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さぷログ

メーカーの人事部門で働いています。

「人を呪わば穴ニつ」の対義語は「目には目を」なのか?

さぷさんです。Twitterのタイムラインをぼーっと眺めていると最近は検察定年延長に抗議しますという方々で特に激しく(というより口汚く)罵っている方のTweetを興味本位で見てみると、この件に限らずいろいろな事に怨嗟の声を上げられている方が多いように感じます。

そっと画面を閉じるのですが、その時に「人を呪わば穴二つ」という格言(?)を思い出さずにいられないのですよね。

僕はこの「人を呪わば穴二つ」という言葉を「他人に対して常に怨嗟の言葉を吐き続けているような人は、同じようなタイプの人を引きつけ、心ある人は去っていき、人を呪うような人は結局自分自身も呪われていく」というような理解をしていました。

最近の例でいうとカスタマーハラスメントをするような老人の方だったり、先生の所に怒鳴りこむようなモンスターペアレンツみたいな方とはお近付きにはなりたくないな、という感じです。

そういう方はとにかく現状に不満を持っていたり、自分は特別扱いされるべきというような人たちとのコミュニケーションコストが高くつきがちですから、関わらないに越したことはないと思っています。

ええと、話が少しずれてしまいましたが、ネットで「人を呪わば穴二つ」を調べた所、対義語として「目には目を」というハンムラビ法典が出て来ました。

「はて、目には目をなのか?」と、すぐには理解出来なかったのですが、少し考えた所、おそらくこういう事なのだと思いました。

「人を呪わば穴二つ」は、他人に何か復習したい為に呪った所、呪返しされるというか、罰があたるみたいになってしまうと言うことですよね。

それに対して「目には目を」は、復習を成し遂げるというようなイメージです。

僕のイメージは、人を呪うような人は、だいたいにおいて世の中を呪っているような人だという前提が無意識にあったので、この対義語に違和感がありましたが、なるほど、復習をやり遂げるというという考えもあったのかと思いました。ホッブズの「万人の万人に対する闘争」みたいな世界観だと思います。

僕がしっくりくる対義語はなんだろうと考えまして、要するに世の中を呪わないと言う格言を探して「人を呪わば穴二つ」の対義語としたいのです。

ヨブ記とかガンジーが近いような気もしますが、ちょっとストイックすぎて逆に近づき難い感じもします。「右頬を殴られたら左頬を差し出せ」という感じですからね、ただなんでこのような教えをしているキリスト教が大量殺戮をするのか、人類の業は深いと思わざるを得ません。

やはりここは愛かなと思い、愛に関する格言をいろいろ探したんですが、これにしようかと思います。

「愛するとは、自分の幸せを他人の幸せに重ねることである」(ライプニッツ

やはり、自分を前向きに肯定出来ない人は他人を肯定出来ないと思うんですよね。

ただ、自分を前向きに肯定していたと思われる革マル派中核派は凄惨な内ゲバを繰り返していましたし、詳細は忘れましたが連合赤軍ティッシュで鼻をかんだだけで「ブルジョワ的だ」と同士を殺したくらいですから、いくら前向きでエネルギッシュでも思想が純化しすぎて少しの差異も認めないというもやはりおかしい気がします。

やはり寛容かなと思い直しました。

「怨みに報いるに徳を以てす」(老子

うーん、でもやはり徳もいいですが、やはり愛も捨てがたいですね。

「愛とは許すこと」

でしょうか、なんだか結婚式の誓いみたいになってしまいました。

纏まりがなくなってしまいましたが、大切なのは愛と寛容だと思います。