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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

息子に相対性理論の説明をした時の話

僕「この前、相対性理論が一体どういう理論なのか知りたいって言ってたよね。You Tube2時間くらい見て分かった気がするから説明していい?」

息子「えー、2時間もYou Tube見てずるい。それ見たい」

僕「まあまあ、ちょっと説明させてよ」

息子「いいよ」

僕「まず、相対性理論をいきなり説明することは出来なくて、光速度不変の原理から説明しないといけなくて」

息子「何それ?」

僕「父さんも知らなかったんだけど、光の速さは秒速30万キロメートルらしいんだけどさ」

息子「それは知ってる」

僕「さすがやな。で、光というのはものすごく不思議な性質があって、例えばありえないけど光と同じ速さで並走していても、光の速さは秒速30万キロメートルなんだって」

息子「へー、知らなかった」

僕「普遍ということだから、もっと極端に言うと反対方向から秒速30万キロメートルですれ違っても、すれ違った光の速さは秒速30万キロメートルなんだって」

息子「うん、それで?」

僕「と言うことはだよ、光は空間の中を進んでいる訳だけど、不変なのは光のほうになるよね?」

息子「うん」

僕「と言うことは、空間と時間のほうが歪んでくれないと理屈が合わないことになるんだよね」

息子「うーん」

僕「なかなか受け入れ難いけど、光の速度がどんな状況でも不変だとすると、時間と空間が可変になってくれないとおかしい訳よ」

息子「分かったような、で、相対性理論って何の役に立つの?」

僕「君たちはそうやって物事をすぐ役に立つかどうか考えるからなあ。。だいたいすぐ役に立つ知識はだいたいすぐに陳腐化するから、知らなかった事を知ること自体に価値があると思うけどな、父さんは」

息子「お説教はいいから、続き教えてよ」

僕「せやな。で、光の速度の方が普遍ということだから、物体が光の速さに近づけば近づくほど、光の方は秒速30万キロメートルを守ろうとするわけであって、どうなるかというと時間の進みが遅くなるってことになるのね」

息子「うん」

僕「生活に関係がある所で言うと、スマホGPS人工衛星からの電波を捕えてスマホの位置を特定している訳だけど、人工衛星は宇宙空間を時速約3万キロメートルくらいで動いているらしいんだけど、ものすごく早いから、相対性理論に則って人工衛星の時計は地球に比べて時間が遅く流れるということになるんだけどさ。ここまでわかる?」

息子「物体が早くなると時間の進みが遅くなるんでしょ、光の速さが不変だから」

僕「そうそう、で、実はここまでの説明が特殊相対性理論の話で、ここから先は重力が時間と空間に及ぼす影響を含めた一般相対性理論の話をしないとGPSの話は完結しないんだけど、一般相対性理論はかなり難しいらしくてね。とにかくGPS相対性理論の計算式を組み込んで時間を補正しているから、正しい位置を表示出来るって事なんだって」

息子「ふーん」

僕「分かったような、分からないようなって感じやな。まあ光速度が不変だから、時間と空間が可変になる、相対的になるから相対性理論なんだと思うよ」

自己啓発本はなぜ読んでも無駄なのか

さぷさんです。クリスチャンではないですが、労働は原罪だと思っています。

さて、僕も一時期ビジネス系の自己啓発本を読み漁っていたことがありますが、読んだ本の内容を一切覚えていないので相当の金と時間を浪費したと思ってます。

自己啓発本アメリカ発で日本に輸入されたと思っているんですが、今回はその事について書いてみたいと思います。

以下、本からの引用です。

『「リバイバル」という現象そのものは、寄せては返す波のようにこうして何度でも繰り返す。そして、そうであるからこそ、リバイバルは成長ビジネスとなる。一度の回心で誰もが聖人になってしまったら、この商売はやがて行き詰まってしまうだろう。しかしリバイバルは、いわば同じ客に同じ商品を何度でも売ることができる』(森本あんり 反知性主義

ちなみにここで言うリバイバルとは、信仰復興というキリスト教の宗教用語で、キリスト教徒だけれども信仰心がさほどない人たちに回心を求める一連の運動であると理解しています。

そして、18世紀のアメリカのリバイバルは凄まじかったようでして、以下のエピソードでそれを感じる事が出来ます。

『信仰復興が最初に明瞭な記録として残されたのは、1734年のことである。(中略)その年の春、二人の若者が相次いで急死し、人々の間に人生のはかなさについて実存的な不安が広まった。これに数人の回心が続き、さらにある身持ちの悪い婦人が劇的な回心を遂げるに及んで、町全体が急速な宗教心の高揚を見るに至る。(中略)教会の礼拝や祈祷会は大盛況で、集まった人は救いの歓喜や罪の悲嘆にむせび泣く。ひきつけや痙攣などの身体的症状を起こす人もある。(中略)当時の人びとが交わす挨拶の言葉は、「もう経験されましたか」だったという。こうした状態が数カ月ほど続く。要するに集団ヒステリーである』(同書)

