Search Console

さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

日本人が管理が得意なの150人限界説(ダンバー数について)

本か雑誌で「日本軍は中隊(概ね150人程度)では世界最強」という記事を読んだことがあります。残念ながらなんの本か雑誌だったのかは覚えてないのですが、感覚的に軍隊に限らず日本人の組織は150人あたりが上手く行く限界で、それ以上になると組織運営が急に下手になるというか、ぐでぐでになるのではないかとぼんやり考えていたのですが、これをベンチャー企業と関わりがある人に投げかけてみたら賛同してもらったのでもうちょっと深く考えてみたいと思います。

その方がおっしゃるにはベンチャー企業が急速に発展していく中で、150人を過ぎたあたりから成長の速さが以前のようにはいかず、経営側が知らないところで経営側からみたらとんでもない事が起き始めるという事でした。

おそらく、経営者の考えとか方針がなんとなく伝わり、全員の顔をなんとなく知っているという人数の上限が150人ではないかと、日本人は身内意識がとても強いのでこの感覚を維持できるのがMAX150人ではないかと考えたところ、既にその様な研究がある事を知りました。

ダンバー数と言うのですが、人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限があり、例えばある個人が、各人の事を知っていて、さらに、各人がお互いにどのような関係にあるのかをも知っているというものを指して、それは大体150人という事、だそうです。(Wikipediaから)

ちなみにこの説を提唱したロビン・ダンバーさんはイギリスの人類学者で、ダンバーさんの名前を取ってダンバー数なんですね。

なんとなく顔見知りで上手く組織が回る限界が150人であるというのは日本人に限らず人類共通の説ということはもう研究されてたということですが、
ここで諦めたら日本人が特に150人を超えると組織運営が急にだめになる説が終了になってしまうので、もう少し考えてみたいと思います。

少し話は変わりますが、古事記を読んでいると日本は八百万の神々という言葉の通り、神々がたくさん出てきて本を読むのに難儀します。一人の神を殺すとそこから新たな神々三人出てきたりして、神のハイパーインフレ状態だなと思った事があるのですが、これはおそらくどういう事かと言うと、日本は四季があり山や海からの恵みが豊富で、何かの食物を頂いて(殺して)も、次の恵みがやってくるというメタファーなのではないかという理解に至りました。それが弥生時代縄文時代か、はたまたそれより前からかは不明ですが、我々のご先祖はそう言う環境の中で営みを続けてきたのではないかと思っています。

例えばある年に猛暑とか、台風とか災害が起きてもじっと我慢して次の年を待てばまた自然の恵みが回ってるくるという環境で過してきたのではないかと想像する訳なのですが、日本人の我慢好きはここ辺りに原因があるのではないかと想像しますが、それはまた別の機会に書こうと思います。

さて一方、こちらも想像の域を出ないのですが、ヨーロッパは早々に原始的な狩猟生活は終了し、農耕と牧畜による集団生活が始まったのではないかと思っています。また、武力による衝突も多かったので150人を超える組織の運営に迫られる歴史的背景が日本より早く訪れたのではないのではないでしょうか(すみません、不勉強です)

ですので、制度づくりだったり、150人以上の組織の纏め方については欧米が秀でており、恵まれた時代が長く続いた日本は未だに下手なのではないかと想像しています。もちろん、日本にも卓越したリーダーはいると思いますが、150人以上を率いる事が出来る胆力や能力、組織の仕組みづくりが出来る人間が出現する比率は欧米よりも少ないのではないかという仮説です。

例えば、数千人規模の会社を150人の感覚で経営すると、おそらく部門の縦割りや、情報共有の不徹底などよく日本企業で問題とされる事が起きるのではないかと思います。それは決して私達の能力や努力不足と言う事だけでなく、おそらく数千年かけて行動様式や思考の型して刻まれてきた日本人の長所がイノベーションのジレンマに陥っているのではないかと感じている次第です。

例えば、ゴアテックス社は社員数が150人を超えると問題が起こり出すという経験則から、社員が増える事に150人程度が収容出来る建屋を建設するという対応を取っているそうです。

よって組織の経営者においては、社員数が150人を超えた場合は従来のマネジメント手法が通じなくなる事、また社員数が例えば数千人いるような会社で一つの組織が150人以上の場合は組織体制見直したり、組織間の情報共有や意思決定を工夫する事が必要だと感じています。