人は会社に絶望したときに退職する
さぷさんです。今年の目標は去年に引き続き「すみっコぐらし」です。コロナ禍ですし。
さて、以前少し一緒に仕事をしたことがあって、仲良くしていた若手が退職すると風の噂に聞いて聞いて本人にメールをしてみました。「いろいろ悩んだと思うけど、自分の決断を信じてがんばって下さい」というような内容です。
僕も2回ほど退職しているのでよく分かるのですが、退職を決意されてしまった時点で会社としてはもう負けです。
弊社は典型的な昭和の企業なので人材育成は部門内ローテーションで行われる訳ですが、日本国内は均質性が高く社内の制度や使用しているシステムなどが統一されているので、日経新聞に書いてあった気がしますが、国内のローテーションによる人材育成は機能しなくなってしまっていると言えるのではないかと思っています。
むしろ転勤という家族に多大な負担をかける弊害を嫌って退職する若手が増えているような気もしているのですが、長年の慣行をなかなか変えられないと人材獲得競争で遅れをとってしまうのではないかという危機感もあります。
そして、イントラパーソナルダイバーシティというらしいのですが、個人内の多様性が注目されてきているようです。
弊社ですと、開発、生産、販売、管理部門でだいたいモデルコース的なものはありますが、イントラパーソナルダイバーシティからは程遠く、いい人が多いのは間違いないのですが、仕事が出来るかどうかは別問題でして、ああはなりたくないという人材を大量生産してますから、若手が絶望して辞めてしまうという問題の打ち手が残念ながら見つかりません。せめて社内副業くらいは解禁すべきだと思うのですが、そのような気配は1ミリもなさそうです。
そして、上に書いた若手からは「メールありがとうございました。周囲からは『もったいない』と言われて自信をなくしかけていたのですが、頂いた言葉を大切にします」というような返信をもらいました。
この『もったいない』という引き止めの言葉は、成長を欲している若手には悪手だと思います。
つまりどういう事かと言いますと、この『もったいない』には「会社から評価されていて、これから上にいけるし、給料も上がるよ。福利厚生もいいし」みたいな事だと思うのですが、優秀な若手が欲しているのはそういう事じゃなくて、成長できる環境を求めている事を全く理解していていないんじゃないかと言うことなんですよね。退職への意志をブーストさせるだけだと思います。
では僕がこの若手の上司だとしたらどうするかと言いますと、「確かに今の会社でこのまま人事ローテーションに乗っても社内で出世するかもしれないけど、市場価値は正直そんなにないと思う。社内公募制度を使って興味ある部門にチャレンジするなら応援するけど」と言うのが精一杯な気がします。(そういう意味では社内公募制度はあるものの、使用したことがある人をほとんど聞いたことがないので、もう少しこの制度の活性化が必要です)
霞が関の若手官僚の退職が問題になっていますが、大企業も相似形を成していると思うんですよね。早めに対処しないとボディーブローのように効いてくる悪い予感がします。
新型コロナウイルスを正しく恐れるのは難しい
さぷさんです。東京都の新型コロナウイルスが1/7に2447人を記録しました。都民の一人としてお詫び申し上げます。(僕はコロナには感染していませんが。。。)
さて、1日だけで2500人近くにの陽性者を出してしまった東京において、この脅威はどれくらいよろしくないのか検証してみたいと思います。
尚、このエントリーは病床数や医療関係ではなく、一般的に気をつけるべき内容についてのエントリーになりますのでご了承下さい。
以下の表は東京都の地域毎の人口と、2447人の陽性患者が出てしまった1/7時点の累積感染者数と直近2週間の想定感染者数です。そして患者数をそれぞれの地域の人口で割って、感染率を出してみました。
人口と累積感染者数は正しいデータとなりますが、直近2週間の感染者数は、12/24〜1/7までの感染者数が感染者累計の約22%なので、単純に累積感染者に22%をかけたものになります。ここは正しい数字ではありませんのでご了承下さい。
