さぷさんです。匿名のテキストブログをやっている43歳のおっさんです。
さて、ClubhouseというiPhoneアプリが一時期流行りましたが、まだ楽しんでいる方はいらっしやるのでしょうか。
Clubhouseはセキュリティが結構ゆるゆるだったようでして、インターネット上に流れている通信データは暗号化されていないクリアテキストのままだったり、IDは中国のサーバーで管理されていたり、音声データはその場限りと言うのが売りでありながら、「一時期に保存する」として米国のサーバーで音声データが保存されており、一時的が一体どれくらいの期間を指すのかは明示されていなかったとか、今はどれくらい解消されたのか追いかけてはいないのですが、とにかくローンチしてまずいところは事後的に直すというソフトウェア開発モデルには注意が必要という事だと思います。
さて、今回僕が言及したいのはそこではなくて、Clubhouseのアプリのアイコンなんですが、男性が笑みを浮かべているというインパクトのあるアイコンになっていまして、日本で初代(米国では6代目らしいですが)のアイコンの方はAxel Mansoorさんというエミー賞候補にもあがったシンガーソングライターの方で、Clubhouseで定期的に演奏をされているそうです。
日本のアプリだとイラストなんかのアイコンにしそうなところ、なぜ実在の人物の写真を使う発想が出てくるのか少し考えてみたいと思います。
まず、英語そのものについてですけど、「何も思い浮かばない」という日本語は「I have no idea.」になる訳でして、常に主語がないと基本的には成り立たないのが英語だと思っています。
また、住所も日本は最後に番地がきますが、アメリカは番地が最初にきますので、なんと言いますか、個人が主体としての輪郭をはっきりさせないと気がすまないというのが英語圏の文化だと言ってしまってよいと思っています。
僕も昔英会話教室に通っていたのですが、英語を話しているときは、「あれ、自分ってこんなにポジティブな表現をする人だっけ?陰キャなのに」と思った事がありますが、それは僕が陽キャになった訳では決してなく、主語と動詞をはっきりさせないといけない英語のルールに則って話そうとしていただけだと言うことに後で気が付きました。ちなみに陰キャは陰キャのままでした。
また、日本のTwitterなどのSNSユーザーはやたらアニメアイコンが多い気がしますが、海外のユーザーは割とご自身の顔(と思われる)アイコンが多いように思います。
つまり、欧米は個人として自己主張をする事が前提の文化であり、それを体現した言語体系になっているのだと思います。基本的にキリスト教文化ですから、神の前で宣言しないといけないという事なのかもしれません。
それに対して日本語は主語を外しても文章が成り立ってしまう独特な言語だと思います。日本語で便利なのが、誰かの失敗やミスを報告書にあまり書きたくない時はいくらでもぼかして書けるところにあります。
おそらく村社会という狭いコミュニティで嫌だと思っても協力して生きていかなければならないという制約から発達した文化と言語体系だと思うのですが、個人的にはマイナスの側面が大きいんじゃないかと思っています。
世の中的にはステークホルダーへの説明責任を果たすべしという状況になってきていますし、Comply or explainどころか最近はComply and explainですから、村社会を引きずった日本的な体系は今後ますます不利になっていくと思っています。
話しがかなり脱線しましたが、Clubhouseはなぜリアルな人物をアイコンにしているのか?でした。
それはつまり、Clubhouseのアプリとしての主語をはっきりさせたいという欧米的な発想によるものではないかと思います。つまり、Clubhouseで配信しているAxel MansoorさんはClubhouseの価値を体現した人であり、アイコンにするのがふさわしいという事なのだと思った次第です。