僕が考えているのは、自己啓発本の源流を辿るとこのリバイバルに行き着くのではないかということなのですが、リバイバルとは当然神に対しての信仰の確信を得続ける事だと理解しています。

ただ、森本あんり氏も集団ヒステリーと言っている通り、これはちょっと特別な精神状態だと思われ、神の啓示を毎日感じていられる人などほぼいないでしょうから、また日常に逆戻りしてしまう中で、エヴァンジェリストによる説教によって何回目かの回心果たすというのが必要とされたという事なのだと思います。

ちなみに反知性主義にも少し触れておきますと、反知性主義とは決して知性的ではないと言うことではなく、もともとアメリカの建国の歴史そのものが腐敗したカトリックに対してのプロテスタントのさらに急進派の人々が中心に建国した国ですで、キリスト教福音派の人々は根本的に反権力主義である事と、マルティン・ルター以降の聖書中心主義を最も忠実に受け継いでいますから、それでどうなったしまうかと言いますと「自分が正しいと考える事は正しい」という思考になるそうでして、それを反知性主義と言うと理解しています。

ですので自己啓発本のご先祖にあたるリバイバルというのは、神を体験するという非常に宗教的な行いだったと思っています。

そして、本家のリバイバルについても、回心の体験がそうそう残り続けるものではなく、何度でも繰り返す必要があったと言う事で、エヴァンジェリストはビジネスとしても成り立つという皮肉な側面があったと言う事です。

自己啓発本の全てが役立たないとは言いませんが、源流のリバイバルからして永遠に体得出来ないような構造を根本的に抱えていた訳ですから、それの現在形である自己啓発本を何冊読んだところで意味がないのは歴史的な宿痾であると言えると思います。

また、リバイバルの源流を引き継いでいると思われるのが、平等主義です。確かに神の前で人は平等ですが、キリスト教は社会的に平等であるべきとは言ってません。

私達日本人はなんとなく、機会は平等に与えられていて、努力しない個人が悪いというような自己責任論を展開しがちだと思っていますが、はっきり言いまして暴論かもしれないですが、平等なのはだれでも1日24時間なのと、法治国家なので法の前では平等という事くらいで基本的には不平等だと思っています。

個人の特徴や能力も人それぞれですし、生まれによってアクセス可能な社会資本の質には大きな隔たりがあります。(それが見えにくいのが日本の特徴だと思います)

ですので、前向きに努力すればお金を稼げるというのが自己啓発本の基本スタイルだと思うのですが、常にポジティブになれないから人間な訳でして、仮に誰かを理想的な人だと思っていたとして、その人の人格が安定して見えるのは、限定的な状況でしか交流していないからだと言えるのではないかと思います。

中にはそういうスーパーな人もいるかもしれませんが、たまに世間的に成功した有名人が薬物やDVなどで捕まったりしてしまいますが、光が強ければ影は濃くなるものです。バランスがとれなくなってしまう事も多いのではないかと思います。

そして自己啓発本は神の啓示を受けるという崇高な面があったリバイバルと比べてお金儲けによる自己実現に矮小化されてしまっている訳でして、さらに長続きしない要素が満点だなと思います。20代の頃の僕に会えるのであれば説教したい事のひとつですね。

やはり読むべき本は期待の新刊ではなく、古典や歴史の本、専門書などだと思います。

ブルシットジョブとか、日経新聞記事とか(雑記)

さぷさんです。企業のコーポレート部門にいますと、何らかのジャッジを求められる仕事がそれなりに多くあります。

別部門からの質問に対して社内規程類やら、公式ホームページやら、過去の回答例やらをいろいろ見みて、ブラウザのタブを時には気持ち悪くなる程開いて回答する訳ですが、やってることは「バナナはおやつに入るのですか?」という質問対して、「かくかくしかじかの理由でおやつです(またはおやつではありません)」と回答するような仕事である訳です。

また、「あなたはバナナの前提でいるようですが、仰っていることから推測するとそれはイチゴです。イチゴは○○部管轄ですから、弊部からはお応えしかねます」みたいな事になっておりまして、完全にこのお仕事はブルシットジョブだと認定されます。

