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さぷログ

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あの試合をもう一度!スポーツ名勝負「なでしこ初優勝ドイツ大会2011」の鮫島彩選手・熊谷紗希選手の副音声にみたトップアスリートの反省力

新型コロナウイルスで不自由な生活が強いられていますが、NHKがBSで過去のスポーツの名勝負を再放送する試みは非常に嬉しくて、よく視聴しています。

5月30日の放送はサッカー女子日本代表の「なでしこジャパン」が世界一に輝いた2011年の女子W杯でした。最強のアメリカとのPK戦までもつれる激闘でしたが、もう10年近く前になるんですね。

副音声が当時試合に出場していた鮫島彩選手、熊谷紗希選手と実況の野地俊二アナウンサーによる解説で、当事者のトークが聞ける貴重な番組でした。

試合内容もさることながら、鮫島彩選手、熊谷紗希選手のトーク内容がとても興味深い内容だったので、いくつか書いてみたいと思います。


「いやー、(もっと相手に)寄れたなー」

「何でそこのコースに立っとけないかねー、あたし」

「ごめんなさい!モーガンはこっち(左)サイドから走ってたんです」


鮫島彩選手は左サイドバック熊谷紗希選手はセンターバッグという事はあると思うんですが、お二人とも自分のプレーに対する反省力が凄いんですよね。

あのシーンはもっと寄れていた、モーガン選手の特徴は分かっていたのにやられた。など10年近く前の事なのにかなり詳細に当時のプレーを振り返って反省されていました。

今でもおふたりは日本代表というトップアスリートである訳ですが、自身のプレーを客観的に振り返り、ああするべきだったと悔しそうに反省のコメントをされているのが印象的でした。(番組内ではやや自虐的に反省会と言われていました)

やはりトップアスリートが凄いのは、失敗をしっかり反省して次に活かすというサイクルを確実にまわしているのではないかと思いました。


「厳しいのにこのメンバーだと楽しい」

「試合中になぜか爆笑が起こる、(笑ってしまって)歯を見せないように気をつけていた」

「延長戦はアドレナリンがずっと出ていた」


当時のなでしこジャパン佐々木則夫監督の元で結束していたとてもいいチームという事でした。

確かに、日本の選手の顔がアップになると笑顔が見られて、野地俊二アナウンサーも解説の中で「いわゆるゾーンに入ってたんですかね」と言われていました。

対するアメリカには笑顔はなかっと思いますが、高いレベルで纏まったチームが最高の舞台で存分に力を発揮出来た稀有なチームであったのではないかと思います。

野地アナウンサーから「今の日本代表では?」と水を向けられておふたりとも「うーん」となっていたので、同じ日本代表でもなかなか難しいのだと思います。


「ナイスー!!」

「全然大丈夫!!」


いいプレーやピンチを凌いだ場面で鮫島彩選手、熊谷紗希選手はこのセリフを連発されていました。特に「ナイスー!!」は何回も言われていて、きっと試合や練習でもチームメイトに対してこういうポジティブな声がけをしているのだろうなと思いました。

また、野地アナウンサーから、「この時どういう心境でしたか?」「ハーフタイムでは監督からどういう指示が出ていましたか?」と再三質問されるのですが、おふたりとも「おぼえていない」という回答がほとんどでした。

また、途中交代で入った丸山桂里奈選手が、延長後半残り数分で岩渕真奈選手に交代になったシーンで、「あれ、そうだったっけ?」という発言もあり、延長戦合わせて120分の情報量はかなりのものですから、なかなか状況の把握は難しいのだなと思いました。

確かに、試合中は目の前の状況に対応することに必死ですから、当時考えていた事はとにかくディフェンダーとして目の前の状況を何とかする事が最優先でじっくり考える事なんて出来ないとは思いますが、ハーフタイムの指示もあまり覚えてないという事にちょっとびっくりしました。

試合本番になると監督やコーチが出来ることはかなり限られるという事なのかなと思います。

また、「試合後半はベンチ寄りのサイドのほうが指示が聞こえて心強い」「目の前の相手の事で精一杯で、(トーナメント戦や対戦相手などの)先を考える余裕はなかった」「試合中の監督の指示は交代選手などから伝えられるが、伝達がなかなか難しい」などの興味深い話を聞くことが出来ました。

サッカーファンにとってかなり嬉しい再放送で、副音声が本当に良かったです。こういう放送がまたある事を願っています。

【書評】岩田さん:岩田聡はこんなことを話していた

「面談のプログラムのなかで、唯一決まっているのが「あなたはハッピーですか?」という最初の質問でした」(本文から)


