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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

【体験談】インスタはお醤油だったのでやめた件

一年ほど前まで僕はかなりのインスタ中毒者でした。1日複数回の自らの投稿はもとより、フォローしている人への『いいね!』で会社の休み時間をすべて使い果たすという今考えるとなんともいえない無駄な期間を数ヶ月過ごした後、アカウントごと削除し無事脱出できました。

ネット上にもインスタ辞めた体験記は山のようにありますが、僕なりのエントリーを書いてみたいと思います。

まず、最初にインスタを始めて思ったのが、『これは簡易Photoshopだな』ということでした。僕は趣味でPhotoshopをやっていたんですが、例えばチルトシフト風の写真にするには、Photoshopではいくつかの作業手順が必要なんですが、インスタでは一発で出来るんですよね、まずこれに感動しました。

あと、写真が基本的に正方形のレイアウトで、新規投稿の際はこの正方形レイアウトの位置決めから始めるわけですが、構図がイマイチな写真でもなんだかそれっぽいいい感じの構図にすることができるのんですよね、これも凄いと思いました。

で、いい具合にしたレイアウトの写真をモノクロにしたり、コントラスト強めにしたりするとなんかそれはもうそれっぽい写真が出来上がるのですよね。

あとあれです、写真を投稿した後に他のユーザーの方からの『いいね!』のハートーマークがぽわわーんと表示されるんですよね。ぽわわーんと。インスタの中の人はこのぽわわん表現にはかなりこだわっていると思います。

そんな訳でこのぽわわん感が大変クセになります。もっとぽわわんしてほしい!ということで、微妙な写真をなんとか加工しようとしていた日々を今思い出しました。

あと、あれですね、フォロワーが増えると大変嬉しいですね。フォローしている数よりフォロワーの方がちょっとでも増えると誇らしい気持ちになったものです。これも今思い出しました。

それとインスタの仕組みですごいと思ったのがタグですね、タグ。まだ僕の写真を見てもらってない人にはタグの貼り付けが有効な手段な訳ですが、人気のあるタグだとあっという間に自分の写真が後方に追いやられ、かと言ってマニアックなタグに貼り付けてもそもそも誰も見ませんから、勢い次の写真、次の写真と、新しいものを投稿したくなる誘惑にかられます。この仕組みを考えた人は本当に頭がいいと思います。

と、ここまでは仕組みについて書きましたが、『いいね!』にまつわる微妙な人間関係もあります。

インスタを始めた当初は、いい写真があれば上位に表示され、自ずと『いいね!』が集まってくるのだと勘違いしていました。

その考えが甘いことは(思ったより『いいね!』がつかないので)すぐに気が付くわけですが、要するに芸能人とか、若くて魅力的な女性でない場合は写真を投稿しただけでは普通『いいね!』なんて付きません。

自分と似た傾向の人に『いいね!』をしたり、コメントしたり、フォローすることによって『いいね!』を貰える仕組みなのだと理解し、いいね、コメント、フォローをしまくりました。

そうすると徐々に『いいね!』や、フォロワーが増え、ぽわわーんの快感も味わえるようになり、僕も立派なインスタグラマーなった訳です。

で、特に熱心に『いいね!』をしてくれる方が、ミラノに1人、ソウルに1人、岡山に1人いた訳ですが(投稿されている写真からの推測です)、ホントに写真を投稿後数秒で『いいね!』とか、コメントをくれる訳です。あなた方は無職で全然寝てないのですか?と思わなくもなかった訳ですが、僕もその3人にはものすごい勢いで『いいね!』返していました。僕も無職で寝てないと思われていたかもしれません。

起きたらインスタ、昼休みにインスタ、休憩中にインスタ、会社終わったらインスタという、なんかもう今回はお薬多めに出しときますね的な立派な中毒者でした。

でもってインスタは海外とも用意につながるので、24時間『いいね!』をしたりさたりする過酷な環境なんですよね。まあ自分で過酷にしてるわけですが。

そんな感じで、その3人が新規投稿をしたら必ず『いいね!』をし、他の人からも『いいね!』をされたら、同じ数は『いいね!』を返そうというような行動様式が徐々に身に付いた訳です。

で、ある日たまたま気が付いたんですよね。当初はいい写真をのせたい。他の人のいい写真があれば『いいね!』を押したいと思っていたのが、これはもしかして写真を介したただの『いいね!』のやり取りでしかないのではないかということに。

なんかグローバルで先進的、おしゃれな仕組みに見せかけて、ある意味『この前お醤油借りたから、ちょっと多く作りすぎたおかずのおすそ分けどうぞ』みたいな、なんか極めて昭和的でご近所的なやり取りなんじゃなかろうと思った訳なんですね。

と言うのも、よっぽど自分の良心が許さないほどの写真以外は『いいね!』をしていたわけで、もしかしておれはお醤油のお礼におかずをあげていたのかと(多分ちょっと違いますが)そう思った瞬間に急速にあほらしくなりました。写真は食べれないけどおかずは美味しいから本当に感謝してくれる(と思う)それなら本当におかずあげたりしたほうがいいと。そう思ったんです。(多分ちょっと違いますが)

で、確か翌日くらいに謎の醤油の写真と共にインスタ辞めますという投稿をしてすぐに数百枚の写真ととともインスタのアカウントを削除しました。

今までは風景の写真を載せていたのに、特に何の説明もなく唐突に使いかけのキッコーマンの謎写真を載せたにもかかわらず、『いいね!』を押してくれたお3方には今でも心から申し訳ないと思いますが、この気持ちを説明する自信は今もありません。

今までそれなりの時間をかけて投稿して、いいねもついている写真を全削除するのはややためらわなかっというとうそになりますが、そういうサンクコストがあるといつまでも気になるから良くないと思って削除しました。

削除した後の気持ちはというと、しがらみからの開放感がもうほんと凄かったです。『いいね!』を特にしてくれていた3人の方だけが本当にやや心残りですが、これだけネットワークが発達した時代に生きていたら、繋がろうと思えばまた繋がれると思います。

と言う事で、インスタは僕にとって写真を介した『いいね!』のやり取り、お醤油とおかずのやり取り以外でしかなくなってしまった時点で魅力も未練もなくなりました。

ぽわわん効果もあり、承認欲求は一時的にかなり満たされますが、向き合うべきは面倒ですが、家族なり、会社の同僚なり、ご近所であって、インスタではなかったな、というのが僕の感想です。

あ、それとご近所に醤油も借りてないし、おかずのおすそ分けはまだ出来てないです。