さて、データを見ていくと興味深いことがいくつか分かるのですが、上位の地域は新宿区、渋谷区、港区といった23区の山手線の西側の繁華街を含んだ地域です。
特に新宿区は感染率が1.39%もあり、100人いたら1人以上が陽性判定が出ている訳ですから、かなりの高さです。
一方で多摩地域のトップは武蔵野市の0.34%ですので、新宿区の約1/4の陽性者の数です。
感染者数としては5017人でトップの世田谷区ですが、感染率としては0.53%ですから、やはり新宿区がダントツの陽性者比率であると言えると思います。
ではこの1.39%はどのように正しく恐ればいいのでしょうか。
この1.39%というのは累積の数字である為、初期に新型コロナウイルスにかかっている人の体内からウイルスがいなくなっているとして、直近2週間は体内にウイルスが留まっていると仮定すると、気をつけるべき陽性者の割合は0.32%まで減ります。
いやいや、無症状の陽性者がいるでしょ。という話になりますので、仮に10倍の陽性者が実はいるとしたら、3.2%になります。
この3.2%をどう見るかと言うことになると思うのですが、中央線の十両編成の定員は約1600人です。
そうすると仮に(ありえないですが)新宿区民のみが十両編成の中央線に乗ったとして、約51人の新型コロナウイルス陽性者が同じ電車内に乗っている可能性があるという事になります。
1両に5人いるという状況ですから、確かに多いような気がしないでもありません。
ただ、これは陽性者が公表されている数の10倍いるという極端な例ですので、仮に東京都の公表の数字をそのまま当てはめた場合は中央線十両編成に5人しか乗っていない計算になり、2両に一人の割合しかいないとすると、少し安心出来そうな気がします。
これは一番感染者数の比率の高い新宿区での計算なので、例えば多摩市は累積の感染者の比率は0.18%であり、直近2週間は0.04%ですから、新宿区の約十分の一の感染比率であり、上の中央線の例えだと、仮に陽性者が10倍いたとしても十両編成で5人、東京都の数字を信用した場合は0人になりますから、普通に3密を避けていれば安心できそうです。
ただ、やはり試算していて数字の根拠が曖昧だと想定しずらく、自分で言うのもなんですがあまり説得力がないと感じました。
満員電車でのクラスター発生は今のところなく、クラスターは会食が多いことを考えますと、飛沫感染を最も恐れるべきであって、マスクをして会話をせずに電車に乗っている分には新型コロナウイルスの感染の危険性は低いのではないかと思います。
一方で換気が不十分の室内での不特定多数との飲食は危険ですから、忘年会や新年会はやはり危険な一方で例えば日頃は安全な行動を取っている事がお互い分かっている家族のみでの外食であれば危険性は低いかもしれませんし、もしかしたらGOTOトラベルは継続して、GOTOイートは中止にするという手もあったかもしれません。
東京都の感染者数が○○人だからまずいというのはおそらく思考停止で、東京でひとくくりせずにもう少し細かいメッシュで見たり、感染者の絶対数ではなくて陽性者比率なども見ることが重要だと思いました。
若手社員の気になる傾向
さぷさんです。若手社員の頃は生意気と言われていた事がありました。恥ずかしながら若気の至りですね。
さて、最近若手社員(といっても20代後半〜30代前半)とやり取りをしていて気になった事があるのでその事について書いてみたいと思います。
1つ目の気になったやり取りですが、30代前半の女性社員から問い合わせを受けた時の話です。何を聞きたいのかいまいち明確ではなく、そうするとこちらも原理原則を言うしかないですから、模範解答を伝えたところ相手の機嫌が悪くなるというなんだか訳のわからないもらい事故のようなやりとりがありました。