僕の嫁さんのママ友の一人の方で、ご主人の転勤で引っ越しをされた方がいるのですが、仮にAさんとします。

嫁さんとそのAさんはずっとLINEや電話を続けているみたいなのですが、ある日嫁さんが深刻そうな顔で「Aさんがご主人と別居になって、メンタルクリニックにも通ってるらしい。娘さんは実家に預けている」との事でした。

嫁さんの話では、Aさんはとても純粋な方で、ご主人一筋という事なのだそうです。

ママ友さんによると、ご主人の風俗通いがAさんにバレてしまい、今までの信頼関係が崩れてしまったという事でした。

ご主人がどういう思いで風俗通いしたのかは分かりませんが、決してハッピーとは言える状態ではないと思います。

Aさんのご主人は果たして仕事に身が入っているのでしょうか。

もし僕がご主人の上司や同僚だったとして、朝あいさつしても返事はなく、プライベートの事は一切触れないような状況であったらどうなってしまうのか。

冒頭の文に続けて岩田さんはこう言っています。

「不満を持っている相手は、不満がたまっていればたまっているほど、まずその不満をこちらが聞かないと、こちらの言うことは耳に入らないですよね」

相手がいったい何処に引っかかってしまっているのか、それが仕事なのか、プライベートなのか様々だと思いますが、その引っかかってしまった所が解消されなければその人は上手く前に進むことが出来ないのだと思います。

さらに岩田さんはこう続けています。

「言いたいことを言ったあとだったら、ある程度入るんですよ、人間って」

「相手がこころからそれをいいと思ってそれを言っているのか」

「私心というものを、どれだけちゃんとなくせるかが、マネジメントではすごく大事だ」


つまり、「あなたはハッピーですか?」というシンプルな質問は、ハッピーであればそれがよいし、もしそうでないとした、何処でその人がいま引っかかってしまっているのかを自問してもらうための質問なのだなと思います。

ただ、この質問は優しいようでいて、場合によっては心をえぐられるような質問ではないと思うんです。

例えば上で書いたAさんのご主人に対して発せられた問いであれば、とても厳しい内容であると言えるのではないかと思います。

岩田さんの本を読んでいて思うのは、自然体に思えるのに自他共厳しく律していたり、優しさの中に鋭さがあるような、そういう不思議な方だったのかなあという事です。

それでいて天才プログラマーであった訳で、そういう才能に惚れ込んで山内さんが社長を託したのかなと思います。

それまでの任天堂同族経営だった訳ですから、山内さんもとんでもなくスケールの大きい方だったのだとあらためて思います。

さて、仮に僕に部下がいたとしたら、面談で「あなたはハッピーですか?」と聞けるのかどうかちょっと自信がありません。

「あなたはハッピーですか?」と聞いて、部下がそれなりに心を開いて答えてくれる前提として、毎日部下の顔色を見て、調子が悪そうだったら声がけをするような日頃の行動があってこそなのではないかと思います。マネージャーの自己満足の為の質問ではないですからね。

別な本で、「利他主義とは、積極的自己主義」であると書かれていました。

部下がハッピーな方が、職場や仕事にもいい影響を与えると思うのです。プライベートの事柄であっても、場合によっては話を聴く積極性が岩田さんにはあったのではないかと想像しています。

岩田さんは忙しい中でも面談を欠かさなかったそうで、1on1ミーティングが注目される遥か昔に実施されていたという事なのだと思います。

本書で僕はマネジメントの部分の印象が強かったですが、人によってはプログラマーとしての岩田さんに強く惹かれるかもしれませんし、ゲームづくりの理論的な所に惹かれる人がいるかもしれません。よい本というのはいろいろな見方が出来ます。手に取ってもらいたい本のひとつです。

機能と形態が調和したすてきなモダニズム建築の幼稚園

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「形態は機能に従う(Form Follows Function)」という言葉を残したのはアメリカの建築家で、フランク・ロイド・ライトのお師匠の一人でもあるルイス・ヘンリー・サリヴァンです。

例えば東京タワーを設計した内藤多仲が「構造計算して、日本一高いタワーを設計したらあの形になった」と言ったそうですが、機能を追求した末の美しさは存在するのだなと思います。