現場で働いている人のほうが100億万倍尊いですし、且つ現場の社員は会社にマネーをもたらしているのですから、組織維持には仕方ないとはいえ、なんとも自分がいたたまれない気がしなくもありません。

さて、2/8の日経新聞の朝刊に「苦闘のパナソニック」という短期の連載が始まりまして大変興味深く拝読している訳なのですが、津賀社長の苦悩として「役員人事は事前に決まり、やるべき政策さえも同じだ」という心境の吐露がありました。

普通は社長になれば強力な権限のもといろいろ出来そうだと思ってしまいますが、オーナー会社ならともかく、普通の大企業の社長は出来ることがかなり限られていると思います。

次年度の計画と予算策定、年次業務、四半期業務、月次業務、日次業務と事業部門ががっちり前年踏襲で回していますから、ルーチンはノンルーチンを駆逐すると言いますが、社長は追認するしかないというような状況に置かれる事が結構多いのではないかと思います。

その上で社外取締役の比率が高まった取締役会や、機関投資家、環境活動家、サプライヤーや代理店、もちろんお客様へもトップの説明責任を果たさねばなりませんから社長というのは大変な仕事です。

そして遡ること数日前の2/6の日経新聞の読書面で、我らが磯田道史先生が「王より大臣が権力を振る高句麗モデルを否定、女王(象徴)を立て有力豪族(世襲血縁)が出自の低い謀臣(実務担当)を使う新羅モデルが採択されたとの説もある」と披露されておりまして、トップは象徴としてリスペクトしつつも実務はやらせないという組織形態は日本人の得意とするところであるような気がします。

ただ一方でユニクロ日本電産など、トップが強烈なガバナンスを発揮している会社もありますし、安倍一強時代に強くなった官邸と弱くなった霞が関という例もありますので、このような戦国時代や明治時代の時代の転換点に現われる実力主義のモデルも一方で存在しているような気もします。

ユニクロ垂直統合によってファッション業界を戦国時代に陥れて勝ち残ったと言えるかもしれませんし、安倍一強時代は国際強調から経済のブロック化が進行した時の政権だったという評価が出来るかもしれません。

つまり、会社組織とは磯田先生の言う新羅モデルなのか、戦国時代モデルなのかという分け方が出来るかもしれませんが、平時であれば新羅モデルでいいのでしょうけど、今は一部のIT企業などを除いて有事と言って差し支えないと思いますので、平時で出来なかったことを一気に進めるチャンスでもあるかなと思います。

なんだか当たり前の結論になってしまいましたが、歴史は繰り返さないが韻を踏むという格言を常に念頭において、大局観で物事を見つつ、有事の仕組みに切り替えていくことが重要だと思います。

人との厄介な繋がりを全てお金でカバーできる時代の弊害について

さぷさんです。単身赴任中なのですが、家族と住むことになり、コロナ禍ですが引っ越し準備をしています。僕は寮からの引っ越しで、家族は地方からの引っ越しなのですが、転勤は家族にとって相当な負担なので令和の今となってはサステイナブルな制度ではありませんね。

さて、そんな中でコロナ感染に気を付けながら賃貸物件探しをして、なんとか転居先を見つけたのですが、契約時に少し驚いたのが連帯保証人が不要と言う点でした。

僕が不動産の賃貸物件を契約するのは多分10年ぶりくらいになるのですが、前回は父親に頭を下げて保証人になってもらった気がします。

それが今回は初期費用が7万円でそのあと毎年1万円を払うような仕組みと不動産屋から説明を受けました。

家賃滞納の際にはそこから一時的に家主に支払われるのですが、いずれにしても全額返済しなければならないので、運営会社は貸し倒れのリスクを考慮しておけばいいだけなのでなかなかいい商売な気がします。

と言う事は、多くの借主にとっては連帯保証人になってもらう手間などを上記の金額で購入したという事になるという事が言えると思います。

確かに「連帯保証人だけにはなるな」と言われますし、いろいろ難しい状態の方もいるでしょうからこのような仕組みは必要なのかもしれませんが、現代の日本はあまりにもあらゆるサービスが構築されすぎていて、お金で解決するという事が当たり前になってしまった中で人との繋がりの希薄化に拍車をかけているような気がします。

是非は分かりませんが、もしも連帯保証人の仕組みがあれば、僕は父親に頭を下げなければならなかったのですが、その機会は幸か不幸か訪れませんでした。

また、僕が子供の頃はお隣が不在だった時には宅配便を預かったり、お醤油などの調味料の貸し借りがあったと記憶しています。

但しこれは、言い方が難しいのですが、男性が外で働き、女性はほぼ専業主婦だった時に成り立っていたやりとりだと思いますので、僕は今43歳ですが、この30年程度ですっかり日本という国が変わってしまった気がします。

