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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

アベ的なものが許せない人

さぷさんです。今いちばん許しがたいのはコロナ禍なのに飲み会開催をしようとしている同僚です。

さて、安倍首相辞任で「アベ政治を許さない」と言っていた人たちは一体何を生きがいにしていくのかしらと思ったら、「アベ的な政治は許さない」という事のようです。

もはや手段が目的化しているような気もしますが、ああいう方々は何にたいしてもアゲインストなんでしょう。

そういう僕の両親も年代的には団塊の世代のちょっと下になる訳ですが、母親のバックに「NO ΝUC」という缶バッジが付いているのを見つけました。身近にアベガーがいましたよ。

そして、以前父親がこんな事を言っていたのを今になって思いました。僕がまだ高校くらいの時だったと思うのですが、「今の自民党は許せない。今回は批判票という意味で共産党に投票する」と息巻いていました。

当時は政治の事などよく分からないので聞き流していましたが、今思うと自民党政権政党であり続ける前提での批判票という事ですから、55年体制の中でしか思考ができていないと言うか、自民党政権を暗に認めている前提での発言であるという事に本人も気が付いていないのではなかったのかと思います。

また、面白いと思うのが、「アベ政治を許さない」と言う時の安倍首相がなぜアベになってしまうのかと言う事です。

これはおそらく表象文化論的に理解すると、安倍首相が記号化してしまっており、批判する人のイメージが投影しやすい概念に昇華されてしまっているのではないのではないかと言う事です。

つまり、安倍首相にはアベガーさん達の何某かの負の願望が付託されたものが、「アベ」という表彰表現につながっているのではないかと言う事です。重要なので繰り返しますが「アベ」とは概念です。

ではその付託されているものとはなにか。安倍首相は祖父に岸信介、父に安倍晋太郎を持つ典型期なエスタブリッシュメントです。血筋としても昭和的な父性を体現しており、最近は封印していましたが、憲法改正にも強い意欲を示していました。

おそらくアベガーさん達は父性的なものに対する拒否感がそもそも強いのではないかと思います。

僕の両親も団塊の世代がすぐ上にいた、何かにアゲインストするのが基本的な行動様式だった時代の人間ですし、テレビでそのような人達を見ていてもヒステリックなものを感じてしまいます。

もしかすると、個人的な体験として、自分の父親との関係性にそもそも失敗があり、それを安倍首相に投影しているというケースは意外に多いのではないかと思っています。

真に建設的な議論をするのであれば、政策毎に冷静に判断すべきであって、外交と公文書管理では評価は全然違って来ると思います。

全てひっくるめてアベガーと言っているアベガーさんはどうなのかしら?と思います。うちの両親ですが。

生産性の向上は「分業と規模の経済」にあると喝破するデービッド・アトキンソン氏と「国富論(諸国民の富)」

さぷさんです。最近アダム・スミス国富論を読み始めたのですが、理由は後述します。

さて、日本における生産性の向上の議論は色々な有識者が色々な事を言っているようで、国民的な合意には程遠い状態だと思っています。

そのような中で、中小企業が多すぎる事が問題の根幹にあるとして、中小企業改革を提起し続けているデービッド・アトキンソン氏はかなり異彩を放っているように見受けられます。以下、少し長いですが、東洋経済の記事の抜粋です。

「企業の規模が大きくなればなるほど生産性が上がる、という経済の大原則があります。これは日本も例外ではなく、業種別・都道府県別の平均企業規模と、生産性は見事なほど一致しているのです。だから、生産性向上は企業の規模が拡大することを意味します。

企業規模が大きくなれば分業ができますので、社員の専門性が上がって、一人ひとりが自分のスキルを最大限に発揮できるようになります。小さな企業よりも利益が集約されて、絶対額が大きくなりますので研究開発や人材開発などにも力を入れることができます。そして、中堅・大企業は体力があるので、生産性に大きく影響を及ぼす輸出をすることができます。

