【書評】天才の思考 高畑勲と宮崎駿
※リアルなナウシカを書いたつもりが、ナウシカのコスプレをした人になりました。
「宮崎さんが作るならいいものが作れるだろう。それはわかっている。でも、スタッフも会社もガタガタになるんだよ」(本文から)
この本を読んで僕の頭に思い浮かんだのは以前上司だったA部長でした。若い時から頭角を現し「役員になるのは間違いない。巡りあわせでは社長もあるのではないか」と言われていたようなのですが、結果としては部長どまりで、しかも花形部門ではなく傍流の部門のまま退職していきました。
僕も何年か部下だったんですが、確かに頭の回転が早くて視野も広くて英語も喋れてスーパーな方なのですが、偏執的と言っていいくらいの完璧主義者で、周囲を疲弊させる事で有名でした。
僕もある資料作成で直接指導を受けることになったのですが、たったA4の資料1枚で直しが10回入り、丸1日がかりでした。確かにいい資料になりましたが、疲弊感が半端なかったことを覚えています。
働き方改革のこの時代に間逆の事をされており、文章も一字一句修正が入るのですが、「ここは句読点だろう」とか言われても、なぜそこに句読点を入れるのかさっぱり理解出来ないまま、早く終わらせたいので「分かりました」と言ってましたが、今でもなぜ句読点が必要だったのか理解が及ばず、恐らく理屈ではなくて美学の世界だとは思うのですが、一時が万事このような感じでした。
あと、重要な打合せや会議をする時に、担当としては事前に資料を準備して配布する訳ですが、そういう段取りを全部無視して「あれどうなった?」とか段取りを壊しにかかってくるんですよね。
担当としてはあ然とする訳ですが、確信犯的にやっていて、しかも楽しんでる風さえ感じる訳です。僕は影で段取りクラッシャーと呼んでました。
何回かやられると担当としても(嫌ですが)慣れてきて、「それだとこの資料が一番近いのですが」とか対応するとそれはそれでなんか面白くなさそうな顔をするので内心「どないしたらいいっちゅうねん!」という感じでしたが、打合せが終わったらその日はもう何もしたくなくなってしまうくらいでした。
僕は途中で異動となりまして他の部署に移ったのですが、A部長の退職後に何が起きたかと言いますと、A部長が導入した仕組みだったり、文書だったりがどんどん書き換えられたり、なかった事にされているようなのです。
退職して本人はいないのだから、良かった部分は残せばいいのにとも思わなくもないのですが、やられた側の人間の復讐の気持ちもよくわかりますし、ほんとにあの数年は何だったのかという気持ちになります。
さて、高畑勲と宮崎駿を一番身近に見てきたであろう鈴木敏夫さんの書かれた本書ですが、鈴木敏夫さん自身も天才と丁々発止出来る方ですから、3人のモンスターみたいな方の思考やエピソードを描いた本になります。
率直な感想としては、魅力的な方々だとは思うがお近づきにはなりたくないなあという感覚です。天才は普通じゃないから天才なのだとあらためて感じた次第です。
繰り返しになりますが、鈴木敏夫さんも十分に天才かつクレイジーです。そうでないとアニメ監督未経験の宮崎吾朗さんにいきなり「ゲド戦記」を任せようとか思わないでしょうし、高畑勲さんと新潮社の社長の話し合いが決裂したのをある意味観客として野次馬的に楽しむとか、かなりぶっとんでいます。
そんな感じで高畑勲、宮崎駿、鈴木敏夫が織りなすエピソードがこれでもかと収められていて、あまり書くとネタバレになってしまうので是非本書を読んで頂きたいのですが、もう少しだけ書かせて頂くとすると、宮崎駿と鈴木敏夫の出会いからしてクレイジーなんですよね。
鈴木さんがアニメージュ創刊のために宮崎駿にインタビューに行く訳ですが、何も話してくれないのでカリオストロの城の絵コンテ作成中の宮崎駿のとなりに座り続け、3日目でようやく口をきいてくれたとか、普通じゃないエピソードでお腹がいっぱいになります。
あと、あの名作「風の谷のナウシカ」ですが、ナウシカを作成したのはスタジオジブリが結成される前なので、トップクラフトというアニメ制作会社が主体となっていたそうなのですが、アニメ完成後に主力のスタッフが全員辞表を提出してしまい、会社が消滅してしまったそうなのです。
まさか会社をひとつ潰していると思うとナウシカを見る目が変わってきます。腐海や巨神兵、トルメキアよりも怖いのは天才の創作へのこだわりと妥協のなさであるのだと。
とにかく未読の方には一読をお勧めします。
- 作者:敏夫, 鈴木
- 発売日: 2019/05/20
- メディア: 新書