つまり、男性の稼ぎでは家計が成り立たず、女性の自立と社会進出がより進んだため、その隙間を埋めるサービスがより発展したといえると思います。逆に言いますと、(言い方は良くないですが)男性は女性を社会インフラとして頼っていて、今もまだ相当に頼ってしまっているという事です。

ですので、全てをお金で解決出来、既婚者男性は配偶者を社会インフラとして頼っているという現状をもっと良い状態に出来るといいのですが、かなり強固な構造ですから難しいですね。

組織人(メンバーシップ型)より専門家(ジョブ型)

さぷさんです。バリバリのメンバーシップ型の企業に勤めています。

さて、春闘がスタートしまして、経団連と連合の主張の隔たりはますます広がっている気がしますが、ジョブ型雇用の注目度が高まっています。

メンバーシップ型の企業がジョブ型雇用に切り替える為には、ジョブ型に切り替える職種の仕事の棚卸をして整理し、その仕事に値札(年収)を付けて、人のアサインをしていくという方向になると思います。

社内で人材が調達出来ればそれがベストですが、いない場合は外部から採用するしかありません。

また、ジョブ型雇用は基本的に異動はなく、異動したい場合は社内公募制度で応募することになります。

制度としてはこのようになると思うのですが、個人としてはどのような働き方や意識の違いになるというのかという点ではまだあまり議論や認識の深まりがないように思います。

では、メンバーシップ型の雇用からジョブ型の雇用に切り替わる際の個人に起こる変化とはどういう事になるのでしょうか。

端的に言いますと、社員一人ひとりが専門家になる必要があると言う事です。

例えば僕は人事系なので、人事系の仕事でいうと、教育研修部門であれば、外部の研修に派遣したりするだけでなくて、自分が講師を務められるレベルが求められる訳です。

また、法務部であれば、重要な法務相談は弁護士事務所にお願いすることも多いのですが、全ては無理にしても例えばPL法であれば逆に社外からお金を取って相談を受けられるレベルに達する人材が求められます。

情報システム部門は、定期採用の正社員はプログラムも仕様も書けず、ベンダーコントロールが出来ていない状態になっているケースも見受けられ、システム会社からの中途採用者頼みという状況になってしまっていたりしますが、プロジェクトマネージャとして引っ張りだこになるようなスキルが必要になってくると思います。

大企業に勤めていると、特にコーポレート部門の社員は組織人としての社内調整がメインであって、制度設計や次期経営計画はコンサルタント会社に頼んだりしますし、上に書いたように研修は研修会社を活用します。

ジョブ型雇用の場合は専門家になれと言うことですから、自分がコンサルタントなり、研修講師なりになる事がより求められます。

もちろん、マンパワーが足りない場合は外部の力に頼る場合もありますが、その場合に自社と外部に対しての自分のスタンスは専門家として外部の立場により近くなっている訳ですから、メンタリティとしてはとても大きな変化があります。

組織人の悪い例として社内調整をろくにせずに、外部に丸投げするというような事は今後一切認められないという事になると思います。(メンバーシップ型雇用でもこんな事はしてはいけませんが、実際にはこういう光景を頻繁に目にします)

つまり、自分が専門家として摩擦を恐れずに会社に意見しなければならない訳です。そしてこの会社に意見しなければならないというのは、端的に言うと執行役員などの上位職種に対して意見しなければならないという事になります。

メンバーシップ雇用ですと、上に意見を上げるまでの緩衝材としての組織人がいましたが、経営者からはそれが不要と言われているわけです。

また、経営者自身としても自社のジョブ型雇用者であれば虚心坦懐に話を聞かないといけないですし、逆にアサインしている部下のスキルが不足していて、今後もキャッチアップする見込みがないと思ったらその職を解かなければならない訳です。また、それより何より自分自身が経営のプロでなければいけません。

ジョブ型をきっちりやろうとするとおそらくこういう事になる訳ですが、「本当にやるんですか?いいですね?やりますよ」という時期になってきているのだと思います。

献血ルームの砂時計

献血ルームにて、

僕「いままた緊急事態宣言ですけど、献血は不要不急にあたらないと聞いて来てみたんですけど、今日は空いてるほうですか?いつもなら日曜の午前でもベッドは結構埋まってると思うんですけど」