日本の中小企業の中には大企業に負けない技術力を持っているとか、大企業の中にも生産性の悪い会社だってあるとか反論をする方もいらっしゃるかもしれませんが、それはあくまで個々の特殊ケースであって、国の経済全体を考えれば、カギが企業規模にあるのは疑いようのない事実なのです」

https://toyokeizai.net/articles/amp/302864?display=b

弊社は分類すると大企業に属する企業規模なのですが、システム部門があってインフラ専門の担当もいる中で、リモートワークはそれなりにスムーズに始まりました。

以前から育児介護用の在宅勤務の制度がありましたのでゼロからのスタートではなかったとしても、全社的にリモートワークを展開した訳ですから、それなりにハードルは高かったのではないかと思います。

一方で、あまり規模の大きくないお会社様とお話させて頂く機会があったのですが、リモートワークに興味を持たれつつもまだ実施出来てないとの事でした。

理由をお伺いすると環境(ノートPCやネットワーク)が整備できておらず、システム的な人員も足りないという事でした。

弊社とお話をお伺いしたお会社様との違いは、会社の規模です。専門の人材を割いて、インフラを整えられていたのかどうかというのが分かれ目なのではないかと思います。

そして、世界史上最も生産性が向上したと考えられるのは産業革命であると言っても過言ではないと思います。

その産業革命を分析したのがアダム・スミスの「国富論」(諸国民の富)です。「国富論」は産業革命進行中の1776年に出版されました。

僕が世界史を習っていたのはかれこれ四半世紀くらい前ですが、産業革命とは蒸気機関の発達による所が大きいという理解をしていました。

しかし、「国富論」の中でアダム・スミスは真っ先に分業をその理由に挙げているのです。

「労働の生産力における最大の改善と、どの方向にであれ労働をふりむけたり用いたりする場合の熟練、技能、判断力の大部分は、分業の結果であったように思われる」

と第一章の分業についての冒頭で語っているのです。そして有名なピンの分業の分析が行われます。

「この仕事のための教育を受けておらず、またそこで使用される機械類の使用法にも通じていない職人は、せいいっぱい働いても、おそらく1日に一本のピンを作ることもできなかろうし、20本を作るなどまずありえないだろう。」

「(実際のピンの作られ方を見てみると)多くの部門に分割されていて、ある者は針金を引き伸ばし、次のものはそれを真っ直ぐにし、3人目がこれを切り、4人目がそれを尖らせ、5人目は頭部をつけるためにその先端を磨く」

「(10名程度の仕事場であったが)1日に約12ポンドのピンを全員で作ることが出来た。1ポンドのピンと言えば中型のもので4千本以上になる。してみると、これらの十人は1日に4万8000本のピンを自分達で製造出来たわけである」

と分析しています。ジェームス・ワットの蒸気機関の開発が1769年なので、アダム・スミス蒸気機関については有る程度知っていたのではないかと思うのですが、本の冒頭に分業を持ってきている事は注目に値します。

産業革命とは、蒸気機関等の新たな動力も大きいとは思いますが、日本では分業が重要であるという事はあまり教えられてきていないのではないかと思います。

ちなみにここからは余談ですが、「国富論」では分業の章が終わったあとに通貨と貨幣の考察が始まります。

分業が進む中で価値をどのように交換されているのかという詳細の分析が進んでいく訳ですが、例えば流通してく中で摩耗した金貨の価値とはいったいどういう事なのかとか、改鋳されて金の含有量が減ってしまった金貨はどう扱われているのかなどの詳細な考察が続きます。相当に細かいので断念しかけているのですが、数百年後にも読み継がれる名著とはこういうものなのかと圧倒されます。

