるわけですからDoです。第三段階は、相手にやらせてみるわけですからCheckです。第四段階は教えたあとをみる各種の行動ですからActionです。これがどうも当初のPDCAだったようなのです。どこかのウェブサイトで見ましたが、残念ながら失念しました。

僕はこの説はかなり信憑性が高いのではないかと思っています。PDCAとは、仕事の教え方のプロセスをアルファベットにしたものが、いつの間にか仕事の取り組み方そのものにスライドしてしまったのではないかと思うのです。

そして、高度成長期に入り、そこそこの品質のものが作れれば売れるような時代が到来し、TWIが徐々に実施されなくなっていったのではないかと思います。

なぜならTWIは工場の生産現場のような、反復作業で技能向上するような内容には向いていますが、再現性があまりないホワイトカラーや営業の仕事にはあまり馴染みません。そして人材育成は長期的には会社の盛衰を決めますが短期的には影響は少なく、TWIも内容的には基本的というか地味に感じてしまうところもあります。(トヨタは上記の教え方の4段階をポケットカードにして今でも実施しているようなのですが、トヨタの凄さはまた別の機会に記事を書きたいと思います)

そんな中でPDCAだけはその語呂の良さから生き延びたのではないかと予想しています。そしてActionが行動ではよくわからなくなり、苦肉の策で改善ということばを当てたのではないでしょうか。

僕が引っかかっていたActionは人材育成における最終工程だったのかと思うとPDCAの奥深さが少し分かったような気もします。


あとこのエントリーを書くために参考にした本です。それぞれ大変面白いので書評も書いてみたいと思っています。


ポケットモンスターを子供が好きな理由の構造的理解

ポケットモンスター Let's Go! ピカチュウ- Switch

ポケットモンスター Let's Go! ピカチュウ- Switch

  • 発売日: 2018/11/16
  • メディア: Video Game

うちの10歳と6歳の息子達は例に漏れずポケモンが大好きなんですが、ポケモンは構造的にとても優れてると思うのでそれについて書いてみることにします。

ポケモンはトレーナーとポケモンのバディによる成長の物語であると言えます。主人公のサトシとピカチュウの絆の強さは、ポケモンにハマってない僕でも知っているくらいです。

このバディとしての絆ですが、アニメではトレーナーはポケモンの保護者のように描かれており、これはそのまんま親子の関係に当てはまると思います。

つまり、保護者の元で成長していくポケモン達はアニメの視聴者やゲームを遊んでいる子供達自身なのだと思うのです(一部の大きいお友達含む)

また、子供達はアニメやゲーム上ではサトシや他のポケモントレーナーになりきる訳ですから、主人公達にも感情移入し、ポケモンにも自然に感情移入するという二重の意味で感情が移入しやすい構造になっています。

あとポケモンのもう一つ重要な要素として進化があります。進化はだいたい3段階ですが、幼児、子供、青年のような外見に見えなくもありません。

ヒトカゲとかめっちゃかわいいのに、リザードンとかほんとに頼もしい訳です。

よってこのポケモンの進化という仕組みは、子供達の成長そのものを暗喩していると思うのです。

そうするとピカチュウの特異さがやや奇妙に思えて来ます。最近ライチュウはなんかなかったことになっているような気もしないでもないのですが、ピカチュウピカチュウのままでどんどん強くなっていきます。

アニメ的にライチュウはあまりかわいくないという事なのかもしれませんが(青年のメタファーなので当たり前ですが)、深く考えると大人になりたくない、かわいいままでしかも強くなりたい。いいとこ取りしたいというように考えられなくもありません。

子供達は自然にポケモンを卒業していくのだとは思うのですが、ちょっと気になると言えば気になります。

【書評】Satellite ジョナス・ベンディクセン

本棚にあったこの本を久しぶり出して見ていたんですが、そういえば最近はジョナス・ベンディクセンの名前はあまり聞かなくなった気がします。

このSatelliteという写真集のこの写真で一躍スターに躍り出たジョナスさんですが、日本でも一時期話題になったと思います。マグナムのメンバーですし。

この写真はザ・スペースシップ・ジャンクヤードという作品の中のひとつなんですが、カザフスタン共和国のバイコヌール宇宙基地は安くロケットを打ちあげられるらしくて、大量にロケットが発射されているそうなのですが、燃え尽きたロケットの部品が草原に落下するそうです。