もう一つは、グループの進捗ミーティングをしていて、僕はその日あるウェブセミナーを聞く予定だったのですが、同じグループの20代後半の男性社員はその日に別のウェブセミナーを受けるようでした。
スケジュールは共有されているので他の社員のスケジュールも見れるのですが、その20代後半の男性社員が自分の今日の予定を報告するときに「今日はウェブセミナーを聴講します。たぶんさぷさんさんも同じだと思いますが」と言っていて、実際は全然違うウェブセミナーだと言うのは知っていたのですが、思い込みってちょっとこわいなと思いました。
ここで話はちょっと全然変わるのですが、幼児にとっての「鬼ごっこ」遊びはとても重要であるそうなんです。
赤ちゃんと言うのは自分では何も出来ず、喜怒哀楽の表現のみで主に母親に食事やおむつや眠くなったときの要望を伝えないといけません。
自分の要求をほぼ100%他者に依存するという、ある意味怖ろしい状況ですが、つまり「自分の願望=世界そのもの」という世界に赤ちゃんは生きています。
つまり、泣けばミルクが貰えたり、おむつを替えてもらえて、満足すれば笑えばいい訳です。
この「自分の願望=世界そのもの」というのは大人になり厳しい世の中を生きていくためにはかなり厄介な世界観になってしまいかねない訳ですが、そこで鬼ごっこが有効であるそうなのです。
鬼ごっこは数人で鬼と鬼以外に別れて鬼が鬼以外を追いかけますが、幼児はここで自分と自分以外のお友達は役割が違うという事を学びます。
また、自分も鬼になったり、鬼以外になったりする中で、役割に応じて行動を変えねばなりません。
そして、思い通りに相手を捕まえたり、また捕まえられないように逃げたり出来る事ばかりではない訳ですから、「自分の願望=世界そのもの」という世界観の修正を余儀なくされるそうなのです。
もちろん鬼ごっこが全てではないと思いますが、そうやって幼児は他者という存在を発見し、大人に向けての成長を少しずつ進めていくのだと思います。
ここでようやく本題に戻るのですが、僕の懸念は「自分の願望=世界そのもの」の世界観をかなり引きずったまま年を重ねてしまった若者が増えてしまっていないのか?という仮説です。(今のところ2例しかありませんが。。)
1つ目の女性は、あいまいな要望を相手にぶつけても自分に心地のよい回答をしてくれるという願望があったのではないか、また2つ目の男性はありがたいことに僕のことをいろいろ頼っくれているのですが、きっと同じウェブセミナーだろうと思い込んでしまったのではないかと言うことです。
この原因としては、これも仮説ですが、おそらく世の父親が優しくなり、子供への共感が増したことの悪いほうの側面画出てしまっているのではないかと考えています。
僕の父親は団塊の世代のちょっと下なのですが、僕の意見は一切聞かずに相当理不尽な怒られ方をした事が何回もあります。
これは全くいい事ではありませんが、ごく身内であっても「コミュニケーションの余地が全くなく、曰く理不尽」という強烈な体験ではありました。
僕の人格形成の中で、僕の事に興味や理解が全くない他者が存在するというのは少なくない部分を占めているような気がするのですが、他の人の話を聞いたり本を読んだりしていると、大なり小なり昔の父親は理不尽な存在であったような気がします。
子供に対して強烈な他者性を発揮していた父親が子供の良き理解者になる事で、子供の「自分の願望=世界そのもの」という厄介な世界観の維持に貢献しているとしたら、それはそれで宜しくない事態であると言えます。
社会人としてビジネスの場で重要なのは利害や思想、目的が不一致だったりバラバラな状態のステークホルダーとのベクトル合わせと協力にあるからです。
そもそも自分に興味を持ってもらえず、もちろんベクトルも合ってる訳がないという冷めた視点から始めるか、相手も同じ事を考えているはずという楽観的な視点から始めるのか。
僕は後者はあまり成功するイメージがありません。
ちょっと気になる傾向ですので、これからも若手社員をウォッチしていこうと思います。
自分がヤバい精神状態であることは事後的にしか気付けない