さて、話がずれてしまいました。つまり、生産性の向上と言ったときに少なくとも日本人は分業が頭に浮かぶ確率は相当に低いのではないかと言う事です。

一時期、新型コロナウイルスによる社会の否応なしの変革についてNHKスペシャルがよく欧米の知識人へのインタビューを放映していましたが、そのなかで分業というキーワードがかなり頻出する事に気が付きました。グローバルサプライチェーンの分断や経済のブロック化の文脈においての発言だったと記憶しています。

そのときにアダム・スミスの名前が出てきた訳ではないのですが、もしも国富論を少しでも読んだ人であれば、分業という単語を聞いた際にアダム・スミスのピンの話が頭に浮かんだのではないかと思います。

産業革命以降進展した国際分業による富の創出とその恩恵がなくなる可能性があるという約250年の時間軸が瞬間的に頭に浮かぶかどうかという事はかなり重要なのかもしれません。

そして、「国富論」では、第2篇で資本について記載されているみたいので読みたいと思っているのですが、分業は規模を拡大すればするほど生産性は向上するので、資本の蓄積と規模の経済は必要条件となります。

つまり、デービッド・アトキンソン氏はおそらく「国富論」を読まれており、分業と規模の経済が生産性向上の最重要項目と理解した上で中小企業改革が必要であると説いているのではないかと思うのです。

それに対して、日本人はどうしても具体的なモノとか職人の技術に目がいきがちで、下町の町工場のユニークな技術とか、匠の技などが大好きです。

こちらは技能と言い換える事も出来ますが、日本人の匠の技の一品モノが、品質はそれなりだけれども圧倒的に安く、そして積極的な設備投資により品質も向上しつつあり、完全に中国に敗北という状況になってしまったのではないでしょうか。また、あまり大きく取り上げられる事はないですが、中国や韓国企業が伸長する中で、メーカーを退職した日本人技術者が大きな力となった事は明らかです。

また話がずれてしまいましたが、世界で最も生産性の向上した理由を徹底的に分析した「国富論」とデータに基づいて議論しているデービッド・アトキンソン氏と有休取得の促進や女性の活躍、AIなどでなんとかしたいという、多くの日本人の感覚でいうと、まず「国富論のピンの話を知っているのかどうか?」という所から始めたほうがいいと思います。

書店で平積みにされている本はビジネスポルノばかりなので役に立たないと思っており、国難に対して真に対処するのであれば、過去の人類の叡智を最大限に活用する事が重要だと思っています。

「逃げるは恥だが役に立つ」の森山みくりから、「私の家政婦ナギサさん」の相原メイへの変化について

家政夫のナギサさん (プティルコミックス)

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逃げるは恥だが役に立つ Blu-ray BOX

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  • 発売日: 2017/03/29
  • メディア: Blu-ray

さぷさんです。心のドラマNo.1は「ビーチボーイズ」です。異論は認めません。

さて、今クールの注目ドラマの一つである「私の家政婦ナギサさん」のヒロイン、相原メイ(多部未華子)ですが、「逃げるは恥だが役に立つ」の森山みくり(新垣結衣)と比較することで、このほんの数年でのアラサー女子の変遷を見て取れるような気がするので、その事について書いてみます。

TBSはドラマ作りに定評がありますから、事前のマーケティングは綿密に実施しているはずです。

公式ホームページから、それぞれのヒロインの紹介文を見ていきたいと思います。

森山みくり(25〜26歳)
「性格は真面目で頑張り屋、人当たりもいいが、時おり突拍子もないことを言うのは父親ゆずり。そして厳しい現実から逃れるように妄想をする妄想女子でもある。
就職活動で内定がもらえず、文系大学院に進み臨床心理士の資格を取得するが、またも全滅。どうにか派遣社員になったのはいいが、すぐに派遣切りにあい現在は求職中。
大学時代の彼氏に 「小賢しい」 と言われたことがトラウマで恋愛にも結婚にも踏み出せずにいる。
そんなみくりを心配した父の勧めで、仕事で知り合った津崎の家事手伝いに就職が決まるが、父の定年退職を機に、一緒に暮らしていた両親が田舎に引っ越すと言い始めたことで究極の選択に迫られる」