ロケットは有毒な物質も多く含んでいるようで、土地が汚染されているそうなのですが、一方でロケットは貴重な金属を使っているので落ちた部品を売って生計を立ててる現地の人もいるそうで状況は複雑です。

写真集の名前題名であるSatelliteは、衛生のサテライトと、旧ソ連の衛生国家で撮った写真で構成されているので、2つの意味を含んでいるタイトルだったりします。

どうも絶版のようなのでAmazonではプレミアがついた価格になってました。

懐かしくなって記事を書いてみました。最新の写真集が発売されたら、また書評を書いてみたいですね。

追記
この前アマゾンで中古価格調べたら2万円くらいになっていてびっくりしました。大切にしたいと思います。

【書評】前田裕二さんにとってのメモとは果たせなかった両親との対話である メモの魔力

「書くか書かないか。もはやこれは、テクニックの問題ではなく、自分の人生とどれだけ真剣に向き合うのかという、「生き方」の問題なのです」(本文から)

今話題のこの本を一言でいうと前田裕二さんご本人もこの本の中でそのように分析されていますが「狂気」なのだと思います。メモ魔というよりメモ狂と言ってもいいかもしれません。

この「狂気」は一体どこから来るのものなのか、前田裕二さんにとってのメモとは一体何なのかと考えました。

しばらく考えていくうちにメモとは、前田さんにとって果たせなかった両親との対話であるのではないかという仮説に至りました。その視点で本書を見ていきたいと思います。

前田さんは8歳でご両親を亡くされ、11歳でギターの弾き語りでお金を稼ぐという過酷な原体験をお持ちです。

僕はいま10歳と6歳の息子がいますが、彼らとはよく対話します。「今何が好きなの?」「そうなんだ、サッカーなんだ」「お父さんはどういう子供だったの?」「大人しかったよ」とか本当にいろいろな話をします。

両親との会話はテニスの壁打ちにも似ています。気持ちや想いを言葉でぶつけ、その返しにまた返す。日々そういう事を繰り返し、徐々に自分の像をクリアにさせていき、徐々に両親の元から巣立っていく準備をゆっくりしていきます。

前田さんは壁打ちする相手を8歳にして失ってしまったなかで、おそらくメモによって自分との壁打ちを始めたのではないかと思います。「僕はこう思っているのだけど」という問に対して返事のない対話を。

なので、僕はこの本を読んでる最中で不意に涙が出そうになったのですが、前田さんのメモという行為が「ねえ、こんな事を考えたんだけど、お母さん(お父さん)どう思う?」という少年の前田さんの叫びに思えて仕方なかったからです。

最後の1000問の問も、あれは前田さんが両親と話したかった事なんだと思います。両親と話すのであれば1000問は逆に少なすぎます。

もちろん、前田さんがご自身の拘りまくる性格と努力の天才であるところも大きいとは思いますが、根源的な欲求はかなりプリミティブなものだと思うのです。狂気は原体験に宿ります。

なので、両親の子供でいられる20歳くらいまでに親と対話してきた僕らは前田さんの真似をする事はおそらく出来ませんし、する必要がないかもしれません。(社会人にとってメモは必要というは言を待たないですが)

ただ、前田さんにとってのメモにあたるものが僕にもあるかもしれず、それはこのブログかもしれないし、前田さんの言うとおりメモで自己分析して見つけたほうがいいかもしれません。

メモは大体においては手段です、ただ前田さんにとってのメモは今まで支えてくれた両親そのもの、過酷な人生を生きてきた証であり、これから生きていく道しるべであり続けているのではないかと思うのです。前田さんと読者は入口の段階で想いが全然違います。真似できない前提でいいと思います。