さぷさんです。豆腐のメンタルです。
さて、2020年は新型コロナウイルスでなんとも言えない1年になってしまいました。僕は今43歳でして、それなりに人生経験があると思っていたのですが、緊急事態宣言が出た4月初旬から5月下旬は今思うと精神的にヤバかったように思います。
当時の状況としては、離れて暮らしている家族とは当然会えず、また会社も完全リモートワークだったので、スーパーやコンビニに行く以外は本当に2ヶ月間誰とも会っていませんでした。
嫁さんも嫁さんで学校に行ってない子供の相手をする中で参ってしまっていて10円ハゲが50円分くらい出来ていたらしく、LINEや電話のやり取りがギスギスしてしまった中で、この状態が2ヶ月間続くというのはやはりストレスだろうと今なら冷静に振り返る事が出来るのですが、実際にその渦中にいる場合は意外にヤバさに気が付けないのだと思いました。
そんな中で不安や怒りの増幅装置になりえてしまうTwitterがよろしくないと思い、思い切ってアカウントを削除したのが6月下旬でした。
嫁さんも子供の学校再開を契機にやや心に余裕が出てきたみたいでした。
そうして徐々にメンタル的なヤバさを回復する事が出来、今では安定しています。
僕のメンタルの安定は、どこのチャネルを開いて、どこのチャネルを閉じるかという所が重要かなと今は冷静に分析出来るような気がしており、それは家族とのやりとりは増やし、SNSはやらないというところで正解でしたが、次にメンタルの危機が訪れた時は今回の経験が活かせそうな気がします。
ただ、メンタルがヤバいときは認知の力自体が弱まっているのでなかなか難儀なのですよね。
そういう時はとにかく美味しいものを食べて早く寝るようにするしかないような気がしますが、セルフケアだけでは難しい場合は周囲を頼ることも大切かなと思いました。
ただ、困った時に頼れる周囲の人がいるか否かという点については、共助としてのセフティーネットをどれだけ維持できているかという難しさもありますね。
誠実であることはかなり難しい
さぷさんです。理想は高く、腰は低くがモットーです。
さて、日経新聞などで会社社長などのリーダー論を読んでいると、かなりの確率で「誠実さ」が重要であると記事の中で言われている気がします。
「誠実さ」とは大変いい言葉ですが、印象な強烈なワードに我々はしばし思考停止をしがちです。
例えば「AI」と言ったときになんとなく凄そうで思考停止してしまうのは良くなくて、AIに対してデータセットを用意し続けられるのか、アウトプットの定義はどう決めるのか、囲碁や将棋と違ってビジネスは唯一絶対の答えがないものですから、現在の慣行を正とした場合にその前提が間違っていることを疑わないと結局現状追認の強化になるだけだとか、フィードバックループをどう回すのかとか、そういう事を考え出すとAIは万能では無いことはすぐに分かります。
話が少しずれましたが、「誠実さ」を少し分解するとすると、「誠実さ」は自己と他者の関係性で成り立たつとした場合、以下のことが言えるのではないかと思います。
「他者を尊重し、己は謙虚」
「事実をありのままに受け入れる」
「間違いは素直に認め、他者の間違いには寛容」
3つほど書きましたが、これが出来ている人はほとんどいないように思えてしまいます。「誠実さ」だけでなんとなく感じていたイメージとはえらい違いです。
そして、残念ながら世の中はいい人ばかりではありません。NHKで毎日18時台後半に振り込み詐欺の電話が多かった地域のニュースが流れますが、騙されないように気を付けなければならない事が多いのも事実です。
そんな中で、無条件に「他者を尊重し、己は謙虚」などという事をしてしまっていたら、すぐに騙されてしまうかもしれない訳です。
「誠実さ」は発揮すべき相手を見極めなければならないので、実は認知的なリソースを使う高度な判断が前提となると思っています。
仮に認知レベルが下がっているとした場合に、騙されないようにする為にはコミュニケーションをシャットアウトするしかない訳で、齢をとると頑固になると言いますが、自己防衛手段であると思うと理解できます。(納得は出来ませんが。。)