相原メイ(28歳)
「製薬会社「天保山製薬」の営業職であるMRとして働くアラサー女性。自他共に認める負けず嫌いで、仕事では入社3年目からずっと営業成績1位を維持している。隙がないので、周囲からは「仕事もプライベートも完璧」と思われているが、実は仕事以外のことはとにかく無頓着で不器用。
家事が大の苦手で、部屋は物で溢れ散らかり放題。家事や恋愛や婚活もしなければと思ってはいるが、全ての時間を仕事に捧げてしまうため結局後回しに。しかし、おじさん家政夫のナギサさんとの出会いを機に、自分の人生と幸せについて考えるようになっていく」


「逃げ恥」は2016年10月からの放送でした。今から約4年前になります。

この間、たった4年ではありますが、高学歴ワーキングプアと言える森山みくりと、営業No.1という相原メイという差は注目に値します。

女性のキャリア志向は4年前に比べるとさらに高まっており、企業側も女性管理職比率を上げるべく、かなり積極的に女性を登用しています。

つまり、このたった4年の間でも女性が実際にかなり活躍されるようになったのではないかと思っています。

とはいいつつも新型コロナウイルスの影響で「逃げ恥」が再放送となり、引き続き話題と高視聴率を叩き出していたので、現実はモザイク状であると言うことなのだと思います。

そして、森山みくりの就職はおそらくリーマンショック後の不況期にあたり派遣切りが社会問題になっていた時代背景と、相原メイはアベノミクスの恩恵があったという差もあるかもしれません。(コミック版の発行はそれより前になる訳なのでたまたまなのかもしれませんが。。)

バブル世代や就職氷河期世代などと世代論の議論が巻き起こる事もよくあるので、個人の実力ではどうしようも出来ず、時代に翻弄されるという事はあると思っています。

そして、ふたりとも心にトラウマを抱えている点は共通していますが、森山みくりはまだ自己実現が達成されておらず、「他者からの承認と居場所探しの物語」であると言えるのではないかと思います。

一方で相原メイは営業でトップの成績を残している中で、トップを取るために「切り捨ててきた大切なものを回復していく物語」であると言えるかもしれません。

そして、「逃げ恥」の白馬の王子様であるところの津崎平匡(星野源)も一筋縄ではいかないタイプですが、森山みくりの承認と居場所を確保し、「ナギサさん」の鴫野ナギサは相原メイの欠落を埋めていきます。もちろん双方共に今どきのドラマであるので、欠点も含めて魅力的な人物として登場しています。

森山みくりから相原メイへの変化は、女性のキャリアとしての成功が当たり前になってきた事への変化の表れと理解する事が出来ます。

そして、キャリアの成功ゆえ、逆に私生活の充実の欠落がアラサー女子の切実な悩みとして共感されているのではないかと思います。

この点、森山みくりが津崎平匡との平等にこだわり、「好きの搾取」という名言まで残した悩みは、相原メイには見事なまでに存在しません。

双方のドラマ共に欠落を回復していく物語の構造を持ちながらも、抱えている欠落は全く異なる事は大変興味深く、繰り返しになりますが、女性のキャリア形成が成功しているのであれば前向きな話ではありますが、それはかなりの代償の上に成り立っていると言う事です。

そして、次のクールは「お金カネ切れ目が恋のはじまり」というオリジナル脚本のドラマだそうです。ヒロインは九鬼玲子(松岡茉優)27歳ということで、TBSの火曜10時にアラサー女子を何としても自局に引きつける執念を感じます。ちなみに公式ホームページの紹介は以下の通りでした。