僕がこの本で学んだのはメモではなく、真剣に生きている一人の男性の哀しみと喜び、成功への狂気とも言える執念でした。

前田さんにとってのメモが狂気から共喜になる日を一人の読者として心から祈っております。

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

【書評】カミングアウト―LGBTの社員とその同僚に贈るメッセージ

「カミングアウトすることで、否応なく誠実で透明性を保ち、勇敢に成らざるを得なくなる(中略)もっと高い目標を目指し、クローゼットに閉じこもっていたときよりも、ずっと大きな人間になれるはずだ」(本文から)

LGBTの方は一説には人口の5%とか7%とか言われていますが、今のところ僕の知り合いにはLGBTの方はいないです。もしかしたらそうかなと思う人はいないではないですが、あまり聞くことも出来ないですし、おっさんずラブはヒットしましたけど、日本はLGBT後進国なのかもしれません。

また、以前ブログに書いたことがありますが、前職の会社の時に隣の課の管理職が多分ゲイの方で、当時20代でまだかわいかった(?)僕にやたら触ってきたり後ろから抱きつかれた事があって、マイノリティの方で世間的には弱者として見られている方だったとしたも、組織での強者の立場を利用してストレートに生きている僕へのセクハラはあるのだと思った事がありました。物事は常に複雑で多面的です。

さて、本書ですが、イギリス最大の企業であるBPの元CEOで世界で、最も尊敬されるCEOにも選ばれた事があるジョン・ブラウンさんが書かれた本です。

この本はジョン・ブラウンさんの個人の話、LGBTの現状、他の人のインタビューの大きく3つで成り立っていますが、繰り返し書かれているのが「クローゼットに隠れる」という表現です。

要するに本当の自分を隠して(クローゼットに隠れるようにして)、自分を守ることを指している表現なのですが、想像以上につらいでしょうし、心を痛める状態なんだなと思いました。

例えばパートナーがいたとしても、他人にその事を話す時は偽って男性の名前にしたり、結婚しない理由を考えたりしないといけない訳です。

そういう行動はパートナーに対して申し訳ないという思いや、他人にバレないために常に気を使っているのでそういう事に考える貴重なリソースを奪われているわけです。

また、不正直に生きているとの後ろめたさから、自分が仕事で成し遂げた成果も素直にそのようにアピール出来ないということもあるようです。

優秀な人というのは性別、人種、性的嗜好、年齢限らず優秀だと思うので、会社にとってもものすごい損失だと思います。

ただ、救いなのは確実に世界はLGBTの方に理解がある世界になりつつあるという事です。まだ職種や国によって濃淡はありますが、自分に正直に生き、それを尊重するような世界になればいいと思います。ジョン・ブラウンさんもそのように希望を持たれているようです。

LGBTの方が書かれた本はたくさんあると思いますが、この分野に問題意識をお持ちの方にはこの本はおすすめです。

【書評】「OJTの手引き」〜OJT関連の本を十冊読んだが50年前に出版されたこの本がスゴかった

僕はメーカーの教育部門で研修の企画運営の仕事をしているのですが、ある日ボスから「うちのOJTの力が弱まっている。OJTに関する研修を検討するように」という指示がありました。

研修担当者の尽きない悩みは、経営層から「リーダーシップを発揮出来る社員が少ない」とか「最近の若手はモチベーションが低い」とか、そういうお題を頂いてなんとか企画して研修を行うんですが、研修の効果測定というのは未だ有効なものは開発されておらず、出来る社員は研修でますます出来るようになり、出来ない社員は受けただけという結果になりがちであると言う事です。

また、研修をしたとしても効果が出るのはしばらく先であるはずなので、企業としての人材育成は必要だけど、うちの教育部門はだめだという評価になりがちだと思います。

そして今回僕が頂いたのはOJTというお題です。メーカーなので、生産現場のネジ締めから、AIとかに取り組んでる研究職まで幅広い仕事内容がある中で、OJTと言う言葉を聞いて一人ひとりが頭に思い浮かべる内容は微妙に異なるはずです。