看護師さん『そうですね、こっちがは全血ですけど、成分献血のベッドは全部埋まってて、外で待ってもらってる人も4〜5人いるんですよ』

僕「そうなんですか、では外で血液が足りないって呼び込みされてましたけど、安心ですね」

看護師さん『いえ、駅前に出したりするバスが出せなかったり、企業にお願いする献血が出来なくなってしまったんです』

僕「あ、そういう事ですか。確かうちの会社もこの時期献血に協力していましたが、リモートワーク推奨になっているので、無理に参加しないで下さいってお知らせが出ていた気がします」

看護師さん『ええ、そうなんです。この時期に大きなイベントがあったんですけど、それも出来なくなってしまって。。。』

僕「冬コミですか?あれすごいらしいですね。数千人が献血するとか」

看護師さん『そう、それです!出来なくなってしまったんですよね。。』

僕「なかなか難しいですね。。。」

看護師さん『足を動かす体操しておいて下さいね。献血を何回もされている方でも立ちくらみで倒れてしまう方がいるので』

僕「そうなんですか、気を付けます。今日は特に予定もないので多分大丈夫だと思いますけど」

看護師さん『この足の体操のお願いは東京都の独自のものなんですよ。あとここにある砂時計は献血が終わってから3分はベッドに留まってもらうためのものなのですが、これも東京独自のものなんです。あと、この止血の包帯の種類も東京だけなんですよ』

僕「そうなんですか、それは知りませんでした。以前仙台で献血をしたことがあるんですが、宮城方式もあるんですかね。赤十字センターは都道府県が管轄されているって事なんですね」

看護師さん『そうですね。東京方式が気に入って、出張が多い方は東京で献血する人もいるとか聞いたことがあります』

僕「そうなんですか、勉強になります」

看護師さん『はい、400mlの採血が終わりました。3分間安静にしていて下さいね』

僕「はい、わかりました」

優秀な若手を活かせない残念な上司

さぷさんです。僕は上司の話を聞くふりして全然言うことを聞かないので、過去の上司とはだいたい上手くいってませんでした。

さて、どなたかが「他部門から評価されている人は優秀ということでほぼ間違いない」と仰っていましたが、僕もそのように思います。

組織には組織内のヒエラルキーや人間関係が渦巻いていますが、他部門から見たらそういう事は関係がなくて、単純に部門間連携で仕事を進める時にやりやすいかどうかで判断しますから、余計な要素を考えずにフラットに評価してくれるからであろうと思います。

このエントリーでは他部門から評価される若手スタッフがいるとして、その力を活かすことが出来ない上司について考えてみたいと思います。

優秀なスタッフというのは、勘どころが鋭くて、相手が求めている事を即時に理解してアクションが出来ますので、重宝されます。

ただ、残念な事に優秀なスタッフのノウハウというのは部門内に共有されることは僕の経験上ほとんどなく、部門内からは「〇〇さんはすごいからねー」と称賛とやや引いた感情がないまぜになった複雑な見方をされている事がよくある光景であるような気がしています。

そして優秀なスタッフは、勘どころが良いためにいろいろな所から頼りにされて相談を受ける中で、社内の情報通になっていきます。

そういう情報に詳しい所を部内で話の端々でつい匂わせてしまうと、さらに反感が高まるという悪循環も発生しかねません。

若手のスタッフは、いいか悪いかは別にして、自分のパフォーマンスを上げることにはとても熱心ですが、組織全体としてパフォーマンスを上げることにはまだあまり関心がないか、関心があったとしてもそこまで熱心ではないような気がします。賢いので言っても無駄だと最初から諦めているかもしれません。

組織全体でパフォーマンスを上げるという取り組みはマネージャーが率先して行うべきですが、残念ながら優秀なスタッフがいたとして、そのスタッフの仕事を組織知に還元できる管理職は非常に少数だと思います。

マネージャーは部下より優秀であらねばならないと考えている場合はプライドの高さから優秀なスタッフに教えを請うことができませんし、もっとひどいケースとしては、部下の優秀さを理解できず、遠ざけるか丸投げするか、頭ごなしに的はずれな命令をするかという事をしてしまうという残念なマネージャーも実際にいます。

優秀なスタッフが問い合わせ用に便利な資料を使っているようなら頭を下げて部内の共有資料にするようにお願いしたり、優秀なスタッフに仕事が集中して部内の業務の負荷分散が出来ていないようであれば、調整が必要です。

マネージャーはスタッフの業務の詳細を理解する必要はありませんが、優秀なスタッフを優秀と認めて場合によっては教えを請う謙虚さと、部下に内心で見下されて誰も言う事を聞かないような状態にならないように本質をとらえる力と判断力を高める事が重要だと思います。