「モノにも恋にも一途な「清貧女子」。
中堅おもちゃメーカー・モンキーパスの経理部で働いている。お金が正しく使われることに生きがいを感じる玲子にとって天職。玲子がそこまで「お金の使い方」にこだわるのは、昔起きたある出来事がきっかけ。気に入ったものを使い続けて壊れたら「繕う(つくろう)」ことで、より愛着が増すという価値観で生きている。
愛読書は、鴨長明の「方丈記」。鎌倉の民宿をしている古民家で母と二人暮らし。
初恋相手の早乙女を15年間思い続けている」

愛読書が方丈記とはかなりぶっ飛んだ設定ですが、浮き世離れしているようなヒロインなのでしょうか。

そして相手役は三浦春馬さんなのですが、ご存知の通り自死で亡くなられました。打役は立てずに4話で終了するそうです。ご冥福をお祈り致します。

SNSをやめて1ヶ月後の感想

さぷさんです。健康診断で体重は変わってないのに腹囲が増えてました。これは一体どういう事でしょうか。

さて、Twitterをやめて1ヶ月くらいになるのですが、その事について書いてみたいと思います。

Twitterの日本でのユーザーアカウント数は2018年に4500万人だったようですが、これ以降にユーザーアカウント数は公表されていないようです。

仮に今も4500万アカウントだとすると、WOWすごい!となってしまいそうですが、少し冷静に考える必要があります。

まず企業アカウントが1割程あるとした場合、個人は4050万アカウントになります。また、一人で複数アカウントを持っていたりしますから、平均して2アカウント持ってたとすると2025万アカウントとなります。さらにアクティブユーザー数を少し多めに7割だとすると、個人のアクティブユーザー数はざっと約1400万アカウントになります。

これはかなり多めの推測ですから、これよりは少ないと思うのですが、大体日本人の10人に1人くらいがTwitterのアクティブユーザーの実態なのではないかと思います。

Twitterばかりをやっていると、その世界が全てのように感じてしまうのですが、あくまで1/10の世界です。

以前にネット界隈の有名人の話を知人にしたときに、よくわからないという反応だったので、一般的にはその程度のものとして見るのが冷静な理解だと思います。

また、よく「Twitter世界トレンド1位!」みたいに持ち上げられる事がありますが、当然日本語での投稿数でしょうから、正確には「全世界において、日本人がある時間帯に同じワードを投稿した件数が一番多かった」と言うべきです。

どういうことかと言うと、日本人は特定の話題で盛り上がる傾向があるというだけで、肯定的か否定的かの内容はともかく、集団として同一の内容に興味を持ちやすい民族という事なのだと思います。

ですので個人的には「Twitter世界トレンド1位!」と言って喜んでいる意味がさっぱりわからず、ある特定のネタに飛びついてはしゃぐという民族的傾向は、古く尊皇攘夷運動や日比谷焼き討ち事件等の下地になる心理傾向の連続性が今にも引き継がれているという事になるでしょうから、個人的には恐怖しています。日本人は根底では何も変わっていません。

また、僕がTwitterをやめる理由だった一つとして、「#〇〇に反対します」というようなハッシュタグがトレンド入りするようになり、不穏な空気で支配されるようになってきたのという事がありました。

人間はパンと寝床が確保されていればなんだかんだ言ってデモや暴動は発生しずらいと思っていますが、今般のコロナ禍で衣食住が困難になる場合やその恐れがある人が増えてきました。

社会不安が増大すると人は攻撃的になりがちです。ライブドアニュースで知ったのですが、最近だとAmazonプライム解約運動というのがあるという事でした。

CMに三浦瑠麗氏を起用した事が理由であるようなのですが、三浦氏の過去の言動がトリガーだとしても、Amazonはコロナ禍でも稼いでいる企業であり、倉庫での労働環境の悪さなどが報じられる事もありますから、搾取側への潜在的な反発心が表に出て炎上したのではないかと思っています。