企画するときに注意しないといけないのが、テーマの内容が各人各様の考えを引き起こしそうな場合は外堀を確実に埋めなければならないという事です。

特に教育関係でむずかしいのが、社会人であれば社員の皆さんは何らかの教育や研修を必ず受けてきているので、私の教育論をみなさん持っているという事です。

なので定義づけだったり、過去の同様の取り組みだったり、他社事例なども調べた上で上司に報告したり、役員会に諮ったりせねばなりません。これをやっておかないと議論があらぬ方向に行ってしまい頓挫してしまう可能性が高くなります。一方、資料作成にあまり時間をかけすぎても昨今の働き方改革の気運もあり、過剰品質は慎まなければなりません。難しい時代です。

さて、そのような中でどうしようかと思案したのですが、会社で以前はどのような事が行われていたのか、弊社の社史を見てみました。

そうすると1960年代頃は会社方針としてOJTが定義されていたという事実を見つけました。その中では、基本は自己啓発とし、OJTが日々の教育の場で、それで補えないものをoff-JTで行うと明記されていました。いい事を言うなと思いつつ、今の教育規定にはそれが書かれておらず、いつの間にか消えてしまったようです。また、OJT指導計画書もあって、提出が義務付けられていたようなのですが、これもなくなったようでした。社史は始めたことは書いてありますが、終わった事はあまり書かれていません。ただ、終了した事には何かしらの合理的な理由があるはずです。

あとはOJT関連の本を10冊くらい買ってひたすら読んでみました。その時に気を付けたのが、最新の本を買うだけでなく、年代ごとに買うと言うことでした。理由としては最新の本が必ずしも優れているということはなく、またOJTに関する考え方の変遷も見れるかもしれないと思ったからです。ちなみにAmazonで調べると容易に見つける事が出来るので、1960年代くらいから2冊づつくらい買ってみました。

その中で出会ったのが「OJTの手引き」という1979年に出版された本で、岸恒男さんという方の本でした。

1979年というのは高度経済成長期が終わり、1973年に第一次オイルショックが起き、さらに第二次オイルショックが起きた年です。本を読んでいて気が付いたのは現在の社会状況はオイルショック後の日本と相似形を成すということです。

いろんな方が仰っている事ですが、歴史から学ぶ事は大変重要です。全く同じ形で再現する事はありませんが、本質的な所では似通っている事も多く、且つ結果も既に明らかになっている訳です。過去から学ぶ事は数多くあります。

そして結論から言うと当時から本書で指摘されている事は全く古びていないと言う事がわかりました。要するにOJTを巡る状況は50年前から進歩がないと言う事です。

また、本書の中で自己啓発OJT、off-JTが大切であると説かれていました。ということは前述した社史の内容は、当時の有識者の意見そのままという事で弊社が考え抜いたものではなくちょっと残念な気持ちになりましたが、これも同時代の本を読んだからこその気付きです。

ちなみにこの本の中で、高度経済成長期以降の問題として、高人件費、技術革新や経営の競争による経験の陳腐化、労働観の多様化、高学歴化、高齢化、社会化、国際化への対応がそれぞれ重要だと説かれており、問題がほぼ同じ事に驚かされます。

また、OJT不信の原因は年功制であるとの考察や、再現性が低いものはOJTを実施しづらいなどの鋭い考察もあります。

さらにOJTの最終目標は相互啓発の「共有グループ」化という提言もあります。以下本文からの抜粋です。

『上司は必ずしも部下よりものを知っているとか、部下の経験したことがないような経験をしているとは限らない。今後はその逆も大いにあり得るということである。ニーズが専門分野の中で細分化し、多様化した時代では、一人の社員の変わった目新しい経験を、上司を含めて職場の全員が学び、そこから教訓を得るということは今後ますます必要になるだろう』

今から50年前に書かれたということにあらためて驚くとともに、この提言は今でこそ重要なのではないでしょうか。それ以外にも紹介したい内容がたくさんあるのですが、10冊程OJT関係の本を買って一番良かったのがこの本です。

東洋経済新報社から出版されており、現在は古書を購入するしかないですが、半世紀経ってもなお有効な本です。興味がある方はご一読をおすすめします。