さて、上記の写真ですが、東京都北区にある桜輪幼稚園です。

昭和52年の開園だそうで、1977年ですね。43年前の建築という事になると思います。

なんといってもこの建物と一体になった滑り台。これは子供達は興奮しますよきっと。

一回滑ったらまた建物に入って階段上がって滑る必要があると思いますが、このデザインと機能が一体になった建築はモダニズム建築全開で見ていて嬉しくなりますね。わたくしこういう幼稚園に通いたかったです。


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こちらは横から見た写真ですが、手前の線路は東京さくらトラム都電荒川線)です。すぐ左が梶原駅になります。

やはりモダニズム建築の特徴である水平の連続窓が見られ、赤のラインがかわいいですね。園児達はここから都電を見て楽しむことが出来るのではないでしょうか。

またよく見ると建物の側面に段差がついていますが、この段差が柱を目立たなくする効果を出していて、水平の窓が柱に遮られない効果を出していると思います。

ル・コルビュジエの近代建築の5原則のひとつの連続した水平窓ですが、西洋の建築は基本的に石積みですから、構造上窓は縦方向に長くなりがちなんですが、コルビュジエはそれに対抗して連続した水平窓の概念を打ち立てたという事を本か何かで読んだ気がするのですが、なるほど軽やなかな印象です。

僕が桜輪幼稚園を見に行った時は、新型コロナウイルスの影響で休園でしたが、再開されると思いますので、建物を見に行かれる方で写真を撮りたいと思う方は、園児や先生、保護者が写ってしまわないようなご配慮をお願い申し上げます。

東京都北区にあるモダニズム建築の野心作がスゴかった

僕はモダニズム建築が好きで、最近は3密を避けて街歩きをしながらモダニズム建築を探しています。

モダニズム建築を探すコツですが、柱と梁が目立つ建物を探していたら大体見つけられます。

日本におけるモダニズム建築の最高峰は丹下健三香川県庁舎だと思っているのですが、まだ戦後の傷跡が残る1958年にモダニズム建築と日本の伝統建築を物凄い高いレベルで融合させてしまったのが香川県庁舎で、柱と梁の組み合わせがずっと見ていられるデザインとしてそびえ立っています。これを見るためだけに香川に行きたいです。

そしてこれは僕の想像ですが、日本の建築家は丹下健三香川県庁舎を前にして、柱と梁の構造をどのように自身の建築に活かすかという難しい宿題を受け取り、試行錯誤したのではないかと思っています。巨匠からの半端ない宿題です。

そんな中で見つけた建築がこちらです。

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白い外観、連続した水平窓がル・コルビュジエの近代建築の5原則を彷彿とさせ、これは北区のサヴォア邸かしら?と思ったんですが、注目するのはそこではないんです。

正面からだと分かりにくいので、こちらが斜め横から撮った写真です。

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正面にある3本の柱、斜め前に突き出ていますが、上部に注目頂くと、煙突と言いますか排気ダクトなんですよね。

僕は上にも書いた通り建築が好きなんですが、こんな思い切ったといいますか、キテレツ大百科モダニズム建築は初めて見ました。(ほめ言葉です)

「多分作りたかったんだろうな」としか思えない造形です。

斜めですし強度的に柱としての役目はどうなんだろうとかと思ってしまいますが、個人的には大好きですね。

一階はなんでも酒やカクヤスさんで、僕も見学がてら入ってちゃんと品物を買いましたが、ダクトの構造は内部からは伺えず、少し残念でした。

見学に行かれる方はマナーを守った上でお願いします。

【経済教室】日本型雇用改革の論点(下)企業越えた人材評価基準を :日本経済新聞5/25朝刊

【経済教室】日本型雇用改革の論点(下)企業越えた人材評価基準を : 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO59450760S0A520C2KE8000/

小熊英二慶応義塾大学教授の「日本社会のしくみ」は読んでいたのですが、この記事は相当踏み込んでいて興味深かったです。

『いわば日本企業は各社が独立王国なのだ。王国内でしか通用しない地域通貨を使い、各企業の社内労働市場を動かしている。通貨の互換性なしに市場が生まれないように、各社が独立王国である限り企業を越えた労働市場はできない』

そうなんですよ。大企業の社員は自社のプロにはなりますが、職務のプロにはならないというのが日本の企業の大きな問題です。

「誰と誰が飲みに行ってた」とかいう噂話など社内政治ばかりしてても会社は1ミリもたりとも強くはなりません。

人事ローテーションを繰り返して会社をいろいろな側面から多角的に捉えるという点においては日本型雇用は優れていると思うんですが、今は自社で出来る事を出来る範囲でやるみたいな事だと不確実性が高い世界に対してさらにコロナが追い打ちをかけてきたので、内部の力だけでは生き残っていけず、外部の力の内部化が必要とされているのですが、それが全然出来ずに徐々に弱っていっているイメージです。

