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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

では「多様性がない」とはどういう事か

最近の世の中の流れですと「多様性」は問答無用で是とされている感があります。どの会社のホームページのCSRを見ても判を押したように「多様性を活かして新たな価値をつくり出す」みたいな事が書かれています。

一方で多様性疲れなどという言葉もちらほら聞こえて来る中で、今回は逆に多様性がない状態を見てみる事で、多様性について浮かび上がらせたいと思います。

多様性がない状態について、いくつかのケースを考えてみました。

例1
上司「A部長に説明したあの資料だけどさ、B部長はああいう感じじゃない、ちょっと手直ししておいて」

部下「わかりました。長い説明は嫌いですから、サマリにしときます」

例2
上司「この前のC社へのプレゼンだけどさ、、」

部下「ええ、他社事例をかなり気にしてたんで事例追加しときました」

上司「おお、助かる!」

例3
上司(21時頃)「あー疲れたな、ちょっと(飲みに)行くか!」

部下「行きますか!メール一本だけするので待って下さい!」

ざっと思いついた所で書いてみましたが、要するに上司部下で前提や感覚がかなり共有出来ていて、あまり詳細を説明しなくても物事が前に進んでいっている状態です。

上のやり取りは、1を聞けば10を知るみたいな感じで、昭和的と言いますか、こういう状況が理想と考える管理職は実はまだ多いのではないかと思います。

言い換えると「コミュニケーションコストを最小化」しているとも言えるのですが、どうやってこの状況が成り立っているかと言うと、残業や休日出勤を含めた長時間労働で上司部下が長く接している事による情報や感覚の共有があります。

また、失われた30年よりも前の時代では、良い品質のモノを作れば売れていたために同じ事を繰り返していてもある程度成果を出すことが出来ていたので、コミュニケーションコストを下げても仕事は回ったでしょうし、残業や休日出勤でおのずと情報の共有をはかる事が出来ていたのだと思います。はからずも意識せずにコミュニケーションが取れていたので、コミュニケーションコストを最小化しつつ、業務を回すことが出来ていたのだと思います。

そしてこの「コミュニケーションコストの最小化」というのは、新卒一括採用でまっさらな若者を長期的にその会社のカラーに染め上げるという事でも強化されていたのだと思います。

説明するまでもなく、モノが売れず少子高齢化で人手不足の今日、上記のような会社全体で同じ方向を向いていて、「コミュニケーションコストを最小化」しつつ物事を進める事が出来るという昭和的・男性中心的な会社は(まだ根強くあると思いますが)長期トレンドとしては、人気がなくなり絶滅していくのではないでしょうか。

ただ、このような会社のメリットとしては「コミュニケーションコストの最小化」によって、管理職がいちいち説明しなくて物事は進んでいったという点にあります。

もちろん個別には色々な衝突や葛藤やトラブルもあったでしょうが、年功序列で一生同じ会社に務め上げるという会社への信頼と忠誠がマイナスを相殺していたのだと思います。

極論すると、多様性の重視が謳われていない以前の日本の会社は、「なんとなく仕事をしていてもなんとなく上手くいっていた」という事です。

ですので、「コミュニケーションコストを最小化」しながら「なんとなく物事が前に進む」というのが多様性のなさだとすると、多様性があるという事はその逆になるはずです。

つまり「コミュニケーションコストがかかる」上に「目的を明確にして物事を進める必要がある」というのが多様性を語る上でのキーワードになるという事です。

考えてみれば当たり前ですが、多様性とは属性や前提の異なりです。

性別、既婚未婚、子供の有無、国籍、性的嗜好、障害、持病、思想信条などなど、職場の多様性の要素が高まる程にコミュニケーションコストと目的を明確にする必要性が高まります。

例えば子育て期で時短勤務の方がいる場合のフォローひとつ取っても、その人が育児で早く帰らなければならない事を他のメンバーが納得して、お子さんが体調不良で休まないといけないときの引き継ぎについての体制を整え、評価についてはどのようにするかという事についてを上司は本人とメンバーに対してコミュニケーションコストをかけていかなければなりません。ここでのコミュニケーションコストとは、メンバーに説明する事だけではなく、メンバーの意見をしっかり聞くということも当然含まれます。

令和の今の時代、このコミュニケーションコストをないがしろにして、部下の善意に頼るような管理職はもはや管理職を下りなければならない時代になってきたと思います。

管理職が気づいていないだけで、実はメンバーの不満が溜まっていて、ある日突然辞表を出されたり、メンタルクリニックの診断書を出されるような管理職は意外に多いのではないかと感じます。

つまり、こういう言い方をしてはいけませんが、多様性は大切だけどとても面倒であるという事です。

冒頭に書いた「多様性を活かして新たな価値をつくり出す」というのは、そうそう実現出来るものではないと感じています。余談ですがあのiPhoneも開発はほぼ白人男性のみだったと本で読んだ事があります。

組織の対話をおろそかにせず、目的を明確にして各人が納得しながら仕事をするというのは書いてしまえば簡単ですが、容易ではありません。繰り返しになりますが、組織における多様性とは属性と前提が異なる人たちが集まり、ある目的に対して協働して働くという事だからです。

これからは、日本人的な阿吽の呼吸に頼る事は出来ません。国際経験が豊富な方からこのような話を聞いたことがあります。

「世界共通語は英語ではない。英語は出来て当然。必要なのはLogicだ。Logicこそが世界共通語である。そこにPassionがあれば尚良い。Logic with passionがあれば世界の人と話す事が出来る」

と仰っていました。組織における多様性は放置しておくとすぐメンバーがばらばらになりがちであると言えます。よってマネージャーである上司の役割が大変重要になります。

メンバーに対してコミュニケーションコストをかけつつ、達成すべき目的について部下と何度も話し合いを続けながら働きかけていく必要があり、紆余曲折はあると思いますが、年功序列や上司へのゴマすりではなく、本当の意味でのマネジメントが出来る人が多様性のある組織を活かすことが出来る時代になりつつあるのではないかとも思っています。