貧すれば鈍する、衣食足りて礼節を知ると言いますが、潜在的な不満や不満が常にくすぶっている場となったTwitterでは、以前では燃焼物にならなかったものでも容易に燃え上がるような非常に揮発性高い空間が形成されてしまっていると思います。腐海の瘴気が濃く漂っていると言い換えてもいいかもしれません。

最近、ナチスドイツの本を読んだのですが、ヒトラードイツ国内の社会的な不安を全てユダヤ人が悪であるとして、最優秀人種である所のアーリア人の為の入植地を作るということでポーランド最も多くユダヤ人を殺戮しました。

社会不安が生じた際に敵を作り、そこに意識を向けさせると言う役割は今の所は安倍政権になっているので、ある意味まだましかなと思いますが、つい75年前までは「満蒙は日本の生命線」が昭和初期から終戦に至るまで日本の国是となっていた状況もあった訳で、歴史は繰り返さないが韻を踏むと言いますから、予断は許さないと思います。

話がかなりずれました。つまり、不満のはけ口になりやすいTwitterは、有益な情報や速報性はあるものの、僕にとっては有害な内容によって心を蝕まれるデメリットの方が問題でした。

これは社会問題から目をそらしたい訳ではなく、当人ですら思考や感情をコントロール出来ていないツイートやフェイクは見たくないと言うことです。

アカウントごと削除してTwitterを見なくなった事で、精神的には健康を取り戻したような気がするので、個人的にはとてもよかったと思いますし、今後もTwitterを再開するつもりはないです。

〈補足〉
フリーランスの方などはアピールする必要がありますし、有名人の猛烈なファンでフォローしたいという場合はとても有効だと思うで、あくまで個人の感想です。

女性は未だにモノなのか

さぷさんです。世の女性は全員女神だと思っています。

さて、ネットやワイドショーでは山Pの未成年者との飲酒騒動でちょっとした騒ぎになっているみたいですが、山下担は逆に結束を強めているみたいで、女性の愛の深さには頭が下がる思いです。

さて、今回の騒動で気になったのはメディアで「お持ち帰り」という表現が使われていることです。

「お持ち帰り」がよく使われるシチュエーションとしては、スタバとかで「店内でお召し上がりですか?テイクアウトですか?」と店員さんから聞かれる時だと思うのですが、要するに女性をモノとして見ているという表現が未だに使われていて、その表現に対しては特に誰も何も言ってなさそうと言うことに驚きます。

また、似た表現として、男性が付き合っている女性の家に行ってお父さんに「娘さんを僕に下さい」というシーンもよくある訳ですが、確かドラマの逃げ恥の中で、「この表現ってどうなんですかね?」と星野源が言っていたのを覚えています。

そして極めつけは聖書ですね、聖書はカトリック系の幼稚園などで劇にもなるので、高尚な事を書いてあるのかなと思いがちですが、えげつない内容もあったりします。

申命記第22章29節
「女を犯した男は女の父に銀五十シケルを与えて、女を自分の妻としなければならない。彼はその女をはずかしめたゆえに、一生その女を出すことはできない」

初めてこの文章を読んだときは目が点になって、3回くらい見返しましたが、個人的に聖書は男尊女卑だと思っています。

キリスト教はイブにそそのかされたアダムが知恵の実を食べて楽園を追放されたという原罪に対しての贖罪としての禁欲が根底にある訳ですから、マリア信仰はあるものの、基本的には女性蔑視が甚だしいのではないかと思っています。

おそらく、我々のご先祖がまだ狩猟民族だったころ、部族間の戦闘において勝者は敗者から戦利品として女性を自らのモノしたということなのだと思いますが、まずは「お持ち帰り」という表現をやめてみる所から始めるのが大切だと考えます。

「私の家政婦ナギサさん」を見て思った女子の欲張り力

家政夫のナギサさん (プティルコミックス)

家政夫のナギサさん (プティルコミックス)