そして、「事実をありのままに受け入れる」ですが、人間は残念ながら自己のフィルターを通してのみ世界を理解する事が可能であり、客観的事実を本当に客観的に受け入れられる人はほとんどいないように思います。
例えばよくある残念な例として、プライドが高くて自己愛が強いタイプの場合、自分の評価が低いことを受け入れる事が出来ません。
ですので、自分が正しくて周囲が間違っているという世界観に逃げ込み、自我の崩壊を食い止めている訳ですが、私達は多かれ少なかれ自分を守るために都合のよい解釈をしがちです。
自分に都合が悪い内容も認め、ありのままに受け入れる事が出来る人は相当に強い人だと思います。
また、「間違いは素直に認め、他者の間違いには寛容」ですが、これは齢をとると「ごめんなさい」が言えなくなってきますが、本当になかなか出来ない事です。
と言う訳で、「誠実さ」を身に着けている人というのは、認知リソースが豊富にあり、事実を認識するためのものの見方が出来ていて、自分に不都合な真実を受け入れるメンタルの強さ、過ちを認める勇気が備わった稀有な人物であり、そりゃ社長になりますよね。という事なのだと思います。
小6の長男に伝えた、勉強をしなきゃいけない理由
さぷさんです。学生時代全く勉強をせず、浪人して大学に行きました。両親には感謝しかないです。
さて、小6の長男と電話で話をしてて、「宿題が多いんだけど、なんで勉強しなきゃいけないの?」という問いかけに僕が思っている事を正直に伝えたところ、「心にグサッときた」と言ってくれたのでその事について書いてみます。
まずは僕自身がズボラすぎて、学生時代は偏差値40位しかない教科があった事を伝えました。偏差値40台ではなく、偏差値40です。勉強を一切しないとだいたいこれくらいです。
浪人生になってから初めてきちんと勉強して、なんとか大学に受かったのですが、ぎりぎりまて勉強をしない特徴を長男も引き継いでしまったようです。
まずは前提として自分の事は正直に伝えました。子供になめられてはいけないと思い、見栄を張ってしまうと逆効果であると思っています。
その上で息子には以下のように伝えました。
「世の中はだいたい頭が良くて実行力がある人が仕組みを作って動かしている。動かす側になるか、動かされる側になるか、どちらかと言えば動かす側になるほうがいいと思う」
「そんな頭の良くて実行力がある人たちだって、何もかも思い通りにはいかない。一生懸命仕事をしてるのに、世の中がなかなか良くならない中で、もし何かしらの役立てる能力を持っているとしたら、それを発揮する義務があると思う」
「一方で、頭の良さを悪いことに使う人もいる。騙されないためには賢くなる必要がある。知識を蓄えることはとても大切で、その上でその知識を知恵にしていく必要がある」
「知恵は、知識が身について、その上で応用をきかせられる事を言うので、今役立たないと思っている知識であっても、思わぬ知恵に結びつくかもしれない。だいたいすぐに役立つ知識はすぐに使えなくなる」
「シビアな話をすると、今父さんが勤めてる会社で目の前に座ってる人は東大卒だけど、父さんの学歴がこの会社の最低レベル。学歴が不要と言う人はだいたいが高学歴。真に受けてはいけない」
「但し、将棋の藤井聡太さんや大リーガーの大谷翔平さんなどは大学には行ってない訳で、ある分野では技能を高める事が重要で、学歴が逆に不要なケースもある。やりたい事が明確で、そのキャリアに学歴が無関係な場合はもちろんあるよ」
というような事を言いました。そうしたら冒頭に書いた「心にグサッときた」と言ってくれたので、何かしら響くものがあったのかもしれません。
また、一番の友人が英検3級を取ったらしく、以前僕が英検2級を取っていた事を何かで伝えていたことがあって、急にリスペクトしてくれて、僕史上英検2級が最も役立った瞬間でしたが、基本的に僕は英語をほとんどしゃべれません。
そこも正直に、以下のように伝えました。
