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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

ブルシットジョブとか、日経新聞記事とか(雑記)

さぷさんです。企業のコーポレート部門にいますと、何らかのジャッジを求められる仕事がそれなりに多くあります。

別部門からの質問に対して社内規程類やら、公式ホームページやら、過去の回答例やらをいろいろ見みて、ブラウザのタブを時には気持ち悪くなる程開いて回答する訳ですが、やってることは「バナナはおやつに入るのですか?」という質問対して、「かくかくしかじかの理由でおやつです(またはおやつではありません)」と回答するような仕事である訳です。

また、「あなたはバナナの前提でいるようですが、仰っていることから推測するとそれはイチゴです。イチゴは○○部管轄ですから、弊部からはお応えしかねます」みたいな事になっておりまして、完全にこのお仕事はブルシットジョブだと認定されます。

現場で働いている人のほうが100億万倍尊いですし、且つ現場の社員は会社にマネーをもたらしているのですから、組織維持には仕方ないとはいえ、なんとも自分がいたたまれない気がしなくもありません。

さて、2/8の日経新聞の朝刊に「苦闘のパナソニック」という短期の連載が始まりまして大変興味深く拝読している訳なのですが、津賀社長の苦悩として「役員人事は事前に決まり、やるべき政策さえも同じだ」という心境の吐露がありました。

普通は社長になれば強力な権限のもといろいろ出来そうだと思ってしまいますが、オーナー会社ならともかく、普通の大企業の社長は出来ることがかなり限られていると思います。

次年度の計画と予算策定、年次業務、四半期業務、月次業務、日次業務と事業部門ががっちり前年踏襲で回していますから、ルーチンはノンルーチンを駆逐すると言いますが、社長は追認するしかないというような状況に置かれる事が結構多いのではないかと思います。

その上で社外取締役の比率が高まった取締役会や、機関投資家、環境活動家、サプライヤーや代理店、もちろんお客様へもトップの説明責任を果たさねばなりませんから社長というのは大変な仕事です。

そして遡ること数日前の2/6の日経新聞の読書面で、我らが磯田道史先生が「王より大臣が権力を振る高句麗モデルを否定、女王(象徴)を立て有力豪族(世襲血縁)が出自の低い謀臣(実務担当)を使う新羅モデルが採択されたとの説もある」と披露されておりまして、トップは象徴としてリスペクトしつつも実務はやらせないという組織形態は日本人の得意とするところであるような気がします。

ただ一方でユニクロ日本電産など、トップが強烈なガバナンスを発揮している会社もありますし、安倍一強時代に強くなった官邸と弱くなった霞が関という例もありますので、このような戦国時代や明治時代の時代の転換点に現われる実力主義のモデルも一方で存在しているような気もします。

ユニクロ垂直統合によってファッション業界を戦国時代に陥れて勝ち残ったと言えるかもしれませんし、安倍一強時代は国際強調から経済のブロック化が進行した時の政権だったという評価が出来るかもしれません。

つまり、会社組織とは磯田先生の言う新羅モデルなのか、戦国時代モデルなのかという分け方が出来るかもしれませんが、平時であれば新羅モデルでいいのでしょうけど、今は一部のIT企業などを除いて有事と言って差し支えないと思いますので、平時で出来なかったことを一気に進めるチャンスでもあるかなと思います。

なんだか当たり前の結論になってしまいましたが、歴史は繰り返さないが韻を踏むという格言を常に念頭において、大局観で物事を見つつ、有事の仕組みに切り替えていくことが重要だと思います。