さぷさんです。男子力低めです。

今クール注目のTBSドラマ「私の家政婦ナギサさん」ですが、主人公の相原メイ(多部未華子)を巡る男性の環境は「花より男子」の牧野つくしのように逆ハーレム状態であり、それぞれ魅力的な特徴のある男性達に囲まれています。

家事全般が得意で謙虚かつ包容力もあるスーパー家政婦の鴫野ナギサさん(大森南朋)、ライバル企業のイケメンMRで気遣いも出来る田所優太(瀬戸康史)、かわいい後輩の瀬川遥斗(眞栄田郷敦)、結婚したら絶対安泰の医者の肥後菊之助(宮尾俊太郎)と、一人たりともこんなキャラ現実にはなかなかいませんよという人物達なのですね。

特にウィキペディアで調べて知ったんですが、眞栄田郷敦の父親は世界のサニー千葉こと千葉真一ですよ。特技は殺陣って一体何なんなのでしょうか。

さて、話がずれました。女子は本当に欲張りですから、ナギサさんの優しさと家事能力、田所の優秀だけど憎めないところ、瀬川くんのかわいさ、肥後先生の財務的安定、これを本当は全部欲しいんですね。女子というものは。

僕もたまに会社の女子から「さぷさん!元気ですか??」みたいなチャットが入ってくるんですが、そういう時は大体話を聞いてほしいか、ランチを奢ってほしい時なので、「元気ですよ、ありがとう。〇〇さんはいま確か△△で忙しいはずだよね?だいじょうぶですか?体調には気を付けて下さいね」みたいに返信すると「そうなんです、実は、、」みたいな感じで相談に乗ることがたまにあるのですが、元気になると僕は用済みですからそれはそれでお役に立てていいことなんですが、上手くやってらっしゃるなあと思うこともあります。僕も僕で他部署の現状をそれとなく知ることが出来ますからWin-Winの関係ではあります。

ただ、「私の家政婦ナギサさん」を見て思うのは、キャリアと結婚・出産・子育てというライフプランの板挟みとなり、スーパーマン的な活躍をするレアケースの女性をテレビやネットで見せられて「ロールモデルにしなければらない、でも正直こんなの無理」と途方に暮れている女子の姿も見え隠れしているような気もします。

「私の家政婦ナギサさん」はそんな欲張りで疲れていて、癒やされたいけどでも頑張りたい女子から絶大な人気があるのではないかと思っています。今の時流を捉えたドラマですね。

「なんかよく分からないけどスゴい」ってなりがちなAIはバブル

さぷさんです。人は情熱を失ったときに青年期が終わるのだと思いますが、最近自分が壮年期に入って来たなと思ってます。

さて、AlphaGoがプロ棋士を破ってからくらいだと思いますが、ディープラーニング型のAIのブームがまだ続いている中で、「なんかよく分からないけどすごい」となりがちなAIについて書いてみます。

新聞とか雑誌とかWebの記事などを見ていても、AIに仕事を奪われるとか、少子高齢化の切り札はAIだみたいな書かれ方をしています。

前者は「よくわからんけど怖い」みたいなラッダイト運動の現代版のようであり、後者については確かに一部で業務の肩代わりは出来るかもしれませんが、RPAとごっちゃに考えていそうですし、そもそもAIは消費者になってくれませんから、少子高齢化による日本の衰退をAIが解決出来るものではないと思います。

山本七平は著書の中で、日本は物に神が宿る「物神」になってしまうと喝破しましたが、神風、戦艦大和、最近だとPCR検査があればなんとかなるみたいな思考で、何か象徴的な物を神と崇めるという事を令和の時代でもやってしまうのが我々ジャパニーズの宿痾です。

未だに古典的アニミズムから脱却していないという点で絶望を感じざるを得ず、ジャパニーズは全くもってロジカルではありません。

さて、話が脱線しましたが、AIの話でした。AIもご多分にもれず物神と化した象徴的なパワーワードです。

ディープラーニング型のAIも専門的にはいくつか種類があるようなのですが、世間を驚かせたAlphaGoでいうと、前提条件として大変重要な事は、囲碁には厳格なルールがあるという事です。

