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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

人工地震について思うこと

さぷさんです。夜中に緊急地震速報で叩き起こされてから寝れなくなり、GW最終日の朝に寝不足だけどStay homeだしまあいいか、という関東在住者は100万人くらいはいるのではないかと思います。

さて、そんな中で最近の地震は人工地震だと仰る方々が一定数いるようでして、Twitterのトレンド入りして話題になっておりました。

人工地震陰謀論と言って差し支えないと思うのですが、陰謀論は一定の魅力があるのは間違いなく、僕も小学校高学年の頃はエリア51とかアトランティス大陸とかが好きでしたから、通過儀礼のようなものだと思っています。

ただ、大人になってからも陰謀論を信じている方々は「全てはアベの陰謀だ」と仰る割合が比較的高いのではないかと思うのですが、そんな強大な力があればとっくに僕のところにマスクが来ているでしょうし、憲法改正も早々と完了していないとおかしい訳ですが、人というのは己の認知のフィルターを通してのみ世の中を理解している訳であって、僕も気を付けなければなりません。

しかし、このような方々は地震が起こるのはアベのせいで、マスクが来ないのもアベが自分を陥れようとしているせい、憲法改正はまだ踏みとどまっているが油断はならないという認識をされているのだと思います。徹頭徹尾自分は貶められようとしているという世界観が構築されているよう思います。

そういう僕も特に疲れている時や、ストレスでやられていると自分でもあとでビックリするくらい歪んだ認知による他責をやらかしてしまっていたりするので反省する事はよくあります。

全てはアベのせいの方々のTwitterとかを見ていると、この方々の世界観が「大きな力を持つ誰かが常に私を陥れようとしている」という基本認識で成り立っていると思わざるを得ないのですが、このような傾向を持つ大体の方は世の中を呪っているようです。

つまり結論から言いますと「毒親に育てられてきた」という事が推測される訳でして、「全てはアベのせい」は父親または母親を日本国の首相に投影しているのだと思う次第です。

そして興味深いのはこのような方々は「全てはノダのせい」とか「全てはカンのせい」とは言ってこなかった気がしますから、短命な民主党政権ということを割り引いたとしても、左寄りな民主党では感じていなかった感覚であるところの伝統的家父長制を志向しているように思われる自民党に対しての本能的な嫌悪感をこのような方々は鋭く感じ取るのではないかと思います。

また、幼少期における両親の力というのは絶望的に強いものです。それが嫌というほど刷り込まれていますから、基本OSの認知モデルが「大きな力を持つ誰かが常に私を陥れようとしている」となり、「大きな力は全て裏で繋がっていて、私を貶めようとしている」という考えが成立しているように思います。

よって、地震も自然現象として起きるものではなく、私を貶めようとしているという基本OSの設定を守るためには人工地震という理屈が必要になってくる訳です。

自分は常に危害を加えられる可能性があるという生存本能がおそらくそうさせていると思う訳ですが、猜疑心の強さは自分の身を援軍なくたった一人で守る為、特に有害な人物に囲まれている時に命を守る場合には有効な生存戦略だと思いますが、副作用として他人と協力して何か成さねばならない状況において困難を生じさせます。

具体的には学校生活や仕事においての集団への不適合の発生ですが、このような方々は0歳の頃からサバイブする為に取ってきた行動と信念をそう簡単に変えることは出来ません。周囲を疲弊させ、自分も疲弊する中でお互いが相互不干渉になるというのが多くのパターンだと思います。

僕もこのような方と接する機会があり、なんとかしたいといろいろコミュニケーションを努力したこともあったのですが、無理でした。

僕の結論としては家族で失敗してるので、家族をやり直すしか方法はなく、または家族として過ごす程の長い時間や同程度の労力をかけないと基本OSの更新は不可能だと思い至った次第です。

どういう事かと言いいますと、(伝統的家庭感で申し訳ないですが)毎日同じ時間に寝て、朝は同じ時間に起き、起きたらごはんとお味噌汁があり、他愛もない話をし、トランプなどのゲームや外出を楽しみ、たまには御馳走を食べ、誕生日はちゃんと祝い、いい事をしたら褒め、悪いことはしっかり叱り、おはよう、おやすみなさい、ありがとう、ごめんなさいは家族全員がちゃんと言えるようにするというような永遠とも思える日々の単調な繰り返しをこのような方々は必要としています。理屈ではありません。たとえ大人であったとしてもこのような日常を必要としているのであって、それは実際にはとても難しい事です。

理屈ではなく生物としての本能により近い生存戦略が行動として現れる訳ですが、逆説的に言いますと人工地震を信じないといけないくらい精神的に追い詰められているという事が言えるのではないでしょうか。繰り返しますが、人工地震を信じないと自分の基本OSを守れないのです。

世の中にこのような方々は一定数いる中で、社会的コストとして全体でどのように受け止めていくのかは議論が必要ではないかとは思います。

自暴自棄になる無敵の人は無差別殺人が発生する度に議論され、特に貧困と結びついてしまっているケースについては、自助努力の範疇を超えているのではないかと思います。