山一証券が経営破綻した時に転職活動で「部長が出来ます」と仰られた方がいたそうですが、それと似たような状況はまだ日本の大企業には残っています。


『日本は大学院進学率が停滞し、他国と比べ相対的に「低学歴化」しつつある。これは長期的には日本の国力低下につながりかねない。また修士号や博士号が評価対象にならない社会に高度人材が外国からやってくるとは考えにくい』

「日本社会のしくみ」でも世界における日本の低学歴の傾向は言われてましたが、世界の優秀な人材が日本企業を避けるため、高度人材が日本にやってこないという視点ではあまり語られてなかった気がします。(かなり分厚い本なので見落とした可能性もありますが)

弊社でも海外留学に派遣してMBAを取得して戻ってきた社員が、身につけた知識とスキルを活かす場がなく、立て続けに退職して問題になった事がありました。

2年間外国で必死に勉強した社員よりも、同じ2年間会社で社内コネクションを作って成果を出していた人間のほうが評価をされたら、やる気を失くすのは間違いないと思います。

留学制度は戻ってきてからの配属の戦略とセットで考えねばならないのですが、完全にMBAホルダーの宝の持ち腐れです。


『今回のコロナ禍は、日本の働き方を再考する契機となった。「まず隗(かい)より始めよ」で、経団連加盟企業が率先し、役員や部課長の公募を検討してはどうか。それが無理なら、この先も変わらないだろう』

弊社も役割が曖昧で一致団結して頑張るみたいな会社で、ポストが出世の双六なので、専門性を持たない人が全然畑違いの部門長に着任する事が良くあります。

AIなどの先端分野の重要ポストのスキルセットを明確にして社内外から公募するという方なら反発も少ないと思うのですが、「自分達だけでなんとかしたい」文化をなんとかしなければならないと思っています。

メロンパンについて語りたい

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さぷさんです。ヴィドフランスのマスクメロンパンはなぜ春だけの販売で、通年で売っていないのでしょうか。

さて、僕は子供達とたまにパンを作ったりするのですが、普通のパンでは飽き足らずにクリームパンとかメロンパンを作ることがあります。

雨で外に行けない日なんかの休日の過ごし方としてはなかなか理想的です。新型コロナでもStayhomeでパン作りが増えたみたいですね。

パンで大切なのは発酵プロセスですが、イーストは糖分を餌にして炭酸ガスを出しますから、砂糖を多めに入れておけばだいたいなんとかなります。しかし太ること間違いなしというジレンマに苛まれます。

また、メロンパンの皮ですが、あれはクッキー生地なので、ベーキングパウダーを入れたりするわけですが、ベーキングパウダーを生地に混ぜると、炭酸水素ナトリウムと酒石酸が反応して、酒石酸ナトリウム、水、二酸化炭素が発生して、それがサクサクの秘密だそうです。クッキーは化学反応を利用している訳ですね。

なんとなく食べているメロンパンですが、パン生地は発酵、クッキーは化学反応という、自然と科学の恩恵にあずかっているとありがたさを噛み締めてメロンパンを食べるべきだと思っています。

また、パンの部分は上から見ると永遠に割り切る事が出来ない円周率、つまり自然の神秘さと深遠さを表した円形であり、皮の部分は科学を司る四角形の幾何学模様を施しています。つまり材料のみならず形態も自然+科学という調和が保たれています。

発酵・自然の円+化学反応・幾何学模様=メロンパンという図式が成り立つ訳で、人類の進歩と調和を表しているといっても過言ではありません。

また、もう一つ注目すべきなのは小麦粉の万能さなのですよね。パン、クッキー生地、いずれも小麦粉がベースとなります。小麦粉on小麦粉。ほぼ小麦粉しか食べてない訳です。流石のメロンパンと栄養バランス面の期待は出来ません。

しかし、この魔法の素材による恩恵に感謝です。ありがとう小麦。そしてありがとう発酵&化学反応。ありがとうメロンパンを考えた人。

あとしつこくて恐縮ですが、ヴィドフランスにおかれましてはマスクメロンパンの通年販売のご検討をお願い申し上げます。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見て思ったコト

