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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

もはや全社一丸の時代ではないが、日本人の初期設定は「みんながんばれ」

「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する(England expects that every man will do his duty)」ネルソン提督

「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」秋山真之


新型コロナウイルス感染症で世界中が大変な事になっていますが、亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、あらためて経済というのは人が活動するからこそ活性化するものなのだなと感じます。

弊社でもコロナの対応について社長が「全社一丸となって」と仰っていた訳ですが、弊社の社長に限らず、日本人は本当に「全社一丸」が大好きなんだなと思ったのでその事について書いてみます。

ちゃんと調べて裏を取らないといけないんですが、日本人は歴史的には弥生時代に稲作が伝わってからマジョリティはずっと農民で、農耕民族の行動洋式を色濃く残していると思います。

稲作は労力がかかります。たとえば本田の準備としては耕起といって土を砕いて、畦塗りで水が水田から出ないように土手を作って、肥料を加えて、代かきで水を入れながら平らにして、排水がちゃんと出来るようにしないければならない訳です。(ネットで見ただけなので間違えてたらすみません)

今はかなり機械化されていますが、昔は全て人力だった訳で、そりゃ村総出で作業に当たらないと稲作が成り立たない訳です。育苗や収穫も一大行事です。

そういう稲作の大変さがあるので、村祭りで日ごろのストレスを発散するみたいな仕組みがあったのだろうと思います。

なので、「一丸」になりたがるのは稲作が盛んな日本を含む東アジアの特徴ではなかろうかと思っています。

そして、令和の今の時代に俄に実現しそうな気配があるのが「ジョブ型雇用」です。

日本は従来から「メンバーシップ型雇用」と言われていて、新卒一括採用から終身雇用という昭和型企業は大企業ではまだなんとか成り立っているのですが、AI人材あたりから大企業でも崩れてきたように感じています。つまり高額報酬を出さないと中国やアメリカに優秀な人材が取られるという切実な問題が目の前にあるからだと理解しています。

AI人材に高額報酬を出す制度を取り入れた会社の方にたまたま直接話を聞く機会があったのですが、こういう時は高額報酬部分がどうしてもクローズアップされがちですが、基本的には単年契約で都度更新なのだそうで、プロ野球選手と同じような仕組みだそうです。

こういうAI人材のような尖った方々は自分の興味がある内容の仕事が出来なかったら比較的簡単に転職を考え、尚かつ引く手あまたなのでこういう働き方が合っているのだと思います。

ただ、AI人材の方の知的興味とビジネスとして儲かるかどうかはまた別問題のようで、企業側としてはマネジメントが大変という話もあるようです。

また、昨今話題の「働かないおじさん」も農耕民族のDNAとメンバーシップ型雇用の文脈で語られるべきで、昔だったら稲作の生き字引として「あーせい、こーせい」というだけでもそれなりに存在理由があったのでしょうが、今となってはただの穀潰しなので、企業側も黒字リストラに手を付けざるを得ないという事なんでしょう。

「働かないおじさん」は日本民族の血が濃すぎて、急激な変化に適用出来ていないので、「ざんねんないきもの辞典」に載る日も近いかもしれません。

なのでそろそろ「働かないおじさん」は「ざんねんないきもの」と呼ばれるかもしれませんね。(アラフォーで閑職の僕も含めてですが)

さて、冒頭に書いたネルソン提督と秋山真之の信号旗の違いも明確なんですが、ネルソン提督は「それぞれの役割をしっかり果たせ」と言ってるのに対して、秋山真之は「みんながんばれ」と言っている訳です。

そう言えばファミコンドラクエ4も戦闘のデフォルトは「みんながんばれ」でたまに「ガンガンいこうぜ」です。

みんなでがんばるは日本人にインストールされた初期値みたいなものなので、僕のような捻くれものが「それぞれの職責を果たせ」と言っても恐らく無視されるのではないかと思います。

逆に合理主義の塊のアングロサクソンのエピソードとしては、フランク・ロイド・ライトだったかどうか残念ながら忘れたのですが、設計に口を出してきた弟子に対して「I am an architect.you are a draftsman」とのたまったそうで、製図屋が建築家に口出すんじゃえねよというジョブ型雇用を地で行く発言をされる訳なんですよね。

なので、ジョブ型雇用というのは、稲作文化からの決別を意味する訳ですが、日本人の多くはとっくに稲作からジョブチェンジしているにも関わらず、「棚田」とか「鉄腕DASH」とか、「となりのトトロ」が好きだったりするのは、弥生時代からの行動様式が遺伝子レベルで刷り込まれているからだと思います。

なので社長の「全社一丸」という言葉にほぼ違和感を抱かない訳ですが、はたして「己の職責を全うしろ」という社長は令和の時代に出てくるのでしょうか。

また日本人は一方で、本当にピンチになると今までの生き方を全否定する事に躊躇ない一面もあったりするので、楽しみと言えば楽しみです。

これからしばらく景気が悪くなるでしょうし、少子高齢化対策もほぼ負け戦確定ですから、プロフェッショナルとして生き残る為には「己の職責を全うしろ」という時代来たほうがいいのではないかと思う次第です。

ただこれは能力や技能についての話なので、メンタリティについては「みんながんばれ」のままで、「みんなそれぞれの持ち場で職責に応じてがんばれ」になれば一番いいですけどね。