Alに囲碁のルールを覚え込ませ、全ての考えられる打ち手を計算させ、最善手となった手に高得点与えて、自己で対戦を繰り返す事によって賢くなっていくというのがAlphaGoのものすごく大まかな説明だと思うのですが、おそらくどういう手を打ったときに高得点にするのかというのが肝であると思います。

そして繰り返しになりますが、もっと根本的に重要なのは囲碁には明確なルールがあり、データは棋譜として100%取得可能であるという点です。

翻って今のビジネスは先が見通せないですし、新型コロナウイルスでさらに混沌としているような状況です。つまり、どうすれば勝てるかというのはルール化されていないというか、誰も答えを持っていない訳です。

仮にビジネスで勝つと定義しようとしたとして、ある人はシェアの拡大が重要だと言い、またある人は売上だと言い、そしてある人は利益率だと言うような状況が発生します。

そうすると大体において社内の力関係で定義が決まりというのがよくあるパターンですが、それが本当にその会社の勝ちを定義すべきふさわしい指標なのかは本当は誰も分からない訳です。

なので、全部が全部AIに仕事が奪われるというのは、物神的な考え方で、AIは定義がしっかり出来た事業のうちで、データも取れる分野での限定的な活躍しか出来ないはずです。

僕は人事系なので、採用についても考えてみます。これはいろいろな所で言われているので繰り返しになってしまいますが、弊社の人事データを掻き集めて巨大データセットを作り(まずこれだけで相当難儀なはずですが)、活躍している社員の特徴をディープラーニングで学習させて、採用に活用するというのは一見今風で反論の余地はないように見えます。

但し、これには大きな問題があって、弊社で採用されて活躍している社員の特徴を抽出している訳ですから、既存の採用プロセスの強化にしかならないのです。

一番知りたいのは、弊社に応募してくれて、不採用になったけれども他社では活躍している社員です。また、弊社には応募してくれないけど、もし来てくれたら活躍するであろう社員のデータです。

このような人物のデータは取りようがないので、大きな欠損値となる訳です。そうすると、仮にAIで採用/不採用を決めるプロセスを確立したとして、採用すべきだった従来の不採用者は引き続き不採用になる訳ですから、AI導入がむしろマイナスに働いてしまうかもしれず、弊社だとコミュニケーション能力が高く地頭のよい若手の男性社員が大好きですから(もちろんこのご時世これは如何なものかのいうのは言うまでもありません)、そういう人間を優先的に採用すべきというAIの判定となったとしたら、アホかという話です。

HRテックの最新の動向は追えていないんですが、既存プロセスの強化になってしまうのであれば、意味がないどころかむしろ有害です。

また、昇格のプロセスを考えた時に、年功序列で昇格させていると言うことであれば、いくらそのデータを学習させたとして、昇給は年功序列で行うという結果しか出て来ず、最先端の技術を使って典型的なガーベッジインガーベッジアウトをやってしまい、高いお金をドブに捨てるという事をやってしまいかねないと言う事です。

つまり、明確な哲学と科学に基づいた目標を設定し、忖度しない制度運用を行わない限り、AIで人事データを分析する価値はなく、逆にそれが出来てさえいれば、AIなぞいらないという事になると思います。

一方で、品質不具合など、センサー等で大量の客観的データを入手して活用出来る場合はAIを使用する価値があると思います。

纏めると、目標とルールが明確で科学的にも妥当だと考えられる対象範囲に対して、客観データを大量に取得出来る分野に限ってAIは有効だと考えます。

そうすると品質管理や製品のプライシングや故障頻度などでは有効かもしれませんが、AIは万能では無い事が容易に理解出来ます。

そろそろAIバブルも崩壊するのではないかなと個人的には思っています。