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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

ヘテロセクシャルは槇原敬之の「どんなときも」を聴くべき

どんなときも。

どんなときも。

  • 発売日: 2008/11/19
  • メディア: MP3 ダウンロード

さぷさんです。今のところストレートに生きています。

LGBTの方は一説には人口の7%とか10%とか言われていますが、仮に7%だとしたら14人に1人いる訳で、クラスで2〜3人いる事になりますから、決して少なくはないと思います。

僕の周りではLGBTの方はいないのですが、かなり昔に残業で遅くなってしまい、夜道をとぼとぼ歩いて帰っていた時に、前から来た男性2人が手を繋いでいたのですが、僕の姿を認めるとその手を離したの見てしまいました。

おふたりの人の大切な時間を僕が切り裂いた訳ですから、申し訳ない事をしたと思うのですが、LGBTの方が堂々とできるような状況にはまだ程遠いのだろうなと思っています。

最近在宅勤務が続くのでAmazon music
Unlimitedで槇原敬之の曲をかける事がよくあります。

薬物使用については良くないのは言を待ちませんが、曲に罪はありません。

特に「どんなときも」は勇気づけられる気持ちになるのですが、この曲をLGBTの苦悩が表現されていると思うとまた聞き方が少し変わってきますし、より深く共感出来るような気がするのでその事について書いてみます。


以前、この本を読んだことがあるんですが、LGBTの方が一番悩むのは自分らしく生きることが難しいということだと感じました。

つまり、例えば自分にパートナーがいたとしても、会社の同僚にはパートナーはいないとか、異性のパートナーがいるといった嘘をつかねばならず、それが大変心の負担になると言う事でした。

愛する人がいるのにそれを同僚に自然に表現できない、愛する人を他人に隠したり偽ったりしなければいけないというのは想像しただけでかなりつらいものだと感じます。好きなものを好きと言えない状況なのだと。

では「どんなときも」の歌詞を抜粋して見ていきたいと思います。


『僕の背中は自分が 思うより正直かい?
誰かに聞かなきゃ 不安になってしまうよ』

『どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言えるきもち 抱きしめてたい
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから』

『消えたいくらい 辛い気持ち
抱えていても
鏡の前笑ってみる まだ平気みたいだよ』

『そしていつか誰かを愛し
その人を守れる強さを
自分の力に変えて行けるように』


この歌詞を見ると、LGBTである事をカミングアウトしたくても出来ず、自分が強くあらねばというような悲壮感が伝わってくる気がします。


「どんなときも」は1991年に発売されましたから、今よりもさらに理解がないような時代だったと思います。

当時槇原敬之さんはカミングアウトしていませんでしたが、おそらく命を削るような思いで作った曲でしょうから、そういう背景を知らなくても心に響くのだと思います。

僕は自分に正直で誠実に生きたいと心から願っていますし、またそのような自分をありままに受け入れて欲しいという願望もあります。承認欲求です。

おそらく、LGBTの方も自分に正直に誠実に生きたいと思った時に、一番誠実にしたい人を周囲に説明する時に嘘という一番不誠実な態度を取らざるを得ない事がとても辛いのではないかと思うのです。

正直で誠実に生きたいだけで、カミングアウトすべきかどうかというプレッシャーや色眼鏡で見られる事に怯えるという事に苦しむというのは理不尽です。

その人が正直で誠実に生きたいと思っているのであれば、それは僕の生きたい生き方でもあります。

あなたは私だったかもしれないのです。他者志向というのは、積極的自己肯定でもある訳です。視点をちょっと変えるだけで。

自分が正直で誠実に生きたいと思っている全ての人は、同じ様に考えている他人が苦しんでいたら助けるべきですし、カミングアウトしてくれたら「ありがとう」と言える世の中になると素晴らしいなと思います。

あと、「僕は今のところヘテロセクシャルだけど、たぶん似てるところがあると思いますよ」とも。