「与える人こそ成功する」は2000年前にもうマルクス・アウレリウスが言っていた
さぷさんです。最近お気に入りのサンドイッチ屋さんがあるのですが、コーヒーも必ず買うようにしています。
コンビニのコーヒーも十分美味しくてしかも安いのですが、お店にとって飲み物は利益率が高くて儲かる訳です。ファンとしてお店を応援したいというちょっとした気持ちが大切かなと思っています。
さて、よくインフルエンサーの方などが「ギバー、テイカー、マッチャーの中で、キバーになる事が大切。まずは自分から与えて、見返りは期待しないこと。また、誰にギブするかは重要で、搾取するだけの人にはギブしない事」みたいな事を言ってたりします。
ギブアンドテイクじゃなくて、ギブアンドギブが今っぽいしエモいよね()みたいな一部の意識高い系界隈の認識としてあるような気がしていますが、最近マルクス・アウレリウスの「自省録」を読んでいる中で、マルクス・アウレリウスはギブの重要性を既に見抜いて実践されていた事にちょっと驚きました。
少し長いですが引用します。
「ある人は他人に善事を施した場合、ともすればその恩を返してもらうつもりになりやすい。第二の人はそういうふうになりがちではないが、それでもなお心ひそかに相手を負債者のように考え、自分のしたことを意識している。ところが第三の人は自分のしたことをいわば意識していない。(中略)誰かによくしてやったら、それから利益を得ようとせず別の行動に移るのである」
この部分に書いてあることは、ほぼテイカー、マッチャー、ギバーの説明になっています。
本屋に行けば自己啓発本は山のように置かれていますが、だいたい文字も大きくてすぐに読み終わるようなものばかりです。お手軽なものはだいたいが役には立たないのと、自己啓発本はだいたいタネ本がある中で、どうせならタネ本を買ったほうがいいと思っています。
僕が気を付けているのは、相手に何かギブする時は相手を選ぶものもちろん大切なのですが、相手が感動するレベルのギブをしないとあまり意味がないかなと思っています。人は貸した金は覚えていますが、借りた金は忘れがちです。ちょっとしたギブはすぐ忘れ去られるのではないかと思っています。
では、感動するレベルのギブとは例えばどういう事なのかというと、他部門から今の僕の仕事とは直接関係がない内容の相談があったとして、相談にも乗りつつ次の日にはその部門で使えるようなパワポのスライドを気合いで作成して、よかったらどうぞと渡したりすることがあります。
前職のシステムエンジニアとしての経験などがあるのでちょっとニッチな部分に強かったりするのですが、全社的には必要だと思っている課題があるとして、それに貢献すれば会社としてはプラスな訳です。
自分の仕事を中断して、他部門の作業をする訳ですから、越権行為ですし上司に見つかったら怒られる訳ですが、そこは上手くやります。
ちなみに相談があってからすぐに資料を渡す事が重要です。他部門に相談するという事は相当切羽詰まっていると言う事です。という事は、その資料がほぼそのまま他部門の正式資料として使われる可能性が高まります。
つまり、自分が解決したいと思っていた事のお手伝いをしつつ、自分がやりたい方向性の資料にして相手に渡すわけですから、ある意味アンオフィシャルに他部門に対して影響力を行使していると言えなくもありません。
ですが、資料を渡した側からは「こういう資料が欲しかった」と言ってもらえ、ギバーとしても成り立ってると思います。
そして、手伝った事を忘れた頃にまた相談があって、僕の問題認識と一致していたら同じ行動を取る事もあります。もちろん、相手が誠実ではない場合は手伝いません。
つまり、ギバーと言うのは、自分が成し遂げたいけれども、立場違ったり直接対応する時間が取れない中での最善手として行っている人が実は多いのではないかと言う事です。
ただそれは、物事を公平に見て、あるべき姿に誠実に取り組むから他人を動かせる訳であって、私利私欲では人は動いてくれません。
ギブしたとして、明確で分かりやすい短期のメリットというはありませんが、他部門の公表前のプロジェクトとその問題点を事前に知ることが出来たりする中で、会社をより立体的に把握することが出来ます。相談してくれた当事者以外とは誰にも話せないのですが、情報は知っているだけで価値があるものです。
マルクス・アウレリウスはローマ皇帝として帝国を統治する中で、よい統治をする為のギブの重要性に気付き、「自省録」に書き留めたのではないかと思います。
人類の祖先が二足歩行を初めて約300万年くらいなので、2000年前はつい最近の出来事です。人間の本質はそう変わるものではないと思っています。