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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

生産性の向上は「分業と規模の経済」にあると喝破するデービッド・アトキンソン氏と「国富論(諸国民の富)」

さぷさんです。最近アダム・スミス国富論を読み始めたのですが、理由は後述します。

さて、日本における生産性の向上の議論は色々な有識者が色々な事を言っているようで、国民的な合意には程遠い状態だと思っています。

そのような中で、中小企業が多すぎる事が問題の根幹にあるとして、中小企業改革を提起し続けているデービッド・アトキンソン氏はかなり異彩を放っているように見受けられます。以下、少し長いですが、東洋経済の記事の抜粋です。

「企業の規模が大きくなればなるほど生産性が上がる、という経済の大原則があります。これは日本も例外ではなく、業種別・都道府県別の平均企業規模と、生産性は見事なほど一致しているのです。だから、生産性向上は企業の規模が拡大することを意味します。

企業規模が大きくなれば分業ができますので、社員の専門性が上がって、一人ひとりが自分のスキルを最大限に発揮できるようになります。小さな企業よりも利益が集約されて、絶対額が大きくなりますので研究開発や人材開発などにも力を入れることができます。そして、中堅・大企業は体力があるので、生産性に大きく影響を及ぼす輸出をすることができます。

日本の中小企業の中には大企業に負けない技術力を持っているとか、大企業の中にも生産性の悪い会社だってあるとか反論をする方もいらっしゃるかもしれませんが、それはあくまで個々の特殊ケースであって、国の経済全体を考えれば、カギが企業規模にあるのは疑いようのない事実なのです」

https://toyokeizai.net/articles/amp/302864?display=b

弊社は分類すると大企業に属する企業規模なのですが、システム部門があってインフラ専門の担当もいる中で、リモートワークはそれなりにスムーズに始まりました。

以前から育児介護用の在宅勤務の制度がありましたのでゼロからのスタートではなかったとしても、全社的にリモートワークを展開した訳ですから、それなりにハードルは高かったのではないかと思います。

一方で、あまり規模の大きくないお会社様とお話させて頂く機会があったのですが、リモートワークに興味を持たれつつもまだ実施出来てないとの事でした。

理由をお伺いすると環境(ノートPCやネットワーク)が整備できておらず、システム的な人員も足りないという事でした。

弊社とお話をお伺いしたお会社様との違いは、会社の規模です。専門の人材を割いて、インフラを整えられていたのかどうかというのが分かれ目なのではないかと思います。

そして、世界史上最も生産性が向上したと考えられるのは産業革命であると言っても過言ではないと思います。

その産業革命を分析したのがアダム・スミスの「国富論」(諸国民の富)です。「国富論」は産業革命進行中の1776年に出版されました。

僕が世界史を習っていたのはかれこれ四半世紀くらい前ですが、産業革命とは蒸気機関の発達による所が大きいという理解をしていました。

しかし、「国富論」の中でアダム・スミスは真っ先に分業をその理由に挙げているのです。

「労働の生産力における最大の改善と、どの方向にであれ労働をふりむけたり用いたりする場合の熟練、技能、判断力の大部分は、分業の結果であったように思われる」

と第一章の分業についての冒頭で語っているのです。そして有名なピンの分業の分析が行われます。

「この仕事のための教育を受けておらず、またそこで使用される機械類の使用法にも通じていない職人は、せいいっぱい働いても、おそらく1日に一本のピンを作ることもできなかろうし、20本を作るなどまずありえないだろう。」

「(実際のピンの作られ方を見てみると)多くの部門に分割されていて、ある者は針金を引き伸ばし、次のものはそれを真っ直ぐにし、3人目がこれを切り、4人目がそれを尖らせ、5人目は頭部をつけるためにその先端を磨く」

「(10名程度の仕事場であったが)1日に約12ポンドのピンを全員で作ることが出来た。1ポンドのピンと言えば中型のもので4千本以上になる。してみると、これらの十人は1日に4万8000本のピンを自分達で製造出来たわけである」

と分析しています。ジェームス・ワットの蒸気機関の開発が1769年なので、アダム・スミス蒸気機関については有る程度知っていたのではないかと思うのですが、本の冒頭に分業を持ってきている事は注目に値します。

産業革命とは、蒸気機関等の新たな動力も大きいとは思いますが、日本では分業が重要であるという事はあまり教えられてきていないのではないかと思います。

ちなみにここからは余談ですが、「国富論」では分業の章が終わったあとに通貨と貨幣の考察が始まります。

分業が進む中で価値をどのように交換されているのかという詳細の分析が進んでいく訳ですが、例えば流通してく中で摩耗した金貨の価値とはいったいどういう事なのかとか、改鋳されて金の含有量が減ってしまった金貨はどう扱われているのかなどの詳細な考察が続きます。相当に細かいので断念しかけているのですが、数百年後にも読み継がれる名著とはこういうものなのかと圧倒されます。

さて、話がずれてしまいました。つまり、生産性の向上と言ったときに少なくとも日本人は分業が頭に浮かぶ確率は相当に低いのではないかと言う事です。

一時期、新型コロナウイルスによる社会の否応なしの変革についてNHKスペシャルがよく欧米の知識人へのインタビューを放映していましたが、そのなかで分業というキーワードがかなり頻出する事に気が付きました。グローバルサプライチェーンの分断や経済のブロック化の文脈においての発言だったと記憶しています。

そのときにアダム・スミスの名前が出てきた訳ではないのですが、もしも国富論を少しでも読んだ人であれば、分業という単語を聞いた際にアダム・スミスのピンの話が頭に浮かんだのではないかと思います。

産業革命以降進展した国際分業による富の創出とその恩恵がなくなる可能性があるという約250年の時間軸が瞬間的に頭に浮かぶかどうかという事はかなり重要なのかもしれません。

そして、「国富論」では、第2篇で資本について記載されているみたいので読みたいと思っているのですが、分業は規模を拡大すればするほど生産性は向上するので、資本の蓄積と規模の経済は必要条件となります。

つまり、デービッド・アトキンソン氏はおそらく「国富論」を読まれており、分業と規模の経済が生産性向上の最重要項目と理解した上で中小企業改革が必要であると説いているのではないかと思うのです。

それに対して、日本人はどうしても具体的なモノとか職人の技術に目がいきがちで、下町の町工場のユニークな技術とか、匠の技などが大好きです。

こちらは技能と言い換える事も出来ますが、日本人の匠の技の一品モノが、品質はそれなりだけれども圧倒的に安く、そして積極的な設備投資により品質も向上しつつあり、完全に中国に敗北という状況になってしまったのではないでしょうか。また、あまり大きく取り上げられる事はないですが、中国や韓国企業が伸長する中で、メーカーを退職した日本人技術者が大きな力となった事は明らかです。

また話がずれてしまいましたが、世界で最も生産性の向上した理由を徹底的に分析した「国富論」とデータに基づいて議論しているデービッド・アトキンソン氏と有休取得の促進や女性の活躍、AIなどでなんとかしたいという、多くの日本人の感覚でいうと、まず「国富論のピンの話を知っているのかどうか?」という所から始めたほうがいいと思います。

書店で平積みにされている本はビジネスポルノばかりなので役に立たないと思っており、国難に対して真に対処するのであれば、過去の人類の叡智を最大限に活用する事が重要だと思っています。