さぷさんです。SNSは良くも悪くも(だいたい悪いことの方が多い)増幅装置ですから、心身の調子がイマイチな時は見ないし書き込まないようにしています。

さて、昨日の夜にNHKBSプレミアムで『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が放送されていまして、ついつい最後まで見てしまいました。寝不足です。

僕はエヴァを大学生の時に再放送のTV版で見て、ラスト2話で当時「は?」となって、映画館には特に足を運ばないようなありがちなタイプになります。

僕のあまり多くはないエヴァ体験の中で、昨日『破』を見て、今までにはない感情が生じたので、その事についてちょっと書いてみます。

コアなファンの方に怒られそうですが、エヴァからエロスとグロテスクな要素とオカルト的要素(陰謀論的な所)を取り除くと比較的シンプルにな構造として見る事が出来ると思います。

乗り越えるべき試練の到来(使徒襲来) → なんとか退ける → 日常の回帰 → 乗り越えるべき次の試練の到来(使徒襲来) → またまたなんとか退ける → 日常の回帰 → さらに乗り越えるべき次の試練が到来(以下略)という構成です。

これは主人公の碇シンジ綾波レイ、アスカ達チルドレンが14歳である事から考えても、思春期の少年少女の成長についての物語であるという事はいろいろな人も指摘してると思うのですが、こういう普遍的な要素があるので多くの人が虜になるアニメなのだと思います。

僕は陸上部出身なのですが、サハクイエル戦でクラウチングスタートをする所とか、全力疾走中に電線をハードルジャンプで超えるところとか、動きが陸上選手のそれをかなり忠実に再現しているように見えて、部活の事を思い出しました。あまり強くはなかったのですが、何かに打ち込んだいい思い出です。

また、日常の風景もマニアックなまでに描きこまれていて、登下校とか、学校でのお弁当とか、帰り道の駄菓子屋での買い食いとか、自分の体験とシンクロさせるような描写のシーンがかなりあります。

そんな中で、「あ、思春期の時はこんな感じだった」という感覚を思い出したんですよね。

僕の思春期は基本的に自己承認欲求と女の子の事しか頭にないですから(あ、今もか)、部活とか体育祭でとにかく目立ちたかった訳です。

とにかく自意識の塊だったのと、時間は無限にあるという感覚をとっくの昔に忘れていた訳ですが、それをちょっと思い出しました。

今は自分の身の程を知ったので、自己承認欲求はありながらも抑えつつ、人生の折返し地点なので、出来る事とやりたい事を取捨選択しつつ、社会的責任や家族に対する責任を取っていくべきだよなという、何者にもなれなかった自分をようやく受け入れ、それなりに大人の振る舞いを身に着けた訳ですが、「ああ、中学生の頃はそんな感覚だった。忘れていた事すら忘れていた。時間は無限にあり、何者かになりたいと強く欲していたなあ」という事をエヴァを見てて思ったのは初めてでした。

今まさに長男が思春期に突入しつつあり、彼の感覚として持っているだろうものを思い出すことが出来てよかったです。

自意識と女の子にモテたいというのを肯定しつつ、つかず離れずで息子たちと接していきたいなと思います。

碇ゲンドウエヴァの中では基本的に抑圧的な人物として描かれていて、それはTV版当時の上の世代に対して持っていた感情なのだと思いますが、『破』では少し優しくなったイメージで、庵野監督も同じような立場になった中での心境の変化なのかもしれないと思いました。

『Q』はネットを見る限り鬱展開みたいですが、『破』は難題を乗り越えるという側面を書いたので、そうは上手くいかないよと言う事を言いたかったのかもしれません。

『序』でエヴァのエピソードを最新のアニメ技術で描いて、『破』で思春期における困難の乗り越え方を描いて、『Q』で結局何者にもなれないという挫折を描いていたとしたら、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』では一体何を書くのかなというのは興味深いです。

エヴァでは「個人の救済」と「人類全体の救済」の両方のストーリーをリンクさせながら進めていて、TV版では前者に思いっきり振って多くのファンを「?」にさせましたが、ある特定の組織が強大な力を使って世界を救済するというのは、ソビエトなどの社会主義国家が壮大な実験をして壮大な失敗をしていますから、物語を着地させるのは難しいのではないかと思いました。

それか、ラストで碇シンジ碇ゲンドウと同じ位の年齢になっていて、まだ使徒との戦いが続いている中で自分の息子であるエヴァパイロットには優しく接しているというのであれば、親目線としては納得出来るかもしれないなと思いました。