「大学受験で覚えた英語を忘れないように大学時代に英検2級を取ったけど、正直何もしゃべれないよ。英語自体を目的にするのってかなりしんどくて、英語は何かする為の手段な訳だから、近くに住んでいる英語圏のファミリーの人と英語で話したいとか、将来海外で仕事をしたいとか、別な目標があった上での手段としての英語じゃないとキツイと思う。英検3級を取ったお友達も多分何か具体的な目標があると思うから聞いてみたら?」
と言ったら、「そっかー」と言ってました。
そんな訳で、全部ではないと思いますが、僕が伝えたかった事はなんとなく長男に伝わったような気がします。
何故だがよく分かりませんが、子供に対して見栄をはったり嘘をついたりしたらほぼ必ず見破ります。
相手の年齢は関係なく、正直に真摯に向き合うと、相手もそれに応じてくれます。自分の子供であったとしても、一人の尊敬すべき人間として誠実な姿勢で相対し続ける事が重要だと思います。
インドネパール料理のレストランから考える
さぷさんです。バターチキンカレーとチーズナンが大好きですが、年のせいか食べたあとしばらくは胃もたれがします。
さて、そのような訳で僕はインドカレーが大好物なのですが、街なかにあるお店はだいたい「インド・ネパール料理」と謳っているお店が多く、ネパールの国旗やヒマラヤ山脈の写真がお店に飾ってある中で、うっすらとなんでだろうなと思っていたのですが、この前NHKのドキュメンタリーでその理由がわかり、のほほんとバターチキンカレーを注文している自分がちょっと恥ずかしくなりました。
「ジャパニ〜ネパール 出稼ぎ村の子どもたち〜」という番組名で、6月に放送した番組の再放送でした。
ジャパニとは、両親が日本に出稼ぎに行った子供たちを指す言葉という事なのですが、そういう単語が出来るくらい日本への出稼ぎが多い村があるそうです。
そして、以前は父親だけの出稼ぎが多かったようなのですが、夫婦揃っての出稼ぎが増えており、子供達は祖父母に育てられているという実態があるという事を始めて知りました。
在日ネパール人は9万人くらいいるそうで、仮に3割は夫婦揃って来日していたとしたら、世帯数は約6万人+(約3万人÷2)ですから、約7万5千世帯だとして、子供が3人だとすると22万5千人の子供達は父親、または両親と離れて暮らすジャパニということになります。
ちなみにネパールのGDPは3兆4,643億ルピー(約305億ドル)、一人あたりのGDPは117,455ルピー(約1,034ドル)だそうです。主要な輸出品目は糸,ウール,カーペット,衣類,鉄鋼製品,食品(豆,香辛料)等だそうで、軽工業が中心であるようです。
ちなみに、ネパールの隣国で、日本と同様にネパールからの出稼ぎが多いインドのGDPは2兆7,263億ドル(約3兆円、2018年)、一人あたりのGDPは2015ドルだそうです。
日本の名目GDPは561兆円(2019年)ということなので、ネパールとの差は約200倍、インドに対しても2倍くらいある訳です。
コロナ禍において、シングルマザーの貧困や餓死などいたたまれないニュースを目にすることがより増えた気がしますが、マクロ的に見ると日本は今だに恵まれた国であると言うことが言えると思います。
ですので、インドネパールレストランに行くと男性の従業員ばかりなのは、おそらく出稼ぎで訪日されているということと、店内にネパール国旗やヒマラヤ山脈の写真が飾ってある場合は高い確率でネパールからの出稼ぎの方なのだと思います。
もしかしたら僕の注文を受けてくれた定員さんはネパールに子供を置いて出稼ぎされているかもしれない中で、僕はのほほんとバターチキンカレーを食べていた訳です。
知ってどうなるのかと言われたらそれまでですが、ドリンクは利益率が高いですから注文するようにしたりするとか、話すときはにっこり微笑みかけるとか、個人的にはそういう事しか出来ませんが、愛想の良い定員さんの笑顔の裏に悲しみがあるかもしれないということを知るという事はとても重要なのかもしれないと思った次第です。